夜曲「Fall down」 第一話     夕坂貞史・作

 ある地方中枢都市のある駅前にそのデパートは立っている。
 仮にも創業百年近い老舗百貨店の支店であるわけだが、デパート離れの進む現代、訪れる客は少なく、売れ残った商品達はその数を増していた。
 その五階にある電気店も例外ではない。
 ちょうど目を覚ましたばかりの彼も、その一つなのだった。
 
    ***
 
 歌声が聞こえる。
 吸い込まれそうなほど伸びやかで、冬の夜空のように澄んだ声だ。
 僕はその歌声で目を覚ました。
 目覚めたての頭に渦巻くのは、膨大な量の知識。もっとも、スピーカーである僕に頭なんて器官はないのだけれど。
 知識たちは、僕に告げる。
 僕は残り神である。たった今そうなった。
 残り神。百年以上存在したとか、百年を待たずして捨てられた怨念により生まれたわけではないので、付喪神という概念とは区別される。
 生まれる原因は一つ、長きにわたって売れ残り続けることだ。
 それにしても。
 聞こえてくる歌声は、小鳥のさえずりもかくやというほどの美しい歌声だというのに、その旋律は物寂しく、歌詞もまた自嘲的な響きがあるように感じられた。
 もっと楽しい歌を歌ってくれてもいいのに……。
 そう思いつつも、その歌声に聞き入っていたくて視覚を閉ざす。
 曲はそのままゆったりと流れていき、最後に一度だけ転調して終わった。午前零時をまわったデパートの五階に、本来あるべき静寂が戻る。非常口や消火栓の赤と緑の灯火、それと蒼い月明かりだけが、店内を照らし出していた。見ると、どうやら店のあちこちから集まったらしい、いくつかの物たちが居並んでいる。
 余韻が消え去るのを見計らって、そこにいるであろう声の主へ話しかけた。
 ただし、相手は人間に聞こえる声と言葉で歌っていたので、念のために残り神にだけ聞こえる声を飛ばす。
『君は……誰なの?』
「え…………?」
 果たして、相手も残り神であった。相手がこちらを探す気配がある。しかし、彼女が僕を見つけるよりも早く別の声が割り込んだ。
『おい、誰だか知らねーが。曲の切れ目だからって姫さんのコンサートを邪魔するんじゃねぇ!』
 苛立ちを隠そうともしない声だったが、それに答える間もなく周りから次々と声が返される。
『今の声初めて聴くから新入りじゃない?』
『……こんな程度で騒ぐのは、器の程度が知れる。違う?』
『ふむ、騒ぐのは勝手だが、君のそれも妨害になっているのではないのかね』
『うるさーい! あんたたち順番に話しなさい!』
『『『お前の方がうるさいわ!』』』
 あっという間に、大騒ぎへと発展してしまった。僕を置いて。
 どうしたものかと思案していると、
「もう! 皆さんケンカしないで下さいよぉ!」
 先程の歌声の主が、止めに入った。
 話が進まないことを悟ったか、それとも、彼女に一目置いているのか。ケンカになりそうだった四名は黙った。
 それを確認してから声の主は、僕のいる方向へと近づいて来て丁寧にあいさつした。
「初めまして新入りさん。私はレコードプレーヤーのセレナード・リートです。セレンでいいですよ」
 レコードプレーヤー。これは驚いた。まるっきり旧時代の産物ではないか。下手すると、このデパートよりも古いんじゃないか?
 いや、その前に言っておかねばなるまい。
『あの、僕はそっちじゃないんですが』
 彼女の声は僕の後ろから聞こえた。間違いなく、僕のいた位置を通り過ぎている。天然か?
「ひゃあああっ! ごめんなさい。そっちのスピーカーさんだったんですね」
『はい、どうも初めまして』
 どのような相手なのかわからないので、とりあえず当たり障りのないように返した。さて、どう来るだろうか。
 やはり、古参らしく鷹揚な態度だろうか。それとも、ですます調から推測される通り、高貴な感じなのだろうか。
「今度は男の子ですか。なんだかとってもよしよししてあげたくなりますね」
『あ、はぁ、さいですか』
 なんか身の危険を感じさせるような方だった!?
『えーっと。ところで、さっきのセレなんちゃらって何ですか?』
「セレナード・リートです。もう売れちゃった残り神が私に付けた固有名詞です。うらやましかったりしましたか?」
『別に』
「がーーん」
 たらいでも落ちてきたようなオーバーリアクションをするレコードプレーヤー。
 そうして、相手にするとめんどくさそうなオーラを発しながら、セレンはいじけ始めた。凹みます、凹んでますぅ、とかなんとかつぶやいている。
『姫さん、あとが詰まってる。そのぐらいにしろよな』
 そこに、先ほど僕を怒鳴りつけた声がかかる。そちらには、電子レンジが居た。
 その声音はどこか呆れたような響きを滲ませながらも、先ほどとは異なり、やや親しみを感じさせる。
『俺は見ての通り、電子レンジだ。それと、このあたりで固有の名前なんてものを名乗る変わり者は姫さんだけな』
『……以上、通称、田司廉治の自己紹介』
 林檎マークの付いたスマートフォンがそれに横槍を入れる。
『いつ決まったんだ、その通称は!』
『……今つけた』
「あ、いいですね。前に却下されましたけど、みんなにも名前を付けましょう!」
 セレンが復活した。意外に早かった。
『……二人は置いておいて。次は私、スマートフォン。よろしく、スピーカー』
『え、え、え? あ、どうも』
「無視ですか!?」
 抑揚に乏しいが、歓迎している様子がうかがえた。そして、結構かわいい声だ。しかし、向こうの二名を放置していいのか?
『では、私の番だね。冷蔵庫だ。君とは、役割での接点がなさそうだが、まあ、仲良くしてくれたまえ』
 うわー、こっちもマイペース! というか、威圧感が半端ではない。サイズが大きいというのもあるにしろ。まず声からして、渋い。近代史に出てくるおっさんのようなイメージと言えばいいだろうか。
「三人とも無視しないで下さいよぉ。寂しいじゃないで」
『はい! あたい、アイロン! よろしく!』
「……すいません、泣いていいですか?」
 今度は、元気いっぱいといった感じのアイロンにまで割り込まれた。セレン、もう半泣き声である。ここまできて、さすがに同情した。
『あ、よろしく。けど、そろそろセレンを気にかけてあげた方が……』
『てめえら、なに姫さん泣かせてやがる!』
 僕がセレンをフォローしかけたところで、レンジがまた怒鳴った。実際そんなことはないが、真っ赤になって湯気すら上げそうだ。そーいえば、こいつだけはセレンのことを敬ってたっけ。
『……私知ーらない』
『あんた、よく言うわね』
『ふむ、とどめを刺したのは君に思えたのだがね』
『おめえもばっちり無視してたろうが!』
 またも、話なんて聞く気のない三名に諦めもせず説教するレンジは、どこか生き生きしていた。僕がいない間にも、みんなはこうして騒いできたということだろう。
『……廉治、騒がしい』
『ていうか、ないがしろにされるぐらい威厳がないのもどうなのさ。一応最古参でしょ?』
 責任の擦り付け合いから今度は矛先がセレンに向いた。できれば、最古参の威厳というものをここで発揮してほしいものだが。
「ふぇーん。いじめっ子がここにいますぅ!」
 無理だった。まるで威厳がない。さっき言い争いをやめたのは、話が進まないからだった!
『ぷっ…………、あはははっ!』
 可笑しい。どうしてこんなにも可笑しいのだろうか。
『な、なによ。いきなり笑い出して』
「気味が悪いです……」
 笑ったら、みんなの意識がこっちを向いた。って、セレンは言い過ぎじゃないか!
『いやその、なんというか、……………楽しそうだな、と思って』
 僕のその発言に、みんなはきょとんとした表情になる。何か変なことでも言っただろうか。
『……僕変なこと言った?』
『なによ。あんたは楽しくないの? 楽しもうよ!』
『アイロン、落ち着きたまえ。この店の残り神が二つに分かれている原因でもある以上、そこは仕方ないだろう』
『でも!』
「アイロンちゃん、落ち着いてくださいね。それと、スピーカーくんは心して聞いてください」
『え、それってどういう?』
 話の雲行きが暗く、いや、重たくなっているのを感じた。
 思わず身構えた僕に、スマートフォンは淡々と事実を述べる。
『……私たちは、売れ残りとして、売れないままでいいじゃないか、仲間内で楽しんじゃえ、という集まり。その他は、他のフロアと交流してるのを除いて大体向こうにいる』
 そちらへ意識を向けると、そちらは何やらたくさんの物たちが集まって、どうすれば自分たちは売れるのか話し合っていた。
『へえ、意外と僕はあっちの方が空気は合うかもしれないな』
『じゃあ行けばいいだろうが』
 レンジは面白くないといった顔で言う。
『いや、別に僕らが努力してそれで売れるわけじゃないから、いいよ。それまでは楽しいの大歓迎なんだ。けど、さっさと主人を見つけたい物同士っていう意味でさ、向こうもいいかなってだけ』
 だってそうだろう。自分たちは、どこまで行っても道具で、商品だ。持ち主に使ってもらえることこそが、自らの存在証明なのだ。
 さすがに、正論であるのでほかのみんなも文句めいたことは言えないらしい。
「あ、でも私はここのみんなともちょこっと違うんですよ!」
 セレンがぴょんこぴょんこ跳ねんばかりの勢いで言った。
『頭が弱いこと?』
「違いますよぅ!」
『姫さんが真面目に話してんだ。真剣に聞きやがれ!」
 茶化したらレンジに怒られた。
 気を取り直してセレンは言う。
「もぅ、私はですね……売れなくていいじゃなくて、売れたくないんです」
『え……………………!?』
 
To be continued.