故障かな、と思ったら その6

 魔神はそれぞれが天災を司っている。嵐、津波、雷、地震、噴火、疫病、旱魃。それらはいずれも、圧倒的な暴力でもって人類に牙を向く、まさに暴虐の権化そのものだ。
 しかし、そもそも魔神とは、魔物とはいったい何なのか。魔神に限らず、すべての魔物は生物としての体をなしていない。生殖行動をしないので、普通に考えて繁殖することすらできない、絶滅するしかない存在なのだ。しかし魔物はいつまでも減ることなく世界に跋扈し続けている。
 有力な説では、魔物とは、人の畏怖や恐怖心が生み出した怪物だという。人は生まれながらにして、恐怖という感情を有している。恐怖は生きるために必要な感情だから、一切の恐怖を持たない人間など存在しない。それゆえ、人が存在する限り魔物もまた生み出され続ける。
 そして同時に、これはひとつの事実を突きつける。人は、己の恐怖から生まれた魔物をそれゆえに無条件に忌み嫌い、魔物は、人の恐怖から生まれたゆえに無条件に人を襲う。それは決して変わることのない世界の摂理であり、人間と魔物は、生まれながらにして不倶戴天の間柄なのだ。
 そしてその頂点たる魔神は、人間にとって悪や闇や恐怖の権化である。それは、津波の魔神を冠するカズキにも当てはまる。それゆえに彼は、すべての人間を滅ぼすことを決断した。魔物は人の恐怖から生まれるが、たとえ人類が絶滅したとしても、今生きている魔物が消えてなくなるわけではない。まだ生まれていない魔物が生まれなくなることなどとくに問題でははないし、人間のことなどはじめから考慮にない。
 そのためにまずは他の魔神を殺し、その力を吸収することで己の力を高めた。同じ魔神といえど考え方や価値観には違いがあり、あえて力を奪ったほうが自分の目的を達成しやすいと考えたからだ。
 そして、魔法少女たちと行動をともにし、アセラ捜索を行うことにした。理由は単純で、魔神を抑える力を持ったアセラを破壊するため。しかしアセラは魔神を抑えるためには十二個すべてが集まる必要があったが、単体であっても魔神から自身を防御するだけの力は有していた。そのためカズキは機を待っていた。
 十二のアセラは、合体しひとつになることで完成形となる。そして合体するそのとき、アセラは一時的に弱化する。そのためにカズキはハナイたちと行動をともにし、すべてのアセラが集まるときを待った。そして、そのときは来た。ハナイたちがジャグマアミガサを発見したとき、六のアセラを所持するスズキとユメもその場に接近し、カエンもこの場所にテレポートで移動しようとしていることをカズキは感じていた。そして、合体の準備でアセラたちが一時的に弱化することも。
 わずかながら迷いはあった。ソトなどはカズキを人として接していたし、彼女たちを屠るのは心苦しいものもあった。だが、彼女はあくまでもカズキを人だと思い、それゆえに人として接していたに過ぎない。カズキを魔神として受け入れたわけではないのだ。洞窟の中で偶然遭遇したドーマのことが脳裏によぎった。目的のために致し方なくカズキはそれを殺したが、彼女たちはドーマを発見した瞬間それを無条件で敵として認識していた。事実ドーマは魔法少女たちを襲ったが、どちらにせよそれは、人と魔物の関係の縮図にほかならなかった。
 だから、カズキは迷いながらも、人を滅ぼすという道を進み続けることをやめない。そのための一歩として、アセラを破壊するべく、彼は飛び出した。
 だが彼は誤算をしていた。
 そのひとつは、スズキがテレポートを繰り返しながら、さらに物理的に突っ込んできたこと。テレポートは点と点を結ぶ移動だ。そこに速度の概念は存在しない。それゆえテレポートを用いた高速移動法においても、物理的な速度はゼロになるはずである。なので、勢いあまって突っ込んでくるなどということはありえない、はずだ。
 しかし、スズキはあまりにもあせっていた。自分自身の保身のため、テレポートを繰り返しながらさらに脚で走りまくっていたのだ。そのことはカズキも想定しておらず、結果カズキとスズキは正面衝突した。
 しかし何よりも大きな誤算は、この世界は、カズキの考えていたよりもずっと残酷だったということだ。


 少女は至極普通の女の子だった。朝はお母さんにたたき起こされ、学校では一生懸命ではないけどそれなりに勉強して、家に帰る途中で友達と寄り道して遊ぶ、ごくごくありふれた女の子だった。
 しかし、そんな少女の日常は、ある日突然に、不可避に、理不尽に、暴力的に破られた。
 その日少女は、家に帰り玄関のドアを開けると同時に異変に気がついた。その家では、基本的に鍵は中に誰かがいてもかけられている。少女も、家に入ったら鍵をかけるようしつけられていたし、その日もランドセルから鍵を取り出し開けようとしていた。だけどそのとき、鍵は開いていたのだ。
 もちろん鍵をかけ忘れるということもある。おそらくそうだろう、まったくしょうがないなお母さんは。そう思いながら、少女は玄関の扉の鍵を掛け、靴を脱いでリビングに入った。
 少女の視界が、赤に包まれた。床も、壁も、テーブルも、全部が全部、赤い液体で彩られていた。それは一見ペンキのようだったけれど、それにしてはやけにぬめぬめしていて、気分が悪くなるほどに鉄臭かった。そして、そんな赤い世界に立つ人影。それは手に赤く光る包丁を持ち、顔には口の裂けたピエロのお面をかぶっていた。
 血溜りの中、少女は絶叫した。
 少女は本当に、普通の女の子だった。朝はお母さんにたたき起こされ、学校では一生懸命ではないけどそれなりに勉強して、家に帰る途中で友達と寄り道して遊び、テレビを見ては魔法少女にあこがれる、ごくごくありふれた女の子だった。


 ある日の新聞に、ひとりの、社会を震撼させた殺人鬼の死刑判決の記事が載せられた。
 その殺人鬼は、ピエロマスクと呼ばれている。理由は簡単で、人を殺すときに、口の裂けたピエロの面を装着していたからである。
 その犯行は、残虐非道の一言に尽きた。民家に押し入っては家族を殺し、さらには小学校に侵入してクラス中の生徒を殺害するなど、残虐の限りを尽くしたのだ。逮捕されるまでに殺した人間の数は、五十人を超える。この国の犯罪史上に名を残す、あまりにも危険な犯罪者だ。
 その医者はその新聞の記事を手に、とある病室を訪れた。その部屋に寝かされている少女たち(一部少女ではないものもいるが)は、みなピエロマスク事件の被害者だ。ただし、直接肉体を攻撃されたわけではない。ただ事件の場所に居合わせ、原因不明の昏睡状態に陥ったのである。おそらくショックによるものだろうが、しかし精神的な理由だけでこれほど長期的に昏睡状態に陥るなど他に例がない。
 しかし彼女たちは事実として今も眠り続けている。いわゆる植物状態というやつだ。どうやらピエロマスクは人の恐怖する顔に愉悦を覚える殺人鬼だったらしく、それゆえピエロマスクを前に意識を失った少女たちの命は助かったのだが、はたしてこれは生きているといえるのだろうか。
 正直なところ、一瞬の死と長い植物状態は、どちらがましかわからない。事実、彼女たちが目覚めるとはとても思えないし、万万が一目覚めたとしても、少女たちはあまりに変化したこの世界に適用することができない可能性が高い。そして何より、おそらく一生、心に大きな傷を抱えたまま生きていくことになるのだろう。
 その部屋で、六人の少女たちは二十年以上にわたって眠り続けている。


 俗に、髪は女の命という。一見お菓子のことしか考えていなさそうなハナイであるが、しかし彼女とて女の子だ。おしゃれには多少なりとも気を使っている。毎日朝はブラッシングをしているし、お風呂に入っては丁寧に洗う。また魔法少女にとって、髪には特別な意味がある。変身とともにそれぞれ違った色に輝く髪は、魔力を制御、放出するための重要なファクターなのだ。つまりそれがないと、変身できない。
 それが、吹き飛んだ。禿になったハナイはショックのあまり、何の言葉も発せられない。ただ言語にならない叫びを振りまくばかりだ。いつもは彼女の失敗を馬鹿にするソトも、今回ばかりはそうも言っていられなかった。それくらい、大変な事態なのだ。
「くっ、何があったんだ?」
 カズキは立ち上がり、状況を確認するように周囲を見回す。つるっぱげでわめきまくるハナイ、それを呆然と見ているソトとサナ、岩壁に突き刺さったスズキと、彼女の腕の中で気を失っているユメ、そして天井近くで光り輝く、アセラ。
 円を描くように十二のアセラはくるくると回り、ゆっくりと、ひとつになろうとしている。この機を逃せば、後はない。アセラまでの距離はおよそ三十メートル。跳んだとしても間に合わないだろう。魔法を使ったら、いくらなんでも他の少女たちもおかしいと気づく。だが、この機を逃すわけにはいかないのだ。どの道ここまできたら、正体を隠す必要もあるまい。カズキはそれでも、なぜか正体を明かしたくないと思ったが、しかしそれがなぜかはわからなかったし、だからストッパーにはならなかった。
 カズキは手に魔力を集める。放つは雷。カズキは津波を司る魔人であるが、力を奪ったため、他の五つの魔神の魔法も使えるのだ。指先からアセラまでを超高速で走る電撃は、瞬きよりも短い時間でアセラを撃ち抜いた。轟く音が、洞窟内にこだまする。
 カズキが何をしたのか、最初に理解したのはサナだった。カズキの正体に気づいていた彼女は、その瞬間同時に、カズキの目的をも看破した。だが、彼女が口を開こうとした瞬間、別の声が空気を揺らす。
「無駄よ。私たちがそうであるように、アセラもまた、決して壊れることはないから」
 幼くかわいらしいその声は、光の中から聞こえた。見れば、いつの間にかそこに十二のきのこはなく、代わりに、人のシルエットが浮かんでいる。
 それは少女だった。白く長い髪が風もないのに揺らめき、周囲を淡く照らす。見た目は、サナよりもなお幼い。おそらく五、六歳程度だろう。だけどその雰囲気は、とても幼子のものではなかった。彼女を包む大人びた空気は、まるで幼いままに年老いたかのようだ。
「誰、でしょうか?」
 パニックに陥っていたハナイも、予想外の事態に言葉を詰まらせる。サナも、口を半開きにしたまま固まっていた。
「やっぱり忘れちゃったみたいね。でも説明はあと。まずは……」
 小さくて、でもはっきりとした声で少女は言い、カズキへと視線を向ける。危機を感じたカズキは大きく後ろに下がろうとする。だが、それすらもかなわない速度で少女の手から放たれた黄金色の槍が、カズキの腹部に突き刺さる。その一撃で足を止めたカズキの周りを囲むように、紫の輝きが線を紡ぎ、正八面体を形作る。と、それは瞬時に面を生み出し、カズキを内側に閉じ込める。
「まさか魔神に自我が生まれるとは思わなかったわ」
 少女はそう言うと、それでもう興味が失せてしまったかのごとく、カズキから目を逸らす。変わりにいまだ岩壁に突き刺さったままのスズキを見やり、指をわずかに動かす。すれば、スズキとユメは岩壁の中から浮かび上がり、近くの地面に軽やかに着地した。
「どわー! なんじゃこりゃああああ!」
 軽やかではなかった。意味不明の状況に困惑するスズキ。しかし少女はスズキの言葉など耳に入っていないのか、すたすたといまだ気を失ったままのユメの元に歩み寄る。でもって彼女の頬を思い切りひっぱたいた。あれ、絶対やりすぎだよなと思ったのはソトだ。が、やりすぎでも起きることは起きる。頬を赤く晴らした状態で、ユメはゆっくりとまぶたを開けた。
「よかった、私生きてる。でもなんか痛い……あのばばああとでぶん殴ってやる。あれ? いつの間にかみんないるし。って、あんた誰よ?」
 遅い反応だった。しかしおくればせながら状況に気づいたユメは、とりあえずわめき散らす。しかし少女は相変わらず無視だ。ゆったりとした足取りでそばに落ちていた岩に近づき、もたれかかる。
「さて、じゃあまずは自己紹介からはじめましょうか」
 少女がそういうと、それに真っ先に反応したのはハナイだった。
「はいはーい。私はハナイ、九歳。偉大なる魔法少女ケイの孫で、最強の魔法少女です」
 さっきまでの混乱はどこへやら、ハナイは自信満々に語る。
「誰が最強だ。この前アタシに負けたくせに」
 ソトが言った。
「私にも負けてたわよね」
 これはユメだ。
「ふーん。なるほどね。そうなっていたの。消えてしまったものを、それでも存在することにするために」
 一方の少女は、なにやらよくわからないことを言う。
「それはそうと、あなたはだれなのかな?」
 サナが、少女に向かって問うた。身を屈めるようにして顔を近づける彼女は、自分よりも小さな相手に少しお姉さん気分だ。
「うん。今から言うところ。といっても、あなたたちは私のことを知っているはずだけどね」
「へっ?」
 少女の言葉に、サナは驚く。彼女は、自分よりも年下の女の子など知らないのだ。少女のことも、もちろん知らない。振り返ってみるが、他の面々も少女のことはわからないようだ。
「ああ、やっぱり忘れているみたいね」
 少女は、自分のことが忘れられているとわかって、しかしちっとも悲しそうではない。彼女の口ぶりはどこまでも平坦で、表情も変わらない。
「私の名前はケイ。この世界を創った魔法少女よ」
 少女のその言葉に、一同はただ沈黙を貫いた。だけどそれは、おいここにおかしなやつがいるぞと思っているとか、そういう類のものではない。彼女たちの記憶がその一言で改竄されているからだ。
 誰しもが押し黙る中で、少女、ケイはただ待った。やはり核を書き換えるには、少し時間がかかるらしい。
 やがて、世界の書き換えが終了したらしく、まず真っ先に口を開いたのはハナイだった。
「ケイ、あなたは何を言っているのですか? いくら魔法少女がすごくても、世界を創ることなんてできません。それくらい私でもわかります」
 その言葉を、ケイはただ黙って聞く。どうやら、ケイという魔法少女はハナイの祖母ではなく、六人いる魔法少女うちのひとりだという、つまりケイが去る前の記憶に戻ったようだ。だが、説明の手間が省けるかとも思ったが、どうやら全部をはしょるわけにはいかないらしい。
「そもそも、この世界にはいくつか不自然なことがある」
 ケイは、おくすことなく言った。
「その一、あなたたちは死んだはずなのに今もこうして生きている。その二、作業自体は簡単とはいえ、アセラの管理というきわめて重要で責任の重い仕事が年端もいかない少女たちに任せられている。その三、魔法というどうやって起こっているのかまったくわかっていないものをみんながみんなごく当たり前のように使っているのに誰もそれが何なのか考えようともしない。そのほかにもいくつも、不自然な点を抱えているわ。世界が世界として成り立っているのが不思議なくらいに」
「おいお前、一体何を言っているんだ?」
 ソトが言った。わけのわからない事態に、だいぶいらいらしているようだ。
「結論を言えば、この世界のすべては夢なの」
 ケイは端的に述べた。
「私も、すべてを理解しているわけじゃない。ただ確かなのは、私たちは同じトラウマを抱えていて、そのせいか私たち六人の意識が混線して一つの世界を形作っているということ。この世界のすべては虚像で、本当の私たちはおそらく今も本当の世界で眠っていること。だから、この世界の形は私たちの心によって成り立っているということ」
 この場にいる全員、はじめはきょとんとした顔だったが、直後にそれは驚きに変わった。突然、目の前にドーマが現れたのだ。
 何もない虚空から突如として生み出されたドーマはケイに向かって襲い掛かるが、片手を払う動作でたやすく吹き飛ばされ動かなくなる。
「この世界は私たちの心で成り立っているわけだから、こつさえ掴めば強くイメージするだけでそれを現実にできる。単純な話、どんな魔法だって使えるの」
 だからこそ、ケイは魔神というものを作ることができたのだ。また、これは彼女も知らないことだが、この地方でエスケトが採れるのは、ケイが生み出したアセラによるものだということになっていた。ケイは確かに、アセラに自分自身の分裂体という事実を後付で与え、そのせいでアセラという道具に、エスケトの生成と魔神のコントロールという、まったく系統の違う二つの役割が与えられるという不自然さが生み出されてしまったわけだが、アセラ自体はそれ以前からあったものなのだ。しかし彼女が姿を消した後、ケイはハナイの祖母で偉大な魔法少女ということになるのと同時に、アセラの開発者ということになった。みながそう思っていただけなく、真実としてそういうことになっていたのだ。もっとも、この二つはこの世界において同義なのだが。つまり、世界に不自然に大きな変化が起きると、世界はそれにあうように世界の形を書き換える。ケイの場合、世界の核たる六人の輪の中から彼女が離脱してしまったために、彼女がその場にいない合理的な理由を与えつつ、にもかかわらず世界に重要な意味を付与する役割を与えられた結果あのような形になったのである。
 つまりこの世界は、六人の少女たちの意識から成り立っており、場合によっては、合理的に見える形で世界のあり方そのものが書き換えられることすらある。村が裕福なのは、裕福な暮らしがしたいという願いが生んだ結果だ。この西洋風の世界も、魔法少女という概念も、同様に彼女たちの心が生み出した。この年代の少女なら、西洋風のファンタジーの世界、剣と魔法の世界にあこがれていても不思議ではないだろう。同じく、魔法少女という偶像への夢も普通のことだ。
 しかしそれは、彼女たちが世界を好きなようにできるということではない。世界を生み出しているのは彼女たちの心だが、それは表面的なものだけではなく、深層心理までをも含む。そもそも、自分自身の感情や思考を完全にコントロールできる人間などまずいないだろう。しかも世界の形成には、六人の少女の心が関係しているのだ。たとえば魔法少女が世間的に低い地位にあるのは少女の誰かが自分自身に強い劣等感を抱いているからであり、魔法少女の回りにお菓子があふれているのも誰かがお菓子を執着的なほどに好いているからだ。それはたとえるならば多数の執筆者がひとつの物語を描いているようなもので、ある程度のコントロールはできてもすべてを自分の思い通りに進めることなどできるはずがない。
 ぎしぎしという音が鳴った。見れば、カズキを封じた正八面体の中が、大量の水で満たされ、外に出ようと紫の面を圧迫している。
 それを見て、ケイは面倒だという顔をする。どんな魔法でも使えると言ったが、実際にはまったく制限がないわけではない。イメージによって世界に影響を与えるということは、逆にいえばイメージできることしかできない。魔法を使うためには、それを行っている自分を明確に想像しなければならないのだ。そのため、たとえばカズキを殺す、などといった具体性に欠けることはできない。
 また、世界は表面上のイメージだけを汲み取ってくれるわけではない。そのため少しでも破られるかもしれないと思った瞬間、実際に破られる可能性が生まれてしまう。そうとわかっていても、自分の心を完全に操ることなんてできないし、しかもそれに関係するのはケイだけの意思ではないのだ。この世界は六人の意識が混線して成り立っている。なので、六人のうち誰か一人でもその可能性を考えた時点で、それは起こりうることとなるのだ。
 とうとう内部からの水の圧力に負け、正八面体にひびが入った。そう思った瞬間、そこを基点とし、水が一気に溢れ出す。形を崩された紫の面は、もはや檻としての機能を失ってしまった。
「はあ、はあ。何で、何でこんなところでおまえが出てくるんだよ!」
 腹を抑えながら、カズキは叫んだ。それに対しケイはさもどうでもよさそうな視線を向ける。
「なめ、やがって。ボクたち魔神が、いつまでもおまえの思い通りだと思うな!」
 カズキの叫びと同時、壁が、天井が、床が、ひび割れる。たちまちのうちに大量の土砂と岩のなだれが、ドーム上の空間を押し潰そうと全方位から押し寄せる。すさまじい音が響き渡り、見る間に世界が狭くなる。
「ちょっと、なによこれ? 潰されちゃうじゃない!」
 ユメが恐怖に顔をゆがめて叫ぶ。
「うわー! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさーい!」
 どうやらスズキは、カズキの魔神という単語を聞いてこれも自分のせいだと思い込んだらしい。
 だがケイは顔色ひとつ変えない。ゆったりとした動作でわずかに腕を振るう。瞬間、時間が巻き戻るように、押し寄せて来る土砂が、逆方向に流れた。崩れていた岩や土が浮き上がり、何もなかったかのように元の形へと直されていく。
 しかしここにも、魔法少女の弱点が生じる。イメージで魔法を使う彼女は、魔法の使用に高い集中力を必要とする。それゆえ、特に大掛かりな魔法を行おうとするとその分周囲のことがおろそかになってしまうのだ。
 飛び出したカズキの手には、一振りの刃渡り五十センチもあろう細身の剣が握られている。熱と電気を操り、ナイフを細く、長く、変形させたのだ。
 魔神の腕力でもって細身の剣が振るわれる。刃はケイの無防備な胴体に見事に入り、彼女の体を両断した。しかし、ケイの斬られた断面が、まるで帯が解けるようにのびる。そして二つの帯は結びつき、それに引き寄せられるように体がくっついた。
 そして、ケイの拳が振るわれた。わずか五歳の体に似つかわしい、華奢で小さな腕。だけど、そんなことは関係ない。魔法少女の扱える「魔法」は、世間一般の魔法とは違うのだ。ユメが村の戦士の斧を止められたのは、レヴィオストームの魔力によるものではない。ただ防げると彼女が確信していたゆえだ。肉体の強さなど、この世界では曖昧なものに過ぎない。
 ケイの拳が顔面に突き刺さり、カズキは数十メートルの距離をノーバウンドで吹き飛ばされる。そして彼は、そのまま岩壁に突き刺さった。破壊的な一撃に彼の顔の皮膚は抉れ、血がその肌を赤く染める。
 しかしケイの攻撃はそこで終わらない。彼女の手には刃渡り数メートルの炎の剣が握られており、それを、槍のように投げ放つ。空気が揺らぐほどの熱が、時速数百キロもの速度で飛ぶ。たいしてカズキは右手を前にし、大量の水をビームのように撃ち出した。すさまじい量の水蒸気が撒き散らされ、炎剣の熱が見る見る失われる。さらにその奥から、赤く燃える火山弾が撃ちだされた。灼熱の火山弾は水蒸気の幕を切り裂き、ケイを狙って一直線に飛ぶ。対してケイが軽く腕を振るうと、どこからか現れた植物の蔓が、火山弾に向かって突っ込んでいった。撃ち出された火山弾を無数の蔓が包み込み、その速度を殺す。さらに、その炎で燃え上がった蔓がカズキに向いて突進する。しかし蔓は、カズキに到達する前に突如としてしなびれ、枯れ果てた。
 だが、それは勢いを衰えさせることなく、炎に燃え尽きることもなく、カズキに向かって猛進する。いつの間にか、滑らかに動いていたはずの蔓は硬く引き締まり、奇怪な形をした青銅の槍へと変わっていた。
 その先端の刃が逃れようとするカズキを捕らえる。そしてその勢いでカズキを岩壁に押し付け、彼の体に無数の孔を穿つ。空気に解けるようにして槍が消えた後も、カズキは動かなかった。
 また暴れられたら面倒ですし、ここで殺しておきましょうか。そう考え、ケイはゆったりとした足取りで倒れた魔神のもとへと歩み寄る。
 しかしその歩みは、途中で止まった。
「どうして邪魔をするの?」
 彼女の前に、ソトが立ちはだかったためだ。
「ケイ、いい加減にしろ。いくらなんでもやりすぎだ」
 ソトがほえる。
「あら、もうわかっているはずよ。その子は魔神なの。魔物の親玉。それも、五つの魔神から力を奪って力を増している。だからそいつは、もともと持っていた水以外の魔法も使うことができる。国のひとつくらい、簡単に落とせるでしょうね」
「だからって、殺していいってことにはならないだろ。実際にこいつがそんなことをするっていうのか?」
「そうですよ。魔神イコール悪なんて考えは間違っています。彼は私たちを助けてくれたんですよ」
 ハナイもそれに同調した。
 その言葉を聞き、ケイは、まあいいかと思った。別に彼女たちに感化されたわけではない。最初から、その程度の相手などどうだっていいのだ。漸く、真打も登場した。
 ケイは少女たちから視線を離し、ドームの入り口に注意を向ける。いつの間にかそこに立っていた、厄災。
 それは、ただ一体、ケイが作り出したわけではない、唯一にして最強にして最悪にして最低にして最凶の魔物。破壊と殺戮を好み、ただ殺すために人を殺す存在。
 ピエロマスク。
「うそ、どうしてこんなところに……」
 うめくような声が、空気にむなしく響く。その言葉を発したのはサナだったが、しかしその場の全員、同様に恐怖を覚えているらしい。
 少女たちは現実の記憶を持っていない。ケイも、現実に何が起こったのかは知らない。だがピエロマスクこそが自分たちに共通するトラウマの正体であり、自分たちの恐怖そのものだということは、理解していた。世界を破壊する絶対の災厄の存在は、彼女たちの中に圧倒的な恐怖としてこびりついている以外に説明がつかない。
 それこそがすべての元凶であり、すべての悲劇の始まり。そして、ケイが少女たちの輪の中から去った理由でもある。
 この世界は、六人の意識が混線して形成された、いわば夢の世界だ。少女たちの意識に応じて形を変え、確からしいことなど何もない。すべてが虚構の世界。
 だけどそこに生きるものたちは、れっきとした人格を持ち、意思がある。感情があり、人としての営みを繰り広げている。たとえ幻想の世界であっても、そこに存在する彼らは、紛れもない命なのだ。
 ケイは、その事実を知ってしまった。虚構の世界は、夢であってもすでにひとつの現実なのだ。だけどそんな事実はお構いなしに、あるいはそうであるからか、ピエロマスクは世界中で殺戮の限りを尽くした。多くの、数え切れないほどの命を奪い、悲劇と涙を撒き散らしたのだ
 だから、ケイはみなの前から姿を消し、ピエロマスクの力を抑えることに全力を尽くした。少女たちの意識から生み出されたこの世界における、絶対の災厄。少女たちにとってそれが絶対の恐怖であるがゆえに、ピエロマスクはこの世界において無敵の存在なのだ。その力を抑えることができるのは、この世界の形を作り、なおかつその事実に気づいたケイだけだった。だけどそれは、一筋縄ではいかない。だからたった一人、絶対の恐怖に立ち向かうため、そのほかのすべてを切り捨てた。全力でピエロマスクに当たるために、そのほかのすべてを捨てたのである。
 そして、ひとりになったケイは魔神や魔物を生み出した。
 そこには、二つの意味がある。ひとつは、魔物との戦いで他の魔法少女の成長を望んだこと。そしてもうひとつは、魔神や魔物の存在によってピエロマスクを最大最悪にして絶対的な災厄の座から引きずり降ろすことである。それまでピエロマスクは、世界を脅かす最大の敵だった。ところがそこに、魔物という新たな敵を投じ、さらに魔神という存在を出現させることによって、ピエロマスクを絶対の恐怖から八柱存在する魔神のひとつへと相対的におとしめたのである。現実ならば、それでピエロマスクが弱体化することはないだろう。しかしこの世界では違う。イメージが摂理を記述するこの世界においては、相対的な弱化はそのものの実際の弱化につながるのだ。
 もっとも、すべての魔物をケイが生み出したわけではない。一度魔物というものの存在を世界が認めると、ケイが手を加えなくても、世界が勝手に魔物を生み出し続けるようになったからだ。だがとにもかくにも、世界中に魔物という災厄をばら撒いたのがケイであることには変わらない。そうまでして、彼女はこの世界を守ろうとした。
 しかし今、ケイはそこまでして守ろうとした世界を壊そうとしている。
 ケイはあえて述べなかったが、この世界にはもうひとつ大きな性質がある。それは、忘却だ。この世界に生きるものは、少女たちも含め、いつの間にか、本人の自覚もないままに、過去のことを忘れてしまっているのだ。この世界がただ六人の少女の意識から成り立っているだけなら、ケイが村から姿を消したとき、ケイにハナイの祖母という役割を与えるなどという面倒なことは必要ない。この世界の改竄は、ハナイたちがケイという存在を忘れてしまったために、それでもケイが存在するために起こったのだ。この世界では、人は多くのことを簡単に忘れる。なぜか。それは、ケイの触れなかったこの世界のもっとも不自然な点にある。
 たとえば、死んだとされるケイは三年前に死んだことになっていたが、去年も一昨年も、三年前に死んだことになっていた
 たとえば、ハナイは現在九歳だが、もう二十年以上も九歳のままだ。
 この世界の時間は、止まっているのだ。
 現実の少女たちの時間が止まってしまっているがゆえに、この世界も時を刻むことができないのである。
 その事実を合理的にするよりも、世界の時間が止まっている事実そのものを忘却によって覆い隠すほうを、世界は、少女たちは選択した。そうしなければ、体は成長しなくても精神は成長してしまうから。それをあえて黙っているのは、言ったところで彼女たちには理解できないからだ。すべてを忘れてしまっている彼女たちにそんなことを言ってもとても信じられないだろうし、ケイ自身、それをうまく証明する手立てがない。そんな状態でそんなことを伝えても、無駄に混乱させるだけだ。
 だけどそれこそが、ケイがこのことを起こした最大の理由。アセラの故障と偽り魔法少女たちを呼び寄せ、彼女たちがばらばらであると知って十二のアセラを集めさせた。本当はそんなことをしなくてもケイは元に戻ることができたのだが、あえて集めさせることで、彼女たちの合流を図ったのだ。同じものを探していれば、必ずどこかで会うはずだから。
 彼女はどうしても、六人の魔法少女を一箇所に集める必要があった。そしてこの洞窟という暗闇に閉じ込めることにより、恐怖心を煽り、ピエロマスクをおびき寄せたのである。
 彼女は疲れてしまったのだ。永い永い時間。世界は繰り返される。少しずつ違っていても、結局それは誤差の範囲内。いつまでも繰り返される世界に、しかし住人たちはその事実に気づかない。それはまるで幸せな悪夢のようなものだ。だけどその中でただひとり、世界の真実を知ってしまったケイだけが、繰り返される世界を見てしまう。
 ケイの心は磨耗していた。彼女たちという核を失えば、この世界は存在することができなくなり、消滅してしまうことなど気にとめることができないくらいに。
 だから彼女は、ピエロマスクとの決着をつけることにした。この世界から抜け出し元の世界の戻るためには、この元凶を倒さなければならない。
「あいつを倒さなくちゃ、私たちが元いた世界に戻ることはできない。そのためには、六人の魔法少女が力をあわせる必要がある。恐怖を、乗り越える必要があるの」
 ケイはわずかに片手を振る。そのわずかな動作だけで空間が切り裂かれる。そして、時空に開いた穴から、黒い、霧のように不確かな存在がのそりと姿を現した。嵐の魔神、レヴィオストーム。村で怒り狂っていたはずのその存在は、従順にケイの傍らに立つ。ずいぶんと派手に暴れていたようだが、明確な自我をもたない魔神を操るのはそれほど難しいことではない。カズキは例外なのだ。
「レヴィオストーム!? どっから出てきたのよ」
 ユメが驚きの叫びを上げた。
「やばい。こいつも魔神なんだよな? 倒さないとまずい気がする。私の自己保身……」
 スズキはいつまでそれを引っ張るのだろうか。
「でもこんなの、本当に勝てるのかな?」
 サナの悪い予感はよく当たるのだ。
「結局こいつと戦わなくちゃいけないのか」
 ソトが、自分自身に言い聞かせるように言った。ペンダントが輝き、猫モードに変身する。
「って、私変身できないじゃないですか!」
 ハナイが叫び声をあげた。
 しかし彼女の言葉など誰も聞いていない。その代わり、うずたかくたたずむレヴィオストームが、その巨体を波打たせてピエロマスクへと突進する。巨大な腕を大きく振りかぶる。
 瞬間、ピエロマスクが片腕をレヴィオストームに突き刺す。たったそれだけで、黒い魔神は粉々に吹き飛ばされた。一切の物理攻撃を無効化するという、レヴィオストームの持つ特性を完全に無視した一撃。同列であるはずの魔神同士とは思えない、圧倒的な格の違いがそこにはあった。
 その存在は、この世界において絶対の災厄だ。いくら小細工を施そうと、結局その事実は変わらない。ケイはその強大な魔法で魔神たるカズキを倒したが、あんなものはイメージ力とこの世界の仕組みを利用した小手先の技に過ぎない。ピエロマスクに対抗するのに、そんなものに意味はない。なぜならそれは彼女たちの恐怖そのものであり、ケイもまた、これまでずっと、そこから目を逸らし続けていたのだから。
 この戦いに、敗北はない。なぜなら彼女たちは死なない。世界が、世界の核たる彼女たちの消失を拒絶するゆえだ。だからたとえ勝つことができなくても死にはしない。ただ、永遠に続く戦いがあるだけ。しかし逆に言えば、一切の逃げ場も救いもない戦いが永遠に続くのだ。この場から逃げ出す、という選択肢もありえないではないが、そうしたところでまた繰り返すだけである。
 これが普通の勝負ならば、一万回戦えば、一億回挑めば、一兆回ぶつかれば、一度の勝利をもぎ取れる可能性はある。しかしこれは、そういった次元の問題ではない。敵は、自分たちの中にある恐怖そのもの。己の心と向き合い、乗り越えない限り、勝利を手にすることは絶対にできない。
「でも、勝たなくちゃいけない。絶対に」


 それは、とある病院の一室。そこで、人の命に関するある話し合いが行われた。とはいえそれは、話し合いという名の確認作業。理事の多くは、もう何年も前から、それを実行したくてうずうずしていたのだ。
 病院の経営は厳しい状況にある。経費は極力削減したい。彼らはみな、そう考えていた。時に世の中では、人の命よりも金が優先される。それは残酷なようで、だけど彼らは仕事柄、その事実を知りすぎるほど知っていた。だから彼らは、あえて倫理を口にしない。
 その日の会議で、いまだ昏睡状態にある六人の少女の安楽死が決定された。




(次回予告)
「これまで、いろいろなことがありました」「楽しかったこと」「悲しかったこと」「うれしかったこと」「思い出は数え切れないほどあり」「そのすべてが、私たちの宝物です」「くいはあります」「迷いもあります」「できなかったことも、たくさんあります」「だけど、私たちは前に進みます」「私たちは「「「「「魔法少女を、卒業します!」」」」」」


(内容は予告なく変更することがあります)




(担当:すばる)