バナナチップ その8(終)

 確かにベンジャミンは腹が減っていた。もう一日以上は交替で車を運転していたし、その間ずっとわがままなアシュリーとマイペースなギルバートに挟まれていたのだ。そして彼が出発する前にデリで買い込んでいた食料のほとんどは、彼が食べる前に二人の腹の中に収まっていた。
 そう、だから彼はとても疲れていたし腹が減っていたのだ。そんな状況で、誰が正確な判断を下せるのだろう? 
 ベンジャミンは真っ赤に化粧をした彼女の向こう側、完璧な形を保っている彼女の最高傑作を見つめた。その横にはご丁寧に、よく磨かれたスプーンが添えてあった。
 俺はベンジャミンで、ここは郊外の静かな町だ。ベンジャミンは状況を確認する。だかしかし、もしもここが雪山で、俺が遭難じゃだったとしたら?彼はごくりと生唾を飲み込んだ。すでにこの目の前のごちそうを食べない理由なんて、彼にはかけらも見当たらなかった。
 
 
「ここはどこなのよ……」
 冷蔵庫の中で目が覚めたアシュリーはさっさと抜け出して周りを散策していた。ギルバートはどれだけ起こしても起きなかったため、冷蔵庫の中に放置している。
 散策、とはいっても、ここがどこなのか、彼女にはよくわからなかった。というのも、車が故障してひどく不機嫌になったところまでは覚えているのだが、そこからの記憶がどうもあいまいだった。
「ベンは消えてるし……この家はなんなのかしら」
 外に出る道もわからないまま家の中をふらふらとさまよう彼女は、見るものが見ればとても怪しかったのだろうが、すでにこの家に住んでいるものは一人としていない。
 アシュリーは上に行く階段を見つけた。なにか嫌な気がする、そうは思ったが、もしかしたらベンがそこにいるかもしれない、そう思い、何かで濡れている階段を滑らないように気を付けながら上って行った。
 
 
「う……うまい!」
 ベンジャミンはつい声を上げた。ここがどこで、先ほどまで何が行われていたかなんて全く忘れているような雰囲気だ。彼は夢中になってそのうまさの限りを言葉にした。彼はうまいものはなんでも言わなければ済まない性質だった。
「このとろりと溶けるような口当たり、モツならでは濃厚な風味、どれをとっても天下一品だ!こんなうまいモツは生まれて初めて食べたよ……。そしてこの付け合わせのように添えられてるバナナチップス、これがまた格段にうまい!カリッと揚げられているがバナナ本来のうまみは損なっていないんだ。そしてなにより、この嗅いだことがないような素晴らしいスパイス。これはなんだろう?これが食べる人の食欲をさらに煽っているのか……。ううーん、うまい!こんなうまいものは食べたことがない!」
 彼は言いながらも食べ続けた。口のまわりや服に彼女の血がついても彼はまったく気にしない。
 そんなベンジャミンを見ている人がいた。アシュリーだ。彼女は真っ赤に染め上げられた部屋の隅っこで何かをしているベンジャミンを見つけ、こわごわ声をかけた。
「な、何をしているの、ベン」
「やあアシュリー、おはよう!こんなときに出くわすなんて偶然だね!そうだ、君も食べるかい?この新鮮なモツの刺身〜バナナチップを添えて〜……」
 ぐるりとこちらを見た彼の口元は真っ赤に染まっていた。彼は先程まで抱え込むようにして食べていた皿を見せ、彼女にスプーンを差し出す。
 口の周りを真っ赤にして微笑むベンジャミンは恐ろしい。しかし、それよりも恐ろしいものをアシュリーは見てしまった。ベンジャミンの向こうに見える、どこか見覚えがあるような少女の死に顔を。彼女の口元で矯正器具がきらりと輝いた。
「い、いやああああああああああ」 
 彼女の叫び声が家中に響き渡った。
「や、やだやめて!よらないでよ化け物!」
 そのまま一口に取り分けられたモツがのっているスプーンは手ではじかれて床に落ちた。ベンジャミンは悲しそうに眉根を寄せる。そう、おいしいものを無碍にされるのはとても悲しいことだ。
「なんてもったいないことを……。そうか、君はこんなにおいしいものを食べないのか……」
 
 
「どうしたんだ、アシュリー!」
 あのアシュリーの悲鳴で目が覚めたギルバートは、そのまま急いで悲鳴のほうへ駆けつけたのだ。その部屋には、無傷のベンジャミンと息絶えたルーシー、そして動かないアシュリーだった。
「ああベン、お前か……どうしたんだ?」
 そういえば、ベンジャミンは思った。俺はさっきこの少女のモツを食べた。若い雌のモツだ。しかしまだ人間の雄のモツは食べたことがない。彼の中でむくむくと疑問が持ち上がった。その味はどう違うのだろうか?
「アシュリーは無事なのか!?」
「ああ、アシュリーは死体を見て気絶してしまってね。……そうだ、ギル、彼女を向こうの部屋に移動させてくれないか?」
「そうか、よかった……よしわかった、任せろ」
 ギルバートはなにも不思議に思うことはなく、ベンジャミンに背を向けて移動させようとアシュリーを担いだ。
「……そういえばベン」
「なんだい?ギル」
「ルーシーは誰が殺したん……」
 鈍い音が聞こえ、最後まで言わないうちにギルバートは崩れ落ちた。担がれていたアシュリーは血だまりの中に投げ出される。
 あとには薄く笑ったベンジャミンだけが残った。
 
 
 ここは北米大陸でもっとも長閑なところだと、住民の誰もが思っていた。そんな平和な田舎町に立つ小さなお菓子屋さん『Banana Chips』では、今日もある茶番が行われていた。
「ルーシー、君はなんて素敵なんだ!君がいなければあんなにおいしいモツは食べることはできなかった!」
 ベンジャミンは一緒にここへ来た友人たち、それからここに迷い込んできた旅人の味を思い浮かべながら上機嫌で仰いだ。
「ああ、そうだね、今日も店を開ける準備をしなきゃいけないんだった」
 ベンジャミンはしぶしぶといった形で動き出した。まるで隣にいる誰かから小言を言われたかのように。
「そう言うなって。もう一緒に暮らして何年になる?」
「はは!そうだな、もうそういう年だよなあ……」
「え?そんなことあるわけない、だってルーシー、君はとっても魅力的な女性だ」
 明るく笑う彼には、ルーシーの照れたようにはにかむ顔がきちんと見えていた。やはりルーシーは可愛い、そうバカップルのようなことを思う。ルーシーの口元には数年前と同じように矯正器具がきらめいていた。
 このルーシーがなんなのか、ベンジャミンにはよくわかっていない。幽霊か、それとも幻覚か。とりあえず自分に襲い掛かってくることはないし、お菓子作りのイロハは全て彼女が教えてくれた。そしてなにより自分の一挙一動にかわいい反応を返す彼女である。否定をする理由はないに等しかった。
 ベンジャミンは大きく伸びをして、今日はいったい誰が来るのだろうか、と楽しみに思った。
「さて、今日も元気に頑張ろう」
 
 今日も『Banana Chips』は店を開ける。

(担当:斉藤羊)