小さな音楽達 第2話 (西本歩浩)

 彼らにとって、五階の空間は、巨大なビルが林立する大都市のようでした。
 フロアの入口の左手には、タンスやテーブル、食器棚、ソファなどが並ぶ家具売り場があります。前方と右手には、インテリアの商品を取り扱うスペースと、お客さんが相談するためのカウンターがあります。目の前に伸びている通路は、色々な柄のカーテンの見本がかけられたラックのところで、左右に別れています。
「新入りはどっちに行った?」
 80年代のロックバンドのCDが、息を弾ませながら聞きます。人間の警備員の歩く速さについていくのは彼らにとっては大変なことで、特に彼以外のメンバーに、十二段の階段を一気に駆け下りるという急な運動に慣れていない物がいたこともあって、すぐに警備員の姿は見えなくなってしまいました。
「ちょっと、……待ってくれたまえ! はぁ、はぁ……、もう少し、年配の体を労ってゆっくり動いてくれないのかね?」
 外国のクラシックオーケストラのアルバムは、CDを二枚と厚いブックレットを収録しているので、一行の中でも最後尾を息も絶え絶えに走っていました。
「運動不足なんだよ、おっさん」レゲエのCDがそう茶化すと、オーケストラは息を喘がせながらいよいよ怒り出します。
「何を言っている……はぁ、こちらの事情を……はぁ、考えてもみたまえ! ……はぁ、ケースの中身の薄っぺらい音楽と……はぁ、同じに扱われてもらっては困る!」
「何だと、おっさん!」
「その辺にしておきなさい」ジャズミュージシャンのシングルが間に入って、いがみ合う二人を引き離します。
「そうだ、ケンカするより前にやることがある」80年代ロックも言いました。「おい、あいつがどっちに行ったか、検討はつくか?」
 J-POPのアルバムは、「たぶん、右だと思う。六階ではいつも右回りでフロアを回ってるから」と推測します。一行はそれに従い、通路を進みだすと、突き当りで右に折れました。
「これからどこへ?」
 エレクトロポップアーティストのCDの声には、緊張と不安の響きがありました。さっきから周囲に忙しなく視線を走らせています。
「奥にある電化製品売り場に行く」80年代ロックが答えます。「放送室に辿り着くまでに、ここにいるやつの手を借りなければならない」
「何をするんだ?」と、ポストパンク・リバイバルのCDが訊きます。
「俺の知り合いのCDラジオプレーヤーがここにいるんだ。あいつと合流してから下に行く。事前に話は付けてあるから、すぐに終わる用事だ。昼間に話をしようとしても応答が無かったのが、少し気がかりだが……」
 彼ら――残り神と呼ばれる、意思ある存在――は、彼らだけに聞こえるテレパシーによって会話することができます。80年代ロックが言っていたのはそのことでした。
「まあ、とにかく会えば分かることだ。もう少しで着くぞ」
 一行は、家電売り場を目指して進み続けました。辺りを見回すと、売り場にそびえ立つタンスや食器棚が、珍しいものを見るような目を、静かに向けてきます。CDショップの外にまともに出るのは初めてだったポストパンク・リバイバルには、ジャケットに刺すようなそれらの視線が気になりました。同じ残り神であるといえども、姿形が全く異なる存在達の注意を集めてしまっては落ち着きません。
「君達どうした? 修学旅行か、それとも迷子か?」
 家具の誰かが、一行を茶化してきます。
「お前ら楽しみにしておけよ。今夜俺達はデカいことをやってやるから」
 80年代ロックの威勢の良さも負けておらず、ポストパンク・リバイバルもとりあえずのところは、それを頼りにすることにしました。
 家電売り場は、五階の奥で大きなスペースを占めていました。宣伝用のパネルを付けた洗濯機や冷蔵庫、電子レンジなどが、通路の方を向いて並んでいます。そのうちの一台の冷蔵庫が、一行に話しかけてきました。
「これはこれは、珍しい顔ぶれじゃないか。今夜は一体どうしたんだ?」
「やあ.久しぶりだ」80年代ロックが答えます。ポストパンク・リバイバルは、彼のデパート内での顔の広さに、内心感心してばかりでした。
「ちょっと、奥にいるCDラジオの知り合いに会いに来たんだ。いいよな?」
「CDラジオか。音楽関連の売り場なら、この間少し場所が変わったぞ。もう知っているか?」
「いや、知らない。どこになった?」
「昨日の昼に変わったんだが、私の右横を通って、掃除機が置いてある角で左に曲がり、棚を三つ分進んで、マッサージチェアのコーナーで右に曲がって、その先の棚だ」
「ほとんど店の端じゃないか」80年代ロックがぼやきました。
 一行は冷蔵庫の案内通りの道を進みました。売り場では、様々な家電が、夜の憩いの時間を過ごしています。壁際のテレビは、音量を極限まで小さくして、サッカーの深夜中継を映しており、それを複数の残り神が観戦しています。他の売り場の商品まで見に来ているようです。扇風機とヒーターは、童話の北風と太陽のごとく互いの暖房・冷房性能を、第三者を使って対決させています。掃除機はノズルの吸い込み口を伸ばして、自分より小さな商品達と戯れています。照明のコーナーでは、たくさんの電球達が、リズミカルに点滅を繰り返していました。
「賑やかですよね」
 エレクトロポップが呟きました。ポストパンク・リバイバルもそれに静かに頷きます。
 音楽製品の棚に着くと、そこでは何台かのオーディオコンポやMDプレーヤー、ラジオ、ヘッドホンなどが、LEDライトを囲んで輪になって、談笑していました。
「ちょっといいか」
 そこに80年代ロックが話しかけると、彼らは会話をピタリと止めて、声の主に一斉に目を向けます。
「この中にHDS-5はいるか?」
「HDS-5? ああ……」答えたオーディオコンポは、少し周囲と顔を見合わせてから、「お生憎さんだが、あいつはつい昨日、この店から出ていったよ」
「何だって?」
 これには一行も驚きました。
「どうしたんだ?」
「買われたんだよ。お買い上げさ。めでたく彼は残り神としての人生を終えた。俺達はそのお祝いをしていたのさ」
「そんな……」ここにきて初めて、80年代ロックはうろたえているようでした。計画の予想外のことが起きてしまったようで、しかもそれは何か重大なことのようでした。
「どうやら、あいつの弔いに来たわけではなさそうだな」
「ああ、その、俺達は……」彼は一行の方を向くと、「そうだな、この際だからお前達にも教えておこう」
 そして、80年代ロックは、当初の心積もりを皆に説明しました。彼はこの階で、ポータブル式CDラジオプレーヤーの知り合い「HDS-5」と合流するつもりだったのです。一階の放送室に入るためには、実は警備員室の中にある鍵が必要でした。しかし、深夜は常に一人は警備員がそこに待機しています。その人間を外へおびき出すために、CDラジオの出す「音」が必要なのでした。
「こんなことになるなんてな……」80年代ロックが声を落とします。知り合いが唐突にいなくなってしまったことと、作戦がいきなり大きな壁に行き当たってしまったことに、動揺しているようでした。
「ちなみに、どうしてCDラジオなの? 他にも音を出せる機械ならあると思うけど」ジャズのシングルが言いました。
「知り合いのあいつが快く引き受けてくれたからだよ。そんな時にわざわざ第三者に頼んだりしない。どうやらそんな考えは甘かったみたいだけどな」80年代ロックは少し黙りました。そして、「とにかく、警備員を部屋の外へおびき出す必要があることには変わりはない。それをどうするかだ」
「一階にあるもので、どうにかできない?」J-POPのCDが訊きました。
「一階の化粧品店やブランド店には入れそうにない。あそこは他の店より、閉め方が厳重だ。大抵カーテンで覆われているし、シャッターで閉められている所もある。泥棒に狙われやすい店だからな。店以外の場所にしても、俺達で動かせて、かつでかい音を出せるものは無いかもしれない」
「そこの残り神に頼んで、騒いでもらうってのは?」今度はレゲエアーティストのCDが言います。
「化粧品に靴やバッグ……、そういうことをやってくれそうな輩とは思えないな。あいつらとは俺も面識が無いし、それにあいつらにしてみれば、わざわざ頼みを引き受けるメリットも無いし」
 一行は頭を抱えてしまいました。
「ちなみに」ここで先ほどのオーディオコンポが、再び話し始めました。「あいつを買ったのは、このデパートの二階の婦人服のテナントショップ、『ロードサイド』だ。あそこの店に置いてあったラジカセが壊れたとか何とかで、そこの店主が買いに来たんだ。だから、デパートの外に行ったわけではない」
 その情報は、80年代ロックの興味を引いたようでしたが、
「しかし……、もうあいつは残り神じゃないんだ。そうなると、運ぶ方法を考えなくちゃいけなくなる。あいつの重さは、俺達だけで運ぶのは大変だぞ。だから、そんなことするよりかは、音を出せる別の存在を探した方が良い」
 すると、オーディオコンポは、
「ふうん。タイマーか何かがご要りようということかな。この売り場になら、そういった品は文字通り山ほどある――まだ残り神になっていないものも含めて」
 一行は彼に促されて、タイマーや電池などの小型製品のコーナーに場所を移します。そこにある製品は、比較的最近に店頭に並べられたもので、残り神としての意識に目覚めてはいませんでした。
「よし。これなら、俺達でも運べる大きさだな。二枚で持てば行けるだろう」
 と、ここで、J-POPのアルバムが提案します。「念のため、もう一個持って行った方が良いと思う」
「どうして?」
「何が起きるか分からないからね。転ばぬ先の杖だよ」
 一行の中では、彼が参謀役といったところでした。物知りな彼は、店の中でも頼りにされることが多く、何か話し合いがあるときに、彼の意見には誰もが耳を傾けます。
 だから、今回も彼の提案が通ることになりました。
「じゃあ、誰が運ぶ?」
 結局、ポストパンク・リバイバル、80年代ロック、J-POP、レゲエの四枚で、二つの卓上タイマーを運ぶことになりました。最大三十分から始められるもので、時間が来ると、大きな電子音を鳴らします。
 夜は長くはありません。一行は、出発の準備に入ることにしました。
「なあ、ちょっと……」そんな中、80年代ロックが、小声で先ほどのオーディオコンポに話しかけました。
「どうした?」
「いや、あいつのことなんだが……、その、どんな様子だったんだ?」
「何のことだ?」
「だから……」彼は少し口ごもって、「買われていった時のことだよ」
「どんなも何も、普段通りだったよ。客がここへ来て、あいつを手に取り、持っていく。レジで金が払われて、店から離れていくと、どんどんあいつの気配が無くなっていくのを感じた。呼びかけにも応じなくなっていた。あいつが何を思っていたのかは、もう分からない」
 80年代ロックは、しばらく何も言いませんでした。その後、礼を言うと、彼を待っている一行の元に戻ります。
「大丈夫か?」
 ポストパンク・リバイバルが訊きました。
「ああ」彼は頷いて、「行こう」
 こうして一行は、夜でも賑やかに光り輝く電気製品売り場を後にします。このとき、時刻はもうすぐ、一時を回ろうとしていました。