バナナチップ その6

 もしも生きて帰ることができたなら、スマホは死ぬまでマナーモードにしよう。
 そんなことを考えながら、ベンジャミンは調理台の陰から立ち上がる。
「うふふっ」ルーシーはとても楽しそうだ。「やっと見つけた」
「……見つかっちゃったね」ベンジャミンは肩をすくめる──が、それは虚勢でしかない。「今度は、僕が鬼だ。好きなところに隠れていいよ」
「かくれんぼ、あまり好きではないの」ルーシーは乗って来ない。
「……じゃあ、何が好きなの?」
「もちろん──」ルーシーはくりぬきスプーンを指先で器用に回す。「お料理よ」
「…………」
 近づいてくる。
 一歩一歩。
 くりぬきスプーンと無邪気な悪魔。
 絶体絶命──しかし。
 眼の前の少女は、ライオンではない。
 プレデターでもエイリアンでもない。
 そんなヤツらより、彼女の方がマシに思えた。
 コミュニケーションできるからだ。
 ライオンやプレデターやエイリアンでは、こうはいかない。
 つまり、キングオブ最悪というわけではない。
 だとすれば、チャンスはある。
 これまで僕は、怒ったアシュリーを何度も煙に巻いてきた。
 話術こそが僕の取り柄。
 この持ち味を活かせば、あるいは──。
「どうしたのベンジャミンさん」手の届く距離でルーシーは言う。「顔色が悪いわよ」
「……実はね、ちょっと気分がすぐれないんだ」ベンジャミンは額に軽く手を当てる。「この近くにお医者さんはいないかな? いたら是非とも紹介してもらいたいんだけど……」
「お医者さんはいないわ」ルーシーは微笑む。「私が殺したもの」
「あ、そう……」ベンジャミンは唾を飲み込む。「じゃあ、看護師さんは?」
「彼女も私が殺したわ」
「…………」
「二人とも良い材料になると思ったのだけど、医者の不養生──とでもいうのかしら、不健康な身体であまり美味しくなかったわ」
「ふうん……」
「その点、ベンジャミンさんは──」
「あのさ」ベンジャミンはルーシーの話を遮る。「君はキャビアとかフォアグラとかコウベビーフを食べたことがあるかい?」
「──え?」ルーシーは目をぱちくりさせる。「そんな名前の人、食べたことないわ」
「いやいやいやいや……」ベンジャミンは手を振ってルーシーの発言を否定する。「人じゃなくて、食べ物の名前だよ。知らないの?」
「変なこと言わないで。人も食べ物でしょう?」
「うーん、そういう考え方もあるにはあるけど……」ベンジャミンは後頭部を右手で掻く。「まあ、いいや。とにかく、人以外で、そういう美味しい食べ物が世の中にはあるんだよ。だからね──」
「あの、ベンジャミンさん」
「ん?」
「まさかとは思うけど、他に美味しいものがあるから、食べるんだったら僕じゃなくてそっちを食べて──なんて言わないですよね?」
「……え?」ベンジャミンはルーシーから目をそらす。「あ、いや、えっと、その……」
「もしかして、図星でした?」
「ま、まさか……。違う、違うよ。君の推測は間違ってる。僕は、そ、そんなことが言いたんじゃなくて、えっと、あの、あれだ、あれ、あれだよ」ベンジャミンは代名詞を重ねることで考える時間を稼ぐ。「要はね、君と僕は、同年代ってわけではないんだけど、男と女であることに変わりはないわけで──」
「……ベンジャミンさん、何が言いたいの?」
「つまりね──」ベンジャミンは賭けに出ることにした。「僕は、一度、君と一緒に食事をしたいな──と考えているんだ」
「えっ……?」ルーシーの目が大きくなった。「一緒に……、食事……?」
「うん」ベンジャミンは力強く頷く。「せっかくこうしてお近づきになれたんだ。ある意味、運命の出会いとも言えなくもないよね。どうかな?」
「でも、私はあなたを……」
「君が僕を食材にしたい気持ちはわからなくもない。人の個性にはいろんな形があるからね。ただね、時には、自分の主張を通す以外のこと──つまり、他人の言葉に耳を傾けてみるとかね、そういうことも必要だとは思うんだ」
「…………」
「それに、僕を殺すことくらい、いつだってできるだろう?」
「確かに……」
 確かなのかよ、と声に出したくなったが、ベンジャミンは我慢する。
「僕の提案、受け入れてくれないかな?」
「…………」
「受け入れてくれた方が、君のためにもなるんだよ」
「えっ? どうしてそうなるの?」
「僕は今、とてもお腹が空いていてね。言ってみれば、ある種の体調不良なわけだ。そんな中で僕を殺して食材にしても、味が落ちると思うんだよね」
「あっ……」
「おそらく君は殺したいときに殺す──そんな感じでこれまでやってきたんじゃないかな。それも悪くはないけれど、どうせ殺すのなら最善の状態で、つまり、最も美味しいタイミング殺す──そうした方が良いと思うんだけど」
「なるほど……」
 ベンジャミンは、畳み掛ける。
「僕の提案を受け入れれば、君は最良のタイミングで僕を殺すことが出来る。一方僕は、最後の晩餐を美しい少女と一緒に楽しむことができる。どっちにとっても利益がある。すなわち、ウインウインの関係だ。悪い話ではないよね?」
「…………」ルーシーはベンジャミンから顔を背けた。
「おや? 何か問題でもあるの?」
「い、いや、ちょっと、その……」
「納得できなかったら、遠慮なく言ってね」
「そ、そういうことじゃなくて……」
「ん?」
「……初めてなの」
「えっ?」
「男の人と二人きりで食事するの、初めてなの!」
 怒鳴るようにそう言うと、ルーシーは光のような速さで厨房を出て行った。


(担当:花庭京史郎)
このあと、2人はどうなってしまうんでしょうね?
冷蔵庫の中で失神している2人も気になります。
次の担当は、竹之内大さんです。
よろしくお願いします。