何も無かったら書かないでね! その15

「終わりにしよう。藤村さん、もう君の計画が成功する見込みはない。全て元通りに。君の手で振り出しに戻してくれないか」
 夏目さん、日下部先輩、水野先輩、修一、そして僕――彼女は五人と対峙して、しかし一向にその薄い笑みを絶やさなかった。自信、なのだろうが、どこか別のものが入り混じっているような気もする。
「二つ、質問があります」
 視界の左の方で水野先輩が座りなおして、深く息をはく。修一は僕や僕らが、多分彼女でさえも彼の緊張に気付く事を知っているのだろうか。そして僕は――「僕ら」に藤村さんが含まれていないと、自覚しなければならないのだろうか。
「私の計画が『成功』するとはどういう事でしょう」
 彼女にとっては僕たちに何を見ようが、何を知ろうが結局関心がないのかもしれない。彼女が微笑を浮かべるのはまさに今彼女自身が投げかけた言葉で、もう一つあるというそれなのだ。
 そもそも、変わるとはどういう事なのだろう。変われないと思ったのは紛れもない僕だった。しかし一方で、壇上の彼女に変わって欲しくないと願ったのも僕だった。そして今、彼女を目の前にして僕は思う。変わる、変わらない。変われる、変われない。
「君がトップに君臨して学校全体の人間関係を完全に管理出来れば、それが計画の完成であって、君の『成功』なんじゃないか?」
「二つ、間違っています」
 頬から滴り落ちそうになる汗を腕で拭った。冷房の音はするが、感じるのは妙に温い風だけ。氷の様な笑みを浮かべる藤村さん以外はみな一様に汗を滲ませている。それは本当に暑さのせいなのか。知る由もない疑問は置いておくしかない。
「私はこの学校の人間関係を完全に管理しようとは思っていません」
「え?」
 眉間に皺を寄せる水野先輩以上に困惑を響かせたのは夏目さんだった。次第に慣れつつある緊張の空気を頭で押し動かすと、彼女は見たこともない表情で藤村さんを見つめていた。僕はまたあの憎しみに溢れた顔をしているのかと思ったけれど、そんなものは微塵も感じられなかった。
 夏目さんはこんな顔をしていたのか。
 いつまでも答えには辿り着けない。そう思ったのは紛れもない、あの表情とそれに続く言葉があったからだ。僕を睨みつけ見下ろしながら、むしろ、彼女自身が傷ついているような。そして、空っぽ。僕はそれしか知らなかった。それが僕の中で彼女の全てだった。
「完全、などというのは馬鹿げています。一部例外として漏れる者がいても良い、それがむしろ正常です。制度とか、イデオロギーというのはそういうものです」
 夏目さんの表情が見えなくなったのは、日下部先輩が俯いたからだった。
 この人の事はよく知らない。ただ、昨日の会議で水野先輩が話していた事から情報を切り貼りしてみた感じでは、悪い人ではない気がした。副会長として藤村さんを補助する立場にありながら今ここで彼女に対峙しているのは、心境の変化があったのだろうか。最初から水野先輩の伏兵、というわけではなさそうだから、何かしらこの人の中で変化があったのは間違い。そしてその変化がどうやら今この人にこの顔をさせている事も、多分事実なのだろう。
「もう一つの誤りは、この学校の人間関係が管理出来れば、私の計画が完成し成功するとおっしゃった点です」
 水野先輩がひとしきり自分の考えを他の四人に話して、それで会議が終わってしまったからだ。だから僕は日下部先輩がどんな人で、夏目さんや藤村さんが何を考えているのか、今の今までほとんど掴めていない。僕がここに呼ばれた理由は何となく想像がつくけれど、それは僕にとって諸刃の剣だ――けれど僕は選んだ。
「それは手段と目的を取り違えています。私が望むのは幸せな学校であって、それに至るまでの手段や過程では――」
「それは分かってる。僕も過去に、それを願って同じ過ちを犯した事があるからね」
 藤村さんは知ってると思うけど。先輩は最後に付け足した。
「はい。先例としてこの様な失敗は避けなければならないと、大変参考になりました」
 瀬々重祢。彼女がこの場にいないのは考えてみれば少し妙だ。いつもちょろちょろと、なんて言葉を彼女の事をよく知らない、知ろうともしない僕が使うのは失礼かもしれないけれど、でも僕が藤村さんを見つけた時にはいつも彼女は視界の中にいた。その彼女が、僕達がここに来た時から今に至るまで、その影すら全く垣間見せない。何か、嫌な予感がした。
「もう一つの質問ですが」
 明日から夏休みだから。集合場所になった水野先輩の教室から生徒会室に来る途中、水野先輩は後ろを振り返らないままおどけてみせた。明日から夏休みだから、藤村さんを本当に説得出来たのかどうか、僕達が知るのは一ヶ月以上先になる。今年の夏休みは楽しめそうにないな、僕にとっては最後の夏休みなのにね。
「なぜ私の手で?」
 誰も笑わなかった。それはもちろん、これから藤村さんと決着を付けるのだという事実がみんなを緊張させていた事もある。けれど本当のところはそうではなかった。そうでないからこそ、水野先輩もそれ以上何も言わなかったのだ。
「あなた方にとって私は敵、蹴落とさなくてはならない対象のはず。どうしてそんな者を前にして『君の手で振り出し』などと言うのか、私にはなんとも」
 言葉の末尾にはほんの少し、嘲笑の様なものが伴っていて。僕にとってはそれだけでも大きなショックだった。僕の記憶に眠る藤村さんは、こんな冷たい表情をした事はなかった。水野先輩からはある程度聞かされていたけれど、自分の記憶を歪める事は出来なかった。裏切られたような気持ちがずんと重くのしかかる。これじゃ余りにも惨めで、ひどすぎる。
 答えが出かけているような気がした。それは僕にとって喜ばしい事に違いない。それでも僕は何かに叫びたくて仕方がなかった。こんなひどいやり方でしか答えを示してくれないのかと、拳を握りしめ声を震わせながら。
「銃剣をもってすれば何事をも為す事が出来る。だけど」
「その上に座る事だけは出来ない、ですよね?」
「雪帆! 水野先輩はあなたのために、自分で決着を付けろって言ってくれてる。崩れかけてる計画を、外から攻める事だって出来るのに」
 夏目さんが立ちあがって藤村さんに視線で問いかけた。歩み寄ろうとするのを日下部先輩に止められながらも、彼女の目は藤村さんを捉えて離そうとしない。
「そんな事、出来るのは先輩だけだと思う。あなたと同じ経験をして、それで思い直した先輩だから言える事。その先輩が言ってるんだから、それなら――」
「同じ?」
 次の言葉を紡ぎかけた夏目さんの口元が引き結ばれてしまった。一方で未だ変わらない視線の先を辿ると、藤村さんは今日初めて眉間に皺を寄せ、その視線は明らかに彼女を睨みつけていた。それは目を閉じ溜息をついた時には既に過ぎ去っていたけれど、続く言葉にはまだ棘を残していた。
「これまでは、銃剣を使う人間が能力不足だっただけです。もちろん、私が『銃剣』を使っているというのは心外ですが」
「偽物の関係と偽物の青春に意味はないよ。君を見ていると本当に過去の自分のようだ。僕も自分が管理する立場のつもりでいた。世界の中心にいると思ってた。でも、それは違う。きっとそのうち後悔する」
「一度剣を抜いた以上は、息が絶えるまで、勝利を完全に手中に収めるまで――」
「剣を捨ててはならない? それじゃあんまりだ」
 夏目さんや日下部先輩、それに修一。要するに水野先輩と藤村さん以外に、明らかな焦りが見え始めた。
 ――明日から夏休みだから、藤村さんを本当に説得出来たのかどうか、僕達が知るのは一ヶ月以上先になる。今年の夏休みは楽しめそうにないな、僕にとっては最後の夏休みなのにね。
 三日、一週間、その後に二週間というのが一般的な流れ。しかし例の特進落ちの一件で、先輩には重大なハンデが課されている。
 ――僕にとっては最後の夏休みなのにね。
「それじゃ、僕が覚悟を決めてこの勝負に出たのが無駄になってしまう。それは避けないと」
 二週間の停学というのは、この学校の規則では最後通牒を意味していた。
「ねぇ、須藤くん」
 全員の視線が、その瞬間僕に集まった。
 水野先輩には借り、なのかどうかはよく分からないけれど、このまま処分を受けさせてはいけないような気持ちにさせるものは確かにある。それに、あの時から引きずっているもやもやの決着もいつかは付けなければならない、目の前の藤村さんに対して。それなら。
「僕は――」
 答えは既にその片鱗をのぞかせている。後は、僕自身がそれを引きずり出すだけだ。




大変遅くなってすみません。終わるかなぁ……不安ですが、ikakas先輩、よろしくお願いします。