blue-ryu-comic blue-spring-jojo その2

 神崎は妻を連れ、明日香の後に続きダイニングへと向かう。
 吹き付ける風雨が廊下の窓を激しく揺らしていた。神崎は足を止めず、横目で窓外の景色を眺める。
 神崎が双草荘へ招かれたのは初めてではない。青波翁が開く個人的な食事会には、数年前から度々妻と共に席を並べていた。だがこれほどの暴風雨に食事会が重なり、麓との交通が絶たれてしまうようなことはこれまでになかった。
 あまつさえ殺人事件が起きた、その晩に。
 そもそも、さして名もない推理作家の端くれである神崎が、何故県内有数の資産家である青波氏と知り合えたのか。その経緯を思い返すと、神崎は複雑な心境に陥る。駆け出しの頃──原稿料からすれば今と大差ないが──日本に現存する洋館を舞台にした推理小説の取材という名目で、この邸宅の門戸を叩いたのがその始まりだった。今思えば無謀、非常識極まりないその愚行が、どういうことか青波氏に気に入られ、こうして個人的な付き合いを続けるに至る。
 それにしても。
 あの頃の気概というものが、ここに来るといつも思い返される……。
「洋館ものか……また一本、腰を据えて書いてみるかな」
 神崎の呟きを、隣を歩く妻が声を潜めて窘める。
「ちょ、ちょっと、弘さん……不謹慎ですよ、こんなときに」
「ん? あぁ……」
 妻には、今まさに執筆中である短編の内容を告げていない。
 やはり非常識と思われるだろうか。神崎はそう思いつつも、頭の片隅では原稿の筋立ての続きを思い浮かべていた。

 神崎は所謂シリーズものを書かない。
 今回の短編に登場する古尾谷探偵というキャラクターも、それほど深く考えて登場させた人物ではない。作中で彼は死んでしまうのだし、まぁ適当でいいか。探偵に対してはその程度の心積もりだった。神崎が今回中心に置く人物は彼の弟子兼助手、東条だった。
 そう、東条だ。
 東条は亡き師匠の敵討ちと粋がるような人物ではなく、至極冷静で……感情を表に出さない青年だ。
 今、東条の前には五人の容疑者がいる。もちろん、東条とて探偵殺しの疑いを免れているわけではないが。
 妻の不審死の調査を故・古尾谷探偵に依頼した、浪岡粉太郎。その息子であり富豪浪岡家の跡継ぎ、辰夫。浪岡家の顧問弁護士、車山。浪岡氏の友人である、漫画家の横崎夫妻。ちなみにこの夫妻は犯人ではない。
 さて、東条は容疑者を一箇所に集め、推理ショーを始める。
 彼が最初に指摘したのは、犯行当時のアリバイの有無。六人の中、その時間に他人の証言によってアリバイを立証できないのは辰夫だけだった。粉太郎と車山はダイニングで談笑、横崎夫妻は二人とも自室にいたと証言している。……この二人が共犯だった場合、アリバイは立証できてないことになるが、それはない。夫妻は犯人ではないからだ。
 ……というところまで筆は進んでいる。
 この先はまだ書けない。そのため神崎は筆を止めている。あくまでも彼の立場はストーリーテラーであって、決して創作者ではないのだ。

「さぁて、集まりましたね、容疑者の皆さん」
 自信に満ち溢れた声でそう言い、空条明日香はダイニングに揃った面々を見回す。
「それでお嬢ちゃん、これから何を始めようって言うんだい」
 青波幸生が幾分か見下ろすような口調で言った。実際明日香は小柄で、机の周りに立ち並ぶ誰からも見下ろされている。
「さっき言ったじゃないですか。犯人を吊るし上げるんですよこれから、私が。この私、空条明日香がね」
「……そのことなんだが、いいかな。助手のお嬢さん」
 青波武生が落ち着いた声で言った。
「何ですか」
「先ほど君は言ったね、家内を事故死に見せかけ、名探偵──眼鏡山氏を殺害した犯人、と」
「言いましたね」
「それはつまり、……家内と眼鏡山氏は同じ人物によって殺された、そう捉えてよろしいかな」
「そうなりますね」
 明日香は淀みのない口調で受け答えをする。
「その根拠を聞かせて貰えんだろうか」
「そんなことは誰の目にも明らかです」
 明日香は人差し指を立て、ゆっくりと机の周りを歩きながら述べる。
「私の名探偵が殺された理由は? 簡単です、名探偵が頼子さんの死の真相に辿り着いていたからです」
「そうだったのかね。そのような話は聞いていないが」
「真相に辿り着いたとは限りません。犯人は名探偵の名探偵さに恐れを抱き、真相が暴かれるのを恐れたのです」
「しかし、昨晩の夕食まで名探偵を招いていることは伏せていたはずだが」
「名探偵が名探偵だから恐れを抱いたとは限りません。私の名探偵が名探偵でないとしても名探偵であることを恐れて……」
 そこへ、神埼が不意に割り込む。
「あの、ちょっといいですか」
「はい、何でしょう? ちなみにあなた方ご夫妻は犯人ではありません」
「明日まで、警察は来ないんですよね」
「多分そうですね」
「だったら、犯人は名探偵の次に、真相を知っている……あるいは真相にたどり着く可能性の高い明日香さんを狙うのでは」
 明日香は歩みを止め、五秒ほど静止した。
 無言で神崎のほうを見、えと、と声に出さずに呟く。
「私が真相に辿り着いたとは限りません」
「え、先ほど、犯人がわかったと……」
「私は真相に辿り着いてません。というより犯人の見当すらつきません。だから私を殺しても意味はありません。そもそもこの事件に犯人なんていません。私は、今度の事件はすべて事故だと思います。私の名探偵は突然灰皿で自分の頭を割りたくなって……」
 明日香は表情を変えずに次々と言葉を重ねていく。
 そんな明日香の様子を、神崎は冷めた目で見つめていた。
 ──それでは困る。
 神崎は考える。この事件に、犯人がいなくては困る。犯人がいたとしてもそれが暴かれなければ困る。明日の朝、嵐が去るまでに。
 なぜなら、朝になれば原稿の締め切りがやってくるのだから。


(担当・ikakas.rights)
とりあえず登場人物を整理しました。
上位:青波武生、青波幸生、(青波頼子)、輿山、神崎弘、神崎朱実、空条明日香、(眼鏡山)
下位:浪岡粉太郎、浪岡辰夫、(粉太郎の妻)、車山、横崎、横崎婦人、東条、(古尾谷王次郎)

次の担当はうつろいしさんです。よろしくお願いします。