暗闇星(クラヤミボシ)  御伽アリス・作

 
 闇。暗い闇。の中……。
 闇だから暗いのは当たり前かもしれないけれど、何しろ暗いんだここは。暗闇だ。
 
 真夜中のデパートというのはね、本当に暗い。昼間は煌々と照明が点いていて、さらに人々が集まって賑わう場所だから、そのせいで余計に夜中は真っ暗に感じるのかもしれない。何だかゾクゾクしてきたぞ。さあ、そろそろ出かけることにしよう。僕は4階の子供服売り場を出た。
 今夜はすごいイベントがあるんだ。集合場所は3階の紳士用品売り場。僕がそこに到着すると、他のみんなは既に集まっていて、僕の来るのを待っていた。
「あ、麦坊やっと来た! おそいよ〜」
「ごめんごめん」と言いながら僕は皆の輪に加わる。
「よし、これで全員そろったな。ではみんな、改めてこんばんは。さっそくだが今日の計画のおさらいをする」そう言って僕たちのグループのリーダーが話し始める。
 今日集まっているのは僕も含めて5人。まずリーダーのネック。彼はこの紳士用品売り場に住むネクタイだ。色は少し地味だけれど今日もビシッと決まっている。僕らの中では一番の頭脳派で、頼りになる存在だ。次に、いつも元気、と言うかハイテンションなワンピ。彼女は2階の婦人服売り場のワンピース。明るい花柄が特徴的。次はスウ。3階紳士服売り場のスウェットパンツだ。彼はあまりしっかり者とは言えないけれど話がとても面白い。何かに興味を持ったらすぐ行動に移すというアクティブなタイプ。それから、お淑やかなお嬢さんといった感じのヒール。1階の靴売り場にいる、落ち着いたデザインのハイヒールだ。彼女は口数は少ないけれど思いやりがあって優しい性格。
 そして僕。4階の子供服売り場の麦わら帽子。みんなからは麦坊と呼ばれている。坊、なんて付けられるくらい、この5人の中では一番頼りないのが僕だな。
 さて、今回の計画というのはずばり、僕たち5人でデパートの警備員をびっくりさせてやろうというものなんだ。ふふん、なのです。僕たちのいる九十九(つくも)デパートでは警備員が夜間の見回りをしている。僕たち「残り神」は夜中になってこっそり動き出して遊んでいるわけなんだけれど、警備員に見つかって捕まったらもう元のように商品として暮らすことはできなくなる。だから彼らが見回りにやってくるときは僕たちはビクビクしながら息を潜めていなければいけないんだ。警備員のことを敵だと思っている残り神たちもいるくらいで、そんな警備員を僕たちの力で驚かせてやろう、というんだ。だから今日はすごいイベントなんだ。
 リーダーのネックの話が終わり、スウが少しにやつきながら口を開いた。
「それにしても、どうもちぐはぐな5人が集まったもんだよなぁ、俺らって」
「確かに異様ではあるわね」とヒール。
「でもあたしたちみたいなのがいきなり現れたら、警備員だって腰を抜かすよ、きっと」と言うワンピに、ネックも頷く。
 今ではすっかり仲良くなった僕たち5人だけれど、それぞれのいる売り場はバラバラで、もともとは全く関わりもなく交流のなかった5人だ。いろんな売場から集まったせいで、見た目の統一感がなくてちぐはぐな僕たちだけれど、その出会いにはちょっとしたきっかけがあった。そしてそのきっかけというのが今夜の作戦の始まりでもあったんだ。
 
  ***
 
 僕には、親しい友達というものがいなかった。昼間は黙りこくって、身動きすらせずに商品として店に並べられる。夜中になっても、他の残り神たちのように、仲良く話をしたり騒いだりする友達もいないから、ただぼんやりと過ごすという毎日。このままずっと売れ残り続けて、1人でいるんだろうか、と思って悩んでしまう日々だった。
 そんなとき、何か、怪談好きの連中が開いている集会があるらしい、という話を聞いた。その話にすぐさま僕は反応した。
 僕は怪談、奇談、ホラーとかいったものにとても興味があるんだ。だってあんなに僕の心の奥をゾクゾクと震わせ、傷付けてくれるものはないから。そこにはいつも何かの発見に似た感覚があって、僕が今この場にいることを確かに教えてくれる何かがある。
 でもそれを話して、怪談の面白さを理解してくれる友達はいなかった。魅力を力説してみても逆に気味悪がられるだけだ。仕方ないんだ。僕たち残り神の中では、怖いのを楽しむなんて考え方は珍しいものだから。そう思って諦めていた。
 だから、その話を聞いたとき僕は嬉しくなった。僕と同じ興味を持って怪談の集会を開いている仲間がいる。それだけで自分が少し、認められたような気がした。
 僕は何とかしてその怪談の会に参加したいと思った。具体的に何をしているのかも分からなかったけれど、とにかく怪談への関心があったし、怪談の面白さを共感し分かり合える誰かと話をしてみたい、と思った。勇気を出して、同じ売り場の残り神たちに何か知っていることはないかと聞き込みを続けるうちに、僕はその怪談の集会を開いている中心的存在のことを知ることができた。僕はすぐにそのひとに連絡を取った。それが、ネックとの最初の接点だった。僕たち残り神は離れていてもテレパシーで会話ができるから、直接会うことができなくても話ができた。
 僕が怪談の会に参加したいと申し出るとネックは喜んで、次回の「九十九物語(つくものがたり)怪談会」のことを紹介してくれた。ネックたちの怪談サークルでは、1か月に一度みんなで集まってこの「九十九物語怪談会」を開いているということだった。よくある百物語怪談会の形式だけれど、九十九デパートの名にちなんで99の怪談を語る、というもの。僕はわくわくした。絶対に次回のその集会に出ると返事をして、それからというもの、その怪談会が楽しみで仕方なくなった。
 さらに嬉しかったのは、ネックの紹介で怪談好きの知り合いができたこと。ワンピとスウとヒールの3人とも、実際に会う前にテレパシーでお互いを知り合い、話をしていた。怪談サークルのみんなとは自然に話が弾み、僕は初めて仲の良い友達を持つことができた。
 そして待ちに待った「九十九物語怪談会」。僕はそこで初めてネック、ワンピ、スウ、ヒールたちと対面した。実際に会うのはやっぱり緊張もあったけれど、みんなとても親切だし和やかな雰囲気で、すぐに打ち解けることができた。
 怪談会では、サークルのメンバーが持ち寄ったいろんな話に聴き入った。どの話も聴いていてわくわくするし、みんなの語り方も上手で本当に怖かった。感動してしまうくらいに。僕はすっかり嬉しくなって、九十九物語が終わった後もネックたちと一緒に朝まで怪談についてのおしゃべりに没頭した。こんなに楽しく仲間と話をするのは初めての経験だった。
 
 それから僕は何度か「九十九物語怪談会」に参加し、それ以外にも頻繁にネックたちと会って語り合った。それでネック、ワンピ、スウ、ヒール、そして僕はいつも5人で集まる仲になった。このメンバーで話をするのが僕の一番の楽しみだった。
 さて、前回の「九十九物語怪談会」でのことだ。
「みんな、真っ黒い人影には気を付けろ。それに出会ってしまうと、恐ろしいコトになる……」
 スウの物語の順番が来た途端、スウは唐突にそう話し始めた。
「黒い人影?」と尋ねると、スウはコックリと頷いて、
「みんなはこの九十九デパートの地下から屋上まで、階段の数を数えたことがあるか?」と、人影の話から話題をそらした。僕たちは黙ってスウに話の続きを促す。
「段数は96だ。今はなくなってるけど、前までは階段近くの掲示板にこのデパートの階段は96段です、という貼り紙がしてあったんだ。まあ昔からあったみたいでボロい貼り紙だったから、みんなもあまり注意して見たことがなかったかもしれないけどな。このデパートは地下1階と、地上は1階から7階までと屋上がある。それぞれの階と階の間に階段は12段ずつ。だから全部で96段だ。いつもなら、な……」
 スウは何か含みのある言い方をして言葉を切る。
「ところが、だ。これは俺の知り合いが体験したことらしいんだけど、真夜中になって真っ暗になった階段を、1段1段声に出しながらゆっくりと数えて昇っていくと……。あるはずのないもんがあるんだよ。なんと、増えてるんだ。階段が。99段にな。おっと、よくある階段の数が変わる話かよ、とか思ってくれるなよ? 実はこの話にはまだ続きがある。これはただの階段の怪談じゃない」
「……」みんながスウのことをじとっとした目で見つめる。
 スウは1つ咳払いをして気を取り直し、話を再開した。
「いいか、声に出して99段目まで数え終わるとな、真っ暗な中から音もなくやってくるらしいんだよ、その、影が。黒い人影がさ、辺りは暗闇だから本来なら見えるはずないのに、知り合いの話だと、その影だけが遠くでぼぅっと浮かび上がったようになって見えるそうだ。そして影はスゥゥ……とこっちに近づいてきて、そして次の瞬間!」
 スウはそこでいきなりガバッと立ち上がり、それに驚いた僕は思わずわっと小さな声を上げた。スウは僕を見てニヤリとし、元の姿勢に戻って言った。
「知り合いは命からがらその場から逃げてきた、というわけなのさ。あ、ちなみにさっきのスゥゥ……というのはもちろんダジャレだ。分かんないかな、ほら、俺は――」
「はいはーい質問! その黒い影って一体何なのよ?」と僕の隣にいたワンピがスウに尋ねる。するとスウは、よくぞ訊いてくれました、と言うように笑みを浮かべた。
「そこなんだよ、大事なのは。俺はその知り合いの話を聞いて、少し調べてみたんだ。そしたらな、面白いことが分かってきたのさ……」
 みんなは再びスウの話に聴き入る。
「そもそも2つのフロアの間に階段が12段しかないのは少ないらしいんだよ。他の建物とかと比べたらな。12段でも足りるように、このデパートのフロアは天上が少し低めに造られてもいるみたいだ。これ、ちょっと変だと思わないか? つまり何が言いたいかってーとな、階段の数はある意図の下でその数になったということだ。建設当時、このデパートの階段は99段になるはずだったらしい。九十九デパートというその名前にちなんでな。そうするために各フロア間を12段にして、残り3段を7階と屋上との間に付け足すということになったんだ。ところが、完成間近になってデパートの経営者、かな? まあそんなところの人間が、各フロア間の階段の数は全て同じ方が良いという意見を出してきた。そのとき既に99段で造っていたから、工事の担当者たちは急いで作業を進めて99段の内の一番上の3段を減らした。そうして工事は終わり、デパートは完成した。だがしかし、その後おかしなことが起こり始めたんだ。というのはな、デパートの階段で、足を踏み外す人が続出したんだよ。そういう事故に遭った人はみんな、階段を昇り降りしている時、いきなり強い眩暈のような感覚に襲われるんだとか後で語っているらしい。転んで怪我する人もいた。年寄りとかじゃなく、いたって健康な人間にもそういうことが起こったんだ。これは何かおかしいってことで調査がされたんだが、階段や建物自体には何の問題も見つからなかった。ただ、事故に遭った人たちに聞き込みを続けると、みんなが口をそろえてこう言ったそうだ。『そう言えば、一瞬、黒い人影のようなものが見えた』ってな。何かの霊の仕業かということで、階段全体でお祓いがされた。すると事故はパッタリと起こらなくなった。そのうちに事故のことは忘れられ、結局霊なんかいなかったということになったんだが……ところがな、霊は確かにいたんだよ。そしてそれは今もこのデパートにいるんだ。言ったろ? 真夜中に階段の数をかぞえると、あるはずのない3段があって、そして黒い影が! 今度は人間じゃなく、夜中に動き回る残り神が襲われる番なんだよ。思うに、今、夜中に現れるというこの黒い影ってのは九十九デパートの主みたいな役割を持つ、霊的存在じゃないかな。デパート自体が意思を持って、それが姿を現した、というのかな。まあ目的は分からないが、その霊ってのは何か、俺たちに対する怒りを持っているんじゃないか……? これが、九十九デパートの七不思議その6だ。おしまい」
 スウの長い語りが終わって、パチパチと拍手が起こる。話に聴き入っていた僕たちはふうっと息をついた。やっぱりスウの話は上手くて、怪談として面白いな、と僕が思っていると。
「最後の1つは?」とヒールが呟くように言った。
「え?」スウがヒールの方を見ると、ヒールはまた言う。
「七不思議の、最後。その7は?」
「そうだよ、今のがその6で、あと1個は何なの。きっとすごいやつよね!」とワンピは既にはしゃいでいる。
 そうだ、スウはここまで、九十九デパート七不思議というシリーズで語ってきていたんだ。七不思議というからにはその7まであるはずだ。しかしスウはぽかんとして、
「えっと、あ、いや……それはまだ思いついてない」とこぼす。
「なぁんだ、『思いついてない』ってことは、今までの七不思議シリーズって作り話だったんだ。実話だとばかり思ってた」
 僕がそう言うと、スウはしまったばれたか、と苦笑いする。
「良いだろ別に。そういう指摘こそ怪談の面白みを半減させるぜ? ここで語ることは実話でもフィクションでも良いんだからさ、面白くて、そして怖ければ何でもいいってことになってるだろ」
 スウはそう言い訳をする。たまにこうやって、スウは詰めが甘いと言うか、ドジを踏むことがある。まあそれも含めてスウは面白いんだけれど。
 と、そのとき。僕やワンピに文句を言われるスウに向かって、いや、と言うよりもヒールを含めて僕たち4人に向かって、かな。唐突にネックがこう言い出した。
「なあ、まだないのなら、自分たちの手で作れば良いんじゃないか?」
「……はあ?」僕たちには最初、ネックの言葉の意味が分からなかった。何の話だろうと思った。でもそんな僕たちを前に、ネックはキリッとした顔で言った。
「おれたちが、九十九デパート七不思議のその7になるんだよ」
 
  ***
 
「それにしても、七不思議のトリが、おかしな組み合わせの残り神5人が警備員を驚かす、かよ……。麦わら帽子にワンピース、ネクタイを締めて下半身はスウェットパンツ、足元はハイヒールって、はは、何だよコレ?」
 スウは苦笑いしながらそう呟く。
「異論がある?」とヒールに言われ、異論はないけどね、とスウは言う。
「アタシは結構良いアイデアだと思うけどな〜。まあ5人の取り合わせはともかく、こういうのやるの、ちょっとスリルあって楽しいし!」とワンピはいつも通りのポジティブ思考&ハイテンションだ。
「こういう経験を通して、また怪談の面白さも一段と分かってくるんじゃないか?」とネックがそれらしくまとめる。
 僕も、この作戦はとても面白いと思う。きっとスウだってつまらないとは思っていないはずだ。もしそうなら参加しないはずなんだから。
 僕らの力で、怪談を創る。ただのお話としてじゃない。実際に怪奇現象を創り出すんだ。まあ警備員を驚かすだけだけど。でもこういうのは案外シンプルな方が良いんだよ、きっと。
 それに、この作戦はそれだけじゃないんだ。ただ面白いだけじゃない。というのも僕らが驚かすのは人間だ。人間とは強大な力を持つ生き物だ。僕ら商品を作り、売り、そして買うのが人間。僕らを支配するそんな存在を、僕たちの力だけで驚かすことができたとしたら。それってすごいことじゃないだろうか。
 思うんだ。ネックたちに出会うまで僕に友達がいなかった理由。それは僕に、注目に値するだけの魅力がないからじゃないかって。つまり力がないからだ。ただでさえ僕は売れ残りの落ちこぼれ商品で、値札の数字もどんどん小さく書き換えられていって、クリアランスセールなんかに出されるような奴なんだ。そんな僕が価値を見出されるためには、誰かに認めてもらうためには、何かすごいことを成し遂げなくちゃいけないんだ。面白い奴だと思われなければならないんだ。
 僕にとっては、今回の作戦にはそういう意味もあるんだ。これが成功すれば、僕はみんなから認められるはずなんだ。僕がここにいる意味ができるんだ。
「麦坊?」
 いきなり声を掛けられて僕はハッとした。ヒールが僕の顔を覗き込んでいる。
「早く行くわよ?」と言ってヒールは歩き出す。他のみんなはもうヒールの前を歩いている。僕も慌てて追いかける。
 23時30分。いよいよ、作戦開始だ!
 
 僕たちはまず1階に向かった。デパートの隅にある警備員室が見える位置に、5人で身を潜める。
「午前0時の見回りは新入りの警備員が担当のはずだ。今回のターゲットだな。もう1人の警備員はベテランで、おれたち残り神の存在に感付いているという噂だ。つまり驚かすことは難しいし、捕まるリスクも高い。だから狙いは新入りだ」
 ネックがそう説明すると、今度はワンピが言う。
「まずは新入り警備員を尾行。警備ルートや様子を細かくチェック、だよね」
「その通り。ただし近付き過ぎてはいけない。みんな分かってると思うが、尾行では一切物音を立てるなよ? 幸い、残り神の声は人間に聞こえないから、我々は会話でコミュニケーションできるが、物音を立てたら警備員に気付かれるからな」
 それにスウが反応する。
「そんな面倒なことをしなくたって、スウッと近付いて、いきなりガバッと襲い掛かれば良いんじゃねえの? あ、ちなみに今のスウッと、というのは――」
「分かってないわね、スウ」と言うのはヒールだ。それに続いてネックが厳しい表情で言う。
「ただ一気にたたみかけるだけでは相手を怖がらせることは難しい。もし冷静に対応されたら我々はおしまいだからな。だからもっと、ゆっくり、じわじわと苦しめてやるのさ……」ネックはそこでニヤッと笑う。
「ネックも意外と性格悪いところあるよな」とスウは苦笑い。
「まあ冗談はさておき。そろそろ0時。ターゲットが見回りに出る頃だ。これからは迂闊な行動は避けて、絶対物音を立てないこと!」
 ネックの言葉にみんなが頷き、僕らは身を固くして警備員室のドアを睨む。緊張で少し息が詰まる。
 がちゃ、と音がして僕たちの見つめるドアが開く。部屋の中から明るい光が漏れ出してくる。そして若い警備員が懐中電灯を手に持って出てきた。あの人がターゲットだ。警備員はドアを閉めて歩いていく。ネックが、行くぞと合図をし、僕らは音を立てないように注意しながら尾行を開始する。うぅ、これはかなり精神を擦り減らす仕事だ……。
 しばらく通路を進むと、警備員はエレベーターに乗り込んだ。僕らは一緒に乗るわけにいかないので、エレベーターの前で立ち止まる。エレベーターのランプは「1」から「2」に替わった。警備員は上の階に向かったらしい。
「みんな、急いで追いかけるんだ」とネックは階段へと走り出す。僕らもそれに続く。
「おいネック、あいつがどの階で降りたのか確かめなくて良かったのか?」というスウの声に、前を行くネックはこちらを振り返らずに答える。
「見回りの効率を考えれば、まず屋上まで上がり、それから1フロアずつ下に降りてくるのが普通だ。ターゲットは屋上に向かったのさ」
「さっすがリーダー。冴えてるね〜」とワンピがはしゃぐ。
 そんなことを言いながら、僕たちは7階まで駆け上がった。そこでネックが叫んだ。
「まずい、みんな隠れろ!」
 その声に慌てて階段から離れ、物陰に身を隠す。階段を降りてくる足音が聞こえ、やがて懐中電灯の明かりが見えてきた。警備員はもう屋上の見回りを終えて7階にやってきたらしい。
 僕らは警備員をやり過ごし、十分に距離が開いてから動き出す。
「はあ、ビックリした……」と僕がこぼすと、スウが横からすかさずに言う。
「馬鹿だなあ。これから俺たちが奴を驚かそうってのに、こっちが驚いててどうすんだよ」
「そういう誰かさんも、ヒイッとかって声を上げてたわね」とヒールが呟く。
「う、うるさいな。それは演技だっ」と反論するスウをワンピがあはは、と笑う。
「おいみんな、早くターゲットを追いかけるぞ」
 ネックの声に僕らは再び尾行を始める。
 ネックが言った通り、見回りは屋上から1フロアずつ降りていくという流れのようだ。まず1階から屋上までエレベーターで上がり、フロアをぐるっと1周して見回りをし、階段で下の階へ降りる。警備員はそうして7階から6階、5階、4階とどんどん下へ降りていった。僕たちは距離を保ちながらそれについていく。通過する売り場の中で、僕たち以外の残り神たちが動く気配があったけれど、警備員はそれに気付かずに歩いていく。
「あ〜、なんか、意外と地味な作戦……」とワンピが珍しく疲れた顔をする。
「単調すぎるんだよ、尾行なんて」とスウが文句を言い始める。するとネックがそれを制して言った。
「シッ! 警備員が何か言ってるぞ。……独り言、か?」
 僕たちは口を閉じて耳を澄ました。すると声が聞こえてきた。
「はぁ……何で夜中に1人で見回りなんかしないといけないんだよ。オレこういうの苦手なのに。じゃあなんでこんな仕事に就いたのかって話だけど。しかも高島さん何だよ。『私は長いことここで働いてるから分かるんだけどね、ここのデパート、結構出るから。気を付けろよ、松坂』とか変なこと言わんでほしい! 肝試しか! ほんと、本当やめてくれ……」
 どうやら新入りの警備員は怖いものが苦手なようだ。これは僕たちにとっては好都合だ。この人ならきっと簡単に驚かすことができるに違いない。
 その後も尾行は続いたけれど、特に何ということもなく、警備員は地下1階を巡回し終わった。
「ようやく終わった。さっさと戻ろう……」警備員はそう言って階段を上がっていった。それを見送りながら、ネックが言う。
「よし、あとは警備員室に戻るだけだろう。尾行終了だ。ひとまずはみんな、よく頑張った」
「それで」とスウが不服そうな声を出す。「この退屈な尾行には何の意味が?」
「僕はちょっとドキドキして楽しかったけどなあ」と感想を言うけれどスウは僕には見向きもしない。
「さ〜て、仕掛けるのが楽しみだね。オーいぇい!!」とワンピはなぜかハイテンション。
「収穫はあったわけよね」とヒールが言うと、ネックは頷く。
「もちろん。警備員はまず1階からエレベーターで屋上まで上がり、フロアをぐるっと1周して階段で下へ降りる。これで警備のルートは分かったわけだ。つまりおれたちは奴に気付かれないように後をつけたり、先回りして待ち伏せしたりできるのさ。さらにもう1つ。あの警備員の名前はマツザカだということも分かった」
「それのどこが収穫なんだよ」とスウが言うと、ネックは笑って、
「まだまだだな、スウ」と言う。きっとネックのことだから、何か作戦に使える良い案を思いついたんだろう。
 フロアの時計を確認すると、0時30分過ぎを示している。新入り警備員は速足で見回りをしていったから、デパート全体を回ったのにもかかわらず、それほど時間はかからなかったみたいだ。
「さて、新入りとベテランが交互に巡回をするのであれば、次に新入り警備員マツザカが見回りに出てくるのは午前2時だ。それまでは待機だな。いったん戻るとしよう」とネック。
「次こそ襲い掛かるんだな。よぅし、やる気出てきたぜ」とスウは勇み立つ。しかしそれにネックは首を振った。
「いや、次もまだ準備段階だ。ジワリ、ジワリ、だ」
「えぇ〜。やっぱネック性格悪い……」スウは肩を落とす。
「じゃ、戻ろっか」と僕が階段を昇ろうとした時、ワンピが思いついたようにこう言い出した。
「ねえみんな、まだ時間があるんだし、アレ、やってみない?」
「アレって?」と僕が首を傾げると、ワンピは顔を輝かせて言った。
「ここは地下1階でしょ。みんなで、ここから屋上までの階段の数を、声に出して数える!」
 それは、スウの話した、あの怪談だった。七不思議その6。あれを実際にやってみようとワンピは言っているらしい。
「いやでもなあ、あれはほとんどが俺の作り話で……」とスウが言うけれど、ワンピは頬を膨らませて反論する。
「やってみないと分からないでしょ! 意外と本当になっちゃったりするかもよ?」
「面白いかもね」と言ったのはヒール。ヒールはワンピの意見に乗ったみたいだ。あの怪談、確かに、実際やってみたらどうなるのか、僕も少し興味はある。
「となれば早く行こう。あまりのんびりしていると次の見回りが来るかもしれないからな」とネックはもう数をかぞえようとしている。
「まあみんながそう言うなら良いけどさ。ったく、俺の怪談そんなに面白かったか? やっぱ俺ってすごい奴なのかなあ」とスウ。
「じゃ、さっさと行こっか」
「おい、聞けよ!」とスウ。
「あたしが数えまーす。いーち、にーい、さーん……」
 ワンピの掛け声とともに、僕たちは階段をゆっくりと昇っていく。
 1階に到着。「じゅーうにっ」
 2階に到着。「にーじゅしっ」
 3階。「さーんじゅろっく」
 4階。「よーんじゅはっち」
 5階。「ろーくじゅっ」
 6階。「ななじゅにっ」
 7階。「はじゅじゅッ……あう」ワンピが噛んだ。
「さて、ここまで84段か。あとは7階から屋上までだな」とネックが言う。
「何か起こりそうね」とヒールが言う。セリフの内容の割に何か落ち着いた口調だ。まあヒールが冷静なのはいつものことだけど。そんなヒールに対しスウは、
「何を根拠にそんなことを。何もねーよきっと」とつまらなさそうにしている。
 ワンピは変わらず、元気に昇り始める。夢中になっているんだな、と分かる。
「85、86、87」
 何だかいよいよ緊張してきた。本当に99段あったらどうしようか。
「93、94、95」
 僕は顔を上げる。ついに一番上までたどり着くぞ。
「96……」
「えっ!」と声が上がる。僕たちは今96段目にいる。そして、その先には。
「マジかよ、本当にあるじゃんか!」スウが驚きの声を漏らす。そう、あったんだ。残りの3段が。
「どーする?」とワンピは僕たちに尋ねる。期待と、少しの不安が混じった表情だ。僕も考えることは同じ。スウが話したことが本当に起こるとしたら、99段目まで数えた時、く、黒い影が……。
「無論数えるだろう。ここまで来て数えない理由がない」とネックは勇ましく言う。ヒールはただ、そうね、とだけ言って涼しげな顔。ワンピは前を向く。
「じゃあ、いくよ。97、98、きゅーじゅー……きゅう!」
 僕たちは、ついに昇りきった。99段を、声に出して数えきってしまった。とその時、何かが。
 カツン、カツン……。という音が聞こえた気がした。
「あれ、ねえ、今何か聞えなかった?」と言ってみるけれど、みんなには聞えなかったようで首を傾げられる。でも、確かに今……。僕らは耳を澄ませる。
「やっぱり何も起こんねーじゃんよ」とスウが呟いたその時だ。ギイ、と近くで音がした。その途端。
「みんな逃げろ! 下だ!」ネックがいきなり階段の下へ走り出す。
「えぇっ!」わけも分からずネックの後を追う。まさか、まさか本当に、黒い影が? 思わず後ろを振り返る。するとそこに、チラッと何かの光が揺れた。あれは!
 僕たちは一気に3階まで駆け降り、今夜最初に集合した紳士用品売り場に隠れる。
「え、何なの! 黒い影? ねえもしかしてそうだった? うわぁあたし見られなかったよ悔し〜!」とワンピは嘆きの声を上げる。でも、違う、あれは。
「今からでもちょっと見に行ってみようかな」と動き出すワンピを止めて、ネックが厳しい口調で言った。
「だめだ。あれを見てみろ」そう言ってネックが示す方を見てみると、壁に掛かった時計が午前1時10分あたりを示している。
「さっきのは警備員だ。ベテランの方のな」
 僕らは階段の数をかぞえるのに夢中になっていて、見回りの時間になっていたことに気付かなかったのだ。
 しばらくの間身を潜めていると、やがてそのベテラン警備員が巡回にやってきた。商品の並ぶ棚の陰に隠れてそれをやり過ごす。すると、警備員が僕たちのいる棚の近くで足を止めた。辺りを懐中電灯の明かりが行ったり来たりする。ビクビクしながら早くあっちに行け〜、と念じていると、警備員はようやくその場を離れ、遠くへと歩いていった。足音もやがて聞こえなくなった。
「ふう、危なかったな」とスウがホッとした声を出す。
「あれだけ丁寧に見回りをしてるんだ。ベテラン警備員の巡回の時間はむやみに動かない方が賢明だな」とネックはワンピの方を向いて言う。
「何よ〜、階段の数をかぞえたのが悪いって言うの? 確かに提案はあたしだったけど、みんなだって賛成したでしょ」
「ワンピだけに言っているんじゃないさ。チームとして、作戦を成功させるための注意だ」
「まあ、もう少し慎重に、冷静に行動しないとね。みんなが」とヒールがその場を収めた。
「それにしても、99段あったのに、結局黒い影は出てこないのかな」と僕が言うと、
「だから何もないって言ったんだよ」とスウが言う。
「はぁ〜あ、せっかく面白いことが起こるんじゃないかと期待してたのにぃ」ワンピは心底悔しそうにそう言った。
 結局、僕たちの前に黒い影は現れなかった。
 
 午前2時を回った。僕たちは再び警備員室のドアを睨んでいる。これから、新入り警備員の2回目の見回りのはずだ。
「来たっ」スウの声と同時に、新入り警備員が出てきた。やはり今回は新入りが見回りの担当だ。2人の警備員が交互に見回りをするのは間違いないらしい。それを確認して、僕たちはまたこっそり後を追おうとする。しかし、ネックが僕たちを引き留める。
「みんな、そっちじゃない。逆側の階段で昇るんだ。そうすればさっきのように上から来たターゲットと鉢合わせ、なんてことにはならない」
 なるほど。このデパートには階段は2か所ある。そしてさっきの尾行で警備員はフロアを1周して階段で降りることが分かっている。つまり、巡回ルートには片側の階段しか使われていないから、逆側で昇った方が安全なのだ。
「さすがネック。よし、じゃあそっちから行くぜ」とスウが走り出そうとすると。
「ちょっと待つんだ。隠れろみんな」ネックの声に、僕たちは再び物陰に隠れる。
「おい、今度は何だよ」とスウが言うと、ネックは黙ったまま警備員室の方を見ている。僕もそちらを見てみると、驚いた。ベテラン警備員が、ドアから顔を出して辺りを見回している。
「まさか、気付かれちゃったの?」とワンピが不安そうな声で言う。
「大丈夫。まだ気付かれてはいないみたいね。でも私たちが動く気配を感じ取ったのかも」とヒールが言う。
 少しして、ベテラン警備員はドアの中へと消えていった。
「やっぱり油断ならないな。よし、急いでターゲットを追うぞ」ネックの指示で僕らは動き出し、さっきのとは逆の階段を昇る。新入り警備員マツザカはもうとっくにエレベーターで上まで行ってしまっている。
 5階まで昇ったところで、ネックが立ち止まった。
「そろそろターゲットは7階から6階へ降りる頃だろう。我々はこの辺りで待機だな」
「今回はまだ襲い掛からずに、遠くから音を立てるとかして怖がらせるんだよね」と僕が言うと、ネックは頷く。
「そう、ジワリジワリとな」
 やがて、新入り警備員が懐中電灯の明かりを揺らしながらやってきた。警備員は僕たちの隠れたところを通り過ぎ、ずんずんと進んで行く。
「よし、ヒール。靴音を鳴らすんだ」とネックが言って、ヒールはカツン、と小気味の良い音を1つ鳴らした。音は真っ暗なデパートの中に響く。それと同時に、前を行く警備員の足が止まった。そしてゆっくりとこちらに振り向いて、明かりを向ける。その時にはヒールはしっかりと身を隠していたから、見つかることはもちろんない。
「き、気のせい、か……」と警備員は独り言を言って巡回に戻る。ただ、速足がさらに少し加速した気がする。
「追いかけるぞ」ネックの指示に僕らは頷き、急いで警備員を追いかける。さっきよりも少し近くまで接近したところで、ネックがヒールに合図を出す。ヒールは今度は、カツン、カツン、と2度音を鳴らす。また警備員は立ち止まってこっちを見る。
「気のせい気のせい……。幽霊なんていない、に決まってる」警備員は弱々しくそう呟いて、また逃げるようにして歩いていく。僕たちはニヤリ、だ。
「なんだか上手くいきそうになってきたよね〜」とワンピ。
「俺たち、幽霊じゃないけどな」とスウ。
「よし、次は待ち伏せだ。3階で待機」
「ラジャ!」
 僕たちは階段を降りて3階で警備員を待つ。しばらくしてやってきた彼の前方で、ヒールがカツカツカツカツン! と音を立てる。警備員は一瞬ヒッと声を漏らしたけれど、懐中電灯で左右を照らし、
「いや、ネズミか何か、だろ……」と自分に言い聞かせている。そしてそのまま足早に2階へと降りていく。
「次は1階だな」
 僕たちは1階に先回りし、また警備員を待つ。
「よし、次はワンピがターゲット前方の通路を横切る。チラッと相手に見えるくらいでいい。一瞬だけだ。そして相手が驚いたところで、ターゲットの後方に身を潜めたヒールが音を立ててたたみかける。2人とも、上手くやってくれ」
 さすが、ネックの作戦は手が込んでいる。これならかなり警備員も驚くだろう。
 しばらくして警備員がやってきた。怯えたようにキョロキョロと辺りを見回し、足は少し震えているかもしれない。ネックの合図で、ワンピが飛び出す。警備員の目にはそのワンピの姿が一瞬だけ映っただろう。
「あ……」と、もう声が出ないといった様子の新入り警備員。そこに、後ろからカツカツカツカツ! とヒールが靴音を鳴らす。振り向いて懐中電灯を向けた時にはヒールはもうそこにはいない。
「な、何なんだよおい、勘弁してくれ。なんで。高島さんは平気そうなのに。どうしてオレ1人だけ……!」
 警備員は声を震わせて、顔は青ざめて、もう走るくらいのスピードでその場から去って行った。
「よし、とりあえずこんなところだろう。退却!」
「ずいぶん上手くいったね。あたしのファインプレーのおかげかな」
「いよいよ次がクライマックスか。早く驚かせてやりてーなぁ」
「……どうしたの、麦坊?」みんながはしゃいでいる中、ヒールが僕にそう声をかけてきた。
「ん、いや何でもないよ?」と答えて、僕はネックたちについてまた3階へ戻る。ヒールは首を傾げるようにしていたけれど、すぐに僕たちに合流した。
 警備員の怯えた声。顔。「どうしてオレ1人だけ」……。僕はさっき見た、そんな警備員の様子を思い返していた。
 
 午前3時20分ごろ、ベテラン警備員の見回りが通り過ぎて行った後、ネックが言い出した。
「みんな、いよいよ次はターゲットに接近して直接襲い掛かる」
「5人で合体して、人間そっくりの姿に変身するんだよね。そんで、ワッと飛び掛かる!」ワンピはすごく楽しそうにそう言う。
「まあ、麦わら帽子とワンピースとネクタイとスウェットパンツとハイヒールなんていう服装の人間はいないと思うけどな」とスウは苦笑い。
「とにかく、今までの様子だと、奴は驚いて腰を抜かすか、逃げ出すことは必至だ」とネックは自信満々の様子だ。
「どの階で仕掛けるんだ?」とスウがネックに尋ねる。
「地下だ。ただでさえ地下というと、何だか怪しげなイメージがするだろう。そこで驚かしてやるのさ。そして大事なのはそのタイミング。奴が見回りを終えて警備員室に戻ろうとする時がチャンスだ。ホッと油断したところを突く。さらに、こんな物を用意した」
 そう言ってネックが取り出したのは……赤いマジックペン?
「それを何に使うの?」という僕の疑問にネックが自慢げに答える。
「呪いの文字を書くのさ」
「の、呪いの!?」
「ネック、あんたいつから呪いの術を使えるようになったんだよ?」スウがそう言うと、ネックは笑った。
「いやいや、ただ文字を書くだけだが。ではみんな、地下1階へ行くぞ」
 ネックについて、僕たちは地下1階へ降りる。ベテラン警備員に注意しながら慎重にやってきたけれど、もう彼は見回りを終えて警備員室に戻った後のようだった。
「麦坊?」
 ヒールの声に僕はハッとする。
「どうしたの? ボーっとして」
「ううん、大丈夫。何でもない」僕はヒールから視線をそらす。
「それで、文字ってのはどこに書くんだ?」スウがそう尋ねると、ネックが言う。
「階段だよ」
「階段? 階段の壁とか?」ワンピの問いに、スウが口をはさむ。
「いや、でもそれじゃ1階から降りてくる時に文字に気付いちまう。驚かせるのは見回りが終わって油断した時なんだろ? 先に呪いの文字に気付かれたらそこでビビッて逃げるかもしんないぜ?」
 そこでネックがコホン、と咳払いをする。
「いいか? 文字を書くのは壁にじゃない。階段そのもの、にだよ。階段の、床に垂直な面に書くんだ。そうすれば階段を降りる時には文字は見えない。そして見回りが終わって帰ろうとした時、初めて階段の文字に気付いてビックリ、というわけさ。ターゲットはその文字に気を取られるだろう。その隙に、合体した我々が背後から近寄り、バッ! ととどめを刺す。奴は悲鳴を上げて逃走。その後、階段に書いた文字は拭き取って何もなかったことにする。このペンは水性だからすぐに落ちるんだ」
「なんて書くの?」とヒールが尋ねると、
「そうだな。『お前を呪ってやる、マツザカ』とでも書けば良いだろう。名前を書くことでより恐怖心をあおる」とネックが答える。
「なるほどな、それであの警備員の名前を知ることができたのが収穫だ、なんて言ってたわけか」スウは納得した表情だ。
「ね、ねえみんなっ!!」みんなが僕の方を一斉に向く。それで自分が声を発していたことに気が付いた。
「何だ、麦坊?」ネックが僕の顔を覗き込む。
 みんなの視線が僕に集まる。
「えーっと、あ、何でもない……」
「何だよ麦坊。何も用事ないのに深刻そうな声出すんじゃねーよ」とスウが文句を言う。
「おっと、のんびりはしていられないぞ。もう少しで午前4時だ。ターゲットが見回りに出てしまう」
「じゃあ、ちゃちゃっと呪いの文字を書いちゃお〜☆」
「あんまり元気に言うことでもないけどな、それ」
 ネックとワンピとスウは階段に文字を書き始める。
「ねぇ麦坊、本当にどうしたの? さっきから何か変よ」と、ヒールだけは僕に尋ねてくる。僕を心配してくれているんだ。ヒールはそんな優しい性格なんだ。ネックやワンピやスウだってそうだ。すごく大切な仲間たち。だから僕は。でも。
「何でもないって。何かさ、いよいよだなって思ったら緊張してきちゃって」僕は、ヒールに背を向ける。こんな言い訳で、上手く誤魔化せるのだろうか?
「麦坊――」ヒールが何かを言いかけた。
「よし完成だ。おい、そこの2人、ボサッとするな。1階に上がるぞ。またターゲットの後をついて行って、この地下1階で一気に襲い掛かるんだ」ネックの指示で、みんなは階段を昇り始める。そこには警備員マツザカに対する呪いの文字。
「麦坊、行くよ?」ヒールがそう促す。でも僕は。こんなの、って。
 そう、僕の中には、迷いがあったんだ。
「ごめん、みんなちょっと先に行ってて。僕はすぐ追いつくから」
「何だよ、何かあんのか?」とスウは不思議そうな顔をしてくる。
「とにかく行っててよ」うわ、これじゃ怪しすぎるよ……! どうしようかと思って僕が俯いていると。
「……そういうことなら、私たちは先に行きましょ。麦坊も遅れちゃダメよ?」ヒールがそう言って、不思議がるみんなを上の階へ引き連れていく。
 僕は、ふう、吐息をつく。みんなの姿を見送り、そして呪いの文字を見つめた。
 
 僕がみんなと合流したのが、ちょうど午前4時だった。辺りはまだ真っ暗だ。
「出てきたぞ」
 警備員室のドアが開き、ターゲットの新入り警備員が顔を出す。何だか既に疲れ切ったような、不安げな表情だ。警備員はとぼとぼとエレベーターの方へ歩き出す。エレベーターに乗って屋上へ向かうのだ。今までと全く同じルートだ。僕たちはベテラン警備員が見ていないことをしっかりと確認して、警備員の巡回に使われるのとは逆側の階段へ。
「よし、では我々はまた6階まで昇るぞ。何度も昇り降りしてキツイだろうが、頑張ろう」
 ……頑張る? 人を驚かせるために、頑張る。がんばる……。
 ネックの指示で僕たちが階段を昇ろうとした時だ。
 カラン……。小さな音だった。でも確かに聞こえたんだ。
「ねえ、今の何の音?」そう言った時だった。階段の上に誰かの気配がした。
「みんな、早く隠れろ!」ネックの言葉に、僕たちは階段の脇の物陰に身を隠す。誰だろうか? こちら側の階段から新入り警備員が降りて来ないはずだし、そもそもさっき屋上まで昇っていった彼がもう戻ってくるのはおかしい。ベテラン警備員も、警備員室から出ていないからここにいるはずがない。じゃあ僕ら以外の残り神だろうか? そう思ってテレパシーを試みるけれど通じない。これは残り神じゃない。もっと、大きなものの気配。何だこれは? その気配がどんどん近付いてくる。近付いて近付いて……。
 目の前にそれが現れた時、僕らは一瞬、息もできなくなった。なぜなら、そこにいたのは。
「こ、これって」
「おい……」
「さ、作戦中止! みんな、逃げろ!!」
 僕らは一目散に走り出す。全身、頭から足の先まで、真っ黒の人間が、1人、2人、3人。そう、僕たちが見たのはあの、黒い人影だった!
 僕たちは警備の巡回に使われる、もう片方の階段を使って3階まで駆け上がる。そして最初に集合した紳士用品売り場に身を潜める。
「追ってきてはいないみたいね」ヒールがそう言い、ようやくみんなは息をついた。
「ね、ねえ。さっきのってやっぱり、スウが話してた黒い人影、ってやつだよね」ワンピがまだ興奮覚めやらぬ顔で言う。
「ま、マジでいやがったのかよ。し、しかも3人だぞ」スウも荒れた息を整えながら、驚きを隠せない様子で言う。もちろんそれは僕も同じだけれど。でも、みんなが怖ろしいものを見た、という表情をする中、ヒールだけはなぜか涼しい顔をしている。
「ヒールは驚かなかったの?」と訊くと、ええ、と言ってヒールは笑った。
「あれ、スウの話した黒い人影の幽霊じゃないと思うわよ」
「ええ〜! だって真っ黒だったじゃん。警備員でもなかったよあれは。この時間に警備員以外の人間がいるはずないし。あたしたちが階段を数えたから、出てきちゃったんだよぉ……」とワンピは口をとがらせる。
「まあまあ……。ヒール、君はあれが幽霊じゃないと言う。その理由を聞かせてくれ」そうネックが場をまとめる。
「だってね、このデパートの階段はもともと99段だもの。だから99段数えたって何もおかしなことはないわ。幽霊なんか出ないわよ」
 その言葉に、僕らは「えっ」と声を上げる。そして今度はスウがヒールに反論する。
「建設当初もともと99段だっていうのも、俺の作り話だったんだぜ? 本当は昔も今も96段で――」
「それ、スウは自分で数えたことがあったのかしら?」
「え、それは、ないけど……」
「きっとみんなも階段の数なんか実際に数えたことはなかったわよね。だから96なのか99なのか分からなかった。昔も今も、このデパートの階段の数は99なのよ」
「いやいや、でも俺は前に見たことがあるんだ。階段近くの掲示板に、この階段は96段です、と書いてある紙があった」スウはそう反論する。
「そのポスターなら私も見たことがあるわ。でもね、私が見た時は99段、と書いてあったのよ」
「ええ? どーいうこと?」ワンピがヒールに尋ねる。僕も全くわけが分からず、ヒールの話を聞く。
「つまりこういうこと。その貼り紙には最初、『99』の数字が書いてあった。でも、階段近くは窓を開けると風が強く入ることがあるわ。掲示板のその貼り紙は古い物だったから、多分その風で破れちゃったのね。しかも運悪く、1の位の部分だけ、ビリッとね。ここまで来るともう大体分かるでしょ? その切れ端を拾った人は、その1の位の数字を『9』ではなく逆さまの『6』だと思ってしまったのよ。切れ端がどの向きでくっついていたのか、切れ目を見れば分かるのが普通かもしれないけれど、何年も前からあった貼り紙だっただろうから、ボロボロになって分かりづらかったんでしょうね。それで破れたところに『6』の数字を貼り直した。最近まで貼ってあったそのポスター、そこだけ新しい紙が付け足されてたからきっと間違いない。だいたい、96段だったとして、それをわざわざポスターなんかに書いておく意味が分からないわよ。デパートができて間もない頃に、九十九デパートの名にちなんで階段は99段だ、っていう面白みをアピールするためにポスターに書いた、とかそんなところかしら。その方がまだ自然でしょう? まあ、知ってしまえば真実なんてそんなものよ」
 何だかとても上手くできた話のような気もするけれど、ヒールの言うことは確かに筋が通ってはいる気がする。
「つまり、スウの怪談話は嘘であり、本当でもあった、と」ネックはニヤリとする。スウも、難しい顔をしているけれど、もう何も言い返せないようだ。
「気付いていたんなら、さっさと教えろよ……」それにはヒールは笑顔で答える。
「あら、そんなことしたらせっかくの怪談が台無しでしょ。そんな野暮はしないわ」
 確か、ワンピが階段の数をかぞえよう、と言い出したとき、あまり乗り気でないスウとは対照的にヒールは面白そう、と言ってすぐに賛成したんだった。今思えば、あの時からヒールは本当のことを知ってたということか。
「でもさあ、じゃあさっきの黒い影3つって?」
「さあ、それは分からないわ。でも怪談とは何の関係もなさそうね」
 ヒールのその言葉に、僕らの間に沈黙が生まれる。怪談とは関係ない、幽霊ではないと分かると、それはそれでじゃあ一体アレは何だったのか、という別の恐怖がある。
「まあ、何にせよ、あんなのがいる限り計画は断念せざるを得ないな」とネック。
「あ〜あ、結局作戦は失敗ってことかよ」スウが残念そうに呟く。
 そう、警備員を驚かすという僕たちの計画は、思わぬ形で中止となってしまった。でも。でも僕は、ちょっとホッとしているんだ。やらずに済んで良かったんじゃないか、と思っている……。
「おっと、地下の階段に書いた呪いの文字を早く消しておかないとまずい。あんなものを残しておいたら大問題になりかねない」とネックが言う。
 僕はそのとき一瞬ドキリとしたけれど、でもすぐに心を決めた。ここまできて逃げてどうするんだ。これは、ちゃんとみんなに言わなくちゃいけない。
「あのさ、みんな。あの文字なんだけど。もう僕が消しちゃったんだ。1階でみんなと合流する前に」
 そう言うと、今度は僕以外が「えっ」と声を上げる。何でだよ、と言おうとするスウをヒールが制した。
「ごめん。何だかみんなを裏切るようなことをしてしまって。でもさ、ああいうのって何か、楽しくないと言うか……違う気がするんだ。僕がされたとしたら、嫌だなって思ったんだ」
「でも、麦坊だって初めは面白い計画だと思ったんでしょ?」ワンピにそう言われ、僕は下を向いて小さく頷く。
「うん……。僕さ、人間を驚かすなんてすごいな、と思ったんだ。人間は大きな存在だから、そんな存在を僕らの力で怖がらせたりできたら、きっと僕も、すごい存在になれるんだって、何となくそう思ってた。僕、みんなと出会って、怪談サークルに参加するまで、友達なんかいなくて、誰からも買ってもらえないし、自分には価値がないんだって思ってたんだ。誰かに、認めてほしかった。それで、人間を驚かすことができれば、今まで僕のことを見向きもしなかったみんなだって、僕のことを認めてくれるんだと、思い込んでた。七不思議を自分たちで作るって言うアイデアは、すごく面白いと思ってたよ。でも、あの警備員を見てたら、何か、僕っていけないことをしているような気がしてきて。それでなんか怖くなったんだ。そういうことを楽しもうとしている自分が。こんなの楽しいことじゃないんじゃないかって思って、それで……」
 ネックたちは俯いて僕の話を聴いている。これを言って、みんなに嫌われても仕方がない。僕の言っているのは、ただの言い訳だ。でも、それでも嘘をついたり、隠したりしたくなかった。
「ごめんなさい……」僕が謝ると、ネックは他の3人の顔を見てからゆっくりと口を開いた。
「麦坊。おれたちの方こそすまなかったよ。君の言う通りだ。怪談とは誰かを悲しませるためのものじゃない。面白いものでなくてはならない。今回の計画は失敗だった。初めから、計画は間違ってたんだ」
「だな。麦坊の方が、俺らよりもよっぽどよく考えてたんだな。俺なんか警備員の気持ちとか全然考えてなかったよ。でも……、そういうことは俺たちにさっさと言ってくれりゃ良いのによ」
 スウの言う通りだ。僕はもっと早くみんなにやめよう、と言うべきだった。でも言えなかった。やめよう、と言ったら、みんなが僕のことを嫌いになるんじゃないかと、どこか恐れていたんだ。仲間でいられなくなる気がした。大好きなみんなともう会えなくなるんじゃないかって。せっかく仲良くなれた友達なのに、と思って躊躇してしまった。
「麦坊……」ヒールが僕に寄り添い、気付いてあげられなくてごめんね、と言う。
「あたしたちは麦坊の友達なんだから、何でも相談すれば良いんだよ。と言うか相談してよ。頼ってよ!」ワンピの言葉に、僕は顔を上げる。
「友達というのは、馴れ合うだけじゃない。気に食わないことがあれば話し合う。全員の意見をちゃんと聴く。意見が違ったとしても、それで相手のことを嫌いになったり、避けたりなどしないさ」
 そのネックの言葉に、ワンピ、スウ、ヒールも笑って頷く。
 そう、本当は分かってた。みんなは僕の友達だ。本当に良い残り神たちなんだ。ただ僕に少しの勇気が足りなかった。それだけのこと。実はすごく単純なことだったんじゃないか。そう気付いた。
 だから、みんなの笑顔に、僕もようやく笑うことができた。
「ありがとう、みんな」そう言った時、闇の中で、きらりと光るものがあった。
 
 
 僕の存在の価値。それは何だろう? 本当は、価値なんてものはなかったのかもしれない、と今では思ってる。価値が決まっているのなら、何となく、それはおカネで交換できるような気がするんだ。だから、本当は価値なんてない。そういうものかもしれない。とにかく何でも良いんだ。僕に欠けていたのは、きっとそういう自信だ。
 そんなわけで(どんなわけ?)九十九デパート七不思議のその7は、今も語られるのを待っている。さあ、今日はどんな話をしようか。
 
  ***
 
 
 暗闇が踊るデパートに
 夢と恐怖を持ち寄り
 
 ここで手に入らぬ物はないけれど
 
 この世界は99!
 不完全 残り1つは〇らの手で
 苦渋、苦!
 ダレカの呪いが胸を抉りブンレツする
 どっかそれが気持ち良かったりもして
 クジューク
 
 
 暗闇に星々の輝き
 僕も彼らにとってのそれでいたい
 
 いつも何かが足りない気がしてた
 
 この世界は99!
 努力ではあと1パーセント埋まらない
 苦、重苦!
 ただ一度の勇気でどんな痛みも
 救われること〇じられなくて
 クジューク
 
 
 この世界は99!
 本当の忘れ物は自分の中にある
 苦渋、苦!
 意味なんか誰も用意してくれないさ
 でも気付けばそばにあるもの
 苦、重苦!
 たった1つの光が届くこと信じよう
 上手になんか生きられなくても
 ありがとう クジューク