リカラス その二


 
 誰かが部屋のなかにいる……?
 俺のアパートはしがない1Kの学生アパートだ。しかも居間が六畳、家賃三万。だから、玄関まであがれば部屋に何人くらいいるか大体想像がつく。どうやら一人だけのよう。まさか泥棒か、と思ったけれど、綺麗に靴が並べてあるのが目に入った。ごつい革靴。親父とも違う。
 薄暗い流し台を通って、ついでにそばにあった包丁を握りながら、おそるおそる居間をノック。そして、扉を開けた。
  
 
 そこには三十代くらいの男がいた。来ているのは警官の服。
「あぁ、ここの住人か。すまない。大家に鍵を借りて、緊急の用事であがらせてもらったんだ」
 なかなかに顔立ちの整った男である。縦長な顔の輪郭にここまで似合う顎鬚というのも珍しい。視線はまるでナイフのように鋭いが、浮かべる表情はまだ若さが残っていて、おれたちとそう変わらない感じ。ハリウッドスターみたい。
 そして、ドラマのように警察手帳を見せて付けてきた。門脇と書かれている。組織犯罪対策部の人らしい。
「緊急の用事?」とオレは尋ねた。
「あぁ。先日の宗教団体に関するニュースは知っているね? 何人もの役員が逮捕された」
「一通りのことは」
「その宗教団体に深い関係を持つ神獣がここにいるという情報が入ったんだが、なにか知っているかい?」
「リカラスのことですか?」
 元・同級生に押し付けられたものだ。どうやらアイツを警察が引き取りにきたらしい。
 俺がその名前を出すと、門脇さんが目を丸くした。
「この部屋にいるのか?」
「えぇ。たぶん……あれ? どこに隠れたんだろ? あのネコをどうするんですか?」
 俺はそう聞きながら、一旦部屋から出てトイレの扉を開けてみた。けれどネコはいない。風呂桶のなかにも隠れていない。
「あれはどうやら信者にとっては偉大な存在らしい……逮捕者が発狂しているんだ。リカラス様に会わせろ、リカラス様に会わせろ、と」
「はぁ。それでココに来たと」
「あぁ。彼らから情報を引き出すにはもちろん、リカラス自体が大きな情報だ。警察としては一旦、そのネコに会わざるをえないんだよ。まったく、どうして私がペットのためにここまで……」
「なんだか大変なようですね」
 背中から疲れが滲みでているような門脇さんと会話をしながらも、リカラスを探すが見つからない。いつもならば日なたに転がっているか、ベッドに寝ているしかしていないのに。どこへ行ったんだ?
 俺が押入れの戸を開けたところで、門脇さんも不審に思ったようだ。
「どうした? まさかいないのか?」
「い、いや、そんなことはないと思うんですが」
 だって、扉は開かれていないのだ。いくらネコとはいえ外出できるはずがない。
 門脇さんも部屋を隈なく探索し始めた。ベッドの下、テレビの裏、洗濯機の中……たった六畳しかないにも関わらず、なぜか発見できない。
 俺たちはその後、二十分に渡って捜索を続けた。けれど、リカラスはおろか、逃げた形跡も発見することができなかった、門脇さんも部屋に入ったときは、鍵がかかっていたという。
「リカラスがいない!」
 俺がようやくその事実に愕然とすると、門脇さんは頭をガリガリとかいた。
「弱ったな。えぇとカズトくん、夜も遅いし、私は一旦、署の方に戻るよ。リカラスは散歩に出かけただけかもしれない。戻ったら、携帯に電話してくれ」
 そういいながら、名刺を渡してくる。警察から名刺をもらうなんて初めて。
「一応確認するけど、キミ……隠している訳じゃないよね?」
 即座に表情が切り替わり、絶対零度の冷たい視線。
 俺は首をぶんぶんと振った。
「違いますよ。そもそも突然、元同級生に押し付けられて、アイツに愛情なんてないですもん! さっさと引き取ってほしいくらい」
「本当だね……その同級生の名は?」
「西田っつうやつです。たしか西田紀夫」
「ふぅん。だが、一応キミも重要参考人だ。明日、詳しく話を聞かせてくれ。十二時に駅、裏口へ来れるかな? そこにワゴンを停めておく」
「ワゴン……喫茶店じゃダメなんすか?」
「おいおい、キミは超がつくほどの重大事件を公衆の場でする気か……?」
呆れたようにため息をつく門脇さん。俺はこれ以上、自分の愚かさを晒さないように黙っておくことにした。
 最後に門脇さんは何かあったら連絡するよう再び念を押して、扉の外へと消えて行った。
 リカラスは結局逃げたらしいが、探しに行く程アイツに愛情があるかと聞かれれば答えはノー。
 警察と一対一なんて、なんだか疲れた。しかも明日も会うとか。
 少しだけ広くなったように感じられる部屋に寝転がると、俺はそのまま眠りについた。
 
 ・・・
 
 目が覚めると、もう昼間の十時になっていた。俺を起こしたのは、白いモフモフとした何かであった。俺の顔に覆いかぶさるようにして、なにかがのしかかっている。暑苦しいなんてものじゃない。
 いや、これって……。
「リカラスっ?」
 俺が腹筋を駆使して強引に身体を起こすと、一匹のネコが俺の足元へと落ちた。間違いない、例の宗教団体の神獣だ。
 なんだ、お前やっぱり隠れていやがったのか。
 リカラスはまだ眠そうに欠伸をした。
 すぐに門脇さんへ電話をかけようと考えたが、どうせすぐに会うことになるため辞めた。カバンにでも入れて、ワゴンへと持っていけばいい。俺は約束に備えて、まずは洗面台へ向かって身仕度を整えることにした。
 携帯が鳴り出したのは、そこから十分後のこと。チバからライン。確認すると「家の前」とだけ。
 俺はしぶしぶサンダルを履いて出かけると、そこにはスカイブルーのBMWに乗ったチバがいた。助手席にはミホがいた。
「朝っぱらから何? デートの自慢?」
「ちげぇよ」とチバが答える。「さっさとお前も行くぞ。とりあえず、日本海
「つーか、このBMなに?」
「ミホのパパから借りたのー」
 助手席から、カラスのように無駄に甲高い声。朝に聞くようなものじゃない。
 浜崎美保は、聞けば誰もが知っているような芸能人の娘だ。自販機前でたまたまミロクが連れてきた女子高生。学校も通わず、毎日街を遊び歩いている奴で、脳みそはないが、とにかく金の羽振りだけはいい。
 隣でチバがハンドルを誇らしげに撫でている。俺も高級車には興味があったが、残念だが国家の命運をかけた用事がある。
「んー、でも悪いけど昼間は無理だわ。また夕方にでも」
「マジかー。お前にも触らせてやろうと思ったのに」
「あぁ、あと例の件。やっぱり俺は無理だ。警察に目つけられたからな」
 昨日のことで、幸い踏ん切りがついた。さすがに門脇さんに疑われているのにチバと組む必要はない。
 俺の答えにチバは極端に顔をしかめた。隣でミホが「ねー、なんの話ー?」と声をあげた。
「受け子のアルバイトだよ。こいつが一人じゃ恐いから、俺と一緒にやろうと提案してきたの」
「受け子ってー?」
「要はオレオレ詐欺の手伝いだよ。詐欺で一番危険なのは、現金を受け取ったり引き出したりする瞬間なの。それを詐欺グループの代わりに行うのが、受け子」
 当然、立派な犯罪だ。ちなみにチバが持ち込んだ受け子の報酬は、奪った金額の十パーセント。一回で二十万近く手に入る夢のバイトは俺たちにとっては魅力的だったが。
「ビビリやがって。構わねぇよ。どうせオレは一人でもやるからな」
 そう睨みつけたのはチバだった。
「てか、警察? どうせ嘘だろ。ドラッグもやらんチキンなお前がなにをやったんだよ?」
「うるせーな。揉め事に巻き込まれただけだ。組対部、かな? とにかく門脇さんって人が来たんだよ。昨日家に帰ったら、部屋に上がりこんでてさ……本気で驚いたんだぜ?」
 すると、そこでなぜかミホが同時に首をかしげた。アニメのキャラみたいなリアクションを平気で出来るから変な奴。
「警察が無断に家……?」
「あぁ、なんか探し物とかで」
「有り得ないよ。いくらなんでも法律違反だよー?」
 こんな時ばかり、ミホの言葉は非常に重く感じられて、俺の背中に冷たい汗が流れるのが分かった。隣ではチバが勝ち誇ったように「やっぱり嘘じゃねぇか」と手を叩いて喜んでいる。
 けれど、俺は知っている。
 ジーパンに手を突っ込むと、そこには名刺の感触があるのだった。
 
 ・・・
 
 すぐに俺は家へと戻って、ネットを漁って、この都市への警察署へと電話をかけた。
「もしもし、あのそちらの組織対策犯罪部の方に、門脇啓二さんという人はいらっしゃいますか……あ、いや、俺は別に怪しい人じゃなくて……とにかく、いるかいないかだけ……じつは、昨日、組対部の門脇と名乗る人が部屋に来て……というか、無断で部屋に侵入していて……法律違反? ですよね、はい……………………そんな人物はいない」
 結果は予想通りであった。
 門脇啓二という人間は警察に存在しない。
 だったら、アイツは何者なんだ? なんでリカラスを狙っている? 俺の住所を突き止め、何を行おうとしていた?
 俺は即座に別の相手へ通話をかける。もちろん、元・同級生。リカラスを俺に押し付けた張本人。西田紀夫。一体コイツはどこまで知っているのか?
 コールを押してもなかなか出てこない。
 何度も何度も奴の携帯にかけて、やっと聞こえてきたのは西田とは明らかに違う中年女性の声だった。
『もしかして、紀夫の友達……?』
「えぇ、あぁ、はい。紀夫のお母さんですか? 紀夫くんに是非変わって……」
『できないわ……紀夫はね、昨日車にはねられて意識不明の重体なの……ねぇ、あなた、誰……? 犯人に心当たりはないの……? 教えてよ、誰、教えなさいよ。なんで紀夫が轢き逃げされなきゃならないのよ!』
 電話を切って、思いっきりベッドの上へと放り投げた。
 状況はまったく不明なことは間違いない。だが、自分が今、危険な状態にいることは理解できる。
 時計を確認すれば、もう十一時半。約束の時間まであと30分。
「逃げなきゃ……俺を駅に行かせて……もう一度、部屋の中を漁る気なんだ……あぶねぇ……ワゴンの中に入ったら、確実に殺されてた……」
 何者かがリカラスを狙っているのは間違いない。
 そのために警察を装って無断で侵入したり、俺を連れ去ろうとしている。まったく正体のわからない何かが。
 紀夫はきっとあいつらに轢かれたのかもしれない。こんな偶然、あるものか。
「だったら、なんで俺がまだ殺されてないんだ……?」
 思わずそう呟く。けれど、答えは俺のベッドでのんきに寝転がっていた。
 次の瞬間、俺は駆けだしていた。自分が持っている出来る限り大きいカバンにリカラスを両手で優しくしまうと、財布と携帯、各種カードだけを詰め込んで外へ出た。
 当然、チバもBMWもない。
 たった一人の逃避行だ。
「いや、違う。一匹いるんだ。アイツらが俺を襲うのを躊躇わせた、最強の人質が」
 何が起きているのかは分からない。それでも生きるしかないのだ。まだBMWも乗っていないし、セックスもしていないし、ドラッグも吸っていないし、チバに俺の勇敢さを見せつけてもいない。やっていないことが多すぎる。捕まってたまるか。
 俺は街へと歩みを進める。
 部屋には二度と戻れない。