何も無かったらかかないでね! その8

 すぅ、と息を吸い込み、可能な限りはきはきとした声で話し出す。
「みなさん、こんにちは。新生徒会長を務めさせて頂くことになりました、藤村雪帆です──」


 全校生徒980人、全教員54名が私の足元でじっと黙り込み、一人、私だけがこの体育館に声を響かせている。これが生徒会長と言うものか。明朗にはっきりと喋ろうと意識してスピーチを練習してきたが、今この場、このステージの上に私がいるという事実が気分を高揚させ、自然と声は弾んでしまう。
「信任投票という形で、みなさんが私に与えてくださったこの役目を、責任を持って全うしたいと思います」
 役目、という言葉を少しだけ強く発音したが、気づいた者は事情を知るごく一部の人間だけだろう。ここまでは当たり障りのないことしか言っていないのだから。
 事実、全校生徒のうち過半数はこちらを見てすらいない。連休明けで気分が沈んでいる生徒もいるだろうが、それ以上に生徒会などへの興味が薄いのだろう。誰がなったところで自分には関係なし、部活あるいは趣味、友達関係や恋愛、──時には勉学、そういった『学生の本分』に生徒会は大した影響を及ぼさない。そう思っているのだろう。
 なるほどその通りだ。これまでは、確かに。
 しかし。
 全ての生徒会役員が教師受けや肩書きだけを狙って立候補すると思ったら大間違いだということを、これから彼らは知ることになる。
「と、ここまでが私の抱負です。それでは、私が生徒会長として最初にする……いえ、最初にした仕事についてお話します」
 生徒達の興味を引くため、少し間を空ける。
 体育館の床、特進クラスに宛がわれた最前列の座席に腰掛ける重祢と視線を交わす。彼女はにこりと微笑み、私に続きを促した。
 そして私は高らかに宣言する。
「この学校の、生徒会役員選挙を廃止します」
 生徒達の間にどよめきが広がったが、私は構わずにスピーチを続ける。
「皆さん、今回の役員選挙をどうご覧になりましたか? 書記を除き、どの役職も信任投票でした。その書記すら、候補の一人は開票終了前に辞退しています。私は去年この学校にはいませんでしたが、前の選挙もその前の選挙も、ほとんどの役職が信任投票であったと聞いています。ではこの信任投票ですが、果たして必要だったのでしょうか。信任投票の平均得票率は99.1%、無効票が0.4%でした。バツを書いた生徒は十人にも満たないのです。この数人のために、貴重な勉学の時間を数時間も割いてまで選挙を行う必要があると言えますか? たとえ選挙を行ったとして、無記名の投票用紙に書かれたバツ印には何の意味があるのでしょうか。少数派の意見を尊重してほしければ、結果の見えている信任投票などではなく、既にある生徒会用意見箱を利用するべきです」
 多くの生徒が私の話に聞き入っている。といっても、その反応は特進クラスとそれ以外のクラスで随分差があった。当然といえば当然だ。特進クラスには予めこの選挙廃止についてそれとなく噂を流しておいた。
「生徒会役員の任期は半年、これは変えません。後続の役員は現職からの指名制にします。新規に生徒会へ加わりたいという生徒は、直接生徒会室を訪れてください。当然、選挙管理委員会も廃止します」
 壇下で水野先輩が顔をしかめる。……選挙管理委員会の中でも、彼だけは注意しておかなければならない。彼は教師受けとか興味本位とか、そういう理由で選挙管理委員会のトップに居座っているわけではないからだ。彼と生徒会との間にあった軋轢に関しては聞き及んでいるが、しかし現状彼は何の権限も持たない一生徒へと成り下がったわけだ。すぐに何らかの行動を起こすことは出来ないはず。
「以上が私の生徒会での最初の仕事です。ご清聴ありがとうございました。皆さん、清く正しい高校生活を共に楽しみましょう」
 私はわざとあっさり引き下がる。あれこれ言葉を尽くして自らの仕事の正当性を主張しても仕方ない。生徒達も、私の行動がこれまでの生徒会長と違ったから興味を抱いているだけで、選挙の有無などにはさして関心を持たないはずだ。また、そうでなければ困る。この選挙廃止の本当の意味に気づいている者はまだ数名だろうが、今ここで下手に騒がれるわけには行かない。
 しかし学校の行事を一つ潰すとなると、生徒会ごときにおいそれとできるものかと考える生徒が大半だろう。だが抜かりはない。
 私の後を継いで演壇に立った校長は、静かにしてください、とざわつく生徒を注意してから話し出す。
「えー、本年度の生徒会役員の皆さんは、大変やる気に満ちていて、私としても、生徒の自主性を尊重する立場から、えー……」
 もったいぶった話し方だが、要するに生徒会の提案を受け入れる、というような趣旨の事を校長は述べた。生徒達の間にも、まぁ仕方がないか、そんなに俺達関係ないし、というような空気が広がっていく。
 教師陣に予め話が通っていることは私のスピーチの中でも示唆したが、恐らく生徒たちはそれがいかに難しいことかわかっていないだろう。校長などは私がこの学校へ入学する前から重祢を通じて根回しをしてきたし、時には反対する教師に圧力をかけてもらうこともあった。だがそんな力技ばかりではこの話は通らない。長い間まかり通ってきた慣例を打ち砕くには、ある程度教師達に納得の行く状況を作らなければならなかったのだ。
 副会長の日下部先輩は前期、前々期と生徒会役員に名を連ねており、その一年間の有能な仕事ぶりを以って教員たちの厚い信頼を得ているという理想的な人員だ。そして何より、前生徒会の中で最も私の計画に賛同してくれている。詳しくは知らないが、昔それ関係で嫌な思い出でもあったのだろう。
 会計の鮎川は一年生だが、優男然とした見かけとは裏腹に彼は中学時代アーチェリーで全国大会へ進出しており、この学校へも潤沢な資金に支えられた運動設備を求めて入学したという生粋のスポーツマンだ。成績もよく部活でも活躍できるというある意味理想的な男子高校生が役員に名を連ねることで、生徒会のイメージを明るいものにしてくれる。
 そして最も大事なのは、書記の彼女だ。
 私はちらりとステージの端に座る従姉に目をやった。夏目有紗。一般クラスの彼女は私達特進クラスの役員にとって、この生徒会が特進クラスの一部の生徒による専制支配組織であると思わせない──いや、見抜かれないためにどうしても必要だった。
 有紗は私の視線に気づき、戸惑いの表情を浮かべてこちらを見返して来る。私は微笑を返した。この反応だ。この反応が見たくて、彼女には敢えて何も伝えていない。
 私の足元でうずくまる有象無象の生徒達の中から、彼の姿を探し出す。一般クラス、一年二組の前から八番目──須藤健吾は何も考えていないような顔で校長の話を聞き流していた。私がスピーチしている間はこちらの顔をじっと見ていたというのに、もう興味は薄れたか。まぁそれも仕方がないかもしれない。彼にとって私は、小学校の最後に勇気を振り絞って告白し見事その淡い恋心を打ち砕いた、たったそれだけの存在なのだ。きっと、話しかけられるのなら話してみたいけど、普通に接することが出来るかどうかやや不安、でも告白って言ったって随分昔のことだし、そういうのは水に流して幼馴染として仲良く出来たらいいな……。彼は私のことを、その程度にしか考えていないだろう。私がこの学校へ入学し、あの日あの教室の窓に彼の顔を見たとき、どれだけ私が衝撃を受けたか。彼は知る由もないのだろう。
 私がわざわざ引っ越してまでこの学校を志望し、入学の一年以上前から校長を始めとする教師陣と接触しながら根回しを進め、今回の選挙廃止とその後の計画の下準備を進めてきたその原因が、あの告白にあったことなど、彼は想像だにしていないはずだ。



 夕暮れに包まれた住宅街の一角、閑散とした小さな神社の隣に、ブランコとシーソーしかない小さな公園があった。時季は秋の終わり。日が傾くと急激に風が冷たくなり、遊んでいた小さな子とその母親たちはそれぞれの家へと帰っていった。
 その公園の片隅、ブランコの周囲の手すりに二人の少女が腰掛けていた。
「私、決めたわ」
 掠れた声でそう言う少女は、つい最近までお下げに結っていた跡の残る長い髪を手で梳いた。
「高校に入ったら、もうこんなこと繰り返さない。重祢ちゃん、お願い。協力して」
 彼女の隣に座る、やや吊り目の少女は不安げに言葉を返す。
「雪帆ちゃん……無理、しないでいいんだよ? 確かに、あの学校ならお父さんの力で色々と都合できるけど、でもそんな……」
 雪帆はうつむいて首を振った。その目は赤く、つい先ほどまで流していた涙の跡が目じりに残っていた。
「私ね、今回のことでわかったの。みんなちょっとずつ無理をしてるんだって。無理をして、虚勢を張って、そうしてどうにかこうにか学生生活を楽しもうとしてるんだって。でもね、それは管理されていないから、皆が皆好き勝手に動いてるだけだから、やっぱり誰かがその皺寄せを食う羽目になるんだよ。私みたいに」
 あ、でも、と雪帆は重祢の顔を見た。
「今の学校に不満があるわけじゃないよ。ここに来なかったら重祢ちゃんにも会えなかったし……でも、もう決めた。私、高校で全部やり直すんだ。このままこの学校で高校に上がって、じっと時間が過ぎるのを待っててもいいけど、それは……面白くない。誰の意思でもない、他人が勝手に動いた結果で運悪く傷つく可能性がここには……いえ、普通の学校にはある。だから──」
 雪帆は立ち上がり、数歩歩いてから重祢を振り返った。そして涙の跡の残る顔で重祢に微笑みかける。
「私は、管理する側に回ることにする」



 任命式の翌日、生徒会の役員は生徒会室に集まり、最初の会合を開いていた。といっても、この四人が選出されていたことは半ば決まっていたことだし、どうも会長・雪帆は私以外の二人──副会長の日下部先輩や会計の鮎川君と面識があるらしい。当然といえば当然だ。私以外の三人は特進クラスだし、そう、私だけが部外者、といえなくもない。
 実際、生徒会室に行くために中央館へ入るのは少し抵抗があった。北館とは空気がまるで違う。内装が真新しくて綺麗なのは勿論、それ以上に生徒たちの雰囲気が違う。皆私のことを珍しいものでも見るかのように凝視してくる。中央館では一般の生徒は珍しい、というのは間違っていないだろうけど、何よりも私が生徒会役員だから、俄然興味が沸いて当然だ。
 何しろ昨日、任命式で会長があれだけ派手なことをやったんだ。ただでさえ生徒会への関心は高まっている。今朝登校したら、あの後すぐ職員会議が開かれたのかあるいは最初から全てが決まっていたのか、先生から生徒会選挙廃止について書かれたプリントが配られた。プリントの内容は昨日雪帆が述べたことと大差ない。彼女は本当に学校の行事を一つ潰してしまったのだ。
 ここまで来れば私でも気づく。雪帆はただ無駄だからと言う理由で選挙を廃止したのではない。彼女は、生徒会に居座るつもりなのだ。今年一年間か、あるいは来年も。選挙で役員が変わらないのだから、役員の降板は役員自身が決めることになる。彼女が生徒会を退いたとしても、彼女の言葉に従う後任を選べばいい。要するに彼女はこの学校における権力を手に入れたのだ。この強引なやり口によって。
 そんな権力、一体何のために──。
 はぁ、とため息をつくと、対面に座る雪帆が私の顔を覗き込んだ。
「どうしたの? 有紗
「え? あ、いや、ちょっと緊張しちゃって」
「そりゃ緊張もするよなぁ。一般クラスの生徒が中央館、それも一番奥にある生徒会室まで一人で来るってなったら、普通は肝試しのレベルだもんな」
 背もたれに寄りかかって座る鮎川君がへらっとした声でそう言った。さっき全員で通り一遍の自己紹介をしたときも感じたけど、彼は人が言いにくいこともふざけた調子でずばっと言ってしまうタイプの人らしい。
有紗には早く慣れてもらわないと。それに、私は一般も特進も特に区別する気はないわ」
「帳面の上では同じ一人の人間ということですか、会長」
 副会長の日下部先輩がそう言った。眼鏡をかけたいかにも有能そうな、でも優しくて感じの良さそうな先輩だけど、後輩相手にも丁寧語で話す主義のようだ。
「そういうことです。さて、それじゃぁ……」
 雪帆は私達の顔をゆっくりと見回し、ふふ、と小さく微笑んだ。
「この中で話をしていないのは有紗だけだから、あなたに私の考えていることを説明する形で進めるわね」
「え?」
 話をしていない? 何の?
 鮎川君も日下部先輩も、雪帆の言葉に疑問を持つことなく私のほうへ視線を向けている。私以外にはもう話がついている、ということ……?
有紗、まずこれを」
 雪帆は私に一枚のプリントを差し出した。プリントの頭には生徒会アンケートと書かれてあり、記名欄の下にいくつか質問項目が並んでいる。
「ええと、……『あなたが友達だと思っている生徒の名前』、『親友と呼べる生徒の名前』……? 何、これ……『嫌いな生徒の名前』、『付き合っている生徒の名前』……って……」
 アンケートの最後にはやたらとポップな自体で「何も書くことがなかったら書かないでね!」と謎の注釈が書かれている。
 雪帆は私の反応を楽しむかのようにこちらをじっと見つめ、頷いた。
「まずそれを全ての生徒に書かせるの。そして生徒会以外の目には絶対に触れないように回収し、データをパソコンに入力する。勿論アンケートに正直に答えない生徒もいるでしょう。そこは後日、生徒会の息のかかった数名の生徒に調査してもらう。正直に答えたくない理由があるならそれも調べ、入力する。裏づけなんて簡単に取れるのよ。次にこれ」
 雪帆が差し出したもう一枚のプリントを見て私は息を飲んだ。
「交際届け……!? 何これ、誰かと付き合い始めたら、生徒会に届け出るっていうの?」
「えぇ、そうよ。これから、男女交際には生徒会の許可が必要になる。浮気や二股なんて当然させないし、いずれ不幸な結末を迎えそうなカップルには別れてもらうわ。私ね、前の学校でちょっと実験してみたの。そしたら面白いのよ、ちょっと他の女子と仲良くしたって噂を流すだけで、恋愛関係って簡単に崩れるのね。さすがに業者に合成写真を依頼して本人に見せ付けないといけなかったときは大変だったけど」
 雪帆はくすくすとかわいらしい声で思い出し笑いをする。
 私が二の句を継げないでいると、キャスターつきの革張りの椅子を回転させ、雪帆は窓の外の校庭を覗き込んだ。
「既に一部の生徒が噂しているわね。生徒会はこの学校を支配する気なんだって。支配だなんてとんでもない。番長じゃあるまいし、そんなことをして何になるのかしら。私はただ、管理したいだけなのよ」
「管理、って……」
 雪帆は満足げに頷き、言葉を続ける。
「私はこの学校の生徒、全ての人間関係を管理する。見ていなさい、有紗。この学校の全ての生徒に、『青春』の二文字をそのまま実現したような、すばらしい学園生活を送らせてあげるわ」

(担当:ikakas.rights)





次の担当は苗之さんです。さぁどうしますか。