何も無かったらかかないでね! その4

 四月の最終水曜日。ようやく僕は藤村さんの姿を見ることができた。舞台の上の彼女を見上げるという構図は入学式のときと似ている。彼女の視線は演台に立つ二年生へ向いていて、当たり前だけど僕のことなんて見ていない。
 立会演説会があることは、先週修一から初めて聞いた。修一は高校でも選挙管理委員会に入ったのだ。仕事が少ないわりに教師ウケが良いのだという。どうやら大学受験は推薦を狙っているらしい。対する僕は、委員会どころか部活にも所属していない。中学と同じ美術部はどうしても避けたかったし、他の部活にも興味が沸かなかった。
 先週のやりとりを思い出す。水曜五限は現国だと勘違いしていた僕に、修一は「年間予定表、だいぶ前にもらっただろ」と呆れていた。
「立会演説会って、生徒会の」
「そう」
「立候補者なんていつの間に決まったんだ?」
「いや、正式な公示は来週月曜だし、俺もまだ知らん。……ぶっちゃけ、選挙前から誰がどの役職になるかある程度決まってるっぽいけど」
「え、それって」
「あぁ。特進クラスだ」修一はうんざりしたような顔だった。「例年、生徒会長から会計まで二年一組と一年一組で埋まるんだとよ。ふざけてるよな」
 このとき僕は、藤村さんが立候補してるかも、と思った。
 なんとなく思っただけだったけど、それは的中した。月曜日、掲示板に貼り出された役職と候補者名。それらはあまりに衝撃的なもので——
 僕の回想が終了するのとほぼ同時に演説も終わり、二年生が着席する。選挙管理委員のアナウンスに従って別の女子が立ち上がる。飴色がかった茶髪に日焼けした肌。中央館の入り口で僕を睨んだあの吊り目。
「一年一組、瀬々重祢です。私は一年一組の藤村雪帆さんを生徒会長に推薦します」
 セゼカサネ。今更になって彼女のフルネームを把握するが、本当に重要なのはその後の言葉。
 生徒会長。
 藤村さんは、二年生を差し置いてその地位に君臨しようとしているのだ。
 瀬々さんの応援演説は全然頭に入らない。いや、他の人の演説も記憶に残っていない。藤村さんが遠い存在になっている。僕の知らない人になっている。その事実をただ噛みしめていた。変わりたいと思っている自分が、変わらないでと願うのは、わがままだろうか。僕には分からない。
 そして僕は、もうひとつの衝撃の原因となった人物のほうを見やる。
 彼女もまた舞台の上にいる。
 パイプ椅子に座って自身の両膝を見つめている彼女は、夏目さんだ。
 夏目さんは書記に立候補していた。十五分ほど前に演説を終えたところだ。おいおい一体何がどうなっているんだと叫びだしたい気分だけど、今度ばかりは隣の女子も答えてくれないだろう。


 夏目有紗もまた、舞台の上から叫びだしたい気分だった。須藤健吾とは違って、何がどうなっているかすこしは理解しているつもりであったが。
 ここ数週間、有紗は藤村雪帆に接触しようと試みつづけてきた。もう一度、二人きりで話したかったから。彼女の真意を確かめたかったから。母親から従妹の彼女も同じ高校に入学すると聞いたときには、驚きとともに純粋な喜びがやってきたものだ——自分がこの高校へ進路変更した理由も一瞬忘れてしまうほどに。だからこそ、今の有紗は知りたかった。雪帆がこの高校に来た理由を。屋上で交わした会話の意味を。
 しかしメールや電話は一切届かず繋がらず、登下校時は瀬々重祢がずっとくっついていて、それならばと中央館に無理やり踏み込んでみたらすぐに一年一組の男子生徒に追い返された。その男子も重祢の息がかかっているようだった。
 中央館に立ち入る口実を作る。
 それだけのために有紗は生徒会書記に立候補した。
 というのも、生徒会室は中央館にあるのだ。これまで生徒会役員はみな特進クラスの生徒で構成されていたのだから当然のことである。一応生徒会則では二組以降にも被選挙権が与えられているとはいえ、その通例を覆すために有紗がどれほど手を尽くしたことか。渋る担任をなんとか説得して用紙をもらい、中学からの友人に応援演説を頼みこみ、そうして現在この舞台に上っている。
 有紗は俯いたまま溜息をついた。
 重祢の応援演説が終わる。友人として雪帆を賛美する、存外まともな演説だった。
 雪帆が生徒会長に立候補していたことは、有紗の予想を完全に超えていた。立候補するとしてもせいぜい会計か書記だろうと思っていた。もし書記が被ればあっちから接触してくるかもしれない、そんなことまで考えていた。
 どうして生徒会長に? これが『見てて』ほしかったこと?
 そう叫びたいところを、なんとか押しとどめる。
「……今は何も考えなくていい。書記にさえなれれば」
 代わりに誰にも聞こえないように有紗は呟いた。特にふたつ隣の林とかいう男子には聞こえないように。書記の対立候補にして、有紗を中央館から追いやった張本人。まずは彼に選挙で勝たねばならない。
 顔を上げると、何故か須藤健吾と目が合った。慌てて逸らす。


 藤村雪帆は誰とも目を合わせず、演台から体育館全体を漠然と眺めた。立会演説会最後の演説を打つ前に一呼吸。
 名実ともに、ここにいる全校生徒の頂点に立つ。
 そして、規則の上をゆく超法規的な存在になる。
 それが彼女の目的、その第一段階だった。
「みなさんこんにちは。私が藤村雪帆です」
 声量は抑えめに。
 雪帆は暗記した原稿をすらすらと淀みなく読み上げるが、頭の中で考えているのは別のことだ。須藤健吾のこと。夏目有紗のこと。瀬々重祢のこと。これまでの演説と、これからのこと。
「今回私が生徒会長に立候補した理由は、ひとえにみなさんの学生生活をよりよく——」
 会計。一年一組の鮎川。整った容姿に反して、ずいぶんとイイ性格をしている。入学式で「うげ、うじゃうじゃ気分悪い」と言っていたときの彼の目は、雪帆のそれより深い闇となっていた。だから雪帆は彼を気に入った。
「——と瀬々さんは言ってくれましたが、私は、そこまで自分を特別な人間だとは——」
 書記。一年二組の夏目。有紗ちゃん。彼女が立候補したことは雪帆にとって好都合だった。むしろそのために雪帆は、あえて今までつれない態度をとってきたのだ。間近で見ていてもらう存在として、有紗は雪帆に誘導された。
 可哀想だけど林くんには辞退してもらおう——あいつ馴れ馴れしいし、重祢に嫌われてるし、なのにその自覚ないし、そもそも最初から数合わせだったし。そんなことを雪帆は思う。
「——この高校は、私たちの手でもっと素晴らしいものになる、そう思いませんか——」
 副会長。二年一組の日下部。昨年度の前期・後期で生徒会書記を務めていた。彼女とは既に話がついている。他の二年生とも交渉済みなので、書記以外はみな信任投票である。
 重祢を副会長に据えるという案もあるにはあったが、彼女に役職は必要なかった。彼女の父親が高校に大量の資金を援助していること、それだけで校長をも掌握することができた。
「——それでは最後に、何か質問はありませんか?」
 会長。一年一組、藤村雪帆。
 すべては彼女の思惑通り。
「何も無ければ、書いてください。藤村雪帆の欄にマルを」
 どうか清き一票をよろしくお願いします——その定型文で演説は締めくくられた。


(担当:17+1)




【一年二組】
須藤健吾・田所修一・夏目有紗
【一年一組(特進クラス)】
藤村雪帆・瀬々重祢・鮎川くん・林くん
【二年一組(特進クラス)】
日下部さん(日下部先輩)


『僕』視点→三人の視点→『僕』視点ときたので、三人の視点で書いてみました。
苗字つきの脇役増やしたり、美術部・書記・投票用紙など『かく』関連のものを適当にちりばめたり、そのくせタイトルと真逆の台詞を言わせてみたり、好き放題やりました。
次は苗之季雨さんです。わりと順調に進んでいるので、ゆっくりのびのびと好き放題書いてください。