あなたが最後では? その6(下)(終)

注:これはリレー小説『あなたが最後では?』の最終回です。


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 出雲のようにモニター越しではなかったが、吉川もまた三上を値踏みするように見つめていた。吉川はあれからずっと三上を尾行しつづけていた。干渉してはいけないし、気取られてもいけない――吉川はこのゲームに反感を抱いているが、それでも彼は現場スタッフとしての規律を守り続けていた。叛逆心を行動に移せなかったから、彼はサポーターの三上に自らの願望を投影していた。
 十五メートルほど先を歩いている三上は、どうやらお化け屋敷の方へ向かっているようだった。吉川にとっては再び観覧車方面に戻ってくる形となる。三上は時おりデジカメで周囲の写真を撮っては確認していた。いきなり笑い出すこともあった。正直言ってかなり不気味だが、この遊園地のどこか安全な場所からモニタリングしているやつらに比べれば遥かにマシだ。吉川はそう思った。
 三上はどこにハンターがいるとも知れないのに、大胆に暗い道を闊歩している。それはサポーターという特別な役割を担ったがための慢心だろうか。それとも、実際はもっと論理的な思考に基づいているのだろうか。三上は自覚しているはずだ、自分がサポーターであること、そしてそれによって被る恩恵を。
 確かに、ハンターは迂闊にサポーターを殺すことはできない。
 何故なら、簡単に殺してしまっては御三方が楽しめないから。エンターテインメント的な趣向という目的にそぐわなくなってしまうから。さらに言えば、敗北が決まった賭けの参加者にとっては、賭けを無効にするためにサポーターの存在が必要不可欠となるから。今までに行われたゲームの中では、無理にでもサポーター制度を楽しむために、サポーターの前にハンターと的を全員並べて立たせるよう御三方が求めたという事例もあったという。当然その要求は通された。
 ハンターも所詮は雇われに過ぎず、クライアントの要望には応えなければならないのだ。たとえそれがどんなに横暴であろうと。
 故にサポーターは恵まれている――だが、それにしても今の三上は腑抜けにもほどがある。吉川の尾行にもまったく気づくそぶりを見せないし、サポーターでなかったらいつどこから狙撃されてもおかしくないくらいに隙だらけだ。
 その余裕にみちみちた挙動の根拠は?
 まさか、もうハンターに目星をつけているのか?
 それとも自ら囮となって、おびき寄せようとしているのか?
 勝算があるというのか?
「……ふ、ふふ、ふふふふ、ふふふ」
 吉川の疑問を余所に、また三上は浮かれたように笑っている。
 フラッシュが無警戒に瞬いて。
 足取りは軽く。
 それはスキップしそうなほどで。
 おまけに鼻歌交じり。
 そのまま何事もなくお化け屋敷へ辿り着くかと吉川は考えたが――お化け屋敷まであとすこしという所で、出し抜けに若い女の声が三上を呼び止めた。
「すみません、助けてくださいっ」
 女の声は、三上よりも前方、曲がり道の先から聞こえた。もともと物陰に隠れているような体勢ではあったが、女が前方から姿を現す前に、吉川は完全に身を潜める。女のものと思われる足音、吐息が近づいてくる。姿は確認できないが、どうやら女が三上のもとへ駆けて来たようだ。
「あ、あの、大変なんです、観覧車で、いえ観覧車が燃えて……」
「観覧車」役者のように明朗な三上の声。「もしかして君も観覧車に閉じ込められていた人ですか?」
「え? あ、はい。でも、どうしてそれを……」
「実は僕もそうだったんです。声に聞き覚えは?」
「声……、あっ! 三上さん! あなたが三上さんだったんですか」
「……はい。君の名は?」
「あ……すみません、いきなり名乗りもせずに……」女の声は心なしか上擦っていて。「わたしは、飯塚です。内線でお話ししましたよね?」
 ふう、飯塚か。
 物陰で盗み聞きしている吉川は安心した。
 全体は把握できずとも、ハンターの仮の名前ぐらいは現場スタッフにも伝わっている。『レイン』は『小野寺』役。『エール』は『鳥井』役。『イグレック』は『森』役。『アッシュ』は『宮崎』役。消去法を持ち出さなくても一目瞭然。『飯塚』は的であって、ハンターではない。
 しかし、飯塚という名前、どこかで聞いたような……。
 少しひっかかるものの、吉川はすぐに思い出すことができない。
「飯塚さんか。覚えてるよ。そうか、飯塚さんは高校生だったのか……」三上はそこで一息置いて。「……ともあれ、君が生き延びていて良かった」
「三上さんも無事でほっとしました」
「どうもありがとう。ところで、名倉君はどうしたんだい? 一緒のゴンドラにいたはずじゃなかったのかい?」
 名倉!
 吉川はやっと思い出した。飯塚と名倉。セットで覚えていたので咄嗟に出てこなかった。二人はイレギュラーな的だった。本来二人以上で来場している人間は的として選ばれない規定になっていたのだが、的を選別・拉致する担当であったスタッフ――つまり吉川自身が、手違いで特殊ゴンドラに乗せて眠らせてしまったのだった。自分のミスだったので、処理する際に二人の名前を知ることとなったのだ。
 的に選ばれなかったはずのイレギュラー。
 そんな飯塚が、ましてハンターであるわけがない。
 ――確信した吉川をよそに、二人の会話は続く。
「それが……、観覧車から飛び降りるまでは一緒だったんですけど……はぐれちゃって……、三上さん、見ませんでしたか?」
「いいや」
「そうですか……。じゃあ、他の人は?」
「……それも残念ながら分からない。すまないね、僕は脱出するのが遅れたものだから」
「それは、浅野さんが……」
「いや、浅野さんを疑ってたからってのもあるけど、それとは別にちょっとサプライズがあってね。……それに、発言を翻すようで申し訳ないんだけど、今となっては僕を狙撃した犯人――ハンターは浅野さんではないんじゃないかと思っているんだよ」
「え……? どういうことですか?」
「順番に説明しよう」
 三上は語りだす。
 観覧車に閉じ込められたのは、やはり何者かによる謀略であるということ。
 お化け屋敷やミラーハウスなどのアトラクションでも人が監禁されているということ。
 みな、殺人ゲームのための的として遊園地に配置されたということ。
 ゲームの様子はモニターで監視されているということ。
 ゲームの結果を対象とした賭けのこと。
 的を狙うハンターのこと。
 サポーター制度のこと。
 自分がそのサポーターであるということ。
 これらの情報を、知らぬ間にデジカメに入っていたデータにより知ったということ。
 観覧車が燃え盛る中、偶然それを発見したということ。
 それを読んでいた所為でゴンドラからの脱出が遅れたということ。
 その時はまだ浅野の襲撃を恐れていて、あえて扉でなく反対側の窓を壊して飛び降りて逃げ、しばらく観覧車から離れた道をふらふら歩き回り、また戻ってきて、そして今に至るということ。
「そ、そんな……わたし、怖いです……」
「大丈夫。僕がついている。僕が必ずハンターを暴いてみせる」
「でも、観覧車は燃えるし……三上さんは浅野さんに撃たれるし…………」
 だんだん泣き声混じりになっていって、語尾は吉川には聞き取れなかった。
「いやいや、だからさっきも言ったように、浅野さんは僕を狙撃していないんだ。だって、もし浅野さんが撃ったのなら、すぐにハンターの正体がばれちゃうじゃないか。サポーターである僕にも、賭けに参加している頭のおかしいやつらにもね。……本当に、君たちには混乱させてしまって申し訳ない」
「……じゃあ、誰が一体どうやって……。撃たれたのは浅野さんのゴンドラからなのでしょう?」
「そう。十六番ゴンドラから狙撃されたのは事実。誰が撃ったかっていうと、それはもちろんハンターだ。名前は分からない。サポーターの僕にとっては分からなくても問題ない。おそらく観覧車を炎上させたやつと同じ人物だろう。どうやってやったかも、大体予想がついている――」
 ――ちょっと話は変わるけど、写真を撮るときのコツを知ってるかい?
 人によっていろいろ持論があるだろうけど、僕は『被写体の気持ちになって考えること』だと思っている。相手の気持ちを考えないと、写る人の立場になって考えないと、そこに自分の気持ちを重ねることはできないんだ。
 そのマイ理論を応用したわけじゃないけど、僕は相手の立場になって考えてみた。
 相手とは誰かって? もちろんこのゲームの仕掛け人だよ。
 僕たちはゲームの仕掛け人たちによって観覧車に閉じ込められた。ゴンドラに乗り込んだところを何らかの方法によって眠らされたのは確実だ。
 ここで疑問が生じる。
 最初から疑問だらけだけど、ここでひとつの疑問が際立つ。
 それは『僕たちは目覚めるまでどこにいたのか?』ということ。
 観覧車のゴンドラに乗って眠らされる。そこまではいい。一周する間に充分時間はあるだろう。しかしゴンドラは一周したら地上に戻ってくる。そのとき眠りこけた僕らが次に乗り込もうとしている客に見つかっては、元も子もないだろう?
 僕らは閉園まで隠し通されなければならない。
 しかし、メンテナンス時ならともかく、営業中に僕らを運び出すことはできない。
 こうなれば解答はひとつ。際立った解答がひとつ。『ゴンドラの中に人間ひとりを隠せる収納スペースがある』と考えるしかないよね。相手の立場になって考えてみるとさ。
 どこにあるかって? 知らないよ。たぶん座席の下とかじゃないの。
 飛び降りてから分かったんだけど、あのゴンドラって床がけっこう高いんだよね。乗り込むときは段差があったから分からなかった。まあ、後から思い出して考えたことだけどね。もしかしたらデジカメの写真にちらっと傍証が写ってるかもね。
 さて、ここまでくれば話は簡単だ。
 隠し部屋があれば隠し通路もあるのが道理。おそらくゴンドラには外部につながる隠し扉と内部につながる隠し扉のふたつがあって、通常の扉がロックされていても、観覧車の最下点で乗り降りできるようになっているだろう。僕を狙撃したハンターは、それらを有効活用したってわけ。
 つまり、浅野さんの乗っていた十六番ゴンドラの収納スペースにハンターはすでに潜り込んでいた。そして、大胆にもその収納スペースから外に出る扉を開いて、半身を宙に乗り出して、浅野さんに罪をなすりつける形で僕を狙撃した。サイレンサー付きのライフルで。そういうこと。
 なんか過去の自分のダメさを露呈するようで情けないけど、まさかそんなところにそんな収納スペースがあって、そこに殺し屋が潜んでいるとは夢にも思わなかったし、暗闇だった所為もあってか、ただ座っているだけの浅野さんと身を乗り出したハンターの人影を当時の僕は結びつけてしまったんだ。普通の扉よりも下の部分が開いているのに、そのことを不思議にも思わなかったんだ。きっと、ハンターのあまりにも突飛な行動と強いインパクトが僕にそうさせたんだろう。言い訳にしか聞こえないかな?
「――まあ、だいたいそんな感じ。どうかな、飯塚さん?」
「はあ……正直、なにがなんだか把握しきれていませんが……だけど、すごいです。三上さんがちょっと頼もしくなりました」 
「それは嬉しいね」
「なんだか、三上さんならハンターも指摘できそうな気がしてきました」
「無論それがサポーターとしての僕の役目だよ」三上は調子に乗った言葉を返す。
 三上の長口上を盗み聞きし続けていた吉川も、彼の発言内容には驚いていた。何故なら、観覧車の特殊ゴンドラの仕組みは、ほとんど三上の推測した通りだったからだ。
 三上。
 彼なら――本当にやってくれるかもしれない。
 それも、五年前の自分より遥かに早く。
「あの……、ところで、これからどこに向かうつもりだったんですか? 観覧車の方へ引き返しているようですけど……」
「いや、目的地はお化け屋敷さ」
「お化け……屋敷……? 危険じゃないんですか?」
「それがどうやら、ハンターはサポーターを簡単には殺せないようなんだ。いきなり撃たれるなんて無粋な真似はされないから心配することはない」
「そ、そうなんですか」
「お化け屋敷に向かう理由はいくつかある。お化け屋敷で監禁されている人が気になるというのもそのひとつだけど……」
「はあ……」
 唐突に。
 機械的な振動音が夜道に響いた。
「あっ」女の声。続いて衣擦れの音。吉川には何が起こっているのか分からない。
「飯塚さん?」
「いえ、ケータイが……もしかして名倉君かと思ったんですけど、迷惑メールだったみたいです……。すみません、さあ行きましょう」
「ん、ああ、うん……」
 ケータイ?
 吉川は耳を疑う。携帯電話。それはあってはならないもの。的が持っているはずのないもの。ゲームの都合上、妨害電波を流せないのだから、そもそもケータイを持ち合わせている人間は的として選ばれることはない。それはイレギュラーの的とて同じこと。飯塚と名倉が偶然にも二人ともケータイを所持していないということは、吉川自身が確認している。
 だというのに、どうして飯塚が携帯電話を持っている?
 疑念が膨らむ。
 まさか。
 吉川は物陰からそっと顔を覗かせて、二人の様子を窺う。お化け屋敷に向かっていく男女の後ろ姿。若い男の方は三上に違いない。では女は。
「…………!」
 吉川は息を呑んだ。身長、髪型、服装。何ひとつとっても自分の確認した飯塚とは似ても似つかない。まったく別の女だ。
 遅ればせながらも、先駆けて。
 吉川は知る。
 この女――飯塚ではない!
 




 ――暗い一室。
 モニターを前に出雲が笑う。
「かっかっか……三体目も見つけたぞ。こりゃ運が良い。儂は実に運の強い爺じゃ。しかし、こう簡単に分かってしまうと、ずいぶんと拍子抜けというか、呆気ないものじゃ」
「ハンターを指摘なさいますか?」
 山浦は形式的に尋ねた。
 どうせ出雲の答えは決まっている。
「いや、まだまだ。ハンターたちにはすべての的を撃ち抜いてもらわんと困るから、もうしばらく静観するとしようかの」
「了解しました」
 ほら、やっぱり。





 お化け屋敷はさながら地獄絵図だった。
 まず、外縁の垣根を回り込んですぐに男の変死体が三上たちの視界に入ることとなった。お化け屋敷の出口付近で芝生に横たわる男は両脚と心臓を撃ち抜かれていた。財布に入っていた運転免許証などから男が渡良瀬という名前であることが判明した。渡良瀬が所持していたデジカメのデータを隅々まで調べると、なんと彼もサポーター候補であったことが分かった。もっとも、彼は不幸にもこのデータに気づかず、恵まれたサポーターに転身する前にこの世を去ったようだったが。三上は他にも所持品を調べてみたが、特に異状を見つけることはできなかった。しいて言えば、渡良瀬の腕時計は壊れているのか電池切れなのか、時刻が三時間ほど遅れているようだった。
「もしくはこの時計を除いたすべての時計が狂っているか」
 三上は、嗚咽する女を支えながら独りごちた。
 芝生に落ちていた、渡良瀬のものと思われるマグライトを拝借して、三上たちは出口からお化け屋敷へと侵入した。マグライトの一筋の光を頼りに暗闇を歩くと、やがて男女の死体を発見した。どちらも、渡良瀬と同じく心臓を撃ち抜かれていた。血液の凝固具合から、渡良瀬とほぼ同時刻に殺されたのだろうか。物言わぬ男女の死体はまるでお化け屋敷のハリボテのようで作り物めいていた。しかし確かに人間の死体だった(実のところこの男女は、レインのことを『小野寺』と呼び、そして御三方が渡良瀬をモニタリングしている間にレインによって銃殺された人物なのだが、その時の銃声を耳にした渡良瀬もすでに殺されているので、その事実はゲームから退場したレイン以外誰にも知る由がない)。
「全滅、か……」
 お化け屋敷を一通り巡り、川原を模したステージで三上たちは立ち止まった。三上は柵に寄りかかって、物思いに耽っている。女はその横でしゃがみ込んでいた。
 二人からすこし離れて、吉川が暗闇に潜んでいる。
 現場スタッフの吉川はまだ二人を尾行していた。
 ――いっそのこと飛び出して、三上にすべてぶちまけてやりたい!
 吉川は三上たちを睨みながらそう願うが、その望みは叶わない。現場スタッフはゲームの参加者に関わってはならない。ハンターにもサポーターにも肩入れしてはならない。干渉してはいけないし、気取られてもいけない。
 ただ、傍観者になることしかできない。
「飯塚さん」ふと三上が呼びかける。「さっきから顔色が悪いけど、大丈夫?」
「すみません、三上さんの足を引っ張ってしまって……」
「僕だってあんなもの見たら気分が悪くなるよ。本当、吐き気がする」
「……あの、この辺り、すこし煙くありません?」
「そうだね……。――ところで、飯塚さん」
 三上の声の調子が変わった。
 まるで、今までの会話は雑談で、ここから本題に入ると告げているかのように。
「な、なんですか……?」
「お化け屋敷に入る前、僕が『お化け屋敷に向かう理由はいくつかある』って言ったの覚えてる?」
「え? 覚えてますけど……」
 怪訝な声も気にせず、三上は語りだす。
「どうやらサポーターの僕は、頭のおかしいやつらをエンタメ的趣向で楽しませなければならないらしくってね。どーせ、あんな道端で推理もどきを披露しても、やつらの耳に届くような環境にはなってないだろうから。これも理由のひとつ」
「はあ。それが一体――」
「要するに、僕が、今からこの場でハンターの指摘をするってことだよ」
「…………」
 一瞬、沈黙が暗闇を覆った。
 マグライトの光だけが鋭く伸びる。
「『飯塚』さん。君の言動には不自然なところがいくつか見られた」三上の声も光のように鋭く。「一つ目。観覧車で会話した時、浅野、飯塚、名倉、そして僕は、誰も携帯電話などの外部との連絡が可能な通信機器を持ち合わせていなかった。そう四人全員が証言した――それなのに、君は携帯電話を持っていた」
「…………」
「二つ目。君と対面したとき、僕は君に名倉君の安否を尋ねた。君ははぐれてしまったと答え、逆に僕に名倉を見なかったかと尋ね返した。いいや、という僕の返答に対して、君はこう言った。『そうですか……。じゃあ、他の人は?』と」ここで三上は一呼吸つく。「この言葉も少々不自然だ。名倉、飯塚、僕以外の『他の人』といったら、あの時点では浅野しか思い当たらないはずだ。その浅野の安否を『飯塚』さんが尋ねるのは腑に落ちない。何故なら、僕自身が飯塚さんたちに、浅野は危険人物だとひっきりなしに主張したのだから」
「……そ、そんな」
 ここで女が口を開いた。
「そんな、ちょっと言っただけのことで怪しむんですか? ひどい、そんなの言葉のあやじゃないですか。たぶん、なんかつい考えなしで言っちゃっただけです。ていうか、そんなの覚えてませんよ。そんな、揚げ足をとるみたいに、ひどい……ケータイだってそうですよ。みんな持ってないって言ってるのに、本当だかわからないのに、自分だけ持ってるって言えますか? あんな状況で冷静に真実だけを口にできますか?」
「まあ、それは一理あるな。誰だって、時には不合理な発言をすることもあるだろう。後ろ暗いところもないのに真実を隠すこともあるだろう」
「そ、そうですよ、それに――」
「しかし」三上は彼女の言葉を制する。「知るはずのない事実を、発言することは誰にもできない」
「は……? 何を意味不明なこと言っているんですか――三上さん?」
「そう、それ。その固有名詞。それが最初からおかしかった」
 三上はマグライトで女の顔を照らした。
 女ははっとした表情で、口元に手を当てる。
「君は、三上さん、と僕を呼んだ。僕が『声に聞き覚えは?』と尋ねた時からずっと。でもそれはありえない。君が飯塚さんならば、僕を三上とは呼ばない。『十二番さん』と呼ばれるならともかく」
 三上は――言い放つ。
「浅野さんが名前より先にゴンドラの番号を訊いた所為で、僕は内線で一度たりとも『名乗っていない』。内線どころか、どこでだって名乗っていない。ゆえに誰も僕の名前が三上だと知ることはできない。このいかれたゲームのいかれた関係者を除いてはね」
 知るはずのない事実を、発言することは誰にもできない。
 そうだったのか、と吉川はひとりで納得した。
 十二番。聞き耳を立てている吉川にとって、それは耳慣れない言葉だった。それも当然だ。現場スタッフである彼は、最初から端末によって三上を三上と認識できていたのだから。彼にとっては三上は三上だった。ハンターにとっても同様だろう。ところが、他の的にとってはそうではなかったのだ。
「…………そう」
 女は力なく俯いた。
「そうですか。だったら、三上さ――あなたは、私を指摘するんですね。私のことをハンターとして指摘するんですね」
 終わった。
 このハンターは終わった――吉川はそう感じていた。心躍っていた。五年前サポーターだった自分を思い出し、眼前の三上にその姿を重ねた。投影し、酔っていた。
 だから、三上が次に口にした言葉が信じられなかった。


「いや、僕は君をハンターとして指摘しませんよ?」


 ……え?
「……え?」吉川の思考と女の科白がシンクロした。
「いやあ。確かに初めのうちは君がハンターだと思ってた」二人の気も知らず、三上は能天気な口調で再び語り始める。「でも、なんかケータイとか、あまりにもあからさま過ぎるなと思って。だから、また相手の立場になって考えてみたんだ――」
 ――今度はハンターの立場から。
 ハンターはサポーターを簡単には殺せない。何故なら、今もモニターで僕らを監視しているいかれたやつらが、サポーターの推理もどきを楽しみたいから……だと思う。デジカメのデータには理由まで書いてなかったけど、大体そんなところだろう。渡良瀬とかいう人はまだサポーターになる前だったからあんな風に銃殺できた。でも僕みたいにサポーターになってしまえば、そう軽々と殺すわけにもいかないんだろう。
 だったら、どうすればハンターはサポーターを殺せるのか?
 答えは単純明快。
『サポーターがハンターを誤って指摘してしまえばいい』。
 思い返せば、浅野さんのケースがそうだった。あの時は僕はまだサポーターじゃなかったけど、完全に浅野さんが犯人だと誤解していた。ハンターによって誤解させられていた。騙すことで、ハンターは誰にも憚ることなくサポーターを殺せるようになるんだ。
 ハンターがサポーターの目の前に現れる必然性なんてない。
 だから、君はハンターじゃない。
 君はハンターが仕掛けた罠だ。
「君、本当の名前は何ていうの? ハンターじゃないんだろ?」
 マグライトを降ろして、三上は女に問う。
「…………」
 女は無言を貫く。
 しかし、かすかだが泣き声らしきものが聞こえた。
「黙秘ね……そうか、観覧車での出来事からそういう対処法まで全部教え込まれてて、脅されているってわけか……」
 驚きのあまり呆然としていた吉川もここでようやく我に返り、端末で女の素性を確認するという考えに至る。今までは名前を偽った彼女こそがハンターで、確認するまでもないと早合点していた。
 端末を女に合わせると、数秒で結果が出る。
 結果は『林原/女/的』。
 確かに彼女はハンターではなく、的だった。
 改めて吉川は、三上の勝利を確信した。しかし今度は、過去の自分をそこに重ねることはできなかった。三上は自分より遥かに素晴らしいサポーターだと感じていた。
 あとは、彼が真のハンターを指摘するだけ。
「……まあいいや、君がハンターじゃなくてこっちサイドだってことはわかったよ。それじゃ、可哀想な君のために、とっとと真犯人の指摘をしてあげよう」
 三上は事もなげに言う。
「お化け屋敷に向かう三つ目の理由。それはハンターを閉鎖された無人空間におびき寄せること。どこで誰に尾行されてるかなんて僕には全然分からないけど、そんなことは関係ない」
 名前まで当てる必要はないし――と、前置いてから。
「見てますか? 聞こえてますか? 以上の理由により僕はハンターを指摘します。ハンターは、僕とこの子以外で、今現在このお化け屋敷内に存在する、ゲームの参加者です」
 そう、どこかに向かって宣言した。
 勝利宣言をした。

「――上出来ね。すべてあなたの言う通りよ」

 乾いた拍手。
 それとともに、どこからか声がして、姿も現れた。
 林原や飯塚と同じ年頃の、若い女だった。少女と形容しても良かった。
 少女――ハンターはゆっくりと、三上の元へ近づいてくる。
「き、君がハンターなのか?」
「そう。あたしが、ハンター」
「そうか……やった、やったぞ、僕はハンターを指摘できたん――」
 三上の言葉はそこで途切れた。
 拍手も止んでいた。
 代わりに銃声が三発。
 一発は三上の胸元を。
 一発は林原の脳天を。
 そして、最後の一発は吉川の腹部を貫通した。
 サポーターでもただの的でもない、現場スタッフの吉川が撃ち抜かれた。
「ありがとう。とても愉快なお話だったわ」
 回転式拳銃を片手にハンターは笑う。
「な……」三上は血を吐き、呻きながら倒れた。「銃声が…………観覧車とは別のハンターなのか……」
 林原は倒れたまま動かない。
 彼女は即死だった。
「おかしい、なんで僕が……、看破したのに…………ルールと違うじゃ……ない、か」
「そうね。これはルール違反」
 ハンターは悪びれずに肯定する。
 ルール違反だって? 吉川は叫びたかったが、それも叶わないほどに腹部の痛みが酷い。押さえる手が赤黒く染まる。
 サポーターがハンターを正しく指摘できたというのに、サポーターを銃殺してしまうのはまさにルール違反だ。でも、どうしてそんなことができる。そんなことをしでかせば御三方が黙ってはいないだろう。第一、御三方がモニターで監視しているのではないのか。先ほどまでサポーターが推理もどきをやっていたのだから、きっとこの現場を見ているはずだ――なのに、この女は、こうも堂々と。
 それに、何故俺までも撃たれるんだ。
 まるで口封じのように。
 ――疑問が渦巻くが、やがて吉川の意識は遠くなっていく。





 三上、林原、吉川が絶命してからは、ミラーハウスでの惨劇が最後のショーだった。すでに、遊園地とお化け屋敷に監禁されていた的とサポーターは、全滅していた。
 ここまで、すべて山浦の思惑通りとなった。
「しかし、高みの見物というのも退屈なものじゃのう」
 モニターに映る惨状を楽しげに眺めつつも、出雲はそのように不満を零した。風谷や加賀も、賭けでは出雲に大敗を喫したものの、今では両者とも血の色に魅せられている。二人がそれぞれ従えてきた近藤と松下は、グロテスクな映像に耐えられなくなったのか、画面から目を背けていた。
 高みの見物。
 そうなるのも致し方ない。出雲はすでに三体のハンターを指摘したのだから。今、モニターの向こう側でおおっぴらに殺人活動に勤しんでいる四体目を指摘してしまえば、殺されるのは『イレギュラーも含むすべての的とサポーター』というのが成立しなくなってしまう。
 まず、『小野寺』役の『レイン』。
 そして『鳥井』役の『エール』。
 最後に、『森』役の『イグレック』。
 出雲は見事三体のハンターを指摘してのけた。
 ただ、それもまた山浦の――そしてハンターたちの思惑通りであった。
『名倉』の『死体』の変装を解いたイグレックは、アッシュと別れた後、わざと自分の正体が分かるように行動した。すなわち、あえてそれまで手付かずのままにしていたミラーハウスで、身を隠すことなく的を撃ち抜き続けた。山浦も出雲を挑発するように、イグレックの成果を淡々と報告し続けた。イグレックを指摘できるチャンスをばら撒いた。
 そんな好機に出雲が付け込まないはずもなく。
 挑発してから十五分。まんまと、出雲はモニターの変更を要請した。
 だから、実際には、三上の推理もどきも、ハンターの少女――アッシュのルール違反も、一切御三方に目撃されることはなかった。露見されることはなかった。何もかも計算だった。情報分析と情報共有の結果だった。
「まあ、何もサポーターに拘らずとも良いな。泥臭くても勝ちは勝ちじゃ」
 モニターの照準をミラーハウスの的に合わせる際、そう出雲は嘯いていた。
 自分が踊らされていることも知らずに。
 出雲は、イグレックが的を撃ち抜くのを何の疑念も抱かずに静観して、頃合を見計らって――見計らったつもりになって、「『森』役の『イグレック』」とハンターを指摘した。その後、山浦による三上と林原の死の報告で、出雲は遅れてサポーターの敗北を知った。
「ほう。勝ち残ったのはハンターか」
 そう呟いただけだった。
 理不尽な敗北。不条理な勝利。
 アッシュのルール違反については、出雲だってルールを曲げさせたのだからおあいこだろう、と山浦は考えていた。それでなくとも、初めからルールなどどうでもいいと思っていた山浦である。
 とにかく、サポーターに勝たれては困るのであった。禁じ手を用いてでも、それは阻止しなければならなかった。中途でゲームが終わり、賭けが無効にされてしまうわけにはいかなかった。ここは出雲に花を持たせなければならなかった。しかし、御三方に出来レースだと気づかれてもいけなかった。権力者の集まるまたとない機会。それなのに機嫌を損ねて帰られては台無しだ。
 それもこれも、自らの出世のため。
 この時点で、山浦の目的は半ば達成しかかっていた。
「――サポーターを撃ち抜いたハンターよ。的がいなくなったら、儂の元へ来るが良い。その腕を、直々に褒め称えてやろう――」
 出雲によって、そのような放送が遊園地の場内を流れたのは、ミラーハウス内で活動している者が、たった一人きりになった頃だった。当然、その名はアッシュ。退場したイグレックに代わって、ミラーハウスの惨劇を彩っていた最後のハンターだった。
 そして――現在。
 暗い一室。
 モニターの電源は切られている。
 室内には、山浦、出雲、風谷、加賀、近藤、松下。
 頑丈な扉が開かれ、少女がそこに加わる。
「出雲様。彼女が最後のハンター、アッシュです」
 山浦が少女を紹介する。
 しかし彼は心中ではまったく別のことを考えていた。自分の将来のことを考えていた。今回のゲームを無事自分の思惑通り――つまりは白石様の思惑通りに仕上げられたことで、白石様からの評価も上がり、自分の地位は急上昇するであろう。この会合が終わり次第、すぐに白石様に報告を入れることにしよう。
 それが良い。
「こんな小娘に一杯食わされるとは、儂も眼力が落ちたものよのう。山勘も二回が限度になるわけじゃ。まあ、何にせよ、よくやったのう」
 出雲がアッシュの体躯を嘗めるように見渡す。
「お褒めに預かり、光栄でございます」
 アッシュは形式的な言葉を返す。態度も慇懃というより、単に素っ気ない。
「お前のおかげで、儂は大勝利じゃ。ハンターを三体指摘できただけでなく、死亡者予想も『イレギュラーを含むすべての的とサポーター』と、文字通り的中じゃ。まさに大団円じゃ。……のう?」
「そ、そうですね、出雲様……」と、風谷。
「おっしゃる通りでございます……」と、加賀。
 どちらも出雲に媚を売ろうとしている。二人の後ろに控えている近藤と松下は、どう振舞ってよいものか困惑しているようだ。山浦はほとほと呆れてしまった。
 近藤と松下。
 思えば、彼らこそが真のイレギュラーだったのかもしれない。
 まさか二人が部下を連れて来るとは、想定していなかった。
 人数が予定よりも増えている。
「お言葉ですが、出雲様」
 口を開いたのはアッシュだった。
「ん、どうした?」
「残念ながら、大団円とおっしゃるには時期尚早かと思われます。ゲームはまだ終了しておりません」
「え……?」間抜けな声を出したのは、意外にも加賀の部下、松下で。「でも、的もサポーターももう一人も残っていませんよ? ハンターの――あなたが最後では?」
「いいえ」
 アッシュはここで初めて微笑んだ。
 彼女の背後に立つ山浦も、もはや愉悦の表情を隠そうとしない。
「あたしはまだ最後の一人ではありません。最後の最後に、あなたたちを殺して、それでおしまい。あなたたちで最後です」





(終)
(担当・17+1)
えらい長くなってしまいましたが、ようやく完結しました。
ところどころ強引なところもあると思いますが、一応伏線はすべて消化したはずです。
今後の展開はありません。