キャピタル・C・インカゲイン その13(1)

 
――そしてその手紙はきっとあなたを不幸にするでしょう
――そして種は蒔かれ、大きな争いが芽吹くでしょう
――そしてそれぞれの思惑、夢、喜怒哀楽、愛は時の流れによって淘汰されるでしょう
――そして世界は、最後の二つの種を選ぶでしょう
――そしてそれは、世界に最も嫌われた二人でもあるのでしょう
――そして白き巨城により道は開き、二つの世界はつながるでしょう
――そして新たな争いが始まるでしょう
――そして全ては飲み込まれ、冷たく重い土壌に悲しい決意の花が咲き、濁った養分を受けながら、血にまみれた庭で、濃密な果実が作られるでしょう……
 
  ***
 
 歌。歌が聞こえた。どこか切なく、しかし何か強さに満ちた、そんな歌が聞こえた気がした。
 白。白い。辺り一面、ぼんやりと白い世界。
「ここは……」
 水附花梨は目を覚ました。重い頭を上げると、視界がぐるぐると回っているような感覚に襲われる。ひどい眩暈のような感覚。
 花梨は隣に横たわる少年を見る。
「い、稲玉くん……しっかり!」
 花梨に体を揺らされ、稲玉士も目を覚ました。
「そうか、俺たちは……最後の二人になって、それで……」
 花梨が頷く。
「ホワイトキャッスルが、召喚された、んだよね」
「ここって、その城の中ってことか。それにしても、何だこの眩暈……」
 世界が回っている。そんな感覚は花梨だけではなく、士にもあった。
 世界が回る。それはいわゆる、世界は回る、というのとは違う。なぜなら世界は回っていても、そこにいる人間たちは自分たちの世界が回っているとは感じないからだ。人間は世界とともに回っている。だから普通、人間は世界が回っているとは感じない。
 花梨と士は、世界から切り離されている。そして世界とは別の回転の中にいる。それは二人自身の回転であり、そして二人の中の種の回転であり、エネルギーの流れであった。その回転がこの白い巨城を顕現させている、ということも二人には分かった。胸の奥の熱さと、何かが蠢くような気分の悪さがそれを教えていた。
「CCIはこのホワイトキャッスルの構築を目的としていたんだよね。彼らの狙いが何なのかはまだ分からないけれど、とにかくこの城の形成を止めなくちゃ。CCIはきっと、これを利用して何かをしようとしてる」
 花梨の言葉に、士が頷く。
「どうせ面白くもないエゴイズムのために使う気なんだろう。付き合わされるこっちの身にもなれよまったく……! とりあえず、城の出口を探すしかないな」
 二人はふらつく足で何とか立ち上がる。二人が意識を失って寝転がっていたのは、広いホールのような部屋だった。きらびやかな装飾が施してあるのが見えるが、その色は全て白で、華やかと言うよりは静かで、冷たく、恐ろしい。二人は誰もいないホールを出る。
 外の廊下も、一面真っ白の世界だった。雪景色、いやそれよりも白い。二人は、これは悪い夢の中だと錯覚する。錯覚したい、と思った。
 廊下は長く、景色が白く霞んでいるため、一番果てがどうなっているのか確認できない。
「どうしよう……」
「廊下の突き当たりまで行ってみるしかないだろうな。出口は、建物の端にあるはずなんだから」
 本当に? こんな現実味のない奇妙な空間で、通常の理屈が通るのか? そもそも、本当にこの城に、出口なんてものが……。
 花梨は首を振る。この状況で、後ろ向きの疑問だけでは何も先には進まない。行動に移さなければ。
 二人は廊下を進む。言葉は交わさない。口を開けば誰かに対する恨み言や、役に立たない不安の声、そんなものがこぼれそうだった。とにかく今はひたすら進むことが必要だと、二人とも分かっていた。この城の中で、どこへ向かうべきかも分からず、どこかに向かうべき場所があるという保証もなく、それでもおぼつかない足取りで歩いていく。
「部屋がある」
 花梨がそう言って立ち止まる。二人の進む廊下の脇に、一つの白い扉。
「中に何かあるかもしれない。開けてみよう」
 士はドアノブに手をかけ、扉を開ける。するとそこには。
「なに……これ!」
 二人の目の前に、見覚えのある景色があった。それは映像となって、ドアの向こうに広がっていた。
 それは名古屋の街。ぶつかり合う人々。強大な力を持った者同士のぶつかり合い。その他さまざまな兵器による攻撃。爆音。逃げる者。追う者。息絶える者。殺す者。今までの能力者同士の戦いよりさらに激しく、そして死に満ちた、地獄のような戦争の有り様がそこには広がっていた。
 しばらくして部屋の中の映像は消えていき、何もなかったかのようにそこには白く殺風景な空間だけが残った。部屋には誰もいない。
「まさか、いま名古屋で、さっき見たことが起こってるのか?」
「どうして? 能力者はもう私と稲玉くんだけになったはずでしょ。でもあの戦いは絶対、力を持った人間のものだった。もしかして、このホワイトキャッスルを召喚していることで、あんなひどい状況になってるんじゃ……」
 花梨はうつむく。恐怖で胸が締めつけられる。そんな彼女の手を、士がつかんだ。
「まだ確かなことは分からない。今見た物が本当だなんて証拠もないし。とにかく早く、出口を探そう」
「う、うん」
 でも……、と花梨は考えていた。何故か、さっき見た光景は実際に起こっていることなんじゃないかという不安が抑えられない。いや、不安どころではなく、そうに違いないという確信があった。あれは夢や幻なんかじゃない。今いるこの場所が、現実味はないくせに妙に五感に訴えかけてくるリアルさを持っているように。あの映像も、全部本当のことなんだ。そんな気がしてならなかった。
 花梨と士は廊下を進む。やがて、廊下は九十度左に折れ曲がった。そしてなおも続く。ただ一本の、長い道が横たわっている。ぐるぐる回るような眩暈も、まだ治らない。自分の中で、種が休むことなく回転しているのが分かる。
「おい、あれは」
 士が指を差した。そこにはまた一枚の扉があった。花梨はつばを飲み込む。
「開けてみよう」
 花梨はノブに手をかけ、ドアはゆっくりと開いていく。目の前に現れたのは、先ほどとは違った光景だった。
 やはり映像となって現れているその景色は、名古屋とは違う場所のものだ。どこだか分からない世界。しかしその世界の街や、建物には「インカゲイン」という文字が至るところに見られる。それがこの世界の、ある程度広い規模の地域を指す名称だということは予想できた。
 インカゲインの人々は、どこかへ向かっている。これは軍隊なのだろうか。その向かう先をたどってみると、そこには巨大な白い城の外観が見えていた。つまりそれは、花梨と士によって名古屋に形成され、そして今二人がいる、このホワイトキャッスルだ。意識を失う前に一瞬だけ見えた、名古屋の街に浮かんだあの白い影の外観に他ならなかった。
「つまり、あのインカゲインの街の軍隊が、ホワイトキャッスルを通って、名古屋になだれ込んできているってこと、だろうな。でもどういうことだ? CCIの狙いはこれだったのか? インカゲインは俺たちの世界を破壊しようとしてるのか?」
「私たち、どうすれば……。はやく、戦いを止めないと!」
「落ち着け、今こんなところで焦っても――」
「どうやって落ち着けって言うの!! 今だってたくさんの人が殺されてるんだよ!!」
 花梨の叫びが、誰もいない真っ白な巨城の中に響く。花梨はその残響に、ハッとする。
「ごめん、稲玉くんに当たり散らしても、何も変わらないよね……」
「まあ、この状況じゃ確かに落ち着くのは無理だ。それは分かってる。早く出口を見つけるぞ。こんな気色悪いところ、俺はもう嫌なんだ」
 二人は黙って、再び廊下を進み始めた。
 
  ***
 
 未来からやってきた勢力の総指揮官、アレス・カルバンのもとに、部下のコーデルが駆け寄る。
「インカゲイン側の軍勢はホワイトキャッスルを通じて、どんどんその数を増やしています! このまま勢力が拡大し続けると、手に負えません!」
「ホワイトキャッスル破壊に当たっている部隊はどうなっている?」
「破壊は時間がかかっています。インカゲイン勢力の数が増えるにつれて、こちらがキャッスルに対して攻撃の手を割けなくなってきています」
「この時代の日本及び米国の軍隊も、インカゲイン勢力の能力の高さに苦戦しているだろうしな……。キャッスル破壊に手が回らないのは同じか。例の、矢羽樹は?」
「現在、矢羽樹はその数を約五千にまで減らしていると見られます。敵勢力の中心、つまりホワイトキャッスルへと徐々に近づいているようですが、こちらの呼びかけには応答しません。近くにいる敵を手当たり次第に攻撃しています。はっきり言って彼は、ただの殺戮機械です」
「インカゲインの、CCI計画反対派が送り込んだエージェントだったな。数が減るほどに個体の能力は跳ね上がっていく……」
 そのとき、一つの影がアレスたちのいる指令本部にすさまじい勢いで突っ込んできた。拠点の一部が破壊され、土煙が上がる。
「指揮官!」
 コーデルの声に、アレスは答える。
「お前は全軍に通達しろ。矢羽樹の後につき、ホワイトキャッスルへ接近。こちらの攻撃はキャッスル破壊を優先し、インカゲイン勢力の相手は矢羽樹にやらせるんだ。奴を我々の盾にする。こちらも犠牲は増えるだろうが、それでもやるしかない。ここは私に任せておけ!」
「はっ!」
 コーデルは指令を伝えるため、全力疾走でその場を離れていく。
「さぁて、お客さんの相手をしてやるぜ……」
 アレスはどこからともなく巨大な剣を取り出す。その数は千本に至る。剣は宙に浮かび、ギラギラと鋭い光を放つ。総指揮官は、剣を操り、敵に向かって構えた。
 
 
 クラリスコルトレーンは、ホワイトキャッスルを目指していた。何としても、自分はもとの世界に帰る。どうしてこんな戦争に巻き込まれなくてはいけないのか。自分は何もしてはいない。およそ十年前。インカゲインからこちらの世界に、いきなり運ばれて来たのだ。神隠し、と呼ばれるような現象。運命は理不尽だ。どうして自分だけがこんな不幸な目に遭うのか。エリック・マンチェスターに協力したのは、彼が私をインカゲインへと帰してくれるという話だったからだ。それなのになぜこんな侵略戦争が始まってしまうのか。私は関係ない。何も知らない。ただ私はもとのように、平和な世界に帰りたいだけだ。争いに巻き込まれる理由などない。
 ホワイトキャッスル。その巨大な白い影が、目前にそびえている。
「ここを通れば、私はインカゲインへ帰ることができる……」
 クラリスが足を踏み出そうとした時。
「動くな。クラリスコルトレーンだな」
 そっと後ろを振り返ると、そこには一人の女が立っていた。
「あなたは確か、CCIマネージャーの、瀬戸内律子?」
 律子はクラリスに銃を向け、低い声で言う。
「エリック・マンチェスターはどこ?」
「彼を、殺す気?」
「そう。奴は十六夜涼太を、リョウを……殺した。奴に復讐して、この侵略戦争の発端を消し去るまで、私の任務は終わらない!」
「エリックの居場所は……知らないわ」
 クラリスの言葉に、律子の表情がいっそう険しくなる。
「それならば、あなたに用はない。ここで死んでもらう」
「待って! 私は彼と関係な――」
 律子が引き金に力を込める。銃声が鳴り響く。
 額から血を流し、崩れ落ちる女。
「どうして……?」
 クラリスの前には、エリックが立っていた。彼は瀬戸内律子に向けていた銃を下ろした。律子は既に絶命していた。
「逃げ出したネズミを処理したまでだ。小賢しい真似をする未来人め。こいつらのせいで俺の計画が大いに狂った。他の奴らも、邪魔する者は皆殺しにしてやる」
 クラリスは言葉が出ない。言葉が見つからない。この男は、何をしようとしているのか。インカゲインを守る? 違う、この男のしていることは、狂気だ。そこに正義など欠片もない。
「一応、君に対する恩返しでもあったんだがな。今まで長い間、協力してもらったわけだしね。どうした? さっさと故郷へ帰らないのかい? ホワイトキャッスルはすぐそこだ」
 エリックの言葉に、クラリスは無言で背を向ける。そしてキャッスルに向かって歩き出す。とにかく、この世界から一刻も早く離れなければ。世界は今、狂気に満ちている。それに飲み込まれたら、全てが終わる。
 
  ***
 
 花梨と士は、誰もいないホワイトキャッスルの中を進む。廊下はまた左に九十度折れた。そしてしばらく行くと、二人はまたしても扉を発見した。今度は躊躇するまでもなく、驚くこともなく、どちらからともなく二人でドアを開ける。
 そこで二人が目にしたものは、この戦いに関する、全てだった。二つの世界の、過去と未来。この戦いに関わった全ての人間の思い。それが、一気に映像となって頭の中に流れ込んでくる。
 CCIによってあの手紙がばら撒かれ、選ばれた犠牲者たちのもとへ届く。能力者による連続殺人。後のことを考えれば、初めのうちの愉快犯などまだ可愛げのあるものだった。警視庁、国会議事堂、東京タワーの崩壊。能力者集団のテロ行為の始まり。テロリストの目的はトウキョウという、能力者による独立国家の構築だった。アルファベットのコードネームで呼び合う彼らの行動は日本の首都東京をほぼ壊滅まで追い込んだ。だが彼らの破壊行動も、トウキョウ国建設の野望も、全てはCCIの掌の上で踊らされていたに過ぎなかった。CCIは能力者同士に殺し合いをさせなければならなかった。テロリストの行動はそのために利用された。最後の二人の能力者が生き残るまで、犠牲者は増え続けていく。
 そんなCCIに対抗しようとしたのがレジスタンスと呼ばれる能力者集団だった。槻景早耶佳という少女をリーダーに据える彼らは、CCIのプロジェクトを止め、争いを止めるために戦った。彼らが目指したのは、能力者にばら撒かれた力の源である「種」を消滅させること。それには「種」の大元となる「親種」を消滅させ、二度と能力者を作らせないことが必要だった。レジスタンスは「親種」を持つ稲玉士を追って仙台へと赴いた。しかしそこで彼らを待っていたのは予想外の大規模な戦闘だった。前回のニューヨークでの実験の生き残りであったバレンタイン・シーモンドという人狼能力者が目覚め、レジスタンスに襲いかかったのだ。激しい戦いの末にレジスタンスはわずかなメンバーを残して壊滅状態となった。ここでの能力者の犠牲も多大なるものだった。
 能力者の数は日を追うごとに減っていく。全てはCCIの思惑通りに事が運んだ。そのCCIの狙い。それはホワイトキャッスルと呼ばれる、二つの世界を結ぶ恒久的転移装置の構築だった。手紙に封入されてばら撒かれた「種」には、能力の源となる「エキセントラ力」というエネルギーが込められている。能力者は他の能力者を殺すことで相手の「エキセントラ力」を自分の「種」へと吸収する。そうして最後の二人の能力者が残った時には強大なエネルギーがそこに存在することとなる。その強大な「エキセントラ力」と、大都市に存在する人間の意志や志向性である「セントラポテンシャル」、さらに二つの世界の力の吹き溜まりが重なる地点という条件が重なった時、「キャピタルセントラ」、いわゆるホワイトキャッスルが顕現する。最終的に「エキセントラ力」の強大な稲玉士の「種」と、力の弱い水附花梨の「種」が残ったことは偶然ではなく、そうした力のバランスが不均衡な二つの「種」の方がホワイトキャッスルの顕現に都合が良いということを知った上でのCCI幹部の計画の通りに事は進められたのだった。そしてついに、ホワイトキャッスルが姿を現した。
 ホワイトキャッスルという転移装置を作り上げるCCIプロジェクトの目的には、二つのことがあった。一つは、CCI幹部クラリスコルトレーンをインカゲインと呼ばれる世界へと帰すこと、すなわちキャピタルコンコルドオブインカゲイン(Capital Concord of Incagain)である。そしてもう一つの目的は、資源の枯渇したインカゲインを救うための、こちら側の世界への侵略、すなわちキャピタルコンバットオブインカゲイン(Capital Combat of Incagain)。つまり、資源確保のためのインカゲインの資本的戦略。後者の計画はCCI幹部エリック・マンチェスターにより進められた。これがインカゲインからこの世界に派遣されたエリックの真の目的であった。
 しかし、そんなエリックの目的と計画を察知していた者たちもいた。その一つが、未来の世界の人々だった。エリックの侵略計画が成功してしまえば、この世界の人類はそのほとんどが滅亡する。それを防ぐために、未来勢力は本来人類の持たなかった「種」の力を利用した。インカゲイン人からその力を盗み、それを増殖させる技術を生み出すことでこの世界の未来人は能力を手に入れた。それを用いてエリックが率いるインカゲインの勢力に対抗した。未来勢力は伊勢神宮の転移門を使って現代に軍を送り込んだ。この時代の戦いにおいてインカゲイン勢力を駆逐しない限り、侵略は免れないという判断だった。そうした未来勢力のインカゲインに対する反抗の準備を早くから進めていたのが、リコ・エルミートとリョウ・タイラー、現代の世界においては瀬戸内律子と十六夜涼太という名で任務にあたった二人であった。彼女らが心改変能力と時間停止能力などを用いて日本の名古屋遷都を企てたのには、名古屋にホワイトキャッスルを顕現させることで、伊勢神宮に開く転移門からの未来勢力の進軍が迅速に済むようにとの目的があった。そして現在、ホワイトキャッスルからなだれ込むインカゲイン軍と、伊勢神宮から名古屋へと押し寄せる未来勢力との激しいぶつかり合いが生じている。未来勢力はホワイトキャッスルを破壊してこちら側の世界へ流入するインカゲイン軍に歯止めをかけようとする。
 さらに、エリックの侵略計画に対抗するのは未来世界の勢力だけではなかった。同じインカゲインの中でも、侵略による資源確保というCCIプロジェクトに賛同しない勢力が、小さいながらも存在した。その侵略戦争反対派の切り札としてこの世界に送られたエージェントが、矢羽樹という名で呼ばれる存在だった。彼の能力は一つの精神を数多くの肉体に宿すというものだった。そしてそのそれぞれの肉体に別々の能力を与えられているという、戦闘のために生まれてきたような存在。分身は十万にも上り、個々の力は弱いにしてもその数で戦闘能力を発揮した。この矢羽樹も、インカゲインと未来勢力との戦争に加わり、インカゲイン軍に対抗するもう一つの勢力となった。樹は数が減らされるごとにその「エキセントラ力」を別の樹の個体へ移し、さらには相手の「エキセントラ力」をも自分のものとして吸収することのできる個体が大半を占めている。こうして数を減らすごとに力が凝縮される樹は、インカゲイン軍の中心であるホワイトキャッスルへと接近していった。樹の力は次第に強まっていき、やがて……。
 最後に映像はどこか全く別の場所の光景を見せた。およそ十年前の、どこかのテロ。大勢の人間が倒れ、血を流し、死んだ。怒号と悲鳴、赤と灰。子供の泣き声が聞こえる。大切な人を失った義足の男の顔。我が子にその場の惨状を目にさせないようにとする母親、目隠しをされている男の子。そしてその中に。一瞬だけ見えた人物がいた。燃えさかる建物、わき上がる黒煙。さらなる爆発。そこに、一人の女性が寂しく佇んでいた。まだ少女のあどけなさも残るその女は、クラリスコルトレーンその人だった。
 
 
 花梨と士は、お互いに顔を見合わせる。
「今見たのも、全部本当のことなんだろうな、きっと」
「私たち自身の過去もあった……。全部事実で、それからこの後も、今見たようなことが本当に起こるんだとしたら。私たちの世界の未来は……」
 二人の間に沈黙が流れる。誰もいない城の中で、静寂がこだまする。
「とにかく、先を急ごう」
 士が歩き出し、花梨もそれに続く。二人とも黙っている。足音が響くが、一面の白にその音は吸い込まれ、すぐに溶けてなくなるようだった。
「ねえ」
 という花梨の声に、士は「うん」とか「え?」というような曖昧な反応をした。
「このホワイトキャッスルは、私と稲玉くんが作り出した物なんだよね」
「たぶんな」
「この城がゲートになって、こっちの世界と、インカゲインの世界を繋いでるんだよね」
「みたいだな」
「それでインカゲインの軍が、こっちの世界に押し寄せて来てて、それで今戦争になってるんだよね」
「……だから何だよ。何が言いたい」
 そこで花梨の足が止まった。士は後ろを振り返ろうとした。でも、何となく嫌な予感がして振り向くのをやめ、前を向いたまま立ち止まった。
「私がいなければ、ホワイトキャッスルは現れなかった」
「おい……」
「そうだ、私がいなければ、ホワイトキャッスルはできない。だから私がいなくなれば……」
「おいっ! 何を言ってるんだ」
「稲玉くん、お願いがあるんだ。今すぐ、ここで、私を――」
「やめろ! そんなの、何の意味もない。その場の思いつきで勝手なことを言うな!」
「意味あるよ! 戦争を止められる。私が死ぬことで、これ以上の犠牲は出なくなる」
「お前が死んだって、なんにも変わることなんかないんだよ!」
「いいえ、変わるわ」
「変わらないっつってんだろ!!」
 士の怒鳴り声が白い廊下を伝って遠くへと消えていく。士はふと、妙な気分になった。誰かに対して、こんなに大声を上げたのは、いつ以来だろう。ふう、と一息ついて、落ち着いた声で士は言う。
「いいか、今あんた一人がいなくなったところで、世界が何か変わるわけじゃない。戦争が終わるなんてことはない。あんた一人に、世界を一瞬にして変えるような影響力なんかないんだよ。自惚れるな。あんたが死んで、仮にこの城の召喚がストップしたとしても、戦いは終わらないんだ。インカゲインの軍がこっちの世界へやって来られなくなったとしても、どっちかが全滅するまで戦いは続く。奴らは全てを捨てて戦う覚悟なんだからな。それに、たとえインカゲイン軍が負けたとしても、絶対に向こう側の勢力は別の手で再びこっちの世界を侵略しようとやってくるに決まってる」
「でも!」
「さっき見ただろ? この戦いの根本にあったのは、インカゲインの資源枯渇という問題だった。そしてそれに伴う貧困、飢餓、暴動。そういうことを解決しない限り、争いが止まることなんてないんだよ! 気安く自分の命投げ出してさ、それであんただけトンズラかます気かよ。別に俺はあんたに説教しようなんて思ってるわけじゃない。俺が何と言おうと、あんたは自分の好きにすれば良い。悲劇のヒロイン気取って無駄死にしたって、あんたがそうしたいならそうすりゃ良いさ。でもな、本当にそれがあんたのやりたいことなのか? それが本当に、ここまでこの戦いを生き残ってきたお前のしたいことなのかよ。死にたいんなら今までだっていくらでも死ねたはずだろ。戦うのが嫌で、誰かが傷付くのを見るのが嫌で、それで逃げ出すことだってできたはずだろ。じゃあどうして今までそれをしなかったんだよ。あんたは何がしたくてここにいる? 何をしにここにいるんだよ?」
 目の前の士の背中が、小さく震えながら花梨に訴えかける。
「私の、本当にしたいこと……」
 それは何だろう、と花梨は考える。私は、何がしたかったんだろう。ずっと、死にたかったんだろうか。いや、それは違う。逃げたいと思ってたのでもない。あの手紙が届いて、能力者の戦いが始まってから、いつも私は誰かが傷付くのが嫌だった。こんな戦いは間違ってるとか、罪のない人間が犠牲になるなんておかしいとか、CCIを止めなければいけないとか、そんなことを思っていた。世界は平和であるべき、争いのない世界こそが正解で、無益な殺し合いなんて不正解のはず、と思っていた。
 でもそれは、何にとっての正解で、誰にとっての善悪で、何のための正義だったのか。それは私の中に潜む固定観念で、おかしな使命感で、心の奥からの強迫みたいなもので、他者のため、世界のために、こうあるべきとか、こうあってはならない、という考え方だった。どこか、押し付けられたような思考で、頭にこびりついて離れないような、自分なのに自分じゃないような、そんなものにとり憑かれていたような気がする。
 今までの戦いの中で、私は一度でも自分のために行動したことがあっただろうか。こうあるべき、ではなくて、自分がこうしたいから、という基準で考え、戦ったことがあったか。行動を起こすにしても、私の心にあったのはいつも、誰だか分からない他者のため、という凝り固まったような妄想だった。気持ちはガチガチに固められているのにその中身はフワフワとつかみ所がなくて、そこにはいつも迷いが生じた。そうだ、だから自分が偽善者なんじゃないかとか、偽善者にもなれない人間だとか、そうやって自分のことを責めてきたんだ。
 私に必要だったものは、これだったんじゃないか。誰だか分からない他者のためとか、世界のために、しなくちゃいけないとか、してはいけないとか、そんなものじゃない。自分が、どうしたいのか。私が本当にしたかったことは、大切な人を守ること。誰も傷付けさせないこと。それは薄っぺらの、単なる「他者のため」じゃない。「自分のため」に、「他者のため」になることをする。そういうものだってあって良いはずで、そういうものが私の本当にやりたいことなんだ。
 今まで誰かを救おうともがいて、それでも救えずにきたのは、いつだって私は水附花梨という私自身を救おうという考えがなかったからだ。自分を救えない者に他人を救えるはずがない。誰かを救うためには、同時に自分も救わなくてはいけない。自分を犠牲にして誰かを救うなんて、そんなお手軽な方法で救えるものなんて、自分勝手な一瞬の気休めだけだ。私はそんなものじゃなく、本当の救いを成し遂げたい。成し遂げてみせる。
「ありがとう、稲玉くん」
「え?」
「私は、みんなを救いたい。戦争を止めたい。私の能力が排他であり、拒絶であるのなら、私は逃げるだけの拒絶はもうしない。全部受けとめて、消極的じゃなくて積極的な拒絶をする。私は殺し合いを拒絶する。誰かが誰かを傷付け、傷付けられるのを拒絶する。私の大切なものと、そして私自身を不幸にするもの全てを、私の力で拒絶してみせる!」
 士は、ようやく後ろを振り返った。花梨の顔には強い決意に満ちた表情と、自分の中の弱さを乗り越えた証である一滴の雫があった。
「やっぱり、あんたはそういう人だよな」
 と士は笑った。
「え?」
「安心したよ、まだ俺の楽しみはなくなってないと分かったからね。この戦いが始まって以来、いや、俺が今まで生きてきて、かなあ。初めて心から面白いと思える奴に出会った。それがあんただ。これは俺の賭けなんだ。あんたが面白くない人間になったら俺の負け。もしそうなったら俺はさっさとこんな世界からは退場させてもらうよ。俺はあんたほどお人好しではないし、あんたと違って俺一人では何の面白味もない人間だからねえ。だから俺は、あんたへの協力だけは惜しまない。そう決めたのさ。CCIを止めるって言ってあんたが行動し始めた時にね」
「それで一緒に来てくれたんだね」
 士は花梨から視線をそらし、また前を向いて歩き始める。
「できるだけ長いこと俺を楽しませてくれよ」
 ありがとう、という花梨の声が、士の背を追いかけた。
 
  ***
 
 樹の目には、白い巨城の姿がはっきりと映っていた。インカゲインからやってくる敵を手当たり次第に攻撃する。殴り、切り裂き、燃やし尽くし、とにかく殺し続ける。それと同時に何人もの矢羽樹が敵の手によって殺される。
 熱い……。敵を殺しても、自分が殺されても、どちらにせよどんどん体が熱くなっていく。莫大なエネルギーが、どんどんと体に凝縮されていく。エキセントラ力を吸収し続け、身体が悲鳴を上げている。それでも戦うことをやめない。やめられない。矢羽樹の肉体は、もう数えるほどしか残っていない。ここまでくると一つの肉体の内に正常に存在し得るエキセントラ力の容量をはるかにオーバーしている。
 このままでは、自分は発狂する。樹は頭のどこかでそんなことを考えていた。いや、もうすでに自分は発狂しているのかもしれない。何も考えられない。何も感じない。ただ人間を殺し続ける。こんな生き物を、人間と呼べるだろうか。もはや自分は人間ですらない。殺戮兵器、矢羽樹だ。
「樹……」
 そう誰かの声が聞こえた気がする。いや、ここは戦場だ。すさまじい戦闘に伴う爆音、轟音で人間の声など聞えるはずはない。幻聴だ。姉の声など聞えるわけがない……。
 姉? なぜそんなことを思ったのか? 姉とは誰だ? 矢羽楓のことか? そうか、かつて存在した一人の矢羽樹の個体の記憶と精神が、まだこの個体にも残っているのか。多重肉体でも精神は共有される。だが矢羽楓は姉ではない。矢羽樹という名前自体、仮の物だ。自分は彼女の弟などではない。彼女は利用され、自分たちは姉と弟ごっこをさせられていたにすぎない……。
 ダメだ、俺はもうダメだ。次から次へと流れ込んでくるエキセントラ力に、耐えられない。この大きすぎる力に、自分を保てない。自分が自分でなくなる。死にたい。消えてなくなりたい。今、この個体以外の全ての矢羽樹が死んだ。いなくなった。十万人いた矢羽樹の持っていた力が、全てこの体に集まる。熱い。溶ける。誰か、だれか助けてくれ!
「ねえさん…………」
 目の前にある白い巨城が、ひずみ、形を変え、崩れようとしている。この力のせいなのだろうか。もう何でも良い。早く、全てが終わってほしい。
 直後、樹は自分の中へ何か大きなものが溶け込んでくるのを感じた。自分の中に、吸収されていく。飲み込んでいく。辺りがいやに静かな気がした。どうしたのだろう。自分は役割をちゃんと果たし終えたのだろうか。自分が存在する意味を、全うできたのだろうか。もう、戦わなくて良いのだろうか。ボロボロの体を、休めても良いのだろうか……?
 樹はそこで、意識を失った。
 
 
 ホワイトキャッスルが、崩れようとしていた。その光景に、クラリスは息を呑む。次から次へとなだれ込むインカゲイン、未来勢力の両方の戦士たちのエキセントラ力、さらに矢羽樹の持つ強大なエキセントラ力によって、ホワイトキャッスルを形成している種の回転が不安定になっている。このままでは間もなくキャッスルは消えてなくなる。
 冗談じゃない。ここまできて、帰れなくなるなんて。それだけはあってはならない。戦争など知らない。しかし元の世界に帰れなくなっては、今まで私のしてきたことが全て無駄になってしまう。ようやくここまで来たのだ。この機会を逃したら、絶対にインカゲインに戻ることなどできない。私は何があっても帰るのだ。帰って、そしてまた母様と一緒に暮らす。ただそれだけで良い。他のものは何を失っても構わない……!
 クラリスは崩れかけているホワイトキャッスルに飛び込んだ。
「私を、もとの世界へ帰せっ!!」
 白い巨城が崩れ落ちる。その時、突然視界が揺れた。空間が、曲がる。歪む。ねじれる。何か得体の知れない、強大な力によって体が引っ張られていく。ホワイトキャッスルもろとも、何かに引き寄せられる。
「これは、一体どうなって……」
 クラリスの目に、一瞬、その強大すぎる力を身に受けた人物が映り、そして全てが真っ白になって消えた。
 
 
「おい、これはどういうことだ、何が起こっている!」
 戦場に、総指揮官アレスの叫び声が響く。
「分かりません、とにかく、矢羽樹が、暴走を始めたようです!!」
 震える怒鳴り声で、アレスの部下が答える。
「なぜ能力が使えなくなっているんだ! これも矢羽樹の影響なのか!」
「それも分かりません。ただ、インカゲイン側もそれは同じことのようです。向こうの能力も無効化された模様で、現在、一時停戦状態になっています!」
「どういうことだ……。とにかく、この時代の軍隊に相手への一斉攻撃を要請しろ。このチャンスを逃す手はない」
「それが、自衛隊および米軍などの軍隊は、今までの戦闘によって既に全ての攻撃手段を消費し尽くしており、もはや有効と思われる攻撃の手がありません!」
「弾切れか、こんな時に! どうなっているんだ! ……ホワイトキャッスルの状況は?」
「それが……あれをご覧ください」
 部下はアレスから視線をそらし、遠くを指差す。その先に広がる光景に、アレスは目を疑った。
「何だあれは……」
 ホワイトキャッスルは歪み、ねじ曲げられ、崩れようとしていた。インカゲイン側からの戦士たちの流入は既に止まっている。しかし、それだけではない。ホワイトキャッスルが、飲み込まれていっているのだ。大きな力により、吸収されようとしている。矢羽樹の体内へと。
 
 
 エリックの元に、部下の伝令が走って来る。
「敵味方に関わらず、戦場の能力者の能力が全て無効化されています! エキセントラ力を失っているようです!」
「そんなことは分かっている! 原因は!」
「矢羽樹と考えられます。最後の一体になった矢羽樹の個体から、恐ろしいほどのエキセントラ力が検出されているようです。あまりのエネルギーに、測定すら不可能です!」
「そうか……。そういうことだったのか」
 矢羽樹は、自分が死んだ時に別の矢羽樹の個体へとエキセントラ力を移すような仕組みになっていた。そしてインカゲインの戦士からもエキセントラ力を吸収していた。それだけではなく、エキセントラ力が移される際の融合反応によって、個体中のエネルギー量はさらに跳ね上がっていた。それで最後の一体の個体中には莫大な規模のエキセントラ力が内蔵された。一人の人間の体内にそれだけの馬鹿でかいエネルギーが存在するとなると、矢羽樹はエキセントラ力のブラックホールのようなもの。周りの能力者が持つエキセントラ力を全て引き寄せ、自らの内へと吸収するほどになったのだ。そのせいでこの戦場にいる能力者は全て力を使えなくなってしまった。エネルギーがないから、能力がないのと同じことなのだ。
「矢羽樹は、インカゲインのCCI反対派のエージェントだったな。つまり、あの女の差し金だな。全てこうなることを狙っていたというのか、キャサリン……」
 エリックは苦々しい表情でつぶやく。
「見てください、ホワイトキャッスルが、矢羽樹に吸収されます!」
 部下の声に顔を上げると、崩れ落ちそうなホワイトキャッスルが、樹の体内に取り込まれていくところだった。
ブラックホールは、キャッスルまでも吸収するということか……。もう終わりだ。こうなってしまった以上、我々に打つ手はない。あとは矢羽樹があまりのエネルギーに耐え切れず暴走し、この世界もインカゲインも木っ端微塵に吹き飛ばされるのを待つだけだ。くそ、くそっ! だがあの女、いったい何がしたいんだ。両方の世界を滅亡させて何になるというんだ……!!」
 エリックはギリッと歯ぎしりをして、膝の力が抜けたようになってその場に倒れ込んだ。あとは終わりの時を迎えるのみ。これまでの気力も何も全て失い、ただ空を見上げることしかできなかった。
 
 
 
(担当:御伽アリス)