小さな音楽達 第1話 (西本歩浩)

 そのCDショップは、九十九デパートの六階にあります。開店している間に店の側を通りかかってみれば、いつでも何かの曲がかかっているのが聞こえてくるでしょう。店の前のウィンドウには、新しいアルバムを出す歌手や人気グループのポスターが所狭しと張られていて賑やかです。そう広くはない店内に一歩足を踏み入れれば、いろいろなジャンルの音楽CDが詰まった棚が左右に並び、アコースティックギターやアナログレコード、そのジャケットなどが壁にかかっているのが見えます。
 店内を音楽一色にしているのは、たった一人の店員であり、店長でもある的場さんの音楽への愛です。彼は、このデパートができる前はもともとレコードショップを経営していました。評判の良かった彼の店は、デパートが建てられた後、スペースに空きのあった六階にテナントとして入ることになりました。時代の流れがレコードからCDに移り変わっていくと、店の名前も変わりました。しかし、的場さんの音楽への想いは数十年変わりません。彼はいつでも自分の店が、お客さんと音楽との最良の出会いの場になるようにと思っていました。
 しかし、今では彼の店を訪れる人はほとんどいなくなってしまいました。お客さんが、一日に一人来るか来ないかというほどです。今や誰もが、音楽をCDで購入せずにインターネットでダウンロードできる時代。音楽をお客さんに直接手渡しするCDショップのことはどんどん忘れられていったのです。
 人の来なくなったCDショップでも、的場さんはこまめな掃除を欠かしません。いつか来るであろうお客さんが、ほこりまみれのCDを手に取ってしまうことがないように。それでも、いつからか的場さんは、レジの前に座っているときにぼーっと寂しそうな顔をすることが増えてきました。



 深夜、誰もいなくなったCDショップで、動き出す存在があります。
 ポストパンク・リバイバルの海外バンドのCDもその一つです。彼は、普段入っている店の陳列棚からするりと抜け出すと、その棚の上に登ります。そこにはすでに何枚かのCD達が集合していました。これから大事な話し合いがあるのです。
 中央には、80年代のあるロックバンドのCDがいます。彼は、商品達の間で何か集まりがあればいつも代表格をやっていて、今夜の会議でも議長役を買って出ていました。
「悪いな、俺が一番最後だったみたいだ」ポストパンク・リバイバルのCDが一言詫びを入れました。
「いや、大丈夫だ。これで全員揃ったか?」80年代の有名ロックバンドのCDが確認します。
「よし、みんな、いよいよ作戦決行の時が来た。俺達の音楽を証明するんだ、この店を出て、このデパート中に」
 彼の声は朗と響き、棚の上だけでなく、店中の商品達に聞こえるようでした。実際、これから行われる話し合いは、ある意味この店全体に関わることです。棚の上に集まったCD達は、意見のある代表者達でした。
「まず作戦の具体的な手順を確認しておくぞ。よーく聞いておいてくれ。説明はこいつからだ」
 彼の隣にいた、J-POPの数年前のアーティストのアルバムが口を開きます。普段は気さくな彼ですが、今夜はちょっと神妙な様子でした。
「えーと、まず大事なのは、人間には見つからないこと。どんな邪魔をされるか分からないからね。そして、素早くやること。順調に行けば朝を迎えることはないはずだけど、それでもきびきび動いてほしい。ここまではみんな分かってるね?」
 ベスト盤は一度みんなを見渡します。
「よし、それじゃ詳しい計画を。第一:例の新入りの警備員くんがこのフロアの見回りをし終えるまで待つ。第二:彼が五階に下りていく頃になったら動き出す。彼の跡をついていくように、かつばれないように、だ。慎重に行こう。新入りくんが五階の見回りに入ったら、第三:一階まで一気に下りる。ここでデパートの放送設備のある部屋を探すんだ。放送設備を見つけたら、第四:そこへ侵入、外から入れないようにする。ここまで来れば僕らの天下さ。そして頃合いが来れば僕らは商品のふりをする。たぶん、僕らのジャケットに貼ってあるシールで、僕らがここの商品だってことは人間に分かるはずだから、明日中には店に帰ってこれる。これが作戦の全体だ」
 語り終えた彼の顔は密かに興奮しているようにも見えました。
「何か質問のあるやつは?」80年代ロックが言いました。
 ここで、日本では馴染みのないレゲエアーティストのCDが口を開きます。「別にそんなに警備員にびくびくしなくてもいいんじゃねぇか? どうせあいつらには俺らのことはわかんねぇんだし」
「ううん、新入りはともかく、あのベテランの警備員は私達のことに気付いてる風があるの」無名のジャズミュージシャンのシングルが冷静な口調で補足します。「噂で聞いたんだけど、彼、時々見回りの途中で店の商品をじっと見つめてることもあるんですって。まるで商品が動かないかどうか待ってるみたいに。長年いるんだから、私達の存在を疑ってるかもしれないわ」
「へぇ。でも実際俺達が動いてるところを見たら腰抜かすんじゃないか?」レゲエのCDは大して気にとめていないようでした。
「あー、何か不測の事態が起きたときにはどうするんだね? この作戦を中止するかどうかの判断はどうするんだ?」今度は外国のオーケストラの長いアルバムが質問をします。
「確かにそれは考える必要はある」80年代ロックは頭をかきながら言いました。「例えば、万が一人間に見つかった場合は、作戦中止だ。俺達はただの商品に戻る。もちろん、人間に俺達が意志ある存在だとは分からないはずさ。だんまりを決め込んでしまえば、いつか諦めてくれる。それと、放送設備にどうやってもたどり着けなかったり、設備が壊れていたりしたら、やっぱり中止だ。肝心要のゴールが無いんならしょうがない。こんなところか?」
 しばらくの間がありました。

「あ、あのー」
 ちょっと控えめに声を出したのは、デビューしたばかりのエレクトロポップアーティストのアルバムです。
「さっき、この作戦が終わったら、人間が私達をこのお店に戻してくれるって言ってましたよね?」
 彼女はそこで少しためらってから、
「でも、それ、本当なんですか? もしかしたら、お店に戻れずに違うところに連れていかれたりしないんですか? こんなCD気味が悪いって、捨てられちゃったりしないんですか? そうなったら私達、どうしようもないですよ」
 今度は居心地の悪い間がありました。
「まあ、何だ、それは最悪の想定ってやつだよ」80年代ロックが口を開きました。「そんなことが起こりそうだったら、作戦は早めに中止するさ。俺達の身を犠牲にしてまでやることじゃない。危ないと感じたら早めに相談して――」
「でも、元々これって命がけの作戦よね」先ほどのジャズのシングルが言います。
「なんだかんだいって、この店の中は安全よ。夜中なら誰も人間は入らないから。でも、外の世界になんて一度も行ったことがないでしょう? いくらここで作戦を考えていても、予想できないことはきっとある。何も知らない世界に出ようとしているのよ、私達。危険はつきまとうものだと思う」
 じぃっ、と重たい沈黙が場を支配しました。
「じゃあ、お前はどうしたい?」80年代ロックが声を落としてジャズシングルに聞きました。
「きちんと覚悟をもった人だけ行くべきじゃない? って言いたいだけよ」
 その場にいたみんなが互いを見ました。
「いいだろう。俺としてもみんなを無用な危険にさらしたくはない。今までの話を理解した上で、作戦に参加したい奴は、言ってくれ」
 ちょっとしたざわめきが店内に広がります。誰か行くものはいるのか、誰も行かないんじゃないか、見えない期待と悲観論が同時に店中に広がったようでした。
「俺は行くよ」最初に言ったのは、それまで黙っていたポストパンク・リバイバルのCDでした。みんなの注目が一気に彼に集まって、むしろ彼は一瞬たじろぎます。
「お前か?」80年代ロックはちょっと興味を引かれたようでした。
「その、俺はこの店に来てまだそんなに日は長くない。生まれたのがそもそも数年前で、世間の知名度もほとんど無いみたいなものだ、たぶん。でも、俺は自分の音楽に誇りを持っているし、誰かに自分の音楽を聴いてほしい。確かにこのお店にはずっと世話になってきたし、店長の的場さんが俺のことを信じているから置いてくれているんだ、と思う。でも、この店を出たら俺の音楽がどうなるか、知りたいんだ、俺は。ずっと前に、店のCDプレーヤーを出してきて皆で音楽を流し合ったことがあったよな? それよりももっと大きくて、もっと広い世界で俺の音楽はどう聞こえるのか、俺は知りたいんだ。俺は音楽を伝えるために生まれてきたから」
 ほんの少しの沈黙があってから、彼に続いて、
「俺は行くぞ!」「僕も行こう」レゲエアーティストとJ-POPのCDが進み出ました。
 ジャズのシングルも、ため息一つの後、「しょうがないわね、私も」と微笑み、
「あー…、私もいいかな。若者の気迫に力を貰ったようだ」オーケストラのアルバムも同調しました。
 これで四枚のCDが手を挙げたことになります。
「えっと……」エレクトロポップアーティストのCDは少しためらっているようでした。
「心配か?」それに気付いたポストパンク・リバイバルのCDが声をかけます。「無理をして行くくらいなら、残った方が――」
「いえ……、やっぱり行きます。私も自分の音楽を流したいです」彼女はそう答えました。「たぶん、今しかないと思うから」
 棚の上に集まった代表者達はみんな名乗り出ました。
「OK。お前達の覚悟を信じよう」80年代ロックバンドは顔に笑みを浮かべました。それから、店中に聞こえるように声を張り上げます。
「みんな、俺達はこれから、まだ誰もやったことのないことをやりにいく。もし上手くいったら、ここのみんなにも聞こえるはずだ。みんなも成功を祈ってほしい。俺達はこれから、自分の音楽の存在を証明するんだ!」
 店に拍手喝采が起きました。普段は寝てばかりのCDも、壁にかかっているLPレコードも。誰もが七枚のCDの勇気ある出発を応援しました。

 午前零時をちょっと過ぎた頃、新入りの警備員がCDショップが店の前を通り過ぎます。何かおかしなことがあるとは思っていないようでした。そのままフロアの角を曲がり、階段の方へと向かっていきます。そのとき、七枚の小さな存在が店からするりと抜け出して、階段の方にそろりそろりと動いていきます。警備員はそれに気付かず、五階への階段を下り始めました。