キャピタル・C・インカゲイン その13(2) 《最終回》

 
 白い廊下はまた左に折れた。そしてなおも続く。花梨は息苦しさを覚えて、胸を押さえた。
「大丈夫か?」
 という士の呼びかけに、やや無理をしたような笑みで答える。
「ちょっと、苦しくなっただけ。うん、平気」
 二人はぐるぐると回転を続けるような世界で、ふらつく足を懸命に前へ前へと投げ出していく。するとやがて、壁と天井と床以外の物が現れた。
「また扉か……」
 士がそう言ってため息を一つする。
「ねえ、何か音が聞こえない? 部屋の中から」
 花梨はそう言って扉に耳を寄せる。士もそれに倣って扉に近寄る。確かに、中から小さな音が聞こえているようだ。何の音なのかまでは判断がつかない。
「入ってみよう」
「危険な気もするが……いや、でもここまできてビビっている場合じゃないよな」
 二人はその白いドアを押し開けた。
 部屋の中にあったのは、今度は映像ではなく、実体のあるものだった。かまどのような物に火が焚かれており、そしてその横でも火にかけられた薬缶に似た物が湯気を上げている。
「ここは……厨房か何かだな」
 士が広い部屋の中を見回しながらつぶやく。人がいる気配があるが、ここには誰の姿もなかった。
「どこかに、人がいるってことなのかな」
「それとも、さっきまではいたのにどこかに消えた、とか」
 確かにそうだ。火を焚いているのに誰もいないというのは何かおかしい。どこかへいなくなってしまったのか。それとも二人の目に見えていないだけで、誰かがここにいるのか。と、そのとき。
 ――そしてあなたは築き、傷付き、気付くでしょう
 花梨はビクッとして辺りを見回した。
「歌が、聞こえた……」
 士は花梨の方を見て、不思議そうな顔をする。
「歌? そんなもの俺には聞えなかったけど」
 ――そして私はあなたを導くでしょう
「ほら、聞こえるでしょ!」
 花梨はそう強く訴えるが、士の耳には厨房の中の火の音と薬缶の湯が沸く音が聞こえるだけだ。士は薬缶の火を止めて、再び耳を澄ます。
 ――そしてあなたは辿り着くでしょう
「やっぱり誰かがいるんだ。稲玉くん、こっち!」
 花梨は士の手を引き、部屋を出る。そのまま廊下を突き進む。
「おい、何なんだ。俺には歌なんか聞こえない。少し落ち着くんだ」
 世界はぐるぐる回る。花梨は胸の奥がより熱くなっているのを感じていた。苦しい。何かが激しく体の中でうごめいているような気がした。全身に汗が滲む。息が切れる。だが、それでも足を止めない。
「大丈夫、きっと。この歌は、私たちを呼んでる」
 花梨の自信に満ちた表情に、士も黙って彼女の後をついていくことに決めた。
 ――そして終わりは必ず訪れるでしょう
 廊下をまた左に折れる。だんだんと、花梨の耳にははっきりと歌が聞こえるようになっていた。そして進んでいくと、目の前にまた一枚の扉が現れた。
「ここだよ、この中から歌が聞こえる」
 花梨はそう言う。
「なあ、これまでずっと廊下は一本道だった。そして俺たちは角を左へ、直角に四回曲がった。途中あった部屋も全て覗いたけどそこには何もない部屋があっただけだ。つまりこの城に、出口はなかった。今目の前にあるこの部屋、最初に目が覚めた時に俺たちがいたホールだろう。元の場所に戻ってきたんだよ……」
 士はそう言うが、花梨は小さく首を振った。
「それでも良いんだよ。とにかくここに、この歌を唄っている人がいる。私たちはその人に会わなくちゃいけない」
 花梨は士の目を見てそう言った。彼女の目には、全く迷いがなく、曇りがなかった。
「……分かったよ。あんたがそう言うならそうなんだろう。どうせもう行くあてもないしな」
 花梨は士の言葉に頷き、そして二人はそのドアを開けた。
 
 ホールの中央に、人影があった。二人に背を向けて立っていたその女性は、ドアの開く音を聞いて振り返った。長い髪がふわりと揺れた。
「ようこそ、あなたたちを待っていました」
 その声は凛としていてどこか冷たく、でも優しく、透き通っている。女性の顔は、若々しいようでもあり、しかしその落ち着いた表情からかどこか年老いても見え、年齢が全く予想できない。
「あなたはいったい……誰なんですか」
 士の問いかけに、女性はゆっくりと答える。
「私の名前は、キャサリンコルトレーンといいます。はじめまして、水附花梨さんと稲玉士さん」
 キャサリンと名乗る女性はそう言って微笑んだ。
「あなたたちはこの城の中で、全てのことを知ったはずです。だから私の名前を聞いて、きっと思い当たることがあるでしょう?」
 キャサリンにそう言われ、花梨はハッと気付いた。
「CCI幹部だった、クラリスコルトレーンの……お姉さん?」
 その言葉に、キャサリンは一瞬驚いたような表情で口を開け、そして吹き出すようにして笑った。先程まではだいぶ大人びた表情をしていたのに、そういうところはやけに子供っぽく見えた。キャサリンは笑いをこらえて言った。
「ごめんなさい、でも、お姉さんなんて言うから。そう、違うわ。私はクラリスの母親です」
「あの歌を唄っていたのは、キャサリンさんですよね?」
 と花梨が尋ねる。
「ええ、私が、あなたたち二人をここへ呼んだのです」
「なぜですか? あなたは俺たちに何をさせようとしているんです」
 と今度は士の方からキャサリンに尋ねる。誰もいないホワイトキャッスルの中に突然現れた女性に、どうしても戸惑ってしまう。士には歌が聞こえていなかったから、余計に混乱する。
「ええ、順番にお話ししましょう。どうぞ座ってください」
 キャサリンはホールにあるソファを手で示す。花梨と士がそれに腰を下ろしたのを見て、自分はそばにあった椅子に座り、それから話を始めた。
「私は、インカゲインのCCI計画反対派の一員です。つまりエリック・マンチェスターたちの侵略戦争に反対する一派です。矢羽樹というエージェントをあなたたちの世界へ送り込んだのは私です」
 花梨と士は、黙ってキャサリンの話に集中する。キャサリンは二人の顔を見ながら話を続ける。
「さて、私があなたたち二人を呼んだ理由について話しましょう。まあ私が呼ばずとも、あなたたちがここに来ることは分かっていたのですが、とにかく順序立ててお話しします。インカゲインにおいて、資源の枯渇などを原因とする飢餓やその他さまざまな問題が浮上してきたのは数十年前のことです。そしてその問題はどんどん悪化し、インカゲインとは別のもう一つの世界、つまりあなた方の世界を、侵略することで問題を解決しようとする動きが出てきました。それが十数年前です。そしてそれが実際に計画として動き出したのがおよそ十年前。エリック・マンチェスターという男を中心に今まで進められてきたCCIプロジェクトです。もう知っていることでしょうが、エリックはあなた方の世界で能力者に殺し合いをさせ、ホワイトキャッスルを作り出すことで二つの世界を結ぶ道を開き、エキセントラ力を持つインカゲインの軍によってあなたたちの世界を侵略しようと考え、長い間その計画を進めてきました。私は早くからエリックらの侵略戦争の計画を察知して、それに対抗する手を考えてきました。侵略などしても意味がありません。犠牲が増えるだけなのです。侵略しても、同じように生活を続ければすぐに資源の尽きる日が来ます。それでは根本の問題は全く解決しないのです」
 キャサリンはそこでいったん話を切り、花梨の方を見て微笑んだ。そして息をついて話を再開する。
「私は侵略以外の問題解決の方法がないかをひたすら研究し続けました。すると、ホワイトキャッスルがその鍵になるかもしれないということが分かったのです。ホワイトキャッスルとは、あなたたちの世界にとっては、生き残った二人の能力者の種が回転することによって顕現する幻のようなものに感じるかもしれません。しかしインカゲインの世界にとっては、ホワイトキャッスルとはちゃんと存在する物体なのです。ホワイトキャッスルとはインカゲインにある神殿のようなものです。普段はただの建造物ですが、向こう側の世界でホワイトキャッスルが顕現した時にだけ二つの世界を結ぶ道ができ、門が開くのです。私はインカゲインのホワイトキャッスルの中に入って、あなたたちが見たであろう映像と同じものを目の当たりにしました。それは二つの世界の過去と未来でした。それによって私は侵略戦争が成功してしまった後の悲しい未来を知りました。だから何としても私は侵略の計画を止めなければならないのです。その後も私はホワイトキャッスルの中へ入り、問題解決の糸口がないか探し続けました。すると先程も言った通り、このホワイトキャッスルが鍵になる可能性があることが分かりました。ホワイトキャッスルには、エキセントラ力をエネルギーに変換し、コントロールする機能が備わっているのではないかという仮説が立てられたのです。それはしかし、二つの世界がホワイトキャッスルにより繋がっている時だけの機能であるようなのです。しかも本当にそんなことが可能かどうか、証明はできていませんでしたから、侵略戦争の計画を進めようとしている者たちを説得することはできませんでした。しかし私は、前回のニューヨークでの実験の際に確信したのです。あの時、あなたたちの世界で一瞬ですがホワイトキャッスルが顕現しました。その瞬間だけ、私がいたホワイトキャッスルの周辺でエキセントラ力が変質していたことが分かっています。そして、今私たちがいるこのホールです。ここにはエキセントラ力を制御するための装置があります。それがどんな仕組みで働くのかは長い間謎のままでしたが、私たちの研究によってようやくそれが明らかになり、私はキャッスルをコントロールしてエキセントラ力を制御する能力を生み出しました。あとは私たちが作り上げた理論通りに実践に移すだけというところまで来ているのです。あなたたち二人には、それに協力してほしい。二つの世界の人々を救うためには、もうそれを成功させるしかないのです」
 それまで黙ってキャサリンの話を聴いていた士が、口を開いた。
「ホワイトキャッスルが鍵になる、それで俺たちの協力が必要。言いたいことは何となく理解できましたが、具体的な方法が全く分かりません。しかも今の話を聴いた限りでは、成功するかどうかも怪しい。この城でエキセントラ力をコントロールできるということが、実証されていません。それで大丈夫なんですか」
 キャサリンは頷く。
「こんなことを言うと非常に頼りないでしょうし、無責任だとは思いますが、確かに、私も絶対に事が成功するという自信を持っているわけではないのです。しかし、私の見た未来は、次の四つなのです。一つは、インカゲインの侵略戦争が成功してあなたたちの世界は滅び、一度はインカゲインは復活するけれど、すぐにまた同じ問題が起こり結局最後には滅亡へと向かう道。一つは、強大なエキセントラ力を持った矢羽樹がエネルギーに耐え切れず暴走し、二つの世界を滅ぼしてしまう未来。また一つは、今お話したホワイトキャッスルの機能を利用して問題を解決しようとするが、エキセントラ力の制御に失敗して二つの世界を焼き尽くす未来。これも今までの二つと同じく滅亡の未来です。そして最後の一つ。それはホワイトキャッスルによりエキセントラ力をエネルギーに変換しコントロールすることで問題の根本を解決することに成功する未来。つまり、人々を救うため、生き残るためには、もう選択の余地はないんです。これは、私たちに残された最後の可能性。最後の賭けなんです」
 その言葉に、花梨と士は息を呑む。
「やるしかない……ってことだよね」
 花梨が言う。
「私たちだって、あの映像を見た。このままだと世界が滅んでしまうってことは分かってる。それなら、残りの可能性に賭けるしかない。それがどんなに小さな可能性であっても。危険な賭けであっても。稲玉くん、そうでしょ?」
 士はそれまで俯いて考えていたが、ゆっくりと顔を上げる。ため息を一つして、やや自嘲気味に笑う。
「もう悩む余地すらないみたいだしな。もともと俺は水附に協力するしかない。あんたがやりたいと言うのなら、俺はなーんにも考えずにそれについて行くだけだ」
 花梨は笑って頷く。
「キャサリンさん、私たちにできることなら、何でもやります。協力させてください」
 キャサリンはその言葉に微笑み、二人ともありがとう、と頭を下げた。
「あとは、あの子だけね」
 キャサリンのつぶやきに、二人は首を傾げた。
「あの子?」
「もうすぐ、ここにやって来る頃ではないかと思います」
 花梨と士は顔を見合わせた。
 
 何かの音がしたと思った次の瞬間、突然三人のいるホールの扉が開いた。花梨と士は振り向き、そこに立つ人物を見て驚きの声を漏らす。しかしその人物が見つめるのはただ一人、キャサリンだけだった。そしてその女性は口を開く。
「母様……?」
「久しぶりね。ようやく会えたわ、クラリス
 そこに現れたのは、キャサリンの娘である、クラリスコルトレーンだった。
 クラリスはキャサリンの方へと歩み寄り、落ち着かない様子で言う。
「どうしてここに母様が? いえ、それよりここはいったい……。私はホワイトキャッスルを通って、インカゲインへ帰るはずだったのに、どうして」
「ここはホワイトキャッスルの中よ。その証拠に、今これを召喚している水附花梨さんと稲玉士さんがここにいる」
 冷静な声でそう言って、キャサリンは花梨と士を手で示す。
クラリス、あなたがここに来ることを私は前から知っていた。私はあなたがここに来るように、計画を進め、準備をしていたのだから。あなたにも、ここにいる水附さんと稲玉さんの二人とともに、戦いを止めてほしいのよ。インカゲインを救ってほしい、私の代わりに……」
 そう言うキャサリンに、クラリスは首を振る。
「どういうことなのか、私にはさっぱり分からない。私はただ、もといた場所に帰りたいだけなのよ。インカゲインの故郷に帰って、そして母様と一緒にいられればそれで良い。それがどうして世界を救うなんて話になるの……」
「あなたも、この城の中で全ての事実を知ったはずよ。争いを止めて、そしてインカゲインの問題をちゃんと解決しなくては、二つの世界に未来はないの」
「分からないわ。分かるはずない、そんなの……」
 クラリスの目には涙が滲んでいる。歯を食いしばるようにしてその涙をこらえ、何とか言葉を発している。
「私はただ昔のように、普通の暮らしがしたいだけ。戦争なんて関係ないわ。私だって、エリックが侵略戦争を企んでいたことを知った時、確かにおかしいと思った。でも、どうしてそれに私が巻き込まれるの? 私は何もしていないのに」
 クラリスの悲痛な叫びには、キャサリンだけでなく花梨や士の胸にも突き刺さるものがあった。キャサリンは悲しげな表情を見せ、そして言った。
「そうね、あなたは巻き込まれただけ。私が、私の手で、あなたを巻き込んでしまった……。私は大きな罪を犯した、責められるべき人間だわ。でも、お願い。私の話を聴いてほしい。私には、全てを話す義務があるから」
 キャサリンの懇願する眼差しに、クラリスは言葉を失う。そして戸惑った表情で、分かった、と頷いた。それを見てキャサリンはいくらか安堵した表情を浮かべ、そしてゆっくりと話し始めた。
「まず、言わなければならないことがあるわ。ショックを受けるかもしれないけれど、でもとにかく最後まで聴いてほしい。クラリス、あなたは十年前、突然の神隠しに遭って、インカゲインから向こうの世界へと姿を消した……。でもね、あなたをインカゲインから向こうの世界へ送ったのは、私だったのよ。全てはこの時のために。あなたにホワイトキャッスルを顕現させるために、私はあなたを異世界へと転送したの。私はインカゲインのホワイトキャッスルの中で、二つの世界が滅亡する未来を見た。そのためには一刻も早く向こうの世界にホワイトキャッスルを築かなければいけなかった。ホワイトキャッスルを使ってエキセントラ力をコントロールするためにね。そこで私は自分の娘を異世界へと送ることを思いついた。思いついて、しまった。残酷なことだと分かっていたし、何より私が辛かった。我が子をいきなり別の世界へと置き去りにするなんて。でも、その時にはそれ以外の方法がなかった。急がなければならなかったし、それにあなたに説明をしても、あなたは向こうの世界に行くことに同意などするはずもなかった。だから突然の神隠しのような形で強制的に転送しなければなかった。そうしてあなたがあの世界へ辿り着いたのが、およそ十年前に起こったテロの現場だった。あれはあなたの転送をカムフラージュするためのものでもあった。あのテロ……稲玉さんはあの場にいたから、覚えているのではないでしょうか」
 キャサリンは士の方へと顔を向ける。
「はい。その頃はまだ小さかったから、少ししか記憶にありませんけど」
「私たちが映像で最後に見た、あのテロですね……」
 という花梨に、キャサリンは小さく頷く。
「でもあんなひどいテロをあなたが? 犠牲者は相当なものだったはず。転送のカムフラージュだけなら、そこまでする必要はないですよね?」
 そう言うと、キャサリンは再び頷いた。
「そう。あのテロはそのためだけに起こしたものではありませんでした。あれだけの犠牲を出したのも、私の罪の一つ。ですがあの規模のテロが後のために必要だと考えたのです。あのテロが起こった日、現場には私が送り込んだエージェントの矢羽樹、さらに大井剣也、そして今ここにいる稲玉さんが居合わせていました。矢羽樹に関しては、私が彼の状態を確認する必要があったのと、ああいったテロなどの危機的状況における彼の暴走の度合いを確かめると同時に、簡単に暴走しないように慣らす必要もありました。少し話は逸れますが、矢羽樹のために矢羽楓とその家族を利用したのも、そういう人間関係を築かせることで精神活動を起こさせ、矢羽樹の暴走をできる限り抑えようという目的があってのことでした。それがどの程度上手くいったのか、はっきりと知ることはできませんが、しかしここまで矢羽樹が大きな問題なく機能したことは矢羽楓やその家族の存在があったからだと私は思っています。ここでも私は罪のない人間たちを巻き込んでしまいました。それでも、より確実な方法を選ばなければいけなかったのです。さて、あのテロの現場に大井剣也、つまり後にB−Aというコードネームで能力者のテロ集団に加わった男ですが、その彼と稲玉さんがいたのはどうしてか。これも私のある目的のためにあらかじめ計画されていたことでした。優れた力を持つ能力者には、ある条件があるのです。と言ってもやや曖昧なものなのですが、それは、人生において負う、心の深い傷や、闇、トラウマ、弱さのような精神的な一種の障害を持つことです。それらを持つ人間の方がそうでない者より優れた能力を持ち、そしてその力の制御にも長けているのです。大井剣也と、稲玉さん、この二人はそうした能力者の資質を有していた。だから私は、二人の居合わせるあの場であのテロを起こさせたのです。そうして二人の精神にさらに大きな影響を与えることで、より能力者に適した人間へと成長させようと考えたのです。あの十年前の時点で、私はいずれ起こるであろう能力者同士の戦いのことを考えていました。ホワイトキャッスルの顕現には、強い能力者が必要でした」
「初めから、俺を利用しようとしていたわけですね」
 と士が言う。キャサリンは頷く。
「ごめんなさい。そうやって私は確実にホワイトキャッスルを作り出す方法を模索していたんです。そういった手回しをした結果、私の計算では、最後に残る能力者は大井剣也と稲玉さんの二人のはずだった。しかし私の予想に反したことが起きたのです。まず一つには、エリック・マンチェスターによってCCIプロジェクトが予想以上に早く始められたことがありました。ニューヨークでの実験は失敗に終わったけれど、その時は大井剣也も稲玉さんもまだ能力を手に入れていませんでしたから、当然私はあの時ホワイトキャッスルの形成を想定していなかった。その時はまだ準備が整っていなかったのです。結局実験は失敗でしたから、どうにか私の想定した通りに日本での計画がスタートしたわけですが。それから、何より想定外だったのは、水附花梨さんです」
 キャサリンは花梨の方を見る。花梨は真剣な顔で、黙って話を聴いている。
「水附さんは、大井剣也よりも能力者に適した存在だったのです。正直、初め私は水附花梨という少女に対して何の注意も払ってはいませんでした。とても失礼なことを言いますけど、戦いの初期の段階で命を落とす能力者の一人としか捉えていなかったのです。しかし、水附さんは能力者同士の戦いの中で見る見る能力者としての成長を遂げた。しかも誰一人殺すことなく、です。これは水附さんだけの非常にすぐれた素質としか言いようがありません。そうして、水附さんは最後まで生き残った。それが強い能力者の証です」
「私は……強くなんかありません」
 そう言ってから、花梨は俯いていた顔を上げた。
「私は弱い。でも、守りたいんです。私はそう決めたんです。今まで私はただ戦いから目をそらして、逃げてきました。でも本当は逃げたくなかった。目の前で誰かが傷付くのを止めたかった。だから、もう悩むだけの自分はやめようと思ったんです。何が正しくて、何が悪かとか、そんなことじゃなく、私の本当にしたいことを、自分の気持ちを信じることにしたんです。こんな私でも、誰かを救うために行動できるって、大切な人を守るために何かをしたいって、そう思ったんです」
「大切な人を守るため……」
 花梨の話を聴いていたクラリスがそうつぶやいた。
 クラリスはまだ混乱する頭で考える。今まで自分は故郷に帰るということだけを考えてきた。しかし、このままではその故郷は失われてしまうかもしれないのだ。もはや侵略戦争どころの騒ぎではなく、両世界が矢羽樹の暴走によって一瞬にして滅ぼされてしまうかもしれない。……実感がない。世界が危機にさらされていて、滅亡が近いなんて。インカゲインでずっと何不自由なく暮らしてきた私が、現実を見ていなかっただけなのだろうか。私は、ただ昔のように母様と一緒に、何もない平穏な日常を過ごしたいだけ。それを取り戻すことだけを、異世界に送られて以来ずっと夢に見てきた。
「大切な人を、守る……」
 私にとっての、大切な人。それは。
「これで、私の見たこと、してきたことの全てをあなたたちに話しました。……クラリス
 キャサリンが、クラリスの方を向いて娘の名を呼ぶ。
「私はあなたに、エキセントラ力制御の能力を継承します。これは、私から実の娘であるあなたに伝えるもの。あなたに伝えるべきものなのよ。私が長年の研究で発見した制御法。でも私にはもう力が残っていない。だからあなたに託す。ここまでたどり着いたあなたならきっとできるはず。あなたになら、いえ、あなただけに、信用して任せることができる。お願い、あなたの力を貸してほしい」
 クラリスは母の姿を見る。
「母様……」
 インカゲインで母と過ごした日々。あの頃は本当に幸せだった。ずっとその幸せを取り戻したいと思っていた。大切な人を取り戻したいと思っていた。
「でも、私に……」
 クラリスは困惑の表情を浮かべる。
 そのとき、突然、ホワイトキャッスルが激しく揺れだした。
 
 巨大な城が揺れる。歪む。何かの巨大なエネルギーによって、空間がねじ曲げられようとしている。花梨、士、クラリスの三人はバランスを崩して白い床へと倒れ込む。
「どうなってるの!」
地震、ではないよな」
「まさか、矢羽樹が……?」
 揺れは収まらない。城が崩れかけている。キャサリンが声を張り上げた。
「水附さん、稲玉さん、キャッスルを崩壊させてはいけません! 種の回転を維持してください! 今ホワイトキャッスルが消失してしまえば、全てが終わりです」
「そう言われても……っ!」
「矢羽樹が、ホワイトキャッスルを吸収したのです。二人とも、自分の種の感覚に集中してください」
 花梨は目を閉じる。胸の奥に熱さを感じる。心臓と別の小さな鼓動を感じる。回転する。乱されるな。まだ種は生きている。士の種の力と回転もしっかりと感じられる。
 しばらくして、城の振動は止まり、辺りは静まり返った。キャサリンが口を開く。
「ホワイトキャッスルは矢羽樹に吸収されましたが、なおも顕現した状態を保っています。そして、この城のおかげで水附さんと稲玉さんのエキセントラ力は矢羽樹の体内へ吸収されずに維持されています。でもこの状態をずっと続けるのは水附さんと稲玉さんに大きな負担をかけ続けることになります。急がないと……」
 そう言うキャサリンに士が問いかける。
「矢羽樹は、どうなったんですか」
「余りに多くのエキセントラ力を持ったために他のエキセントラ力に対する強い引力が生まれ、そしてブラックホールのように周りのエキセントラ力を引きつけ吸収した結果、矢羽樹はエキセントラ力の塊、つまり強力なエネルギー体に変化しました。これが暴走したら二つの世界は全て焼き尽くされてしまいます。非常に危険な状態です」
 花梨がその顔に恐怖の表情を浮かべる。
「それを今、私と稲玉くんが抑えているんですか」
「二人は、強力なエネルギーに押し潰されないように耐えている状態です。そして私がキャッスルにかかる力をなんとか制御しています。負担が重なれば均衡は崩れ、一気に全てが吹き飛ぶでしょう」
 とキャサリンが説明をする。
「どうすれば良いんですか!」
 士は苦しげな表情で声を上げる。
「矢羽樹のエキセントラ力を、このホワイトキャッスルに取り込みます。そしてキャッスルの機能を使ってエキセントラ力のエネルギーを取り出し、変換します。人間が利用できる形のエネルギーにね。エネルギーは半永久的に供給され、それによりインカゲインの資源枯渇問題を解決します」
「そんなことができるんですか?」
 花梨の問いかけにキャサリンは頷く。
クラリスにならできるはずです。もう他に方法はないのです」
「で、でも私は! 私にそんなことができるわけ……」
 クラリスは床に膝をついたままの姿勢で悲痛な声を出す。そんな娘に、キャサリンは優しく落ち着いた声で話しかける。
「できるわ、あなたなら。いえ、やってもらわなければ。自分を信じて。私の言う通りにすれば必ず成功する。いい? 水附さんの種は他とは違う特殊な成長をした。そして彼女の種は芽吹き、花を咲かせた。その水附さんをしっかりと支える力が稲玉さん。これは花を支える土壌です。そしてこのホワイトキャッスルは花の状態を保つための庭園。矢羽樹の持つエネルギーは花に対する強力な養分。クラリス、あなたはこの庭を管理して、花から果実を作る。人間が利用できるエネルギーを詰め込んだその実を収穫してみんなを、世界を救うのがあなたの役目よ。あなたに託された、あなたにしかできない仕事」
「母様……」
 クラリスは立ち上がり、キャサリンのもとへとゆっくり歩み寄る。そしてクラリスは母親を抱きしめようと腕を広げ、力を込める。
 しかし。クラリスの手はキャサリンの体をするりと通り抜けてしまう。
「どうして……?」
 クラリスの頬に涙がすぅっと伝う。
「私がいるのはインカゲインのホワイトキャッスルの中です。だからあなたたちに見えている私の姿は、あなたたちが見たあの映像と同じようなものです。こちらから干渉しているので会話はできますが、お互いに触れることはできない」
 キャサリンの声に、クラリスは黙り込んだ。その肩が震えるのを後ろから見ている花梨には、クラリスの華奢な体の中で激しい感情が重なり合い、うねるように動き回っているのが目に見えるようだった。
 城が再び揺れる。莫大なエネルギーが牙となってホワイトキャッスルを崩壊させようと襲い掛かってくる。花梨と士は何とかキャッスルを保とうとする。
「……分かりました」
 と、静寂を破った声はクラリスのものだった。
「私の手で、世界を救います。必ず、希望を実らせます」
 キャサリンはその言葉に頷き、クラリスに微笑みかける。
クラリス……」
「私が母様に再会するためには、世界を救わなければならない。それが分かりました。だったら私は迷ってなどいられません。急ぎましょう。手遅れになる前に」
「……そうね」
 キャサリンはそう言って、クラリスをホールの中央へと導いた。
クラリス、これからあなたに、ホワイトキャッスルを制御する能力を継承します」
 キャサリンクラリスの胸の前へ両手をかざした。能力の継承が行われる。花梨と士はキャッスルの維持に集中しながら、その様子を見つめる。しかし、長時間にわたってキャッスルを維持しているため、二人の体力は限界間近だった。二人は背中合わせに床に座り込み、回転する視界と、どこからか感じる圧力と、胸の奥の熱に耐え続ける。
「大丈夫か?」
 という士の呼びかけに、花梨は苦しげに頷く。
「ここで私が諦めるわけにいかないからね。だいじょうぶ、折れないよ、私は」
「そうだな。それなら俺も、あんたが倒れないようにちゃんと支えてやるよ。それが俺の役目らしいし」
 そこで、ホールの中に明るい光が現れた。花梨と士はホールの中央のその光を見た。白い光。だが城の中の白に消されることのない光。それはキャサリンの両手からクラリスの胸の中へと移動し、吸い込まれる。やがて光は消え、向き合って立つキャサリンクラリスだけが残った。
「これで継承は完了したわ。あなたはこの城を操ることができる……」
 キャサリンはやや疲れた顔を見せて、クラリスにそう言う。
「水附さんと稲玉さんの疲労ももう相当です。急いで始めましょう」
 とクラリスは焦った表情を見せる。それにキャサリンは頷く。
「そうね、急ぎましょう。でも落ち着いて。失敗は許されないのだから……。これから、矢羽樹から、エキセントラ力を引き出します。クラリス、あなたはホールの中央に」
 そう言ってキャサリンクラリスから離れ、花梨と士の近くまで遠ざかった。そこまできて、彼女はまた続けた。
「目を閉じて、エキセントラ力の流れだけに集中しなさい。矢羽樹の持つエネルギーは一歩間違えば二つの世界を一瞬にして消滅させてしまえるほどのもの。何があっても周りの他のことに気を取られてはいけないわ。自分を信じて、力を使うことに全神経を集中させること」
 クラリスは目を閉じて、ただ頷く。
「落ち着いて。大丈夫、必ず成功するわ」
 キャサリンの言葉にクラリスは再び強く頷き、一つ大きく呼吸をする。そして声が響き渡る。
「始めます!」
 
  ***
 
 鼓動を感じる。体を駆け巡る波の音が聞こえる。
「熱い……」
 世界が燃えているような熱を感じた気がして、目を覚ます。ここはどこか。破壊された街の風景。
「生きて、いる……?」
 自分はまだ、息をしている。体を動かすことができる。あれだけの熱に、全ては溶かされて、もう終わりだと思っていた。しかし、その熱が、どこかへと徐々に流れ出していくのが分かる。体の中から、力がすぅっと抜けていく。不思議な感覚だった。熱に蝕まれた体が冷やされて、沈静化される。心地良い風が通り抜けていくのを感じる。
 助かった。そして、生きていることの安心感。戦いはもう終わった。それでもまだ自分は生きている。つまりそれは、戦わずに生きられるということ。自分は、戦いのためだけの存在ではなかったんだ。殺戮兵器ではなかった。ただの、一人の人間に過ぎなかった。そのことが嬉しい。そのことだけで、こんなにも救われる。
 目の前に再びあの、白い巨城が現れていた。自分の中にあった莫大な量のエキセントラ力が、今はこのホワイトキャッスルの中へと移り、そしてその力はキャッスルの中に閉じ込められた。この城が、自分を救ってくれた。
 矢羽樹は目覚めた。
 今度は、一人の普通の少年として。
 
  ***
 
 ホワイトキャッスルが矢羽樹からのエキセントラ力を受けて、ひずむ。花梨と士がホワイトキャッスルの維持に全神経をとがらせ、クラリスはエキセントラ力の制御に集中する。
 そんな中、キャサリンは姿を消していた。インカゲインからの干渉をストップしたのだった。あの子たちならば大丈夫、きっと成功させてくれる。そう確信していた。
「ごめんなさい、クラリス……」
 うつ伏せに倒れ込んだキャサリンの目には、大粒の涙が光っていた。
 結局私は、犠牲を生み出すことしかできなかった。犠牲のない解決を目指していたはずが、最後は何もできずに娘に託すことしかできなかった。テロによって罪のない人々を犠牲にした。ホワイトキャッスル顕現のための能力者同士の争いによっても犠牲を出した。侵略戦争に伴う犠牲も大きい。そして何より、私は自らの娘を犠牲にした。最悪の母親だ。
 私は、娘の最後の望みもかなえてやることができない。自らの犯した罪の重さに体を押し潰され、その毒によって胸は蝕まれて、私はここで死ぬだろう。クラリス、あなたとの再会の時はやって来ない。私はあなたを裏切ることになる。
 キャサリンの両目が閉じられる。
「もう、一度……会いたかった」
 クラリス、依存していたのは私の方だったのかもしれません。あなたがいなければ私は生きられない。愛する娘を手放したくない。私があなたを犠牲にしようとしたのは、そういうことだったのかもしれません。いつかあなたがいなくなってしまうことを、私はいつも恐れていました。あなたを手放したくないがために、私はあなたを自分から遠ざけることを選んだのかもしれません。本当にごめんなさい。
 世界は救われるでしょう。未来はちゃんと続いていくでしょう。だから、ここでさようなら。罪を犯した人間は、罰を受けることなく、眠ります。…………さようなら。
 
 
 空間が歪み、軋むゴォォ……という音が止まった。
「エキセントラ力の取り入れを完了しました」
 とクラリスの声がした。
「ホワイトキャッスルを固定。水附さん、稲玉さん、もう大丈夫です。これでキャッスルは自然に維持・保存されます。二人のエキセントラ力も取り出しに成功しました。もう能力は失われているはずです。これから二人をもとの世界へ帰します」
「待って、キャサリンさんは……?」
 花梨はホールの中を見渡して、キャサリンの姿がないことに気が付いたのだった。クラリスは、暗い表情で答える。
「母は、亡くなったんです……。十年以上前から、ほとんど一人きりで世界を救おうとしてきたんです。到底一人の人間が背負い切れるものではないのに。それに加えて、矢羽樹のエネルギーを制御し続けていた。私たちをここへ導いた。最後の力を使い切って私に能力を継承した。ほとんど顔には出していませんでしたが、私は娘です。母が死を覚悟していたことは、分かっていました」
「じゃああなたは、世界を救っても母親には会えないと分かった上で、それでも引き受けたのか……」
 士がクラリスに言うと、彼女は頷いた。
「それが今の私に唯一できることだから。母のために、娘がしてあげられる最後の恩返しだから。それが私と母の、再開になると思うんです」
 花梨と士はその言葉に、俯く。花梨はこぼれようとする涙を必死でこらえようとする。
「協力してくれてありがとう、水附さん、稲玉さん」
 クラリスはそう言って二人に微笑みかける。その笑顔には、どこか母親のキャサリンの面影があるように感じられた。
「あなたは、ここに残るんですね」
 士がそう言うとクラリスは、はい、と答える。
「これから果実を収穫して、インカゲインの人々に配らないといけませんから」
「ありがとう、世界を救ってくれて」
 花梨がクラリスに礼を言う。クラリスは首を振る。
「私はむしろ救われた方ですよ……。さあ、二人は早くもとの世界へ戻ってください。街の復興には時間がかかります。あなたたちの手で、明るい未来を創ってください」
 花梨と士は頷く。
 そしてクラリスは二人をもとの世界へ送る。
「私たち、またどこかで会えたらいいですね」
 花梨の言葉に士は腕を組む。
「会えるのか?」
 クラリスは笑って言う。
「ええ、きっとまた会えます。その時には、いろんな楽しい話をしましょう。幸せの話をしましょう」
 花梨と士は頷く。そして、白い巨城に別れを告げる。クラリスコルトレーンに別れを告げる。
「さようなら、最後の能力者たち」
 その声とともに、二人の視界からクラリスが消えていく。真っ白な景色が薄れていく……。
 
  ***
 
 世界から、エキセントラ力が失われた。能力を失った人々は、戦いから解放された。長かった戦争はようやく終息を迎えた。二つの世界は救われた。
 未来から来た戦士たちは伊勢神宮の門を通ってもとの時代へ。インカゲインの戦士たちはホワイトキャッスルを通って故郷へと帰還した。
 騒ぎがだんだんと収まり落ち着いたところで、花梨と士は矢羽樹に会った。樹は二人から事の次第を聞かされ、自分が世界を滅ぼし得る存在であったことを知った。そして花梨と士、コルトレーン母娘に救われたということを知った。樹は自分が普通の人間として生まれ変わることができたのは四人のおかげに他ならない、と礼を言った。
「迷ったんだけど、やっぱり俺はインカゲインに行くことにする。自分の生まれた世界をこの目で見てみたいしな」
 樹はそう言って、花梨と士に別れを告げ、ホワイトキャッスルを通ってインカゲインへと旅立っていった。
 しばらくの間は名古屋の地に維持されていたホワイトキャッスルだが、全てのエキセントラ力がエネルギーに変換されて利用可能な形となり、インカゲインに送られると、ついにその巨大な影を消した。キャッスルがあれば二つの世界の人々はお互いの世界へ行き来が可能だが、キャッスルを維持しておくにはクラリスの力が必要になる。彼女の負担を考えれば、ホワイトキャッスルを残しておくわけにはいかなかった。
 過激な戦闘が繰り返された日本の各地では、復興が急がれた。花梨や士、または能力者の戦いに関わった人間たちによって事実は世界中に向けて発信され、二度と同じ過ちが起こらないようにとの教訓を込めてこの悲劇は語り継がれることになる。能力や能力者の話について、それが存在したことを認めないという人々も決して少数派ではなかったが、それでも全人類の心に、あまりに強大すぎる力を持つ存在に対する恐怖というものを嫌というほど植えつけることにはなった。何にせよ、今回の事件で全世界の人々は目を覚ますことになり、テレビの言葉で言えば「世界平和についての認識を改めることになった」という話になったのだった。
 
 
 花梨は学校の中庭の芝生に寝転がり、パンをかじる。正午近くの暖かい日差しが、眠気を誘ってくる。まぶたが閉じてくる……。
「おい、もう授業始まるぞ」
 という声に目を開けると、そこには士が立っていた。
「嘘! もうそんな時間?」
 花梨が慌てると、士はニヤニヤと笑う。
「嘘だよ。まだあと三十分ある」
「うわ、ひどい。安眠妨害!」
「中庭で寝るなよ」
「そういう君は授業中に居眠りをしてるでしょ」
「授業中は寝ても良いんだよ」
「なんで?」
「さあ? 世界が平和だから?」
「どうして疑問に疑問で答えるの!」
「平和だからさ」
 花梨は立ち上がって、逃げる士を追いかける。そんな昼休みの学校。
 世界は平和を取り戻した。でもそれは、きっと当たり前のことじゃない。また世界のどこかで争いが起きてしまうかもしれない。今だってどこかで苦しんでいる人がいるかもしれない。それを解決するのは並大抵のことではない。ただ、二人にはそれが分かっているからこそ、この平和を思い切り楽しもうと思えるのだった。そしてこの平和を守っていくことが、あれを経験した自分たちがこれからなすべきことなんだと思えるのだった。
 
 
  ◇◇◇
 
 
 正月だった。家でテレビを見ていると、玄関のポストに郵便が届いた音がした。こたつから出て、それを取りに行く。
 年始のあいさつのハガキの中に、一つの封筒が混じっていた。宛名には「矢羽樹様」の文字。何かの手紙か、と思いながら、差出人の名前を見る。
「CCE……? 何だよこれ」
 とりあえず封を切って中に入っている紙を取り出す。そこにはこう書かれていた。
「『あなたは選ばれました。あなただけの特別な力を与えます』……?」
 これはまさか。CCEって、どういうことだ。
「『この手紙を受け取ったことにより、あなたの中に力の種が住みつき、それによってあなたはあなただけの能力を扱えるようになります。力の種はインカゲインの選ばれた人たちの中に散らばっています。これらの種は互いに引き合い、最終的には一つになることを求めています。そしていつまで経っても一つになれなければ、種の持つ力は暴走し、宿主自身を滅ぼします。なので死にたくなければ、インカゲイン中の能力者を殺し尽くし、あなただけが生き残る必要があります。タイムリミットまではしばらく時間がありますので、頑張ってください』…………」
 手紙から、細い光の糸が何本も伸び、そして樹の胸へと吸い込まれるように入っていく。この感覚は。胸の熱さは。あの時と同じ……。
 樹の手から、手紙がひらりと舞い落ちた。
 
 
(了)
 
 
 
(担当:御伽アリス)