ななそじあまりむつ その1

 
  *      *
 
 昔々、あるところに、ミヨという名の年ごろの娘がいた。この物語が語られる時点からどれほど昔の出来事なのか、そこで生きているミヨには知る由もない。当然のことだ。しかし、こちらは当然でないことに、あるところとはどこなのか――自分がどこにいるのかもミヨには分からなかった。たった今目覚めたミヨには。
 上体を起こしてぐるりと辺りを見回すと、そこは深い森の中であった。
 これまでに幾度となく草を束ねて仮の枕としてきたミヨだが、今はいつもと様子が違っていた。自分が寝ていたのが見覚えのない真新しい茣蓙の上であることに気づく。行李がどこにも見当たらない。草履もない。ふと嫌な予感が頭をよぎったが、幸いなことに装束は乱れていなかった。
 ミヨは昨晩――丸一日以上眠っていなければの話だが――に何があったかを思い出そうとする。日が暮れようかというころ、小さな村を訪れたのだった。鄙びた村であったが、外の人間に排他的というわけでもなく、不意の訪問者であるミヨに冷たい目を向けることはなかった。むしろ歓待してくれた。
 宴席には村じゅうのひとびとが集まっていたようだったが、老人や年端のいかない子どもばかりで、若者はほとんど見なかった。同い年か一つ二つ年下くらいの少年がひとりいたくらいだ。細面の、なまっちろい肌をした少年だった。少年はミヨにしきりに旅の話をせがんだ。また、聞かせてくれたお礼とばかりに酒を勧めた。変わった味のする酒だった。
 もしやあの酒に、とミヨが考えを巡らせたそのときである。
「あなたは贄ですか」
 声がして、そしてそこにいた。
 瞬きもしていないのに、いつの間にかミヨの目の前に男が立っていたのだ。長い髪をうしろで一つにまとめた、上背のある男。身に纏っている着物は、ミヨがこれまでに見てきた何よりも白く、そこだけ森が切り取られたようだった。
 思わず叫びそうになったミヨは口元を抑えた。徒に刺激してはならない。長旅によって培われた直感がそう囁いている。一方で、それではまるで獣を相手にしているようではないか、と自身への冷淡な眼差しがある。否、まるで獣を相手にしているよう、ではない。自分が相対しているのは、まさしくそういうたぐいのものなのだ。
 これは人間ではない。
 ミヨは悟った。同時に村人たちの謀に気づいた。
「あなたは贄ですか」
 と白装束の男は無表情で繰り返す。意味は分かるが機微の伝わらない、どこか奇妙な口調だった。
「……いえ、わたしは旅の者です」ミヨは男に向かって正座し、茣蓙の上に両手をついた。「あなたさまのよく知る村の人間ではありません。村のひとびとに騙され、この森へ連れてこられたのです」
「あなたは贄ではないと言うのですか」
 男の表情に陰りが生じた。
「はい。ご無礼を承知で申し上げますが、わたしはあなたさまのことを今日まで寡聞にして存じ上げませんでした。いいえ、今このときでさえ、あなたさまがどのようなおかたなのか分かっておりません。あなたさまのことを碌に知りもしない小娘が、果たしてあなたさまの贄でありましょうか」
 ミヨはさらに畳みかける。かえって白装束の男――おそらく村人の信仰する神か、神に近しい何がしかだろう――の怒りを買うおそれもあるが、命がかかっているのだから躊躇ってはいられない。無駄な抵抗かもしれない。事情を打ち明けたところでそのまま食われるのが落ちかもしれない。それでも、わずかでも光明が見出せるのならばその方角に進みたい。その結果、自分を騙した村の行く末がどうなろうとも、ミヨの知るところではない。
「ふむ」
 男は考え込むように唸る。
「彼らは私に贄を捧げます。私は彼らに釣り合いを約束します。それは私たちにとって十二年に一度の大切な習慣の環です。それが失われることは、私たちに悲しみをもたらします……」
「しかしわたしは、本来ならばその環の外にいる人間なのです!」
「自分は違う、自分は関係ない、自分には贄になる謂れがない……、そのような命乞いをする贄の姿を、私は何度も見てきました」
「そ、そん――」
「あなたも、ななそじあまりむつの謎かけに挑みなさい」
 ミヨの台詞を遮るようにして、男が言った。
 あたかも、初めからそうすることが決まっていたかのように。
 
 あなたは私が何であるのか知らないと言う。
 では、私の正体を――私が何の化身であるかを当ててみなさい。
 当てられないまま七十六日目になったならば、あなたを取って食おう。
 七十五日以内に正しく言い当てたならば、あなたを嫁にとってやろう。
 謎かけのあいだ、私はあなたをここから逃がしはしないだろう。
 しかし、その他の望みであれば、おおむね快く叶えてあげよう。
 
「人の噂も七十五日。七十六日目からは神の仕業――それはななそじあまりむつの謎かけです」
 そう言って、白装束の男はくるりと後ろを向き、そのまま縁側に上がって室内に消えた。そこには当たり前のように家屋があり、ミヨはその中庭にいた。森の中に立派な屋敷ができていた。
 その場に残されたミヨは、唐突に告げられた難題をなんとか飲み込もうとする。
 神に食われるか、神の嫁となるか。
「どっちも嫌だ……」
 
  *      *
 
 それからの三日間で、ミヨは多くのことを実地によって学んだ。
 深い森の中でありながら、衣食住において困ることはほとんどなかった。ミヨには屋敷の一室が与えられ、充分な量の食べ物を与えられ、日ごとに新しい衣服が与えられた。さらに欲しいと言えば、大抵のものは手に入れることができた。
 だからといって、この何不自由ない暮らしに流されてはならない。
 このまま七十六日目になれば、ミヨは男に食われてしまうのだから。
 ななそじあまりむつの謎かけ――その答え合わせは、朝晩の食後に行われた。食事どきだけは男と一つ屋根の下、同じ座敷にいることを強いられた。ミヨにとっては意外なことに、ななそじあまりむつの謎かけは根拠なしの当てずっぽうで答えてよく、そのうえ何度でも答えなおしができるのであった。
 たとえば、一日目の夜はこのようであった。
「あなたさまは子の化身ですね」
「いいえ」
「あなたさまは丑の化身ですね」
「いいえ」
「あなたさまは寅の化身ですね」
「いいえ」
「あなたさまは卯の化身ですね」
「いいえ」
「あなたさまは辰の化身ですね」
「いいえ」
「あなたさまは巳の化身ですね」
「いいえ」
「あなたさまは午の化身ですね」
「いいえ」
「あなたさまは未の化身ですね」
「いいえ」
「あなたさまは申の化身ですね」
「いいえ」
「あなたさまは酉の化身ですね」
「いいえ」
「あなたさまは戌の化身ですね」
「いいえ」
「あなたさまは亥の化身ですね」
「いいえ」
「あなたさまは――」
「食後の用事のために、わたしはもうあなたに付き合うことができません」
 そう言われて、答え合わせは打ち切られる。
 一日に回答できるのは二十前後といったところで、四日目の朝までで七十種以上の動物の名を思いつくままに挙げたものだったが、そのどれもが外れであった。
 白装束の男は何の化身なのか。
 動物とも植物とも、もしかしたら鉱物とも限らない。
 選択肢は無数にある。
 ミヨの頭を悩ませるのは、ななそじあまりむつの謎かけだけではない。脱出の手立ても考えなければならなかった。むしろそちらの方が重要と言えるだろう。謎かけに解かなければ確実に男に食われてしまう末路となるのだが、見事謎かけを解いて男に娶られるというのも――さすがに死んだほうがましとまでは思わないにしろ――真っ平御免なのだから。
 解こうが解くまいが自分の望まない事態に陥るのならば、いっそのこと謎かけなど放っておき、ひたすら逃亡手段を探すのが良いのではないか――そのような考えもミヨの脳裏に浮かんだが、一日目の夜中に却下された。謎かけをいい加減に扱えば、男に機嫌を損ねられ、警戒を強められるかもしれない。また、男の正体を言い当てて、殺される心配がなくなってから頃合いを見計らって逃げるという手もある。ミヨは脱出の手立てを考えつつ、謎かけを解くことにも注力しなければならなかった。
 そういうわけで――四日目の朝。
 いつものように「食後の用事のために、わたしはもうあなたに付き合うことができません」と言って座敷を去ろうとする男をミヨは引きとめ、こう訴えた。
本草書が読みたいのです」
 本草書。
 中国における、薬物についての学問を本草学という。本草書とは本草学に関する知識をまとめた書物である。ただし、本草学は日本では博物学として拡張されたため、日本の本草書は薬用にかぎらず、さまざまな植物・動物・鉱物にまつわる事柄が集約されている。現代で言うところの植物・動物・鉱物図鑑だ。
 ミヨが本草書をねだったのには二つの理由がある。一つは、そろそろ動物の名を挙げるのにも限界がきていたから。もう一つは、衣類や食事、それに屋敷と、様々なものをどこからともなく取り出してみせるあの白装束の男でも、本草書のような学者――つまり、特定の個人――でなければ著すことのできないものならばあるいは、という思いがあったからだ。
 本草書の入手のために、わずかのあいだでも男がこの森から離れてくれれば。
 そうなれば、脱出の糸口が掴めるかもしれない。
「あなたも字が読めるのですか」男は驚いた顔をしたが、すぐに無表情に戻った。「どうぞ」
 両手に余るほどの書物を渡されたミヨは、遠ざかる男の後姿に何も言うことができなかった。なんとなくもう一度男を呼びとめたい衝動に駆られたが、特に呼びとめる用事もなかったし、男の名前も知らないので咄嗟に声が出なかった。
 仕方なくミヨは、今や日課となった森の散策に出かけることにした。
 昨日履いていたものとは異なるおろしたての草履で屋敷を出る。朝晩の食事どきの決まりごとさえ守っていれば、ミヨは屋敷の内外をいつでもどこでも自由に散策することができた。いつまででもどこまででも、とはいかないが。
 森の散策にも、謎かけの手がかり集めと脱出の糸口探し、二つの目的があった。一日目は獣道のような跡を辿って東に向かい、途中で目が覚めるような美しい湖を発見したものの、そのまま進んでいくうちに行き止まりにぶち当たった。二日目は西に向かい、途中で南北に流れる小川を発見したものの、またも行き止まりにぶち当たった。三日目は二日目に見つけた小川を伝って南に向かい、やがて行き止まりにぶち当たった。
 四日目の今日は、逆に川の上流である北へと向かった。
 当然ながら往路は上り道となった。傾斜は緩く、どうやらこの森は山のふもとあたりにあるようだと推察できた。ミヨは村との位置関係を把握しようとして断念し、森の生態系の幅広さを思い描いて頭を抱えた。
「あの男、すくなくとも海の生き物の化身ではなさそう……いたっ」
 太陽が真上に昇るころ、ミヨはとうとう北の行き止まりにぶち当たった。右手を前にかざして気を遣ってはいたが、歩く速度がやや速かったようだ。
 行き止まりと言っても、崖になっていたり岩壁に囲まれていたりするのではない。
 目の前には何もない。
 何もないはずなのに、右手はそれ以上前に動かない。透明の壁があるかのごとく、そこから先へは進めないのだった。ミヨだけではない。木々から落ちる葉っぱすらも、ある面を境にして、何かにぶつかって跳ね返ったかのような奇妙な軌跡を描くのだ。
 これもまた、あの男の力によるものなのだろう。何もないところから何かを取り出すことができるのと同様に、何もないところを何もないままに――何もそこに存在できないように――することもできるのだろう。結界を張ることができるのだろう。そう考えるミヨは、来た道を引き返そうとして、そこで初めてその蔵の存在に気づいた。
 川を跨いでさらに西のほうに、古びた小さな蔵があった。
「あれは……?」
 不意に現れたように感じたのも男の力によるものか。一瞬そのように断じかけたが、単に自分が見逃していただけか、と思い直した。
 ミヨは蔵に近づいていった。緩やかに流れる川へと脚を踏み入れる際に膝まで濡れる羽目になったが、二日目に経験済みであったため、さして気にならなかった。二十歩も歩けば越えられる。
 川を越え、さらに蔵へと近づく。
 ミヨの背丈の倍あるかないかの、本当に小さな蔵だ。
 なんだか玩具みたいで可愛らしいなと思いつつ、ミヨは蔵の戸に手をかけようとする。
「――触れるな!」
 戸に手がかかる直前、ミヨは手首を掴まれ捻り上げられた。いつの間にか、ミヨと蔵との間に白装束の男が立ちはだかっていた。
「わたしはあなたがこれに近づくことを許さない」
 男はミヨの見たことのない顔をしていた。両目はぎろりとミヨの戸惑う顔を捉え、その上の細い眉は右と左で全然違う形に歪んでいる。すっと筋のとおった鼻はぴくぴくと引き攣ったように動いており、抑えることができないようだ。剥き出しの歯がはっきりと見えたが、獣の牙か植物の棘のように尖っている。顔色が一切変わっていないのがかえって病的だ。
 そう、男は激おこであった。
 
(17+1)
 
 
 
 
新しいリレー小説です。
今年は3チームに分かれて行うとのことです。
3チームとも、どうぞよろしくお願いいたします。
(2014/08/06追伸:リレー参加者に許可を取り、一部加筆修正しました)