ななそじあまりむつ その2

 あの蔵へ行った日から三日の間、ミヨはなぞかけの回答をすることができなかった。男はミヨとの食事には現れたが、食事を済ませた後はさっさと立ち去ってしまうのだった。ただ、男は欲しいものはあるかと食事中に尋ねてきたので、答えておけばすぐにその物を用意してくれた。そして、それ以外のときには男の行方を知ることができなかった。
 男が機嫌を損ねた三日間の初日、ミヨは白装束の男からもらった本草書に手をつけた。
 読んでいるうちに、漠然と眺めていてもしようがないと思い、植物について詳しく書いてあるものをかき集めて外へ出た。森の中の植物からここがどのあたりなのかを割り出そうという心づもりだった。そうすればこの周辺に存在しない植物や動物を答えの候補から外すことができる。答えの範囲を狭めることができると考えたのである。
 ミヨは丸二日、食事の時間に気をつけつつ森を歩き回った。
 もちろん川上の蔵には近寄らずに、である。
 
*     *
 
 屋敷に戻り食事を終えたミヨは、ものも言わず立ち去る男を見送りながら溜息をついた。男の機嫌がなおらないのは元より、散々歩き回った結果、何も収穫が無かったのが痛かった。
 目に入る植物を片端から本草書で調べたが、自分のいる地域を絞り込むどころか候補が広がる一方だった。屋敷の周りの森には東西南北あらゆる地方の植物があった。
 足を進めれば進めるほど、ミヨの恐怖は刺激されていった。見た目は何の変哲もない広葉樹林なのだが、ところどころに生えるその場には似つかわしくない彼らは、ここが超常の空間であることを明らかに示すのだった。
 
*     *
 
 三日目の朝、歩き回った疲れがたまっていたのか、ミヨはいつもよりも遅く目を覚ました。男との食事の時間もそろそろだろうと思われる頃だった。
 寝床からむくりと起き上がったミヨは、立ちあがって歩き出そうとした時、自らの足に躓いて盛大に転んでしまった。それと同時に、ビリッという嫌な音も部屋の中に響いた。
 ミヨは少し慌てて状況を確認した。
 ある本草書の表紙と一部分が大きく破れてしまっていた。昨晩ミヨがなぞかけの答えを用意しておこうとめくっていたものである。
 朝から幸先が悪いことに気落ちしながらも、なぞかけに失敗すれば食われることを思い返し、改めて気を引き締めるのだった。
 
 男はこの日の朝もなぞかけの回答を聞き入れなかった。途方にくれながらミヨは部屋に戻った。
 その道中ふと森の中に流れていた川のことを思い出した。
 川は確かに上流から流れていた。あの透明な壁があっても、である。
 もしかしたら、あの川の中には壁がないのかもしれない。
 思い立った彼女は部屋に戻るや否や、作戦を練り始めた。
 
 脱出の可能性を発見した。男に気づかれずに確かめるには如何な術を用いたものだろうか。ありがたいことに、男は心を読むことができないようだ。何を考えていても問題はないだろう。じっくり行こう。
 部屋の中を周回しながらあれこれ考えていると、足元の今朝破ってしまった本草書に目がいった。
(これだ――)
 ミヨはあげぽよだった。
 
 ミヨは破れてしまった本草書とその他何冊かを抱えて西の川へ赴き、川に沿って南に向かった。
 
 川辺の植物を逐一調べながら下流へむかう。
 上流からたまに流れてくる落ち葉を拾い、それも調べる。
 川は水底がくっきり見える。水が岩についた苔を洗う様に足を止める。
 膝をつき、本をよけて清水を飲む。
 木々の葉を透かす陽を感じながら、立ち上がり、歩き出す。
 そのうち見えない行き止まりにあたる。
 その先に進めないことを確かめる。
 ふーっと溜息をつく。
 気を抜いてしまった腕から本草書の破れた部分が落ちてしまう。それらは水面に漂いながら見えない壁の向こう側へ行こうとする。
 気づいたミヨは川から向こう側に手を伸ばしてつかもうとしたが、既にとどかないところまで流れてしまっていた。
 という演技をした。
 
 この演技の目的は二つあった。
 まず一つは自分の身体が川の中を通って見えない壁を越えることができるのかを知ること。二つ目は男がどういう行動に出るのかを見ることである。
 一つ目の確認は終わった。これで川の中は通り抜けられることがわかった。次には男の反応をうかがい、どの程度までミヨの行動を知っているのかを見る。脱出できそうならばすぐに行動に移すつもりだった。
 男は現れなかった。脱出の可能性はついえなかった。ここで男が咎めに現れたのならば、男はいつでもミヨを監視している可能性があり、脱出しようとしてもすぐに連れ戻されることだろう。
 手がかりを一つ掴んだミヨは、収穫なしで気分が落ち込んでいるという振りをしながら屋敷に戻った。
 
 夕食の前、ミヨは男に蔵へ入ろうとしたことを平身低頭して謝り、再びななそじあまりむつのなぞかけを続けてもらえるように頼み込んだ。いくら脱出口を見つけたからと言って必ずここから逃げられるわけではない。脱出が不可能だった時のための保険はかけておかねばならないだろう。
「わかりました。明日からはあなたの回答を受け付けましょう。ただし、この三日間も期限の中に含まれています」
 男はその日、これ以上ミヨには何も話さなかった。見えない壁を越えた件については無反応だった。男がどの程度ミヨの行動を把握しているのかは分からないままだった。
 脱出は当面先の話になりそうだった。
 
*     *
 
 八日目、朝の回答が空振りに終わったミヨは、川の下流の行き止まりへと向かった。あたかも昨日途中でやめた調査を再開しようとするかのように。
 目的地に到着したミヨは、風で木々が揺れるのを眺めながら今後の方針をまとめていた。
 ふと、視界の端に違和感を覚えた。そちらの方に目をやると、森の動きからは明らかに外れたものが見えた。行き止まりの向こう側だった。
 いったん身をひそめてそちらの方を注視する。どうやら人のようであった。
 人が川に沿って近づいてくる。
 それはあの村で見た、なまっちろい肌をした少年だった。
 
 (黄色信号機)
 
 
 (2014/8/29 一部誤字を修正しました)