故障かな、と思ったら その7

 魔法少女
 幼い女の子たちの憧れの存在。
 煌びやかに変身を遂げ、杖を一振りすればどんなことでもきらっと解決してしまう。
 彼女たちが望み、もたらすのは二つ。
 奇跡と希望。この二つ。



 スズキはぼんやりとした面持ちのまま、眼前で起こっている不可思議を眺めていた。
 魔女のようなとんがり帽子、黒いローブは爆風にたなびき、黒く長く寝癖付きの髪が揺らいでいる。半開きの左瞼の奥で、深謀遠慮(?)を宿す瞳がくすんでいた。
 かれこれもう何時間経っただろう。集めた十二のアセラ(いつの間にかカエンもいた)が合体し、突如として現れたケイという名の魔法少女と、ピエロのような仮面を被った魔神との戦いは熾烈を極めていた。辺りを覆い尽くすほどの槍が降ったかと思えば、ピエロマスクがその全てを叩き落とす。返しの一手で繰り出されたピエロマスクの手刀は、厳重に張られたケイの蔓の壁をぶち破って彼女の首を掠めた。そんな息の詰まる応酬が始まって、一周回って飽きてくる頃合いだ。
 最初のうちは加勢しようとしていた他の魔法少女の面々も、今は全く戦意を喪失してしまっていた。ハナイが自分の髪がなくなって変身できなくなってしまったことを嘆いているのを除けば、ソトもサナもユメも一様に戦いの行方を眺めている。手出ししようにも、どうにもならない。レベルが桁違いなのだ。
 五十回を超えたあたりで数えるのを諦めた爆発が再び起こり、スズキの頬を爆風が撫でていく。その頭の中で、様々なアイディアが浮き沈みを繰り返し、やがて一つの形を成していた。普段はドジばかり繰り返していても二十四歳、魔法少女たちの中では並はずれて年上だ。性格にもやや難があったりはするのだが、少なくとも考えるというだけであればそこそこに対応できるのがスズキである。
 ケイは言った。ピエロマスクを倒さなくては現実の世界に戻れないと。
 だからと言って、はいそうですかじゃあ倒しましょうとは思えないのも事実だ。唐突に現実の世界と言われても、実感が湧かない。スズキの中にはこの世界で生まれ育ったという記憶があるし、偉大なる魔法少女に師事してたくさんのことを教わった覚えもある。きっとハナイやソト、サナやユメも同じはずだ。みなこの世界で生まれ、育ち、今に至るまでの記憶が不確かながらもきっとあるだろう。
 この世界は嘘なんかじゃない。これは確信を持って言える。嘘なんかであるはずがない。
 しかしながら、何時間(実際は数十分かもしれないが)に及ぶ戦いの中でも、ケイに疲弊した様子はない。この世界がイメージだけで成り立っているとすれば、このことには納得がいく。イメージなのだから。妄想するだけで疲れてしまう人はそういない。延々と戦うことだってできるはずだ。
 スズキは血溜まりを思い出していた。そうあれは、初めてアセラを見つけた場所。ユメと一緒にテレポートして頭から地面に突っ込んだ後、ユメの嗅覚が血の匂いを拾った。致死の血液量に見えたが、あの場に死体はなく、またそれ以降テレポートを繰り返している間にもユメがそういった匂いを拾ったことはなかった。アセラを回収するのに、この洞窟の粗方の部分は探し回ったように思える。ユメは言っていた。「死んだはずなのに生きている」。ならば、あの血溜まりの正体は、やはりハナイ、ソト、サナのものなのだろう。彼女たちは一度死んだ。なのに生きている。
「・・・・・・いや、面倒だな」
 しばらく考えた後で、スズキはそう呟いた。面倒面倒、ひたすら面倒。こんな難しいことを考えるのは誰か別の人の役目だ。スズキとしては、ただ惰眠を貪り、ユメに行き遅れだなんだと罵られつつ、ハナイとソトの喧嘩を眺め、その横から諦めの眼で眺めるサナを見ているだけで十分だ。先代の魔法少女にいろいろ教わった気はするが、楽ちんになるテレポート以外特に覚えていないのもそんなわけである。
「こんな真面目になるなんて、私らしくもない。まぁ、なんとかなるだろう」
 こんなときであってもいい加減なスズキであった。その一方で、サナは幼いながらも――実に十六歳差である――その鋭い頭でいろいろな思いを巡らせていた。現実世界どうこう考える前に、サナとして第一に優先したいのは目の前でケイと戦っているピエロマスクの消滅だ。
 あれは、嫌だ。不快だ。見ているだけで、同じ空間にいるだけでぞわぞわと得体の知れぬ物が背中を這う。何故そんなことを思うのかは分からなくても、彼女にとって不快な異物であることに代わりはない。一刻も早く視界から消えて欲しかった。そのためであれば、サナは惜しむことなく自分の頭を使った。
 ケイとピエロマスクとの試合は、カズキとの対決とは打って変わって長期戦だ。お互いに一歩も譲ることなく、また疲労の色を見せることもなく、ただ延々と魔法の応酬が続く。果たしてピエロマスクの攻撃を魔法と言っていいものかは不明だが、魔法っぽいのだから魔法で良いだろうというかそんなことをいちいち文面化する必要はない。ないったらないのだ。
 この長期戦の中で、サナは既に結論を得ていた。ピエロマスクは、魔法じゃ殺せない。いやそもそも、世間一般での攻撃方法が通じるのか全く分からない。ケイはケイで化け物じみた動きをしているが、ピエロマスクの比ではない。あれはもう、ただの恐怖だ。お化けだ。そんな得体の知れないものに、攻撃なんて効くわけがない。
 そう思っても、サナはケイを止めようとはしなかった。今空中で翻っている幼い彼女が何を思っているのかは分からないが、ピエロマスクに通常の攻撃が通じないことなんてもう分かっているだろう。それでも攻撃を止めないのであれば、それは彼女自身に何か考えがあってのことだ。だから止めない。止めたくても止められない。
 だからと言って、サナはそのことを仲間たちに伝えようとは思わなかった。ドームの真ん中で髪の毛を失い嘆いているハナイにも、カズキの近くでただ呆然と立ち尽くしているソトにも、岩壁の近くで同じく戦いの行く末を見守っているスズキやユメにも。
 ――だって、私の言葉は誰にも届かない。
 サナは視線をカズキへと向けた。ケイに徹底的にいたぶられ、ソトに庇われたことで一命だけは取り留めた彼は、壁に寄りかかったままケイの姿をじっと追っている。またケイに襲い掛かるつもりなのだろうか。でもそんなことも言えない。だって言っても仕方ない。言ったって誰にも受け止めてもらえないから・・・・・・。
 その視線の先、カズキは朦朧とする意識の中で、ただ目の前を動くものを追っていた。五柱の魔神を殺し、そうまでして蓄えた力もケイの前では無力だった。視界の端に、ピエロマスクに壊されたレヴィオストームの姿が見える。嵐の魔神である彼に物理的攻撃は効かないはずなのに、彼は壊されてしまった。最早魔神としての姿を保つことも難しいらしく、ぐずぐずと黒く溶けながら、人の形へと変わっていく最中だ。今なら、彼を殺して力を奪うこともできるだろう。だがそうだとしても、ケイに勝てるとは思えない。
 人を殺す。ただその目的のために動いてきたカズキは、その目的を達することがもうできないと分かってしまった。魔神を作ったケイは、魔神以上の化け物だ。そんな化け物にかなうはずがない――。
 ゆっくりと、カズキの瞼が降りていく。命が尽き果てようとしていた。もうこのまま生きていても仕方がない。もう、ここで終わりにしよう。そう思った。
「おい、おいカズキ! しっかりしろ!」
 降りていた瞼がピタリと止まり、再び持ち上がった。目と鼻の先に、ソトの姿があった。不意に心臓(のようなもの)が跳ねる。うわっ、と声を上げてしまうと、ソトが渋面を作った。
「人の顔見るなり叫ぶなよ」
「う、ご、ごめん」
 何故自分は人間相手に謝っているのだろう。疑問が頭をよぎったが、いや、きっと分かっていたはずだ。ところどころで感じていた、彼女たちに対する躊躇いのような何か。この世から消し去ろうと思っていたものへの執着。
「大丈夫か?」
 その人間に心配される。ソトはもうカズキが魔神だと知っている。先ほどケイと戦った時に、カズキが様々な魔法を繰り出して彼女を殺そうとしたことも知っている。その魔神に対して心配を向けるソトは、カズキにとってはイレギュラーな存在だ。魔神を怖がらない、でもそれに悪い気はしない。
「うん、大丈夫、多分」
「多分かよ」
 ソトが呆れたような、困ったような顔を作っている。ソトのいろんな顔をもっと見てみたいと思うのも、以前のカズキであればありえなかったことだ。何故そんなことを思うのか、カズキ自身は気付き始めていた。
 人間とはなんなのか、カズキは知らな過ぎたのだ。ただ知らないから、彼らを排斥しようとした。未知なるものへの恐怖は、自我を持って生きるものである以上絶対なのだ。それと同時に、知らないものを知ろうとする好奇心も生けるものにとってまたとても大事なことなのだ。
 それを直感したカズキは、だからこそ素直にこう尋ねた。
「あのさ、一つ訊いていい?」
「なんだよ急に。アタシの方が訊きたいこといっぱいあるんだけど・・・・・・。後で訊かせろよ」
「うん。あのね、なんでソトっていい匂いがするの?」
 途端、ソトの右手から強烈なビンタがすっ飛んできた。あまりの勢いにカズキの体重が負け、ぐるんと体が捻れながら吹っ飛び、岩壁に頭から突き刺さった。突き刺さった壁の中で、カズキは首を傾げた。何故自分は引っ叩かれたのだろう。ただいい匂いの原因を聞いただけなのに。
 やがてソトがカズキを引っこ抜いた。乱暴に引っ張られ崩れた体勢を戻すと、顔を髪と同じ色に染め上げたソトの姿が映った。ソトはカズキのぼろぼろの襟元を掴み、そのまま持ち上げた。図らずも二度目の光景だった。
「お、お前、何言ってんだよこの変態!」
「へ、変態? どうして?」
 訊き返すと、ソトの顔がさらに真っ赤になった。顔の表面に魔力でも帯びたのかと錯覚するぐらいだ。
「変態は変態なんだよ! いきなり何言ってんだ! い、いい匂いがどうとか・・・・・・」
 尻すぼみになったソトは、そのままカズキを手放した。尻もちをつき、これまたデジャヴュを感じるカズキだが、耳から灼熱の炎を上げてそっぽを向いているソトに苛立ちを向けるどころか、こっちまで恥ずかしくなってきてしまった。自分は変なことを訊いてないはずなのに、とんでもないことを質問したんじゃないかと思えてくる。それをとても申し訳なく感じるのだからさらに不思議だ。
「ご、ごめん、なんか変なこと訊いたみたいで・・・・・・」
 素直に謝ると、ソトもカズキに向き直った。まだ耳や頬には朱が差しているが、少し落ち着いたようだ。
「いや、なんか悪い・・・・・・。魔神だから、やっぱり感覚違うのかな」
「こればっかりは、僕が魔神だからなのか、女の子と関わってこなかったからなのかは分からないけどね」
 魔神というのは人間でいえば男の子の形をとっているが、繁殖を必要としない以上性欲を持たない。だから変態にはなり得ないはずだ。カズキの中でそんな反証が浮かぶ。けれどそれはもう意味をなさないのだと気付いていた。どういう理屈なのかは知らないが、カズキは通常の魔神とは異なる。五柱の魔神を殺してその力を取り入れたせいなのかは分からない。それでも、ただ人間を全く相対するものとして捉えることは、もうできなかった。
 ソトがカズキの隣に腰かける。そして眼前に広がる殺伐とした光景を一緒に眺めた。目の前の出来事なのに、ソトにとってはどこか遠い世界のように感じる。自分と同じ魔法少女のはずなのに、ケイは圧倒的な強さを誇っていた。一対一で戦えば秒殺は免れない。だが自分より遥か高みにいるそのケイですら、あのピエロマスクを倒せない。ピエロマスクを見ているとなんだか不安定な気持ちになってくる。ただ悪戯に焦燥し、不安が襲い、途方もない喪失感を覚える。胸騒ぎがするなんてそんななまっちょろいものじゃない。あれはこの世界にいてはいけない。存在してはいけないのだ。
「大丈夫?」
 いつの間にか冷や汗がこめかみを伝っていた。我に返った時、ソトは自分がピエロマスクに呑まれていたことに気付く。
「あ、ああ、ありがとう」
 ソトがカズキにお礼を言うと、カズキが薄ら微笑んだ。本人が意図して作ったのかは分からないが、少なくともソトは初めてカズキの笑った顔を見た気がした。そんなことを思ってしまう自分が少し照れ臭くなる。
 そんなソトの様子に気付くことなく、カズキは真っ直ぐソトを見据えながらこう告げた。
「あれは、君たちの恐怖だよ。天災を司る僕らとは基本的に違うんだ」
 ソトが首を傾げる。
「恐怖? そもそも天災を司るってなんだよ?」
「ああ、えっと、例えば僕は水害を司るんだけど、こんな感じで――」
 そう言いながらカズキは掌を仰向けた。するとその手から湧き出るように水が溢れてくる。ソトから感嘆の声が上がった。
「――それで、僕含め七柱の魔神は天災を司るんだけど、ピエロマスクは例外なんだ。そもそも彼は僕らと違ってケイに作られたわけじゃないしね」
 いまいち理解できていないのか、ソトが腕を組みながらうーんと唸った。
「えっと、つまり、なんだその、よく分かんないけど、あいつは魔神の中でも特別なんだな?」
「うん、そうだよ。そして彼は君たち魔法少女の恐怖そのものだ。トラウマって言えばいいのかな?」
 恐怖そのものという表現はうまく噛み砕けなかったが、先ほどからピエロマスクを見ているとソトに不安が襲い掛かるのはピエロマスク自体が『恐怖』だからなのはなんとなく理解した。
 ソトが曖昧に頷くと、カズキは少し困ったように笑った。おそらくこれ以上平易に説明するのは難しいのだろうと悟って、ソトはありがとうとお礼を言った。どういたしましてとカズキがほんの少し首を振る。彼のマリンブルーの髪が揺れ、同じ色の瞳がほんの僅か視界から外れた後、再びソトへと向けられた。
 そのとき、ソトはあることに気付いた。まじまじと見るのが初めてなので今ようやく気付いたのだろう。カズキの青い瞳の奥で、何かが揺らめいている。最初は、時々起こる爆発か何かが映り込んでいるのかと思った。気になって、カズキの瞳を覗き込んでみる。ソトの奇行に驚いたカズキが身を引こうとしたがそれを留め、両手でカズキの顔を固定した後にリトライしてみる。額同士がぶつかるくらい近づくと、その奥で揺らめいている何かが見え始めた。もう少し、とさらに近づくと、それは何かの模様のようだ。ソトを誘うように、うねうねと動いている。それに抗わず、ソトは模様の動きに身を任せた。
 途端、世界が一変した。すぐに分かった変化は匂い。錆びた鉄のような、むせかえるほどの血の匂いが辺りを包んでいた。続いて視覚だった。洞窟の中にいたはずなのに、見たこともないような場所にいる。見慣れないものが多いが、ソトの知っている限りでは家に見えた。いや、違う。自分はこの場所を知っている。自分の家でもなければ友達の家でも知り合いの家でもない、そもそもウキエ地方の家とは根本的に異なるこの家のような建物を、自分は知っている。ここは――
「アタシの、うち・・・・・・?」
 そう気が付いたとき、ソトの頭の中で何かが弾けた。あ、あ、と断続的に息が漏れる。一瞬にして全身から熱が消えてしまった。力が抜け、膝立ちになる。そうだ、自分は、ここで・・・・・・。
「うわああああああああああああっ!」
 頭を掻き毟って、ソトは絶叫した。





 ソトの絶叫は、このドーム状の空間に響き渡った。それと同時に、ピエロマスクの動きが加速した。元々人智を超えた速度で動いていたが、その上でさらに速くなる。これまで一歩も引けを取らなかったケイの首にピエロマスクの手刀が刺さり、首ちょんぱされてしまった。当然死んでもすぐに復活するのだが、首が生え変わってもピエロマスクの動きについていけるわけではない。治ったと思ったらまたしてもケイの首がぴょんっと飛んだ。
「なんか、様子が変。今までずっと互角だったのに」
 流れが変わり始めた戦いに不安を抱きながら、ユメはひとりごちた。ソトが突然絶叫してから、ピエロマスクの動きの変態っぷりに拍車がかかっている。変身して犬になれば、ユメも大人たちより速く走ることはできる。でもピエロマスクの動作速度はそんな域を疾うに脱していた。余りの速さに残像が尾を引いているように見える。彼の体が閃く度、ケイの首が飛ぶ。飛んではくっつき、また飛ぶ。異常な光景なのに、ユメはリアクションを取るのにも疲れてしまっていた。
 なんでこんなことが起きているのか、今朝起床してから起こった全てのことが信じられない。突然枕元に立っていた少年、彼に触れると様々な情報を含んだ魔力が流れてきた。魔神という存在、莫大な力、ユメの大人たちに向けていた疑いの心が膨れ上がり、そしてユメは反逆した。けれど魔神は偽りの存在で、本当はほんのちょっと大人を驚かす力を手に入れただけだった。そのはずだったのに、魔神は暴走し、本当に村を壊し始めてしまった。魔神は偽りの存在などではなかった。先ほどケイが魔神についていろいろ話していたが、実際魔神がなんなのかは分からない。今分かっているのは、ほとんどの魔神は死に絶え、今残っているのはカズキとピエロマスクだけであること。そしてカズキの中に、自分たちの恐怖の記憶が眠っているということ。
「なんでこんなことになったんだろ」
 ユメの口から溜息が漏れる。今の魔法少女に対する扱いが納得いかなかった、ただそれだけだったのに。
「ユメ」
 名前を呼ばれて振り返ると、全身真っ黒なスズキが現れた。スズキの変身した姿は何度見ても魔女にしか見えない。後は箒か杖か、大きな鍋でも抱えていれば完璧だ。
「何、どうしたの?」
 さっきまでスズキは自分から少し離れた場所に立っていたはずだ。珍しく何かを考えていたような素振りを見せていたが、実際何を考えていたのかは分からない。これでもユメの倍生きているのだから、この状況を打開できるような名案を思い付いてほしいものだ。
 状況が呑み込めない苛立ちを込めて心の中で呟くユメだったが、意外なことにスズキはこんなことを言ってきた。
「ユメ、君はみんなをまとめてくれ。もしもケイがやられちゃったら、今の私たちじゃ全滅するぞ」
「はぁ、何言ってんの? どういうこと? スズキはどうすんのよ?」
「私は、ピエロマスクと戦って時間を稼ぐ。だからその間になんとかしてくれ」
 いつになくきりっとした表情を見せているスズキ。ユメは瞼を瞬かせる。これは私の知っているスズキなのだろうか。そっくりさんとか、何か魔物でも憑依したんじゃないだろうか。思わずスズキの額に右手を当ててしまうユメ。とりあえず熱はなさそうだ。
「・・・・・・失礼じゃないか、ユメよ」
「あなたの普段の態度を考えなさいよ。いきなり真面目になったらびっくりするでしょ」
 全く真面目な、いっそスズキを案じているような表情でユメが言うと、スズキがずこーっと口で言いながらこけた。あ、いつものスズキだとどこか安堵してしまうユメであった。突然真剣なことを言い出すから何事かと思ったのだ。
「ふ、ふふ。甘いぞユメ、私にはな、必殺技があるんだ」
 体勢を立て直しながら不敵な笑みを浮かべるスズキに、ユメは首を傾げる。よく変身に失敗するハナイにすら強さで負ける魔法少女が何を言うのだろう。せいぜい彼女が使える魔法なんて変身を除けばテレポートぐらいなものだ。そのテレポートでさえ、スズキが使っているところをユメは今日初めて見た。普段はとにかく自堕落で怠惰なのだ、スズキは。
 そう告げたが、スズキは不敵な笑みを崩さない。ぶわっはっは、と下品な笑い声を上げると、スズキはびしっとユメに人差し指を突き付けた。人を指差すな、とユメに叱られ渋々とその指を降ろしたが、それでもそのテンションは萎えてない。
「連続テレポートだ! 私には一切の攻撃が当たらないぞ!私は絶対無敵なのだ! どうだ、これが必殺技だ!」
 腰に手を当てて、胸をのけぞらせて叫ぶスズキ。あまりのテンションにスズキが何を言っているのかしばらくの間ユメは分からなかった。しかしちょっとして、ふと必殺技の内容を閃いた。
「・・・・・・まさか、テレポートしまくれば攻撃当たんない、ってこと?」
「大正解!」
 ユメは開いた口が塞がらなかった。発想がバカすぎる。まだ勇者に憧れるような年頃の男の子が考え付きそうなことだ。前々からバカだとは思っていたが、まさかここまでアホだとは。一周回って優しい表情を浮かべながら、ユメは優しく諭そうとした。しかしスズキは全く聞き耳を持たない。完全にそれだけであのピエロマスクに挑むつもりのようだ。
「あのね、いい加減にしてよ! ふざけてる場合じゃないの!」
 いい加減イライラしてきたユメが語気を強めた。私が真面目なんて変じゃなかったのか、という揚げ足取りを黙殺しつつ、ユメは言葉を続ける。
「私たち生きるか死ぬかの瀬戸際なのよ! そんなときによくのうのうと・・・・・・っ!」
 声が詰まってしまった。そこで初めて、ユメは自分が泣き出しそうなことを自覚した。怖い、怖いのだ。みんながいなくなってしまうのが。自分が死ぬかもしれないのが。当たり前だ、誰だってそんなの、怖いに決まっている。
 ぽろぽろと、ユメの目尻から大粒の涙がこぼれ始めた。体に力が入らなくなって、膝を突いて座り込んでしまう。一度恐怖に負けてしまうと、もう止まらなかった。両手で顔を覆い、嗚咽を上げ始める。・・・・・・もう嫌だ、うんざりだ。なんで私たちばかりこんな目に合わなきゃいけないの。こんなの、大人たちがどうにかしてよ。
 時々しゃくり上げながら涙を流し続けるユメを、スズキは覆いかぶさるように抱きしめた。その淡く紫に輝く頭を撫でる。ユメもスズキに抱きついてきた。その耳元でそっと囁く。
「大丈夫だ、ユメ。みんな死なない。絶対だ」
 少し経ってユメが落ち着くと、スズキはユメを離した。目を赤く腫らしたユメは、気恥ずかしそうに視線をスズキから逸らした。その頭を、くしゃくしゃとスズキがもう一度撫でた。ユメが身を捩って乱暴な手から逃れると、今度はその頭にスズキの帽子を被せた。先の折れたとんがり帽子がちょこんと傾いて乗る。
「ユメ、後は頼んだぞ。私たちが死なないかどうか、ユメ次第だ」
 そう言い残して、スズキはローブを翻した。右目を覆っていた髪を掻き上げて耳に引っかけると、ほあたぁっと叫んでテレポートした。スズキの姿が一瞬にして搔き消え、突如としてピエロマスクの背後に現れる。そのままどこからか取り出したぶっとい棍棒を振り下ろす。だがその棍棒はあっという間に千切りにされてしまった。なんかうまそうっ、とスズキは叫びながら迫るピエロマスクの凶手を再びのテレポートで回避した。今度はピエロマスクの反応も早く、スズキに攻撃の間を与えず速攻を掛けてくる。しかしそれもほあたぁっという叫び声でかわした。ほあたったったったったとピエロマスクの攻撃をテレポートで連続回避し始める。その様を、首をくっつけているケイが呆然とした顔で眺めていた。
 くすり、とユメは笑った。そしてぱしんと軽く両手で頬を叩くと、まず見据えたのは一人で俯いているサナだった。
 胸にかかったペンダントに再び魔力を注ぐ。一度変身したものの使う機会がなくて解いていたが、今こそその時だ。来ていた服がはじけ飛び、光を纏って変身する。全身を包む光が霧散すると、そこにいたのは犬のコスプレ、もとい恰好をしたユメだ。ちなみにご存知の通り変身を解けば服は戻りますのでご安心を。魔力は便利なのだ。あるいはイメージか。
 ユメはピエロマスクに目を付けられないよう慎重に速く動いた。ドーム状の空間の隅を両手両足で駆け抜ける。四つん這いで走るのは正直なところあまり好きではないのだが、そんなこと言っている場合ではない。すぐさまサナのもとに辿り着いた。
「サナ」
 声をかけると、ユメがこちらに近づいてくるのは分かっていたのか、サナは特に感慨もなく振り向いた。
「・・・・・・ユメちゃん、どうしたの?」
「サナの力を借りたいの」
 今度はサナの目が真ん丸になる。同時に眉根が寄せられ、口がへの字に曲がった。
「・・・・・・なんで? 私の力なんて何の役に立つの?」
「何言ってるのよ。あなたいろいろ鋭いところあるじゃない。まぁ、普段は細かすぎるけどね。でも、こうなったらどんな小さなことでもいい。あなたが気付いたことを教えて欲しいの」
 ユメはサナの小さな両肩を掴むと、少し屈んで視線を合わせた。フェイストゥフェイスで見つめ合う。サナは目を逸らそうとするが、ユメはそれを許さず、真っ直ぐにサナを見つめる。
 やがて、サナが口を開いた。
「嘘だ。いつも私の言うことなんて聞かないくせに」
 それはユメの束縛を緩めるには十分なほど怨嗟に満ちていた。ユメの手を振り払うと、サナは膝を抱えて座ってしまった。顔をうずめて、一切ユメを見ようとしない。拗ねているのとは違う、サナはずっとずっと孤独を抱えていたのだと、ユメは初めて思い知った。
「・・・・・・ごめんなさい。調子いいこと言ったわね。でもお願い。何か気付いているんでしょ? 教えてよ」
「嫌だ」
 拒絶の声は固い。もどかしいが、今ここで無理やり問い詰めてもうまくいかないのは目に見えている。彼女の心を溶かすには、どうすればいいのだろう。ユメは苦虫を噛み潰したように顔をひそめた。
 気まずい沈黙の流れる二人、そのもとへカズキが近づいてきた。背中にソトを背負っている。顔を隠していたサナも、カズキを見上げた。
 カズキはようやくユメとサナのもとへソトを降ろすと、そのまま倒れてしまった。先ほどケイから受けたダメージがいよいよ体に響いているようだ。それでも力を振り絞って起き上がり、なんとかその場に座った。
「ソトが、急に叫んで倒れたんだ」
 それで必死になって運んできたのだという。ソトは小刻みに震えている。気絶しているわけではないようだが、こちらからの呼びかけにも応答する様子はない。ただときどき、助けて、と掠れた声で呟いている。
 しかし、ここまでソトを運んできたにもかかわらず瀕死のカズキに向けられる二人の目は冷たかった。 特にカズキと初対面であるユメが怪訝な様子で尋ねる。
「あなた、魔神なのよね? なんでソトを、人間を助けるの?」
 ユメの質問に、カズキはもう迷わない。
「確かに人間を知らないときは、人間を滅ぼそうとしてた。でも今は違うんだ! 僕は、人間のことを知りたい。ソトのこと、サナのこと、みんなのこと、もっと知って、それで・・・・・・」
「それで?」
 ユメの相槌に、少し躊躇うような様子を見せたカズキ。けれどすぐに答えた。
「・・・・・・友達になりたいんだ」
 ユメとサナが目を見開いた。特にサナは、驚きと恐怖が混じったように唇を真一文字に結んでいる。そのサナの様子をカズキは見ていた。予想していなかったわけではないが、やはり面と向かって拒絶の反応を受けるとショックなのは否めない。
「正直に言うと、まだあなたのことは信頼できないわ」
 ユメの方も、あまり好感触ではない。当然だ。魔神なんて得体の知れないものと友達になろうなどという剛の者はそういない。魔神だって未知のものには恐怖を抱くというのに、人間ならばなおさらだ。
「でも、今この場だけなら。あなたが裏切らないと誓うなら、とりあえずはあなたも協力してくれると助かるわ」
「・・・・・・うん、ありがとう」
 本当のところ、カズキにとっては辛い返事だった。だが仕方ないことと我慢して、協力する他ない。今後の関係がどうなるのかは、この場を乗り切ってからだ。
『みんな、仲良くなればいいのです!』
 アセラを集めている最中、魔神をどうするのかと訊いたときにハナイから帰ってきた返事を思い出して、カズキはハナイを探した。ハナイは髪の毛を散らしたまま、ゆっくりと歩いている。その先にいるのは、レヴィオストームだった。





 髪の毛が爆散した時、確かにショックではあった。淡く桃色に輝くふわふわの髪の毛はハナイにとって大切なものだ。ハナイだって立派な女の子、一瞬にしてハゲてしまったという事実はハナイに衝撃をもたらした。
 だがそれ以上に、変身できなくなったことがハナイにとっては何よりも辛かった。最強の魔法少女、今の自分がそうでないことぐらい知っている。でもいつかは、ソトを見返せるような強い魔法少女になりたいと思っていた。けど今は戦うための変身すらできない。元々変身はとても苦手だが、練習することすらできなくなってしまった。何もできない、どうにもならない。
 そんなとき、目に映ったのはピエロマスクに一瞬で敗れ去ったレヴィオストームの姿だった。最早魔神の体を成さず、完全に一人の少年となっていた。カズキと同じくぼろぼろの装束を纏っている。その子のもとへ、魅かれるように歩いた。
 近くまで歩くと、レヴィオストームは倒れたまま頭を動かしてハナイの方へ視線を向けてきた。手負いの獣のようだが、その目に敵意はない。ただ近づいてくるハナイを見ている。
 ハナイはレヴィオストームの近くに座ると、
「大丈夫ですか?」
 と尋ねた。倒れたまままともに動こうとしない彼に向けて大丈夫かとは滑稽だが、ハナイはバカ正直に訊いていた。レヴィオストームは何も話そうとはせず、頷きもしなければかぶりも振らなかった。呻き声一つ上げない。
「私、ハナイと言います。魔法少女でした」
 答えはしなかったものの、レヴィオストームは首を傾げた。ハナイの話は聞いているようだ。そのことを確認すると、ハナイは続けた。
「あなたの名前はなんというのですか?」
 質問を投げかけてはみたものの、やはりレヴィオストームは答えない。ふとハナイは一つの可能性に辿り着いた。
「もしかして喋れないんですか?」
 肯定。レヴィオストームが首を縦に振った。
「大変ですね」
「・・・・・・」
「うーん、えーと、お菓子でも食べます?」
 早速話に詰まった挙句、ハナイは背負っていたリュックサックを下ろすと、お菓子を取り出した。探検中これでもかと言うぐらい食べたが、まだ残っているようだ。ハナイが取り出したのはビスケットだった。素朴な味のビスケットだ。
 これにはレヴィオストームが大きく反応した。全く動かなかった右手が僅かに動こうとしていた。そんな小さなことにハナイは気付かないのだが、これに続けて、
「お・・・・・・ぐぁい」
 何かを喋ろうとしたのだ。言葉と言うよりもただの音だが、ハナイにとっては明確な反応があっただけでも嬉しかった。にこにこと微笑んで、ビスケットを彼の口許へと運ぶ。唇にビスケットを当てると、やおら口が開いて、ぼろぼろとカスを零しながらゆっくりとビスケットを咀嚼していった。
「どうです、おいしいですか?」
 ハナイがそう尋ね、レヴィオストームが頷いて、そのとき。


 ぴしり、とレヴィオストームの体に亀裂が走った。


 ばりばりばりっ、と小気味良い音を立てて、レヴィオストームの体の表面に一斉に大量の亀裂が走り、その裂け目が光り輝く。ハナイが目を覆う間もなく、あっという間に全身を光で包まれたレヴィオストーム。次の瞬間、一斉にその光が弾けた。瞼の外から光がハナイの目を、脳を襲った。
 全ての記憶がフラッシュバックする。父のこと、母のこと、学校のこと、友達のこと、あの日のこと。そして、自分のこと。
 光が止み、瞼を開けたとき、自分はリビングにいた。母がいつもお菓子を入れる器の底をこちらに見せている。その顔にはピエロのお面。そしてまたあの言葉を言う。
『今日のおやつは、ありませんよ』
 だが、あの時とは違う。ハナイは知っている。お菓子がないわけがない。今のハナイの手には、ビスケットがあるのだから。だから、ハナイはこう言った。
「私が持ってますよ。一緒に食べましょう、おかあさん」
 途端、ピエロのお面が消え去った。お面の下で、母が泣いている。その顔に無数の皺が浮かび、いつの間にかハナイは病院の一室にいた。ぐるんと視界が揺れ、瞼を開け直すと病院の天井が見えた。起き上がろうとするが、体が全く言うことを聞かない。まるで全身を鉄で塗り固められてしまったような重苦しさ。ほんの少し視線を下に動かせば、母の見ていたドラマでしか見たことがない機械が口についている。
「華衣・・・・・・!?」
 目だけを動かして見遣れば、母がすぐ傍に立っていた。どうやらこちらに意識があることに気付いたらしい。最後に見たときから、随分と年を取っていた。
「華衣、目が覚めたのね!」
 声を出そうとするが、ほんの少し音が掠れて出るだけでまともに言葉にならない。まるでレヴィオストームのようだった。
 そう、レヴィオストーム。ぼんやりとしていたハナイの頭が回り始める。そうだ、自分たちはアセラの洞窟にいたはずだ。私は父と母のもとで生まれ、祖母は偉大なる魔法少女・・・・・・。
 父と母は誰だ。何故それぞれ二人も思い浮かぶのだろう。祖母は誰だ。私の祖母は――
 そうだ、行かなくちゃ。あの世界へ。みんなのいる、あの世界へ。
「華衣・・・・・・?」
 ハナイの様子を訝しんだのか、母が首を傾げている。ハナイははっとした。
 ここであの世界に行ってしまえば、もう二度と母には会えないのかもしれない。優しかった母、おやつを焼いてくれた母、母との思い出がいくつもいくつも浮かんでくる。今までさっぱり思い出さなかったのに、ここぞとばかりにハナイを責め立てる。
 でも、やはりここで止まるわけには行かない。ハナイの帰る場所は別にできてしまった。
 きゅうとまなじりが熱くなる。ほろりと一粒だけ、涙がこぼれた。せめて、せめて母に言いたい。ありがとうって。さようならって。
 しゃらりと、胸元で音が鳴った。母が何かしらこれ、と掴みあげる。おかげでハナイの視界にもそれが映った。良く見覚えのあるものだ。魔法少女に変身するための必須アイテム。何故こっちにあるのかは分からないけど、ハナイは確信を持った。今なら、変身できる!
 魔力を、力をペンダントへ注ぐイメージを持つ。強く強く、太い流れをイメージする。十分に力が溜まったところでこう念じるのだ。変身!
 途端、ぼんっと音が鳴った。母がうひゃあと声を上げてペンダントを取り落す。どうやら失敗してしまったらしい。失敗するといつも爆発するのだ。髪の毛が爆散したのは前回が初めてだったが。
 悔しいが、焦ってはいけない。もう一度試してみる。少なくとも爆発したということは変身ができないわけではないようだ。魔力というものも存在する。変身できる!
「・・・・・・へ、ん、しん!」
 呼吸器越しに、ハナイは叫んだ。今度こそ、今度こそ。
 ペンダントから光が溢れだし、ハナイの体が包まれる。母は突然起こった珍事に思わず後ずさっていた。あの世界とは違い、服ははじけ飛ばなかった。溢れだす光も静かにハナイの全身を包んで、やがてその役目を終えて霧散する。そこには、呼吸器を外し、ベッドの上に立つハナイの姿があった。
 桃色を基調とした、端にフリルのついたワンピース。真っ赤なブーツにマシュマロのような帽子。手に持っているのは赤と白のストライプのステッキ。そして長く伸びた髪は淡い桃色の光を帯びている。
「お母さん」
 声もしっかり出た。自分が覚えていたよりも低くなっていた。先ほどまでは鉛のように重かった体も今は羽根のごとく軽い。しかし視点の高さは以前とだいぶ異なる。両手を見下ろせば、骨と皮だけの痩せ細った指が見えた。
「華衣、あなたその姿は・・・・・・」
 母の驚愕も無理からぬことだ。ハナイも感極まって涙を流しながら、
「お母さん、私――」
「あ、ベッドの上に立っちゃいけません!」
 ハナイはひっくり返ってしまった。

 



「そう、あなたには帰る場所があるのね」
 母は落ち着いて話を聞いてくれた。ハナイの説明はお世辞にもうまいと呼べた代物ではなかったが、母はハナイが話しやすいように相槌を入れ、時には質問をしながらハナイを落ち着けた。
「そうなんです。だから私、行かなくちゃ」
 ハナイの声に覚悟の色を感じたのだろう、母は何も言わなかった。ただ無言で、ハナイを抱き締めた。
「分かったわ。寂しいけど、お別れね。最後にあなたと話せてよかった」
「・・・・・・お母さん!」
 母を強く抱き締め返す。母の体もかなり細く骨ばっていたが、その温もりだけは変わらない。二人で静かに涙を流す。でもいつまでもこうしてはいられない。ハナイは行かなくちゃいけない。
 そっと、母の体を手放す。母の匂い、温かさを名残惜しく思いながらも、ハナイは立ち上がった。ステッキを構え、天高く突きあげようとしたとき、母が待ったをかけた。
「他の子たちも向こうの世界にいるのよね? その子たちの体も連れて行ってあげられないかしら?」
「え、でもケイとかはこっちの世界に帰りたがるかもしれないですし・・・・・・」
 唐突な提案に躊躇いを見せるハナイだが、母は引かなかった。ほんの少し言葉を選んでから、母は告げた。
「実はね、後十分もするとお医者さんたちが来るの。そしたら目が覚めていない子たちを別の場所に連れていっちゃうの。場所が変わっちゃったら、その子たちもうまく帰って来れないでしょう?」
 その言葉にハナイはなるほど、と頷いた。
「そうですね! それはいけません。私が責任を持って連れて行きます。この最強の魔法少女である私が!」
「お願いね、華衣。あなたは最強で最高の魔法少女よ。・・・・・・なんたって、私の娘ですもの!」
「・・・・・・はいっ!」
 勢いよく返事をすると、ハナイは今度こそステッキを天高く突きあげた。どうしてそうすれば良いのかは定かではないが、ハナイはなんの疑いもなくステッキをくるりと振って、こう歌った。
「私たちを、あの世界へ!」
 唱えた瞬間、ハナイのステッキが光り輝いた。ハナイの体が宙に浮き、その足元から光輪がハナイを中心に膨らんで、激烈な光を生み出す。長く伸びた髪が風になびくように揺らめき、帯びる魔力が一層強く、その桃色を輝かせた。胸元のペンダントがかたかたと震え、その形が崩れ始める。魔法によってもたらされた莫大な光量の中で、母はその中で目を開けていた。最後の最後まで、自分の娘の姿を焼き付けるように。
「あなたは、最高の魔法少女よ。ハナイ」
 母の呟き、あるいは感嘆は、果たしてハナイに届いたのかは定かではない。しかし、それに呼応するかのごとく、光の輪がさらに大きくなって、この病室をその内側に納めた。ベッドに横たわる五人の体もその輪の中に入ると同時に、淡く輝いて宙に浮かぶ。全員が宙に浮いたことを確認して、ハナイはもう一度ステッキを振って、こう叫んだ。
「お願いっ!」
 ステッキは応えた。瞬きのように何度も光を放ちながら、やがて全てを光で埋め尽くしていく。ペンダントが光に溶けるように掻き消えていく。その形が完全に失われた時、ハナイを強い浮遊感が襲った。悲鳴を上げる間もなく、光の奔流に呑みこまれていく。
 数秒経って光が消えたとき、この病室にいるのは母だけになった。
「きっとこれで良かったのよね、あなた」
 そう呟いて、母はもぬけの殻になった病室を後にしたのだった。




(最終章へ続く)




<次回予告>
 第7章で終わりだったはずがまさかまさかの1回延長!? 終わらぬ世界の行きつく先は一体どんな場所なのか?
 記憶の中に閉じ込められたソト、拗ねるサナ、苦労するユメ、実は傷だらけのカズキ、どうしてもシリアスになれないスズキ、無駄にシリアスなケイ、そして最初で最後の変身でなんかすごいことをしているハナイ。彼女たちを連れて、この物語はいよいよエンディングへ!
 次回、故障かな、と思ったら「最終章 夢の世界の終焉」
 「故障かな、と思ったら! すてきステッキでふわっと解決!」
(この次回予告は本物です。変更することはありません)



思った以上に進みが悪いです。
次は鈴生さんですね、よろしくお願いします。

(担当:鈴生れい)