何も無かったらかかないでね! その12

 水野雅臣を停学処分にするという、素っ気ない記事が載った生徒会報が事件の翌日、夏休みの諸注意のプリントとともに配布された。なんでも、理由は学校の秩序を乱す行為をしたからだということだが、例の絵は水野先輩の仕業だというのは事件直後から噂になっていた。

 学校からの帰り道、健吾と修一は並んで自転車を押しながらそのことについて相談していた。
「面倒事に巻き込んじゃって、すまん。…なあ、ところで、健吾のところには何か生徒会の奴らとか来てないか?」
「もう気にするなよ。僕も騒ぎになることくらいは覚悟してたし。…生徒会? いいや、来てない」
 修一が声を潜めたのにつられて、自然と僕の声も小さくなる。梅雨明けを間近に控え、もうすぐそこまで夏が迫ってきている快晴の日の夕方。暑さのせいなのか、住宅街であるにもかかわらず、珍しく誰も見当たらなかった。
「そうか…。やっぱり水野先輩だけを処罰する気なのか」
「実際に絵を描いたのは僕らなのに、水野先輩だけ?」
「そう。きっと生徒会は、水野先輩の他にも手伝った奴がいることぐらいお見通しなんだ。だけど、協力者なんかはどうでもいいと思っているんだろうよ」
 僕は、昨日の夏目さんの敵意に満ちた視線を思い出した。席に着いていた僕は、ドアが乱雑に開く音に振り返ると、物凄い形相の夏目さんと目が合った。その目には、見覚えのある様々な感情が浮かんでいて、僕を鋭く睨みつけていた。だが、すぐに彼女の方が目を逸らし、教室を出ていってしまった。それからというもの、斜め後ろの席から殺気を帯びた視線を時々感じるのだ。
「そうかなあ」
「え、お前、心当たりあるの?」
 思わず口から溜息混じりの声が漏れると、修一が顔を覗き込んできた。僕は慌てて首を振る。いくら修一とは言え、今は、夏目さんのことはあまり触れたくなかった。
「いや、何でもない」
「本当に?」
 修一は怪訝そうな顔をしていたが、暫くすると前を向いた。静かな住宅街に二人の足音と自転車を引く音だけが響いていた。
 
 
 窓の外には雪が薄っすらと積もり、普段見ている校庭がまるで別世界のようだった。
 その日は皆、今年初めての雪で遊ぼうと外へ出て行ってしまい、教室で女の子が一人、窓から外を眺めていた。その子は周りから、のんびりしていて大人っぽい優等生と言われていたが、彼女自身は自分に対して自信がなかった。確かに、勉強は得意なほうではあるし、行動が速いほうでもないから、のんびりしているというのは合っていると思っている。しかし、学校にいると――友達や先生と一緒にいると――なんだか落ち着かないのだ。それが何故なのか、まだ小学生の彼女には分からなかった。
「藤村さん」
 寛いでいた彼女の後ろに、いつの間にか隣のクラスの男の子が立っていた。名前は知らなかったが、よくこのクラスに遊びに来ている子で、何度かお喋りしたことはあった。
「なあに、どうしたの?」
 彼女は尋ねながら男子の顔を覗き込んだ。
 
 
「ねえ、雪帆」
「何?」
 放課後の生徒会室。水野先輩の事件から一週間近く経ち、校内でもその話題はほとんど上らなくなった。会合は早々と終わってしまい、日も傾き始めた今、部屋には有紗と雪帆しかいない。有紗が読んでいた議事録を閉じ、雪帆に声を掛けると、彼女もパソコンに向かっていた手を止め、こちらを振り返った。
「……雪帆は何がしたいの? すばらしい学園生活を作りたいだけなの? 一部の生徒が管理して、本当に上手くいくと思ってる?」
 電気をつけていない生徒会室は薄暗くて、顔はよく見えないが、有紗は陰で見えない雪帆の顔を見つめ、呟くように言った。雪帆はふっと小さく息を漏らす。
「ええ、そうよ。生徒全員が管理され、人間関係に煩わされることのない学園生活。それが私の目指しているものよ。それは最初の会合で説明したし、有紗も納得してると思ってたわ」
「…でも、人間関係だなんて第三者が管理できるの? 私はそう思えないんだけど」
 有紗はやや俯きながら尋ねる。一方、返ってきた返事は自信に満ち溢れていた。
「それを実際にできるかどうか、ここで試しているのよ。もちろん、上手くいく見込みがあるから、こんなに順調に進んでいるんだけどね。…それとも何、あなたと須藤健吾のように不幸な事故が、今後起こってもいいと言うのかしら?」
「え」
 有紗は須藤健吾の名を聞いた瞬間、息をのんだ。なんで雪帆が中学時代のことを…、と思ったが、よく考えてみれば当たり前だ。雪帆は今、全校生徒の人間関係を管理しようとしているのだ。いくら同じ生徒会とはいえ、有紗のことを調べておかないはずはない。
「どちらも悪気があったわけじゃないのにね。でも、今でもお互いにその時のことで悩んでいる。そんなことが無くなれば、幸せな学校生活が送れるんじゃない?」
「もう、須藤のことはいいの。忘れた。昔のことだし」
 そう言いながら、有紗は須藤健吾への怒りを抑えるのに必死だった。あの絵を見た日から、再び彼への憎しみが蘇った。それは、もう五、六日経った今でも消える気配はない。授業中も彼を睨みつけるばかりで、教師の話がまったく頭に入ってこないほどである。
「あら、そう」
 雪帆は有紗の震える握り拳を一瞥し、さらりと言ってのけた。再びパソコンのキーを打つ音が、一定のリズムを刻み始めた。
「…ところで、どうしてそんなに人間関係を管理しようとするの?」
 ややあって、有紗が思い出したように雪帆の方を見た。
「だから、すばらしい学園生活の」
「そうじゃなくて。どうして、その、すばらしい学園生活とやらを作ろうと思ったの? 何か理由があるんでしょ?」
「……別に、特にないわよ」
 雪帆は答えるやいなや、自分のカバンを持って生徒会室を出ていった。残された有紗は、さっきまで雪帆が座っていた椅子をぼんやりと見ていた。
 
 
(担当:小衣夕紀)
遅くなりました…。すみません……。
伏線を回収しようとしましたが逆に、投げる形になってしまいました。発想力が乏しいですね…。
次は、古夢さんだったかと思います。どうかよろしくお願いします。