blue-ryu-comic blue-spring-jojo その1

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 殺人事件!
 嵐近付く闇夜の洋館、轟く悲鳴はただならぬ気配。慌てて駆け付けた一同が見たのは、腰を抜かした家政婦と仰向けに倒れた名探偵。じっと天井を見つめる虚ろな双眸は、とんと生気が見えぬ。まばたきもせず、身じろぎもせず。
 殺人事件!
 青い顔した女給が言うには、いくら呼んでも応答せぬ部屋の様子を窺ったところ、室内は無残にもこの有り様だったとのこと。彼の人の首筋にはどす黒い圧迫痕がくっきりと浮かび、他殺のほかに可能性なし。みな色なく押し黙り、風の音のみが窓のガラスをカタカタと叩き続ける。
 殺人事件……!

 * * *

 神埼は筆を止めた。使用人の女が居室のドアをノックしたからだ。時計に目をやると、夜七時きっかり。夕食の時間だ。窓外では夜の帳がすっかり降りており、執筆中の小説と同じように、吹きすさぶ風がガラスを揺らしている。
 屋敷の周辺で非常な猛威をふるっている台風は、明朝には上空を通過していくらしい。激しい風雨によって絶たれた麓の町との交通もじきに回復するだろう。そうすれば、締め切りがやってくる。明日までに八十枚の小品を仕上げなければならない。せめてもう半日でも台風が屋敷にとどまってくれることを願いながら、神埼はゆっくりと立ち上がった。


 一階の大広間に神崎が姿を現した時、この館の主人と彼以外の客人たちはみな勢ぞろいしていた。唯一空いていた席に神崎が着くと、青波翁がことさらに快活な調子で声を張り上げた。
「天候は明日にも回復するようです。みなさんには大変心配かけましたが、心許ない時間も今宵で一区切りつきそうで何よりです」
 青波武生。この山あいの大邸宅・双草荘(ふたくさそう)の所有者にして、日本有数の複合企業・青波グループの創業者でもある大富豪だ。矩形の長大な食卓の中央に彼は鎮座し、その側面を取り囲むようにして、六人の年齢も性別も様々な面々が顔をそろえている。近親者や友人たちだ。それぞれの席には仔牛か何かの肉の皿が既に設えてある。後はいくつかの小皿、スープとワインとナプキン。全て既に用意されている。給仕の姿は見当たらない。
 普段なら、たとえば昨日の今頃なら、ディナーともなれば仰々しいまでのフルコース、のべつ幕なし運ばれてくる料理を掲げて何人も右往左往しているのが常だった。にもかかわらず、一日してこの変わりようである。無理もない、と言えばそれまでだが。早晩、使用人は一人残らずいなくなるだろう。あんな無残な事件が起こっては、人が寄り付かなくなるのも当然だ。
 とは言え、神崎も含めたこの場にいる七人、彼らだけはそう気安くここを離れるわけにはいかない。それは自由意志の問題でもあったし、純粋に安全上の問題でもあった。つまり、警察が到着する明朝までは、第二、第三の被害を防ぐため、容疑者が容疑者を互いに監視する必要があるのだ。誰も死にたくはない。表情には出さないが、みな疑心暗鬼に取り憑かれている。青波邸にしてはずいぶんとささやかな夕食会には、黒々とした感情を覆い隠すかのように和やかな空気が流れ、幾度かは笑い声さえ響くのだった。わずか壁一枚を隔てた部屋の片隅には、泣く子も黙る名探偵の、冷たくなった哀れなからだが横たわっているというのに。この豪奢な装飾に彩られた華やかな食卓、現在の状況を言い表すなら、三文ミステリーに使い古された常套句を使えば簡単なことだ。
 犯人は、この中にいる……。
 殺人事件……。


 名高い敏腕探偵がわざわざこんな山奥に招かれていたのは、何も偶然ではない。彼は捜査していたのだ。殺人事件を解決するために。
 青波武生の妻、頼子が屋敷の三階から転落死したのは、先月のことだ。警察の捜査では事故と判定されたこの一件、武生には他殺と結論付ける何らかの確信があったらしい。彼はすぐさま名探偵を呼び寄せた。そしてそれからおよそ一週間後の昨日、なぜかこうして肉親や友人を屋敷に集めた。直後に名探偵の死。推理作家たる神崎でなくとも勘繰りたくなるところだ。
 神崎は我知らず周囲を窺っていた。武生の脇には、長男の幸生、そして青波家の主治医にして長年の知己である輿山氏。彼らの向かい側には神崎と妻の朱実がいて、それからもう一人、名探偵と共にやってきた若い助手が残されている。
 この探偵の助手が神崎の注意を引いた。見た限りでは、探偵の死を間近で目にしたにもかかわらず、それほど取り乱した雰囲気はない。食事中、終始黙ってはいたが、むしろ従容とした態度で周囲には無関心だ。
 しかし、額面通りに受け取るわけにはいかない。動揺していないはずはないのだ。このまま何も起こらず明日を迎えるとはどうしても思えない。神崎はゆっくりと胸にたまった赤ワインを嚥下した。

 * * *

「容疑者は六人である」
 東条助手の明朗な声が座を圧す。誰も神妙な面持ちでその弁舌に耳を傾ける次第。
「まず、浪岡氏とその御子息・辰夫氏」
 固唾を呑む老主人と御曹司。マントルピースの下では暖炉の炎が燃え盛っている。
「弁護士の車山氏」
 各人を睥睨する東条助手の双眸は、支配的威圧感を持って対象を射止める。
「浪岡氏のご友人で、漫画家の横崎夫妻」
 嵐は未だやまぬ。風の音が遠くで聞こえる。
「そして私、名探偵・古尾谷王次郎の助手・東条」
 東条助手は弧を描きながら歩き回り、規則的な歩調で言葉を紡ぎ出す。みなぎる自信。高まる確信。必ずや下手人を白日の下にさらす心積もりである。
「この奇々怪々な連続殺人事件の犯人はこの中にいます」
 緊迫走る一同。不安げに互いの視線を交わしあう。この中にいるのだ。血も凍る恐怖の惨劇を開幕せしめた悪鬼が。
「亡き古尾谷に代わり、不肖この東条が事件の全容を解き明かしてみせましょう」

 * * *

 神埼は書き続ける。彼はストーリーテラー。書き続ける。用意されたプロット通りに。
 夕食は恙無く終わった。さすがに大部屋に居残ろうとする者はなく全員が自室に戻り、神崎も妻とは別室を取って執筆に専念している。
 時刻は、深夜零時に達しようとしていた。
 と、背後の薄暗がりから控え目にノックする音が響いた。
「神崎さん」
 例の助手だ。扉を開ける。
「すぐにダイニングへ集まってください」
 これだけ間近で対面するのは初めてだった。驚くほど若い。と言うより、子どもだ。年端もいかない少女と形容するほうが正しいのかもしれない。
 空条明日香。弱冠十五歳のこの華麗な才媛は、いささかも心乱れた様子なく、至って事務的な口調で言い放った。
「犯人が、わかりました」
 そしてそのまま隣室へ向かおうとするのを、慌てて神崎は呼び止める。
「犯人ってのは……?」
「殺人犯のことですよ。青波頼子さんを事故死に見せかけ、私の名探偵を殺した張本人がわかったんです」



(担当・カンパニール
 新年度のリレー小説はこんな感じで始めてみました。あんまり読み返したくない出来。
 果たしてリレー小説でミステリが成立するのか、という実験(無茶ぶり?)です。