あなたが最後では? その1

 暗闇の中で最初に目を覚ましたのは、十六番ゴンドラに搭乗した一人の男だった。ゴンドラの揺れで窓ガラスに頭を打ち、不機嫌そうに舌を鳴らす。
 彼は名前を浅野といい、運送会社で働くどこにでもいるような若者だった。しかし真面目な社員とは言えず、本来ならその日も配送に従事しているはずだった。上司に些細なミスをしつこく咎められ、気晴らしに人の少なそうな場所で時間を潰そうとやってきたのがこの遊園地だった。
 目が覚めた後も、現状把握より先に彼は自らのミスを思い出して悪態をつく。
「ったく、あーくそっ……知るかよ、っが……なんで俺がそんなことで……。……ん」
 ふと顔を上げる。浅野はようやく、自分が気晴らしに乗り込んだはずの観覧車の中にいて、それまで眠っていたらしいということに気付いた。腕時計を確認する。夜光性の文字盤は現在時刻が深夜二時を示していた。

『こ、っの! こらっ、おい誰かっ! 開けろ、誰もいないのか!』
 八番ゴンドラに乗る高校生カップルはその浅野の怒声によって目を覚ました。
「あれ?……名倉君……さん? え、あ……?」
「……ん。げっ……寝ちゃったのか! おいおいもう夜じゃん……飯塚、夜だぞ夜!」
 気がついてすぐに名倉が心配したのは、こんな時間まで外出をして、親に怒られないかということだった。
「わかっ……てる、わかってますよ」
 飯塚はしかし名倉より冷静だった。ただ単に観覧車の中で眠ってしまっただけではないということに気付き、名倉君、と窓ガラスの外を指差す。
「電気、消えてる、き、消えてますよ……?」
 名倉もすぐにはっとして鎮まる。この遊園地は暗くなった後も人で賑わうほど規模の大きいものだったはずだ。だが、ゴンドラの外には物寂しい営業終了後の遊園地が広がっている。
『おい、開けろっ! この……また上っちまう』
 ゴンドラの中に設置されたスピーカーから、浅野の声が聞こえてくる。名倉と飯塚は顔を見合わせた。

『じゃぁ、その……浅野さんも、こう気がついたら眠っていて』
『まぁな。また大目玉食らっちまうか……』
『何かその……俺達、もうすぐ一番下に行くから、降りて誰か呼んできますよ』
『頼む。外から鍵かけられてんのか……? ぶっ壊れてるだけか。くそっ、マジで……冗談じゃねぇ』
 十二番ゴンドラの中に、その場にはいない人々の会話が響く。
 十二番ゴンドラにやはり一人で乗っていたその男は、浅野がゴンドラのドアを蹴破ろうとしていた音で既に目を覚ましていた。彼は名を三上といい、写真を趣味とする大学生だ。連休を利用し一人この遊園地へとやってきた彼は、地上八十メートルまで上るこの大観覧車に意気揚々と乗り込んだのだが、一枚も風景を写真に収める前に眠ってしまったらしいのだった。
 先ほどから三上は会話に参加せず、デジカメでせっせと夜景を写していた。その作業にも飽きたのか、うむむと唸って呟く。
「ふーむ……どうもこれは何者かによる謀略のようですね。事故ではなく、わざと、そう意図的に閉じ込められた可能性が高い」
 スピーカーから浅野の反応が聞こえてくる。
『……何だ、まだ誰かいたのか。おいお前、何番だ?』
「浅野さん、ここに来る前に何かおかしなことはありませんでしたか? 例えばこう……」
『いいから番号、とっとと教えろ』
 浅野の苛立った声に三上は言葉を詰まらせる。
「う……え、番号ですか? あ、ゴンドラ……えっと、十二番です、けどその」
『……やっぱりか』
 心なしかほっとしたような声で浅野はそう言った。
「え……? やっぱりって」
 聞き返そうとするが、その言葉は飯塚の
『あか……ない? えっ、これ……』
 という声に遮られた。
「そう、そうなんです。僕も開かないんですよ扉!」
 三上は慌てて同調する。彼の十二番ゴンドラは浅野の十六番ゴンドラより一分ほど遅れて最下点を通過した。そのときに試してみたのだが、壊れているのか鍵がかけられているのか、とにかくゴンドラの扉は開かなかったのだ。
「どうです、外に出られないなんて、やはり何者かによって閉じ込められたんですよ、僕達は」
 そう訴える三上に、浅野も『かもな』と同意する。
『……他のアトラクションは全部止まってる。ただの誤作動か故障ってんならいいんだがな』

 夜の観覧車は一向に回転を止める気配を見せない。どういうわけか各ゴンドラの音声は内線によってつながれているらしい。そして、現在閉じ込められていることがわかっている四名は不幸にも携帯電話など外部との連絡が可能な機器を持ち合わせていない。──通話によって彼らが共有した認識はこの程度のものだった。
「何か、怖い……です。電気が消えた遊園地って、嫌に何か……不気味で」
 飯塚は俯いて呟いた。その不安は同じゴンドラに乗る名倉にも感染していた。
「えーと……皆さん、その……何か知りませんか? ここの観覧車、夜でも何か、動いてるとか……」
『さぁな。俺はここにはたまに来るし……深夜に動いてるかは知らねぇ……けど、普通に考えて止まってるだろ。閉園後は』
 浅野の苛立った声が返された。
「まぁ、そうですよね……」
『……そういや……』
 浅野はふと思い出したように付け加える。
『乗るとき、妙なことを言われたな。係員に……“お客様が最後です”とか何とか』
 それなら、と三上が割り込む。
『僕も言われましたね。最後ですって。浅野さんもですか? となると恐らく名倉さんや飯塚さんたちも……どうですか』
 名倉の横で聞いていた飯塚がはっとして顔を上げる。
「そう、そうだった、確か私達も……言われてた。……言われました」
 ね? と視線を向けられ、名倉もそのことを思い出す。
「……確かに“お二人が最後ですね”とか言ってたような……。でも、順番待ちがあるアトラクションなら乗員をどっかで区切るもんじゃ」
『馬鹿か、メリーゴーランドじゃねぇんだぞ。観覧車に最後の乗客があるなら、その日最後に乗った奴だけだろうが』
 浅野にそう言われ、名倉はしゅんとして押し黙る。その隣で飯塚がぼそりと呟く。
「でも、私達が乗ったのはまだ昼だったし、後ろにも他の人が並んでました……」

 三上は、照明の落ちた遊園地もいいものだと楽観的にシャッターを切っていたが、ふと思い出したように問いかける。
「そういえば浅野さん、何でさっき僕のゴンドラ番号を?」
『別にいいだろ、どうだって』
「気になります。名前より先にゴンドラの番号を尋ねるなんて。もしかして何か知ってるんじゃないですか? この状況について、何か」
『何でそうなるんだよ、アホ』
 スピーカーからため息が聞こえてくる。
『俺のゴンドラからお前のゴンドラが見えるんだよ。四つ後ろのゴンドラに誰かいるってのがわかってたから聞いてみたんだ』
「なるほどね。そういうことだったんですか」
 言われて三上も前方のゴンドラを確認する。彼の乗るゴンドラはもうすぐで観覧車の頂上に到達しようとしていた。そこは、頂上を通り過ぎた四つ先の十六番ゴンドラと丁度同じ高さになる地点だった。目を凝らすと。確かに四つ先のゴンドラの中に人影が見える。
「僕からも見えました。浅野さん、十六番に乗ってるんですね」
『まぁな』
 浅野がそう返事をすると同時に、十六番ゴンドラの人影が動きを見せた。
「……えっ?」
 その挙動を見、三上は呆気に取られて言葉を失った。
 十六番ゴンドラの人影は、地上七十メートル近くあるその空中でゴンドラの扉を開き、半身を宙に乗り出したのだ。
「なっ……ちょっと何やってんですか! 浅野さん!」
 しかしスピーカー越しには平然とした様子で浅野が返事をする。
『はぁ? 別に何もしてねぇけど……』
「えっ、でも……」
 戸惑う三上を他所に、人影は観覧車の中から何かを取り出して肩に担ぐ仕草をした。そして、観覧車が回り三上のゴンドラと高低差ができてしまうより前に、それは発射された。
 銃声はなかった。
 ぴしりという小さな音がして、窓ガラスに蜘蛛の巣のような皹が広がった。その巣の中心に小さな穴が開いているのを見て、三上は賢明にもすぐさまゴンドラの床に伏せた。
「ちょ……っと、……え!?」
『おいどうした、何があったんだ!』
 スピーカーから聞こえてきた浅野の声に、三上ははっとして大声を上げる。
「名倉さん飯塚さんっ! 伏せっ、伏せてください! 危ない!」
『え……何が、何かあったんですか?』
 ひび割れた窓ガラスをちらりと見、三上は頭を抱えてうずくまる。
「撃たれたんですよ! 銃で、銃で浅野さんに撃たれたっ……」

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