故障かな、と思ったら その8(終)

「ね、ねぇクソ野郎、ソトちゃんを助けたいの?」
 おどおどとしながらも汚い口調でサナがカズキに尋ねた。レヴィオストームに近づいたハナイが消えてから、数分が経過したところだった。ドーム状の空間の中央では、もう叫べなくなり始めているスズキがそれでも踏ん張って連続テレポートを続けている。叫ぶ必要はおおよそ皆無だが。
「助けたいよ!」
 サナの質問にカズキは即答した。自分でもここまでソトに思い入れがあるとは、とびっくりするぐらいだ。現に目の前のサナはカズキの勢いに気圧されている。ごめんと謝ったが、サナからは何もなかった。
「逆に君は助けたくないの? 大切な仲間じゃないの?」
「な、仲間を殺したのはそっちでしょ」
 その反論に、カズキは何も言えなかった。カズキが本来対等の立場であったはずの魔神たちを殺したのは事実だし、それで仲間の力を奪ってケイに反抗しようとしたのも揺るぎない真実だ。自分たちを弄ぶケイを殺す、そして人間たちを滅ぼす。そのためなら方法はなんだってよかった。仲間を殺すたびに心のどこかで芽生えていく嫌だという感情を無視してでも。
「それはそうだよ。確かに僕は仲間を殺した」
「ほ、ほら、だからカズキがソトちゃんを助けたいなんて・・・・・・」
 サナの言葉に、しかしカズキはひるまなかった。
「それは違うよ! ソトを助けたい。そう思ってることだけは本当なんだ! 僕は、僕は知らな過ぎたんだ。君たち人間のこと、そして僕自身のこと。ソトを助けたいって思う理由は分かんないよ。だけど、助けたいって気持ちだけは嘘偽りないって誓える! たとえこの命を懸けてでも!」
 言い放ったカズキは、少しして頭が冷えたのか、ごめんと謝った。今回も反応はなかった。むしろ、何か言いたいのだけど何も言えないのかもしれない。
「まぁそこまでにしましょう。今カズキを疑っても答えは出ないと思うわ」
 サナとカズキの言い争いを脇で見ていたユメが割って入った。
「とにかく、今はあのピエロマスクを倒すことと、ソトを助けることを優先しましょう。カズキがどうこうは後よ。カズキ、ソトが倒れた時の様子を教えて」
 カズキはかいつまんで説明した。ソトが急に自分の目に興味を持ったと思ったら、いきなり悲鳴を上げて倒れてしまったのだ。
「目・・・・・・?」
 不思議に思い、ユメがカズキの目を覗き込もうとする。それをサナが制した。ユメが少し不機嫌そうになる。
「サナ、今はカズキを疑うのはなしよ」
 サナは首を振った。「違う」ただそれだけ言うと、サナはユメを制するのを止めた。まだ、ユメに理由を話す気にはなれないようだ、
「どうして私を止めたの、サナ?」
 いつもなら気にせず流しているところだが、今はことがことだけに慎重を期すべきなのは分かっている。サナが止めたということは何か止めるに足る理由があったはずなのだ。それに耳を傾けなくては、サナは心を開いてくれない。いつの間にか、身近だったはずのサナは深く心を閉ざしてしまっていたのだ。
「あ、そうか。君がソトの二の舞になるかもしれないからだよ」
 カズキが気付いて、ユメもはっとした。
「私を助けてくれたのね、ありがとう。サナ」
 ユメがにっこりと微笑んでお礼を述べた。サナは視線を逸らしただけだった。思わずため息をつきそうになるが、今ここでサナの反感を買ったら今度は本当に力を貸してくれなくなるかもしれない。サナの洞察力が鬱陶しいほどに鋭いことは魔法少女に限らず、あの村では誰もが知っていることだ。その鋭い洞察力を失うのは惜しい。ぐっと堪えて、ユメは続けた。
「カズキ、心当たりはない?」
「僕自身に心当たりはないよ。ただ、ソトの苦しみ方からちょっとした推測はできるかも」
 ソトは、もしかして自分の辛い記憶を見ているんじゃないか。カズキは言った。魔法少女たちはみんなピエロマスクに関わる辛い記憶を持っている。何かの拍子に、ソトはその記憶を思い出して苦しんでいるのではないか。
「なるほど、そういう可能性もあるかもね」
 ユメと相槌にカズキは頷くと、あくまで可能性だけどねと断った。
 そのとき、サナがカズキを睨んだ。急に睨まれてたじろぐカズキに、サナが問いかける。
「魔神って、ケイが作ったんだよね。なんで作ったの?」
 ぐいぐいと言葉で迫ってくるサナ。カズキはあ、とかう、とか言いながらも、なんとか返した。
「ぼ、僕らも詳しく聞いてるわけじゃないんだ。ただ、あのピエロマスクの力を落としたいとかだったかな。僕ら魔神がいることで、ピエロマスクの力が弱まるんだって」
 サナは、息をのんだ。分かってしまった。何が起こっているのか、大体全てのこと。全部が全部合っているとは思わないけど、ある程度は当たっていると思える。
「何か分かったのね、サナ」
 ユメがサナの様子に気づくが、サナはユメを睨むだけで答えようとはしない。ユメとしては何としてでも知り得たい情報だ。そうしなくては、スズキを助けられないし、彼女の期待に応えられない。さっきから時々奇声を上げながらテレポートを繰り返し、際どいところでピエロマスクの攻撃を回避している。当初は呆然としていたケイも再び戦っているが、加速したピエロマスクを魔法で捉えることができず、しょっちゅう首ちょんぱしている。このままではいつスズキたちが負けてもおかしくない。そもそもスズキには攻撃手段がないのだ、とにかくこちらでピエロマスクを打倒する術を見つけるしかない。
「お願い、サナ!」
 ユメに懇願されても、サナは答えたくない。信用できない、何も。いつもいつもいつもいつも、誰もかれもみんな私の話を聞いてくれなかった。お菓子をもらって納得してるふりして、ずっと我慢してた。でももう嫌だ。なんで私がそんな我慢をしなきゃいけないの! 誰か私の話を聞いてよ! 聞いてよ!


「たす・・・・・・けて・・・・・・」


 心の扉が、叩かれた。それはほんの小さなノック。耳を澄まさなければ聞き漏らしてしまいそうなほど、力のない呼びかけ。だけどサナには聞こえた。いつでも誰かに話を聞いてほしいから、誰かの話を聞いていたから。ソトの助けを求める声は、確かにサナにまで届いた。
 誰か私の声を聞いて。でも、誰もいなかったら聞いてもらえない。助けなくちゃ、もう話を聞くことも、話そうと勇気を振り絞ることもできなくなるから。
 サナの心は決まった。一度大きく息を吸い込んで、吐いて、目を瞑る。そして、
「・・・・・・多分だけど、魔神の中に恐怖の記憶があるんじゃないかな。元々ピエロマスクが持っていたはずの恐怖の記憶を、ピエロマスクの力が弱体化したことで魔神たちの中に入った。魔神は、人間の恐怖の象徴なんだよね。恐怖の記憶が入ってもおかしくないよ。それにカズキは他の五つの魔神を殺してる。だから、ソトちゃんの記憶を持った魔神がカズキに力を奪われてて、カズキの中に記憶があってもおかしくないよ。それをソトちゃんは見たんじゃないかな。
 後、カズキが自我を持ったのも、その記憶を集めたからじゃないかな。私たちの記憶を持って、人間っぽくなったのかも」
 長々と語ったサナは完全に上気していた。顔が真っ赤になっている。息も切れているし少し辛そうだ。それでも彼女はどこか楽しげであった。
 長いサナの演説を訊き終えた後、ユメは感嘆の声を上げた。サナが話してくれたことと、その内容にだ。つまり、魔神の中、今であればカズキの中に魔法少女たちの恐怖の記憶が眠っているということ。
「もしかして、ハナイが急に光に包まれたと思ったらいなくなったのも」
「多分、あの魔神の中にあった記憶がハナイの中に戻ったんだと思う。いなくなったってことは、現実の世界に帰ったんじゃないかな」
 これは、大きな進展だ。すなわち、ピエロマスクを倒さなくても現実世界に戻れることになる。恐怖の記憶はカズキの中にあり、それを乗り越えることができれば帰ることができる。ピエロマスクと戦わずに済むことになるのだ。
 だが、これはこれで大きな問題を抱えている。
「乗り越えられないとソトみたいになるかもしれない」
 三人はソトを見下ろした。未だ苦しそうに体を屈めて震えている。時々呻き声のようなものが聞こえる。もしこの状況になれば、延々苦しみ続けることになってしまう。こんなものを見せつけられては振り絞るだけの勇気もわいてこない。自分が一体どんな記憶を持っているのかすら分からないのに、とても覚悟なんてできやしない。
「どうしよう、どうすればいいの・・・・・・」
 ユメが迷いを口にした。サナもカズキもそれに返せない。分からない。どうすればいいのか。


「うーん、ソトの口に梅干しでも突っ込んだらどうですか?」


 予想だにしない声に、三人が一斉にばっと振り返った。その先にいたのは、髪が長く伸び、骨ばった頬が目立つ顔、それでも幼さを全く残さず成長した姿のハナイだった。先ほど病院で来ていた院内服を身にまとっている。ユメとカズキの口がぽかんと開く。
 加えてこれ以上ないぐらい真ん丸に目を開き切ったユメが、恐る恐る尋ねてみた。
「あ、なたハナイ?」
「ええ、そうですよ。まぁ、ちょっと成長しちゃいましたけど」
 事も無げにそう言うと、ハナイはサナに鞄を渡すように言った。あまり動じた様子のないサナが素直に応じると、ハナイは鞄の中から梅干しを取り出した。甘いお菓子の後の口直しにと持ってきていたすっぱい梅干しだ。ちなみにその後はまた甘いもので口直しである。
「ほらソト、これを食べるのです!」
 かなり大人びた声でそういうと、呻くソトの口に無理やり梅干しを押し込んだ。表面の皮を破り、舌に実を塗りつけるように動かす。なんの反応も帰ってこない。むっと眉をひそめたハナイは、さらにもう一つ取り出すと種を取り除いて、口の中に突っ込んで舌に塗った。すると、
「・・・・・・すっぱっ!」
 悲鳴を上げてソトが起き上がったのだった。
 カズキとユメは顔を見合わせた。それ以外どうしようもなく、起こっている事態が理解できない。
「「ど、どうなってるの?」」

 



「みんな、現実世界に帰りたいですか?」
 ハナイは一通り起こった事態を説明した。レヴィオストームの変化、現実世界への帰還、母との再会、そしてここに戻ってきたこと。説明を終えた後、ハナイはソト、サナ、ユメにそう尋ねた。
 最初に答えたのは、意外なことにサナだった。ハナイとソトが少し驚いている。
「私は、戻りたくない。記憶だって、知らずに済むならそれでいい」
 続けて、ユメが答えた。ちらりとハナイを見ている。元の世界に戻るとああなってしまうと思っているのかもしれない。
「私もまぁ、特別戻りたいとは思わないけど」
「アタシは、・・・・・・多分、戻っても仕方ないし」
 ソトがそう言うと、三人は顔を向い合せて頷いた。ハナイがにこっと笑う。
「そう言ってくれて助かりました。実を言うと、みんなの体を持ってきてしまっているので、帰れるかどうか分からないんですよ」
 皆一様に驚いている。ハナイが指差した岩陰にどさりと人影が積んであってなお驚いた。絶句している一同に、ハナイは頭を掻きながら苦笑いした。
「お母さんが持ってけと言うものですから」
 あけすけに言うハナイに、場が凍ったまま溶けない。沈黙をたたえてしばらくした後で、ようやくソトが口を開いた。
「お、おい、どうなってんだ? ここって夢の中なんだろ? なんでアタシたちの体が夢の中にあるんだよ?」
 混乱を極めたソトが誰ともなく問いかける。あはは、と笑っているハナイ以外、それにレスポンスは返ってこない。皆が皆、事態が呑み込めずに黙っている。この世界は夢の中ではなかったというのか? しかしそれではハナイたちが甦った理由が分からず、もっと言えば岩陰に体が横たわっていることも説明できない。
 黄色髪が揺れた。
「い、今はとにかく、ピエロマスクをどうにかすることを考えた方がいいかも」
「そうですね。あれを倒さないことには、この洞窟から出られるかも分かりませんから」
 そう言うとハナイは一度だけ目を伏せ、すぐに開いた。振り向いて、中央で戦っているスズキとケイを確認する。スズキから奇声が飛ぶことはもうなくなっている。ピエロマスクに反応してテレポートを続けているだけだ。ただピエロマスクの速度は先ほどと比べると下がっている。その証拠にピエロマスクはケイの撃つ魔法に対して回避行動をとっている。攻撃のために動くだけで外れるような絶望感は漂っていない。
「確かに、あのピエロマスクは倒さないとな」
 ソトが拳を握るが、その手が震えた。恐怖が体の中に染みついてしまっていた。さっき見ていた記憶は頭の片隅でぼんやりと残っているが、それは明確な恐怖をソトへと伝えてくる。とても戦えない。変身できるかどうかさえ危ういところだ。また冷や汗が垂れてきた。顎から拳の上に落ちた。
 ――力が欲しかった。魔法少女なんてひ弱なものになりたくなんてなかった。たとえそれが辛い道のりであっても、兵士や戦士みたいな屈強な存在になりたかった。その気持ちは、自分が純然たるこの世界の人間ではないと分かってからも変わらない。否、むしろ強くなっている。思い出したのだ、何故自分が魔法少女をこんなにも嫌うのか。そのヒントは失われた記憶の中にあった。
 魔法少女は、希望なのだ。ヒロインであるべきなのだ。ソトは――来栖音海(くるすおとみ)はそれに強烈に憧れた。周りの女の子が成長するにつれてそういうアニメを見なくなっても、音海は陰ながら見続けた。どんな困難にも負けず、杖を振って奇跡と希望を振りまく魔法少女に強く憧れたのだ。
 だからこそ、自分自身がいざ魔法少女になったとき、そのギャップに苦しんだのかもしれない。魔法少女としてのソトは、とても弱かった。困難に屈し、奇跡も起こせず、希望ももたらせない。ただただ守られる存在の魔法少女。自分が憧れた魔法少女などどこにもいなかった。だから、彼女は魔法少女を、この世界の魔法少女を嫌った。
 ソトは、来栖音海は、強くなりたかった。どんな困難にも負けないぐらい、強く。
『結論を言えば、この世界のすべては夢なの』
 ケイの言葉がリピートされる。血の匂いが鼻腔を貫き、あの光景がフラッシュバックする。負けたくない。絶対に屈したくない。そう思っても、恐怖はじわりとソトの体を蝕んでいく。体が削げ落とされていくような感覚。雫一粒、握った拳が緩められていく。
 その拳に、傷だらけの手が重ねられた。傷だらけだけど温かい。ソトが顔を上げると、その手はカズキのものだと分かった。確信めいた表情でカズキが頷く。何かが、カズキの手から伝っているような気がした。ゆっくりとソトの腕を上り、胸にまで到達する。
「大丈夫だよ、ソト。僕も手伝う。みんなでやれば、きっと、いや絶対大丈夫」
 力強い言葉だった。少し前に問い詰めた時とは違う、確固たる意志を持って放たれた言葉。胸まで伝った何かが、胸の中で弾けて全身に広がっていった。まるで全身を包まれているように温かい。拳の震えは、もう止まっていた。
「・・・・・・そうだな」
 拳を解いて、重ねられた手を強く握った。
 困難に負けない、強い力。全身を奮わせる、温かい気持ち。
「・・・・・・ごほん」
 と、そこでユメがわざとらしく咳払いした。急に気恥ずかしさがこみあげてきて、ソトとカズキは手を解いた。お互い顔を見合わせることすらできない。ソトもカズキも頬に朱が入っていた。
 もう一度咳払いして、ユメは話を戻した。
「それで、どうやってピエロマスクを倒すの? 正直言って、私は怖いわ。あんなのと戦うの」
 ケイやスズキだって怖いはずなのに、何故面と向かって戦いを続けられるのかユメには分からなかった。あの不気味な笑みににらまれたら、心臓が凍ってしまいそうだ。どんな魔法があったって、あのピエロマスクを倒せる気がしない。
 しかし、ユメが不安を吐露する一方、ハナイは全く恐怖というものを感じなかった。レヴィオストームの光を浴びてリビングにいたあのときから、ピエロマスクはただの滑稽なものにしか思えない。何をそこまで怖がっているのだろうとハナイは首を傾げた。
 対照的な二人の間で、サナがおずおずと右手を挙げた。皆の注意が一斉にサナに向き、少しだけサナはたじろいだ。みんな自分の言葉に耳を傾けてくれている。それが心地よくて、でも少し照れ臭い。
「あのね、秘策があるの。・・・・・・みんな、聞いてくれる?」
 全員が頷いて、サナの顔がぱっと輝いた。それからサナは、時間をかけて秘策を説明した。合間合間にユメの質問やソトの相槌、ハナイの疑問符とカズキの補足、ついでにスズキの奇声も入った。それら全てを説明し終わると、サナは最後に締めくくった。
「恐怖に勝てるものって、きっと誰もが知ってることだと思うの」





 ハナイが少し休憩させてほしいと頼んだため、秘策を決行するのは休憩を挟んだ後となった。事情を聞いている限り、二十年以上寝たきりの体を動かしているのだから疲れるのも無理はない。むしろ動かせている今が奇跡だと思う。今のハナイは、ペンダントを持っていない。ハナイによると、この世界に戻ってくるときに消滅してしまったらしい。つまり今のハナイはただの人間だ。魔法少女は魔力を操る素養を持っているから(でなければペンダントを光らせたり、変身したりためにペンダントに魔力を注ぐことができない)、魔力の力を借りて体を動かしているのだろう。しかし元々ハナイは魔法少女の中で一番魔力を操るのが下手だ。そのハナイが衰えた体を動かせるだけの魔力を操っているのが奇跡だ。
 談笑の輪を少しだけ離れると、ユメは戦いを眺めた。相変わらずスズキのテレポートが炸裂している。やり始めた当初と比べると、スズキの反応速度が落ちている気がする。現にそう思った時にも、スズキの右肘をピエロマスクの攻撃が掠めた。もう時間はない。やるしかないのだ。
 一方で、ピエロマスクの速度も少し落ちている気がした。ケイの魔法が大分ヒットするようになっている。その攻撃が利いているかと言われるとほとんど利いていないだろうと答えざるを得ないが、それでも当たるようになっただけマシだ。ソトが記憶に苦しんでいた時のピエロマスクの動きは尋常ではなかった。あれと戦っていたら、それこそ恐怖だ。
「・・・・・・ユメ」
 呼ぶ声に振り向くと、少し眉尻を下げたサナがいた。今回大いに活躍しているサナだが、とても困っている様子だ。どうしたのと尋ねようとすると、サナが頭を下げた。二つに縛られた温かみのある黄色い髪が揺れる。
「ごめんね、ユメちゃん。ユメちゃんは、嘘なんてついてなかったんだね。私の言うこと、聞いてくれた」
「・・・・・・ううん。こっちこそ、普段ちゃんとお話を聞いてあげなくてごめんね」
 ユメがかぶりを振ってそう答えると、サナは顔を上げた。困ったように眉が八の字だが、それでも嬉しそうな雰囲気がユメにもひしひしと伝わってくる。
「私の話、また聞いてくれる?」
「勿論だわ」
 即答すると、サナは今度こそ本当に嬉しそうな表情を浮かべた。
「うんっ、絶対ね」
「絶対よ。指切りしましょうか?」
 ユメが小指を差し出すと、サナが絡めてきた。自分よりも小さな、だけど力強い指だった。
 きゅっと結んだ小指を何度か揺らして、ユメとサナは同時に指を解いた。サナは満足そうに小指をもう一方の手で握っている。胸に温かいものがこみ上げてくるのを感じながら、ユメはさぁ、と仕切り直した。
「さぁ、頑張りましょう」
「うん、頑張ろう」
 あ、でも、とサナがちょっとした注意をユメにした。
「深刻になっちゃだめだよ? 楽しくやらなくちゃ、ね?」





 ケイにとって、いくつかの誤算はあった。例えば魔神が自我を持ったなんてことは予想しえなかったことだし、あまつさえその理由が同族を殺し、力を得たことによるものだとは夢にも思わなかった。魔法少女たちの話を聞いていて分かったことだが、本来ピエロマスクの中に眠っているはずだった魔法少女たちの記憶が魔神の中に入り込んだことも大きな誤算だった。このままではただピエロマスクを倒すだけでは現実世界に戻れない。恐怖の記憶を乗り越えることを、ピエロマスクを倒すということを通じて分かりやすく成し遂げるのが困難になったのだ。
 だがケイにとって最大の誤算は、目の前でスズキを追うピエロマスクが思った以上に強かったことだ。今のケイは様々な魔法が使える。槍を降らしたり、物を持ち上げたり、空中を舞ったりできる。攻撃だけでもものすごい量のバリエーションと威力を誇るが、それでもピエロマスクには効果がないようなのだ。何発魔法をぶち当てようと、ピエロマスクに衰えが見えない。こちらも死なない身であるし、魔力だってイメージの力によってほぼ無尽蔵にあるとはいえ、戦いが長引けば長引くほど精神的に疲弊してくるのはこちらだけだ。途中からスズキが加わったため、ケイは少量の回避を除けばほとんど攻撃だけをしていればいい状況に合ったが、それでもピエロマスクを倒せない。鍛え上げた魔法が利かないのでは、どうしようもなかった。
 戦い始めてから、一体どのぐらいの時間が経過したのか分からない。スズキも目に見えて反応速度が下がっている。ジリ貧だ。このままでは負けることもなく勝つこともなく、延々と同じことの繰り返し。その果てに待っているのは精神の崩壊だけだ。
「どうすれば・・・・・・」
 ひとりごちて、もう一度魔法を撃とうとした。だが大分精神的な疲労が来ていたようだ。魔力が思うように集まらない。穿つ槍を放とうとしたが、うまく形を成してくれない。そしてその隙をピエロマスクは見逃さなかった。寸前までスズキを狙っていたというのに、急にその矛先をこちらに向けてきた。回避しようとしたが、魔力が練れない。またしても首ちょんぱされてしまう。死ななくても痛いものは痛いし、首が飛ぶたびに自分の中で何かが失われていく気がする。それを躊躇ってはいけなくとも、むざむざと首を飛ばされたくはない。
「こ、の・・・・・・っ!」
 筋力だけでジャンプしようとする。だがそれも、幼いケイの体では微々たるものにしかならなかった。またやられる、そう思った。そのときであった。
「そこまでです、ピエロマスク!」
 大きな声がこの空間に響き渡った。ピエロマスクの動きがピタリと止まる。止まったことに驚きながらも、ケイは声のした方向に振り返った。
 そこに、いた。
「とうっ!」
 掛け声とともにジャンプし、くるりと空中で一回転しようとして地面に不時着。体勢を立て直して涙目になりながらも、ハナイはこう言い放った。
「これ以上は、我らトラブルシューターが相手になります!」
 突然の宣言にケイがぽかんと口を開けていると、ハナイの後ろで四人分の人影が飛び上がり、ハナイと同じくくるりと空中で一回転して着地した。同時に背後で爆発が起こる。
「探し物なら何でもござれ! 肉球おさわりお断り! 紫の魔法少女、ユメ!」
「知能戦略洞察力・・・・・・! えっと、考え事ならお任せ! 黄色の魔法少女、サナ!」
「くっ、なんで私がこんなこと・・・・・・。あ、う、く、紅の魔法少女、ソト!」
「あれ、僕魔法少女じゃないよね? 最後の決め台詞どうすれば・・・・・・。か、カズキ!」
「そして私がみんなのリーダー! 故障かな、と思ったら! すてきステッキでふわっと解決! 桃色の魔法少女ハナイ!」
「あ、ちょっと私も入れてくれよ! えー、漆黒の――」
「五人合わせて、トラブルシューター! ここに見参!」
 五人それぞれの決めポーズと共に、再び背後で大きな爆発。どうやらカズキが噴火の魔神の能力を使って爆発させているようだ。
「あー! なんで私が言い終わる前に切っちゃうんだ!」
 さっきまで空元気を振り絞ったような動きをしていたくせに、仮病で学校を休んだ子供のようにスズキはテレポートしてポーズを決めながら五人の横に並び立った。身長が六人の中で群を抜いて高いためか、あるいはその黒づくめの恰好のためか、とても悪目立ちする。
 と、一段落ついたのか五人がポーズを崩した。そして開口一番、ハナイがソトに突っかかる。
「ちょっとなんですかソト! しっかり考えておいてくださいよ!」
「あんな短時間でできるか! お前みたいにあんなだせぇ言葉がほいほい浮かばねぇんだよ!」
 メンバーからすればいつものことだが、それを三十ウン歳に急成長したハナイと変わらぬ姿のソトがやっているのだから異様ではあった。そしてユメとしても、ソトの言葉は聞き捨て難い。ユメのこめかみに青筋が浮かぶ。
「それって、私の考えた台詞がダサいってことかしら?」
「え、あ、いやそういうことじゃなくて・・・・・・。あ、アタシが言ってんのはハナイの『トラブルシューター』ってやつだよ! なんだよそれ!」
「なんですか、なんか文句あるんですか? カッコいいじゃないですか!」
 ヒートアップする三人。その一方でカズキが両手を地面に突いていた。
「ぼ、僕魔法少女じゃないのに何故・・・・・・」
「め、めんどくさいから落ち込むのは他所でやってよ・・・・・・」
「ご、ごめんなさい・・・・・・」
 こちらはこちらで極端にダウナーであった。先ほどはノリノリに見えたサナも、我に返ったのか少し落ち込んでいる。その五人を尻目に、ポーズをとったまま動けないスズキがもしもーしと哀愁漂う声で呼びかけるが、誰も反応してくれず涙目になった。立派なカオス空間の出来上がりだ。
 あまりにあまりな状況、命のやり取りをしているはずの場にふさわしくないテンションに、呆然自失であったケイが苦言を呈した。
「あ、あなたたち・・・・・・今の状況が分かってないの!? ピエロマスクを倒さなくちゃ、この世界から出られないのよ! そうでなくたって、私たちいつ死んだっておかしくないのに・・・・・・」
 その批判に、ハナイが反応する。今更ながら、ハナイがやたらと成長していることに気付くケイだった。自身の体が幼い分、ハナイがやたらと大きく見える。
「だから、私たちにお任せなのです! 今からピエロマスクを倒しますよ!」
「え、え?」
 いよいよ本格的に頭がついて行かなくなったのか、クエスチョンマークを頭上にいくつも投げ出しているケイを置いて、ハナイが右手を挙げた。
ドッジボールやりますよー!」





「さぁここでピエロマスクチーム残るは一人、ピエロマスクだけだ!」
 思わぬ展開に、実況解説のスズキの声にも熱が入る。何しろ相手の魔法少女チームはまだ内野に四人もいるのだ。ここからがピエロマスクの踏ん張りどころである。
「さぁさぁ、今ボールはピエロマスクが握っているぞ! 外野のケイが今か今かと構えている! これは最後の攻撃チャンスだー!」
「ちょっと、私なんでピエロマスク側!?」
 ケイがよく分からないことを叫んでいるが、ピエロマスクは意に介さない。チームメイトを信頼しているのだ、当然のことである。ピエロマスクの手にあるボール、この一球で全てが決まる。覚悟を決めろ、ピエロマスク!
「ピエロマスク構えた、投げたぁぁぁああ!」
 ピエロマスクの投げたボールは、剛速球だった。風を切る音すら立てながら、吸い込まれるようにサナへと向かっていった。直前までピエロマスクがサナを狙っている様子はなく、従ってサナにとっては全く不意を突かれたことになってしまった。眼前へと迫る剛速球、そこへ横から飛び込んだのはユメだった。ユメの顔面にボールがクリーンヒットし、ついでとばかり首が飛ぶ。ボールと一緒にユメの顔が床に落ちた。
「おおっと、ユメ選手当たってしまった! しかし当たったのは顔面、顔面セーフだぁ!」
「いやいや首とれてる段階でアウトでしょ!」
 ケイの意味不明な言動はさておき、サナがユメに駆け寄る。とれてしまった頭を両手で抱え、ユメちゃん、ユメちゃんと声をかける。
「ユメちゃん、しっかりしてぇ!」
「うっ、いいのよサナ。あなたが無事なら・・・・・・」
 そのまま気を失ったユメ。サナの目から涙が一粒零れ、そしてサナはユメの首を掴んだまま立ち上がった。ペンダントが呼応するように輝き、熊の着ぐるみが全身を包む。俯けていた顔がきっとピエロマスクへと向かった。その眼光は鋭い。そして、思いっきり振りかぶった。
「さぁサナが投げたぁ!」
「首投げるのっ!?」
 綺麗なフォームで投げられたユメの首は、紫と黄色の光を帯びながらこれまた吸い込まれるようにピエロマスクへと向かった。かっとユメの目が見開き、サナと共に叫んだ。
「「必殺! 友情のマジックスロー!」」
「友情投げてるじゃない!」
 マジックスローはピエロマスクへとスマッシュヒットし、ピエロマスクのボディがブレイクされた。





「続いておままごとやりますよ!」
「え、何これ、続くの?」
 ハナイの宣言に何故か当惑しているケイの後ろでカズキが両手を天へと突きあげた。次の瞬間、辺り一帯の地面が隆起し、盛り上がった岩によってできたのは一般的な一軒家だった。その荒々しい表面を水流で滑らかに削り、可能な限りスイートホームを再現する。
「兄貴、お帰り」
 丁度玄関のドアから入ってきたピエロマスクと、ソトがばったりと顔を合わせた。ソトがぶっきら棒に挨拶をすると、ピエロマスクも少し落ち込んだ様子で返事をした。
「・・・・・・なんだよ、兄貴。何落ち込んでんだよ」
 そのまま通り過ぎるかと思ったが、ソトはその場にとどまり、珍しいこともあったものでピエロマスクに話しかけた。ピエロマスクの顔が心持明るくなる。その変化を、ソトは敏感に感じ取っていた。
「な、なんだよ。アタシに心配されたのがそんな嬉しいのか」
 ピエロマスクは首を縦に振った。途端、ソトの顔が真っ赤になる。う、ううと呻くような声を上げて、特別だからな、と念押しして、ソトは眼を瞑った。ピエロマスクの顔とソトの顔が近づいていく。その時だった。
「そ、ソトちゃんっ! 僕との関係は嘘だったの?」
 それまでうっすらと障子の隙間から様子をうかがっていたカズキが飛出し、潤ませた瞳でソトにしがみ付いた。急に現れた恋人に、動揺を隠せないソト。気付かれてしまった禁断の愛。ソトの体から力が抜けていく。
「ち、違うんだカズキ。あ、アタシは・・・・・・」
 膝を突いてしまったソトに、カズキはなおもすがりつく。
「僕と結婚しようって言ってくれたのも、マイホームを買って暮らそうって言ってくれたのも、全部うそだったんだねっ!?」
「ちょっと、何よこの愛憎劇!?」
 空気の読めないケイは放っておく。そしてカズキは決定的な文句を口にした。
「君との子がお腹の中にいるんだよ!」
「なんでいるのよ!」
 涙を流すカズキ。その言葉と様子に後ずさるピエロマスク、その肩に手が置かれた。玄関扉を開けて現れた、カズキの姉であるスズキだ。
「おいお前、私の弟泣かせやがったな?」
「え、ええっ!?」
 スズキは怒りのままにピエロマスクを家から引きずり出すと、出しざまに腹に向けてパンチを繰り出した。さらに傘立てから太いバッドを取り出すと、大きく振りかぶった。
「必殺、儚き敵討ち!」
「敵討ちの相手そっち!? というか儚さどこよ!」
 バッドで頭を殴られ、ピエロマスクはその場に崩れ落ちたのだった。





 それから、ビーチバレー、雪合戦、魔法少女ごっこと続き、ピエロマスクは何かにつけて殴られたり蹴られたりぶたれたり引っ叩かれたり金的されたりと散々な目にあって、魔法合戦の時よりも明らかに摩耗していた。
 当初のうちは困惑し、毎度変なことが起こるたびに突っ込んでいたケイだが、ふざけている攻撃が先ほど自分が撃ちまくっていた魔法よりも目に見えて効果的だと分かり、衝撃を受けていた。何故だかさっぱり分からない。あんなおふざけの攻撃が通じる理由も、それを拒まないピエロマスクも。
「なんで、なんでなの・・・・・・」
 二十年以上、ずっと悩んでいたことだった。どうやってピエロマスクを倒すのか。どうすれば倒せるのか。どうやればこの世界から抜け出せるのか。
 考えて考えて、嫌っていうほど考えて、もうどうにもできないんだと分かっても考えるのを止めず、それでも悩み抜いて、見つけた一つの答えが魔法少女全員で戦うことだった。でもみんな、自分については来てくれなかった。そして自分が二十年考えても見つからなかった答えを、いともあっさりと解決してしまった。
 ケイは泣いた。嬉しいような悔しいような、そんな涙だった。そのケイのもとに、ハナイが近づいてきた。その小さな頭に、ぽんっと手を置く。
「楽しくないですか、ケイ?」
「・・・・・・見てわからないの?」
 両手で涙をぬぐいながら、ケイは拗ね気味にそう答えた。ハナイはケイの頭をくしゃくしゃと撫でてみた。白い髪が跳ねていく。むすっと突き出されて唇がさらにとがった。
「サナが考えてくれたんですよ。こうやってみんなで遊ぼうって。そうしたらピエロマスクにだって負けないと」
 みんなで楽しく遊んでいれば、恐怖になど負けはしない。サナはそう言っていた。恐怖が消えてしまうぐらい、楽しいことをすれば。
「百歩譲ってそれは分かったわ。だけど何故、ピエロマスクが攻撃してこないの?」
「・・・・・・恐怖に打ち勝つのって、何か知ってます?」
 会話の流れをぶった切りながら、ハナイが指を差してそう言った。ケイが指差す先を確認してみると、カズキとソトが手を繋いで立っていた。ソトの体が光り輝く。そこへカズキが溶け込むように流れ込んでいった。
 ひゅーひゅーと外野からスズキの口笛が吹かれる。やめなさいとユメが制止する声が聞こえる。よくやるなぁという呆れのようなサナの感想も呟かれていた。あまり仲良くは見えない。でも、その顔は曇っていない。
 包んでいた光が消え、変身したソトが姿を現す。赤黒い毛の猫。とんがった猫の耳にふさふさの尻尾。ファーのように猫の毛が生えたスーツ。スリムな猫の手と足。時々ばちりと黒い光が体表を迸っている。
「愛の力を見せてやれよ、ソト!」
「だーうっせぇ! 黙ってろスズキ!」
 猫髭の生えた頬を赤く染めながら、ソトは動きの鈍ったピエロマスクを見つめた。もうほとんど動こうとしていない。みんなからタコ殴りに合ったせいだ。あと一息だ。
 ソトは確かな力を感じていた。今の自分なら、一撃であいつを屠れる。心臓の鼓動と一緒に、カズキの存在を確かに感じている。温かい気持ちが溢れていく。それと共に、カズキから鮮明に記憶が伝わってくる。父と母、祖父と祖母、妹、親友、好きな人、そしてあの日。全てを失ったあの日のことも。
 だけど今は怖くない。カズキがいる。傍に感じる。大丈夫、絶対負けない。
「・・・・・・力じゃないのかしら」
「違いますよ」
 ソトがぐっと右手を天に突き上げる。それだけで、辺りの地面が抉れた。
「恐怖に打ち勝つもの、それは――」
 ソトも、カズキも、サナも、ユメも、スズキも、そしてもちろんハナイもその顔は恐怖に歪んではいない。
 ただ、笑っているだけだ。
「いくぜ、みんな!」
 わーっという歓声の中、ソトの体がきらめいた。
 隣に立つハナイが、胸を逸らして叫ぶ。
「――希望ですよ、当然です!」
「・・・・・・そうね。そうかもしれないわ」
 ソトの足先から水が迸って地面を滑り始めた。そのままピエロマスクへと向かっていく。その顔には絶望も恐怖もない。楽しそうに笑っている。ピエロマスクも、素直にその一撃を受け入れようとしていた。
 その時、ケイは直感した。何故ピエロマスクが抵抗しないのか。
 この世界はみんなの意識の世界。みんなが恐怖を抱えていたから、その恐怖が暴れた。彼女たちを苦しめるように、彼女たちを蝕むように。
 でも、その恐怖を塗り替えられるぐらい強い思いがあれば、恐怖が暴れることはない。どんなに辛いことだって、みんなと一緒にいれば乗り越えられる。一人じゃ決して立ち向かえない大きな壁でも、みんなと一緒なら――。
 ソトが握った拳を引いて、大きく体を捻る。ぐいぐいとピエロマスクに迫り、そして勢いよくその拳を放った。
 打ち上げられたピエロマスクの肢体から力が抜け、その不気味な仮面にひびが入る。縦に一筋入ったそれは、ピエロマスクの体がぐずぐずと崩れていくのと共に仮面の全面に広がり、ガラスの欠片のように輝きながら消えていく。
 涙はまだやまない。でも、ケイは笑った。楽しくなってきた。一人抱えてきた孤独が、ピエロマスクと同時に消え去っていく。
 ピエロマスクの体は、長いこと宙に浮かんでいたが、その間どんどん形が崩れていき、地面に落ちる頃にはついぞ完全にこの世界から消滅し、なくなった。





「終わったんだな」
 恐怖を乗り越えるため、変身の際にカズキと手を繋いでいたら何故かカズキごと変身してしまったソトがみんなのもとへ帰ってくる。変身を解くと、ソトのすぐ傍にカズキが現れた。感極まったソトがカズキに抱き着き、カズキの方は目を回している。
「終わったのね。なんだかとても長い一日だった気がするわ」
「い、一日かどうかも分からないけど」
 ユメの率直な感想にサナがちょっと控えめに突っ込んだ。こつんと軽くユメがサナの頭を小突くと、サナは微笑んだ。その様子を視界の端に納めながら、スズキが首を鳴らして大きく溜め息をついた。
「疲れたなぁ。テレポート戦術良いと思ったんだけど」
「あ! あれすごかったですよ! 今度私にも教えてください!」
 こちらはこちらで素直な感想が飛び、褒められたことで気を良くしたのか、スズキがハナイと肩を組んでいる。そしてスズキがまた口笛を吹いてソトとカズキを囃し立てた。
 我に返ったソトがカズキから離れると、照れ隠しと八つ当たりにソトがハナイに絡み始める。いつも通り喧嘩をおっ始めた二人にサナが困ったように溜息をつき、その様子をスズキが見て爆笑し、それをユメが窘める。それを、ケイは少し離れた場所から見ていた。
 いつもの光景。五人にとっては、それが常日頃のことなのだろう。だけど、ケイからすればそれはとても眩しいものだった。一人ピエロマスクを抑えるために孤独を選んでいたケイからすれば。そのケイのもとへ、カズキがやってくる。ほんの少し身構えたが、カズキが両手を挙げると、ケイも身構えるのを止めた。
「・・・・・・何か用かしら」
 魔神はケイが作り出したものだ。その魔神を使役することに抵抗は覚えなかった。特に最初のうちは魔神そのものに自我があるとは思っていなかったし、ピエロマスクを倒すためなら何でもする覚悟だったからだ。
 今明確な自我を持ち、そしてピエロマスクを倒すことに一役買ってくれたカズキに、ケイは何も言うことなどできない。最初は壊すことも考えたが、ソトとの関係を見ているうちに壊せなくなってしまった。カズキはもう立派な人間だ。
 だから、カズキがケイを殺そうというのなら、ケイは抵抗する気にはなれなかった。こちらが先にカズキを壊そうと、いや殺そうとしたのだ。ならば、カズキに殺されそうになったところで文句は言えなかった。
 しかし、カズキの口から飛び出た言葉は意外なものだった。
「ありがとう」
 ただその一言だけ。カズキはそれだけ言うと、みんなのもとへ帰っていった。またソトとのことをからかわれているのだろうか、頬が朱に染まる。しかし満更でもなさそうだ。なんとなくだけど、ありがとうと告げられた意味が分かった気がする。
 ――自分も、あの中に入れるだろうか。
 元は六人だった。でもみんなの記憶の中ではケイがどういう扱いを受けているのか、ケイにはよく分からない。イメージの力を用いてケイの記憶を甦らせようとしたが、そもそもケイが彼女たちと一緒にいたのは二十年も前の話だ。ケイ自身の記憶が曖昧なので、せいぜいみんなの甦った記憶はケイが六人目の魔法少女ということぐらいだろう。
 一歩、踏み出そうかどうか迷った。そのとき、ハナイの声が聞こえた。
「何してるんですか、ケイ? こっちに来ましょうよ!」
 その言葉に背中を押されて、ケイは一歩を踏み出した。抑えきれない喜びが、彼女の顔を歪める。みんな、こっちを見ている。誰も拒んでいない。ケイが向こう側へと行くのを、待ってくれていた。


 しかし、ぐらりと地面が揺れた。


 突然のことだった。揺れる地面に足を取られ、ケイはその場で倒れてしまった。それほど大きな揺れだった。
 ウキエ地方では本来起こらないはずの地震に、みんなが戸惑いを隠せない。天井からぽろぽろと小さな石が落ちてくる。不安が伝染し始めたとき、ドーム状の空間の一角が崩落した。その先に見えたものに、一同が絶句する。
 そこにあったのは、暗闇。何もない、無。虚無。
「もしかして、この世界がなくなり始めてるの!?」
 サナが絶叫した。その声すらも世界が崩壊していく音に呑みこまれる。
 サナの言葉をみんなが噛み砕いている間にも、ドーム状の空間の崩壊は進んでいく。既に壁は崩れ落ち、這うような無が浸食を始めている。もう退路もなくなっていた。
「どうすればいいんだっ!?」
「分かんないわよ!」
「うわーっ!」
「くそっ、どうすれば・・・・・・!?」
「こんなことって・・・・・・」
 ソトが、ユメが、スズキが、カズキが、ケイが絶望する。暮らしていた世界が消えていく。両親が、祖父母が、親しかった友が消えていく。
 だがハナイは心を折らなかった。
「みんな! 体を!」
 ハナイが指差したのは、岩陰に置いてあったみんなの肉体だった。幸いにもまだ崩壊に巻き込まれていはない。
 指針を失っていたみんなは、ハナイの叫びに従ってすぐに走り始めた。途中何度も揺れに足を取られながらも、大急ぎで自らの肉体のもとへと駆ける。どんなに強い絆であろうと、困難を乗り越えた先に待っているものが絶望ではたまらない。彼女たちは必死に祈った。どうか、どうか助かりますように。
 祈りが通じたのか、どうにか間に合いはした。だがいざ肉体へと向かった時、サナが疑問を告げる。
「私たち、体の中に入ったらどうなるの?」
 誰もその疑問には応えられなかった。そしてそれを考えるだけの余裕も時間も、彼女たちには残されていなかった。
「もしかしたら、体に入ることでこの世界が虚構の世界じゃなくなるかもしれないっ!」
 大きな音を立てて、ドーム状の空間の半分が完全に失われた。その中で、ケイが叫ぶ。
「確証はないし、検証する余裕もないけどっ! でも今、何もしなかったら私たちは体を失って絶対に助からないっ! 奇跡にかけるしかないわっ!」
 その瞬間だった。ついにすべての天井が落ちてきた。ケイが最後の力を振り絞って押しとどめようとする。彼女の胸のペンダントが大きく震え、形を失い始めた。それでもどうにか、天井の崩落速度が緩まる。
「お願いっ、みんな急いでっ!」
 必死の訴えかけに、硬直していた面々が動き出した。みんな各々の体を見つけると、今度はペンダントが光り出した。その光が、意識である彼女たちとその肉体を包んでいく。それがまたゆっくりなものだから、ケイは焦れる他なかった。
「私たち、どうなっちゃうだろ・・・・・・」
 光に包まれながらのサナの呟きに、スズキが大きな声を張り上げた。
「きっとどうにかなるさ! これまでだって何とかなったんだからな!」
 スズキの楽天家っぷりに、呆れながらもユメは頷く。
「そうよ! ピエロマスクだって倒せたんだもの! きっと大丈夫!」
 二人に励まされる。理屈も何も会ったものじゃないが、サナはうんっと頷いた。そして三人は完全に光の中へと呑まれていった。
「ソトっ!」
 カズキの叫び声。彼の目から涙がこぼれている。
「大丈夫だよ、カズキ。アタシは必ず戻ってくるから!」
 力強くソトは笑うと、ありがとうと残して、三人と同様光の中へと消えていく。そして――
「――ケイ、あなたの体ですよ」
 ハナイが成長したケイの肉体を担いで持ってきた。病み上がりの体には凄まじい負担がかかったはずだが、ハナイはそれでも決して苦しい表情は見せなかった。
「・・・・・・ありがとう、って言いたいけど。無理かもしれない」
 苦悶の表情を浮かべながら、途切れ途切れにケイが言う。もう天井はすぐ傍まで迫っていた。
「ペンダントが、ないの。もう、消えちゃった。多分体に、戻れな――」
「――そんなことありませんっ!」
 ケイの言葉を遮って、ハナイは言い放った。
魔法少女は、最後まで奇跡と希望を信じるんです!」
「でも、もうペンダントは・・・・・・」
「ペンダントがなくたって、私たちは魔法少女です! 奇跡を起こすんですよっ! 最初に奇跡を信じたのは、あなたじゃないですかっ!」
 その言葉は、混乱の極みに合ったケイの体の中へ、すっと染み込んでいった。
 まるで、その言葉が契機になったかのように。
 ペンダントが消えてしまっているケイと、その肉体が光に包まれ始める。
 奇跡。
 その言葉がケイの脳裏に浮かんだ時、天井が速度を増して――


 ――この世界は完全なる無へと帰した。




 
 窓から差し込む陽射しに、その女性は目を覚ました。
 頬のこけた顔に不健康な色の肌、長く伸びた髪の毛、肉付きの乏しい体。その様はまるで死に瀕する病人のようであった。
 彼女がやおら上半身を起こすと、誰かが家の外から自分を呼んでいるような声が聞こえた。それに応えようかと思ったが、思うように声が出ず、音にもならないような音が出るだけだった。それでもその声に応えたくて、彼女はベッドから這いずり出た。
 うまく体に力が入らず、立つことすらままならない。総身の力を振り絞って、少しずつ彼女は這っていく。どれほど辛くても諦めることなく、ついに彼女はドアのノブへと手を掛ける。
 そしてどこか嬉しそうな表情で、そのドアを開け放った――






 故障かな、と思ったら 完






これにて「故障かな、と思ったら」は完結です。読了ありがとうございました。
本当は第7回で終了するはずだったのですが、思った以上に長くなったために分割しました。ごめんなさい。
この作品について、話そうと思えばいくらでも話せると思いますし、回収しきれていない伏線もあると思いますが、それはまた別の機会にということで。
作者の方々、お疲れ様でした。個人的に松村さんに番外編を期待しておきます。

(担当:鈴生れい)