あなたが最後では? その2

 参ったな。舌打ちをして、渡良瀬は頭を掻いた。
 ふと気が遠くなって、目を覚ましたら自分の掌すら確かめられないような暗闇の中に一人ぼっちだ。
「おーい。誰かいませんかー?」
 呼びかけて、「いないだろうなぁ」とため息混じりに呟く。
「そういや、俺が最後の客だったっけか」
 一人ぼっちでやることが無いと、独り言が増える。嫌な傾向だなとぼんやり考えて、渡良瀬は現状を打開するために動くことにした。
まずはジャケットの裏に忍ばせておいたアルマイト製の筒を取り出す。先端を捻ると光が灯る。マグライトだ。
 何は無くとも視界は確保しなければ、どちらが前か後ろかも分からない。渡良瀬はズボンの埃を払って立ち上がり、目の前に光を投げかけた。
 ――白装束を着て片目を飛び出させた顔色の悪い女が照らし出された。
「うぇっ」
 喉が引きつって変な声が出た。マグライトを放り投げそうになったのを、必死で自制する。その代わり反射的に後退りして、柵に腰をぶつける。
「お……っぷす」
 腰をさすって、左右を見る。よし、誰にも今のかっこ悪いところは見られていない。改めて前方を照らしなおして、渡良瀬はため息をついた。
「……だからお化け屋敷は嫌なんだよ」

 基本的にお化け屋敷なんてものは一本道だ。順路がどちらであろうが、道なりに進めば出口なり入り口なりにたどり着ける。
 渡良瀬はマグライトで行く手を照らしながら進んだ。とうに遊園地の営業時間は過ぎているが、幸い日付までは変わっていないらしかった。
「これだけでも充分だろうけど、もうちょいガツンとしたのが撮れりゃなぁ」
 デジタルカメラを懐から取り出し、撮った写真を再生する。仲睦まじい一組のカップルを隠し撮りしたものだ。
 浮気の証拠写真である。渡良瀬は、探偵だった。
 無人のお化け屋敷を、ぶつくさ言いながら歩く。凝り固まった首をゴリゴリと鳴らして、腕をぐるぐると回す。5時間以上も寝転がされていたせいか、体のあちこちが痛かった。
(……何でだ)
 声に出さずに呟く。記憶を掘り起こす。お化け屋敷に入っていったカップルを追って――今思えば、出口で見張っていればよかったのだが――入場した渡良瀬だったが、途中で急に気が遠くなって倒れたのだ。
(……どうしてだ?)
 お化け屋敷でいちいち気絶するほど繊細ではないと、渡良瀬は自覚している。倒れた自分を客も従業員も長時間完全放置しているというのも解せない。
 慌てて立ち止まり、財布の中身を確認する。運転免許証にレンタルビデオ屋の会員カード、ファストフード店のクーポンにスーパーのスタンプカード、そして所持金753円。
「取られたものはないな」
 確認終了。物取りの仕業ではない。物取りの仕業であったとしても、説明がつかないことが多すぎるのだが。
 頭をさする。殴られたような傷や痛みはない。
(……何があったんだろな、マジで)
 不気味だ。こういうわけの分からない事態からはとっとと逃げて、自宅兼事務所でビールでも飲んで寝るに限る。思考を切り替え、渡良瀬は歩く。暗闇の中、一本道を真っ直ぐに。
 そして角を一つ曲がった瞬間。
 銃声が、“聞こえた”。

『おいおい、なんの話だよ。撃たれたって、どういう意味だよ!』
 浅野の不機嫌そうな声が聞こえる。三上は頭を抱えてうずくまったまま、叫び返した。
「とととととぼけないでくださいよっ! 撃ったじゃないですか! ライフルか何か担いで、こっちのゴンドラ撃ってきたじゃないですか! 僕が何かしましたか!?」
 チラリと見上げる。やはりガラスに放射状の罅が入っていた。さらに身をよじって確かめると、反対側のガラスまで貫通していた。
『おいおい、落ち着けって。どうして俺がそんなことしなきゃいけねぇんだよ。第一、ライフルなんて持ってないっつの。何かの見間違いじゃねぇのか?』
「見間違いでガラスに穴があいてたまりますかっ!?」
『はぁ?』
『う、撃たれたってどういうことなんですか!』
『怪我はありませんか!?』
 名倉、飯塚の声も聞こえる。三上は叫び返した。
「お、俺は大丈夫だから二人は伏せてて!」
『だから撃ってないって! ここから見ても別にお前のゴンドラどうもなってないぜ? そんな音もしなかっただろうが』
「し、信じちゃだめだ!」
 命中していないとは言え、撃たれた恐怖は大きい。三上は声を張り上げた。名倉と飯塚を守らなくてはいけない。浅野を信じてはいけない。
『三上さん、三上さんしっかりしてください! 落ち着いて!』
「しょうがないだろ撃たれたんだから! は、早く逃げないと!」
 気遣う声にも叫び返し、三上は震える。
(そうだ、下に着いたら、すぐに脱出して……)
 さっきまで呑気に構えていたが、もはや写真を撮影している場合ではない。三上は必死に頭脳をフル回転させた。もはや、スピーカーからの声も聞こえない。
 とにかく、早く逃げなくては。ゴンドラが地上に着いたら、すぐにでも飛び出して――
(……いや、まずい)
 三上は気付いた。浅野の十六番ゴンドラは、三上の十二番ゴンドラに先行している。降りるなら浅野が先だ。そして、ゴンドラから出られない自分を、狙い撃ちに出来る。
 十二番ゴンドラが頂点を通り過ぎる。後は下るだけだ。
 三上は、それが自分の死へのカウントダウンにしか思えなくなっていた。

 渡良瀬は走っていた。銃声の元へ駆けつけようと思ったのだが、一向にお化け屋敷から出られない。
 マグライトで行く手を照らす。“白装束の女”が見えてきた。
「やべぇ、一周した」
 出口が見つからない。非常口すらもだ。どうやら閉じ込められたらしい。――誰に、何の意図で?
「……くそっ!」
 立ち止まり、渡良瀬は毒づく。白装束の女――もちろん幽霊を模したハリボテだ――は、そんな渡良瀬を静かに見下ろしていた。
 馬鹿にされているように思えて、渡良瀬は柵の向こう側に手を突っ込む。河原を模したステージには、本物の石が敷き詰められている。そのうち一つを手にとって、ハリボテに向かって投げつけた。
 石は、思ったよりも深々とハリボテの顔面に突き刺さった。
 バチリ。鋭い音と共に漏れた、焦げ臭い匂いが渡良瀬の鼻腔を突く。
「……思ったよりハイテクでやんの」
 ため息をつく渡良瀬の目の前で、白装束の女は煙を吹きながらおもむろに身じろぎを始めた。


(担当・壱伏 充)
 三番手の方は……この前の例会で来てなかったんでしたっけ。
 ともあれ、私も展開に関しては要求はありません。みんな頑張って!