バナナチップ その7

「どうすればいいの?」
「やはり相手のいることだからね。相手の好むものを作らないと。相手を喜ばせることが肝心なんだ。」
 どうやらルーシーは、ベンジャミンと二人で食事をするという考えが、いたく気に入ったようだった。
「相手を、ね…」
 ルーシーは深く考え込んでしまった。この隙に逃げられないだろうか。今、二人は二階の居間に向かい合って座っている。確かにベンジャミン一人なら逃げられたかもしれない。しかし、冷蔵庫にはいまだ気絶したままの友人二人がいるのだ…
「じゃああなたは何が好きなの?」
「僕かい? 僕は…」
 何とかルーシーの気をそらすことはできないか。うまいことを言おうと焦れば焦るほど、頭の中の歯車が空転する。しかし、少しでもチャンスを作るためには、とにかく彼女と会話を続けるしかない。
「ああ…僕は甘いものが好きなんだ。母さんが作ってくれたスフレは絶品だった…外はカラメルがサクサクしていて、中はふんわり、とろっととろけるんだ。雲のようなメレンゲと一緒に食べたら…」
「でもそれはデザートじゃない? メインディッシュにはならないでしょ。」
「確かにそうだね。…ああ、ちなみに君の得意料理は何なんだい?」
「それはもちろんバナナチップね! これだけはおばあちゃんにもお墨付きをもらった絶品なのよ。」
「ああ、さっきお茶うけに出してくれたやつかい?」
「あれは失敗作なのよ。だってバナナがなかったからね? 仕方なく代わりに物を使ってみたんだけど…やっぱりダメだわ。」
 代わりが目玉というのは…思わず頬が引きつるのを感じたが、何事もなかったように会話を続ける。
「それにしても、単なるバナナからそんな逸品を作り出すなんて、君は天才だな!」
「あら、そうでもないのよ?」
 そう言いつつも心なしか彼女は得意げだ。
「いやいや、謙遜しなくてもいいんだ。僕はなんてハッピーなんだろう。こんな片田舎でまさか天才美少女料理人に出会えるなんて!」
「もう、ベンジャミンさんったら…」
 顔を赤らめつつも満更でもなさそうなルーシー。彼女はそっとベンジャミンの耳元に顔を近づけ小声で話し始めた(ベンジャミンは飛び上がりそうになるのを必死に抑えた)

「あなただけにルーシー特製バナナチップの秘訣を教えてあげるわ…実はね、おばあちゃん直伝の秘密の粉があるのよ。揚げる前に、最後にこの粉を一振りするの。するとなんていうのかしらね? 思わず惹きつけられるような、魅力的なバナナチップが出来上がるの! みんな一度食べたら夢中になっちゃうんだから。もうほかのことなんて考えてられないぐらいにね…?」
 アメリカでもっとも平和に見える田舎町は、この少女と老婆の手によって歪められた世界に沈んでいたようだった。すべてが歪んでいるのなら? 歪んでいることが正常なのだ。


「ああ、でも…」
 ルーシーが残念そうにつぶやく。
「バナナチップもメインじゃなくてデザートよね。」
 一瞬、沈黙が二人を包む。ベンジャミンはあわててしゃべりだした。この沈黙のベールで窒息してしまわないように。
「あとはそうだな…僕は野菜や魚よりも肉が好きなんだ。肉には結構うるさいんだぜ? やっぱり雌の肉じゃないとダメなんだ。肉質の柔らかさが全然違う。勿論年齢も大事だ。年いくと固くなるし油が抜けてパサパサするし食えたもんじゃないんだ。それに一口に肉といっても部位がいろいろあるだろう? 何も知らないやつは、カルビだのヒレだのサーロインだの言うが…本当に肉の良しあしを判断できるのは何か? それはモツだ! 本当にいいモツはな、生で食べられるんだよ! 新鮮ならではの贅沢だよな。トロリと口の中でとろける濃厚な味わい…食べた者じゃないとわからないだろうね…」
 思わず夢中になってしゃべってしまった。もうやけくそである。
 彼の話を聞きながら、ルーシーはぼんやりと虚空を見つめながら、何やら思案にくれているようだった。
「そう…そんなものは家にはないけれど。でも…」
 彼女はにっこりとベンジャミンに微笑みかけた。やけに矯正器具がきらめいている気がした。
「最高の食事を準備しますから、しばらく待っていてくださいね?」
 彼女はそう言ってベンジャミンの額に口づけると、頬をうっすらと桃色に染めて階段を駆け下りていった。


 ベンジャミンは混乱していた。彼が相手にしていたのは、狂った殺人鬼だったはずである。だけど、さっきのは何だ。それに自分の心の中に湧き上がってくるこの感情はいったい何なのか…ベンジャミンはとにかく混乱していた。


 どれくらいの時間がたったのだろう。階段を上がってくる足音が聞こえた。一歩一歩重苦しく。そしてなぜかねっちゃりとした粘着質な音もまじっている。


 それは恐ろしい光景だった。
 彼女の眼窩は空虚に落ち窪み、血の涙を流している。
 エプロンにも血がべったりと付いている。歩くたびにその下からごぽごぽと何かがあふれてくる音がする。彼女が一歩一歩、歩みを進めるたびにその軌跡を示すがごとく鮮血がしたたり落ちる。
「さあ、召し上がれ」
 彼女が右手に掲げた皿にはさっくりと黄金色に揚がったチップが、左手にはまだ生暖かい内臓が生で盛り付けられていた。

 いったい何を材料にしたかなんて…言葉にするまでもないだろう。

 にたりと彼女は微笑み…かけたのだろう。
「…わあぁぁあああ!!」
 ベンジャミンは我も忘れて彼女の腹のあたりを蹴り飛ばした。

 ぐにゅりと、まるでつぶれたゴムまりのような感触を残して彼女は吹き飛んだ。
 そして、彼女は今さっき上ってきた階段を転げ落ちていった。
 固いものがぶつかるような、柔らかいものがつぶれるような、何とも言えない音がベンジャミンの頭の中を駆け巡り、そして…辺りは静寂に包まれた。

 ベンジャミンは思わずその場にへたり込んだ。彼はごく普通の青年である。それがはからずも、少女の…その少女が殺人鬼だったとはいえ…命を奪ってしまったのだ。震えながら、きょろきょろと彼はあたりを見回した。脅威は去ったはずだった。だが何かが恐ろしくてしょうがなかった。

 彼はそこで、床の上の皿に気がついた。彼女の肉体はあれほど劇的に飛んで行ったにもかかわらず、彼女の最後の料理はほとんど無傷であった。
 ぼんやりとその皿の上の物体を見つめていると、まるで地の底から響いてくるような低いうなりが響いてきた…

 …いや、何のことはない、ベンジャミンの腹の虫が騒ぎ出しただけだ。
 彼はこのハードな状況の中、ほとんど何も食べていなかったのだ。空腹なのはおかしいことではない。むしろ、当然なことだった…