リカラス その三

 ・・・


「それで?」
「……………………」
「ぱっと思いついた頼れる人間がボクだけだった、と自意識過剰しても良いのかな?」
 画面越しの相手の声に対し、ぐうの音も出せずに、ただ首肯するしか出来ない俺だった。


 先程、格好良く部屋を飛び出した所までは良かった。しかし、見切り発車の無謀な逃避行でしかなかったのだった。行く当てがある訳でもなく、まさか安心して寝泊りが出来る場所が確保できる自信もなかった。
 だから、俺は四股ホストことミロクに連絡を取った。奴は幸いにして真昼間は暇を持て余しているため、すぐに応対してくれた。
 約束の時間はとうに過ぎていて、おそらく門脇らは俺とリカラスの行方を血眼になって探しているに違いない。よって、お天道さんの下を堂々と歩けるような人間でなくなったことを自覚し、Skypeを繋いで適当なところに隠れるのと移動するのとを繰り返しながら会話しているのである。現在は公園の多目的トイレに潜伏している。異臭を放った便器と虫たちが牛耳っているのを除けば、鍵がかかるのと、密室であるのがありがたい。声が漏れないように気を使いさえすれば、身近でしばらく籠っていられそうな要塞だった。
 リカラスを預かっているなどの他人に漏らしたらヤバそうな話を伏せつつ、何故か警察を騙って自室に侵入してきた門脇啓二という輩について、命が狙われているかもしれない旨を説明したところで、ミロクは冒頭のようににっこりと微笑んだ。
「数少ない男友達に頼ってもらえるのは嬉しいなぁ、友達冥利に尽きるよね」
「お前が言うと嘘くさい。っつうか、男女問わず友達少ないだろ、お前」
 男は言わずもがな奴の職業柄、敵に回すことが多いし、女はみんな恋人だと思っている野郎だ。半ばあきれ気味に半目で応対すると、手厳しいなぁ、と眼前のイケメンは苦笑する。
「ただ、いくらボクが弥勒院正徳吉祥丸って名前だからって、駆け込み寺やってるわけじゃないんだけど」
 しかし持つべきものは友達というか、現状では神様仏様ミロク様、だ。藁をもすがる思いなのである。
「まぁ、でもボクを頼ってきたのはある意味正解だよ。――門脇、だっけ。情報収集ならボクの得意分野だから、きっと力になれると思うんだ」
「どういうことだよ?」
 自信ありげに言うものの、一見無力にしか見えない線の細いイケメンホストが、女性を口説く以外に何が出来るというのか。
「何もボクが、伊達や酔狂だけで女性を楽しませている訳じゃないんだよね」
「じゃあ趣味か」
「それもあるけど」
 あるんかい。
 俺のツッコミをいなしつつ、奴は芝居がかった仕草で人差し指をピンと立てて言った。
「女性っていうのは情報を多く保持し、互いに共有している。小学生の時、女の子たちの噂連絡網の速さと広さに驚いたことはないかい? 井戸端会議って大抵、井戸端にいる者=女性に対して使う言葉だよね。昔の女性たちはそこで毎日、情報交換をして常に新しい情報を仕入れていたわけだ」
 つまり、
「女性を制す者は情報戦を制すと言っても過言ではなく――夜の覇者たるこのボクは女性を楽しませることで情報収集に特化した存在ということだよ!」
 人差し指をこちらに突き付けてのどや顔。効果音を付けるならドーン、といった感じ。
「女性の情報網ってのは必ずどこかで繋がっているから……手当たり次第に僕の可愛い子猫ちゃんたちに話を聞いていって、門脇、って人を知っているコに行き当たれば良いわけだ。そこで得た情報をキミに提供しようじゃないか」
 両手を広げて友好的な様子をアピールされたが、しかし、俺としては虫の良すぎる話な気がしてならなかった。よって半信半疑な表情を浮かべていると、向こうは気さくな笑みを崩さず、
「カズトは疑り深いなぁ……確かに、ボクは基本的に女の子のためにしか生きていないけどさ」
 いらん邪推を招いてんのを自覚してるなら真っ当な生き方をしろ。
「で、どういう風の吹き回しだ?」
「なぁに、男に恩を売るのもたまにはアリだと思っただけさ。何だか高く売れそうだしね」
「そっちはただ人脈を辿っていくだけのノーリスクハイリターンな作業……。まさに、お安い御用ってことか」
「そういうこと。こっちは早いうちに出来るだけ足がつかないように調べておくから、安心してくれたまえよ」
「そうしてもらえると助かるよ、マジで」
 ミロクの頼もしい発言に、ようやく俺はほぅ、と安堵の一息をつくことが出来た。
 ただ闇雲に逃げるよりかは、情報があるに越したことはない。奴を俺とリカラス逃亡の関係者にしてしまうのは若干の懸念があったが、そこは自称夜の覇者。昔から危機回避能力にたけた男なので、何とかしてしまうだろう。
 そうとなれば、次の問題に移ろう。
「ところで、お前んちに泊めてもらうわけには……」
「駄目、だよ。全ての女性のあこがれたるボクの部屋にあろうことか薄汚い尋ね者の大学生が生息しているなんて、ホモ疑惑が生じてしまうじゃないか! ボクは同性まで魅了してしまいかねないと一部界隈で評判なんだからねっ」
 ボクは男となんて御免だよ、と大真面目な顔で言うので一発どついてやりたくなった。Skypeのおかげでミロクにも俺の現在地や状況が多少映像的に伝わっていると思うのだが、この汚い空間にいる男に対して外道過ぎる対応だろう。
 そのような内容で抗議すると、しかしミロクは平然とかわして、
「っていうか、大学に行けばいいじゃないか。大学という施設は学生に対して寛大な施設であり、また割と安全な場所だとボクは思うけどな」
 腕組みしてうんうんと頷く。
「基本、独立自治が実現しているから有事以外は大学に警察が入り込むこと少ないし、所属する学生を保護する居場所たるべき所じゃんないの? 違う? ――悪人に追われているのなら、相談して助けを乞うべきなのは一個人たるボクなんかよりもまず大学の方が頼りになるよね。組織が巨大だから頼りがいもあるよ」
 そんな偉大なる大学に行かず、ヒモ生活を経験したのちにホストの頂点を極めた男が言う台詞かよ、と反発したくなる。しかし、一理あるのが否めなかったので黙ってしまった。
 大学。
 逃走場所としてあえて考えないようにしていた区域だ。
 何となく居心地が悪いというか、これを機に大学復帰しても良いのかもしれないけれど、困った時にだけ頼るというのは何となく、プライドが許さない、というか。
「ピンチの時にまで思考を邪魔するようなプライドなんてクソくらえだと思うけど。命とプライドどっちが大事なわけ?」
 ボクは女の子が大事って選択するけど、カズトはそうじゃないでしょ?
 その言葉を最後に、適当な挨拶をするとミロクは通信を切った。必要なことは全部喋ったし、情報収集するのに俺と通信していた端末も必要になるからだ。
 携帯の画面に表示されたログアウトの文字を見つめながら、しばらくぼんやりと考える。
 最悪、路上生活することも厭わないつもりでいたのだが、大学、か……。
 ミロクにきついことを言われてもなお、何となく抵抗があって素直に大学へ行こうとは思えなかった。しかし、逃走場所の候補地くらいに考えておいても良いのかもしれない。大学の近くを彷徨って、ヤバそうになったら最終手段、ってことで。
 棒立ちで思考していると、便所虫が体のあちこちを俺にぶつけてきた。鬱陶しくて手で追い払っていると、カバンの中からリカラスがにゃぁ、と鳴いた。自分の存在を主張しているようでもあったし、待遇の悪さを抗議しているようでもあった。
 いつまでもトイレにいると怪しまれることだし、一か所に長時間居座るのも危険かとも思い、鼻に染みついた悪臭を放つその場所からそろりと離脱する。
 俺の未来を予知してくれないリカラスを連れて、街へ徘徊を再開する。


 ・・・


 その少し後のことだ。
 大学周辺をふらふらとした後、俺は近くのしょぼいカラオケボックスに身を置いていた。先程、裏路地でリカラスに餌を与えた際に、日本海へ向かっているはずのミホから連絡があったため、後から掛け直すと一声告げて、適当に話が出来る所を探した。結果、防音設備があって一時的に立てこもる場所として選ばれた、というわけだ。
 妙にふかふかした個室のソファに腰をうずめると、Skypeにログインしてミホの連絡先を選択。すぐにミホのログイン表示がされて、携帯の画面に彼女の顔が表示される。
 へらへらと、こちらに向かって手を振った。
『もしもぉし――ミホちんだよぉ』
「聞こえてるし、見えてるよ。どうした、急に連絡とか。チバと日本海じゃねぇの?」
『そぉなんだけどー、飽きちゃってー』
「話し相手になれと?」
『理解が早くて助かるなー』
 じゃあBMW持ち出して日本海なんか行くなよ! と言いたい気持ちを溜息に込めて吐き出す。ミホはあの有名芸能人の娘で、ちやほやされて育ったのか大雑把な気分屋で面倒くさい娘なのである。しかし、機嫌を損ねて拗ね始めると後々もっと面倒くさいことになるので、俺は仕方なく話に付き合ってやった。
 幸い、リカラスは餌を食べるとすぐに丸くなって眠ってしまったようだし、会話中に鳴くこともないだろう。
「で、今チバは? いないのか」
『うんうん、きゅーけー。何か電話っぽい―』
 ふぅん、と状況を把握して納得する。俺の携帯に映るミホの背景に紫煙がもくもくと漂っていくさまもうかがえたため、同時に一服やっているのだろう。また、車内には彼女しかいないはずなのに、何か人の声が小さく雑音として混じっている。
 つまり、チバは運転と喫煙と電話の応対を同時に出来る様な器用な男ではないため、仕方なく路肩に車を止めて外で電話を取っており、その間、放置状態の彼女は、つまらないことしか言わないラジオに退屈したため俺に連絡をしてきた、というわけだ。楽しいことが目白押しであってほしいお年頃。飽きっぽい性格なのは重々承知しているので、仕方のないことだ、と思うことにする。
 日本海行きを実況ちゅーけーしてあげよっかーとほざくミホの向こうから、ラジオの言葉が耳に飛び込んでくる。
 西田紀夫。被害者の名前は、西田紀夫。
 心臓がドキリとする。全ての元凶である男の名前を脳が選択的にとらえていた。ラジオからは、昨日起きたひき逃げ事件のニュースが垂れ流されていたのだ。
『最近物騒だよねぇ』
 ひやりとした何か冷たい感覚を背筋に感じていると、画面の向こうではミホが嘆息気味に呟いた。こちらが内心ドキドキしているのを気取られないように、話を合わせておく。
「だよな、あの宗教団体のごたごたやら聖獣だとかいう猫のあれこれがあってから、地元の辺り、何となくきな臭い空気が漂ってんじゃん? 空気悪いっつうかさ」
『そーそ。リカラス、ねー』
「そうそれ。未来を予知するとか言ってさー。ただの白い猫だぜ? 意味分かんねー」
 ミホが、ピクリ、と爪をいじっていた手を止めた。世間話の延長戦のつもりで会話していたのだが、何に反応したのだろうか、姿勢を少しなおして、
『意味分かんねーって発言は、あんまり外ではしない方が良いと思うなぁー。……けど、猫が未来を教えてくれるって、ちょっと面白いよねー』
 暇を持て余していただけだったお姫様が急に話題に食いついた手ごたえを感じた俺は、思ったことを口にする。勿論、今俺の足元で丸まっているリカラスをさも知らないかのように演じながら、だが。
「猫が未来予知とかどんなSFだっつー話だよ。たとえ予知できるのが本当だとしても、猫だぜ? 人語でも話すのかよ。誰がどうやって猫の予知した内容を聞いたのかが不可解じゃね?」
『教団の人が聴いたんじゃないかなー。そう主張することは可能だよねー。でも、リカラスが喋ったって話は聞かないかなぁ。そういえばー――他に未来予知する猫と言えば、「シャ・ノワール」だよねぇ』
「なんだよそれ」耳慣れない言葉をノータリンなミホが言うのに少し驚く。
『ヨーロッパのー、予知能力持った猫のことー。魔女の使い魔とかって言われてるんだけどー。フランス語で『黒い猫』って意味なんだよねぇ』
「リカラスは白い猫だぜ?」
 視線を下げるとミホにも筒抜けだからやらないが、眼下には白くてもっふもふなそいつが横たわっている。仮にもカバンに詰めていたわけだし、餌だって安いのを適当に与えているだけなのに、リカラスは不思議と毛並みが良く整ってもふもふだった。
 らしいねー、と間の抜けた口調で笑う。にゅー、と軽く声を出して伸びをすると、伸ばした両腕を後ろに倒して胸を逸らしつつこちらを見据えて、
『黒と言えばー、別の噂もあるらしいよー?』
 別の噂? と呟くと頷いて、伸ばした両腕で頭を抱える。背もたれに寄りかかってかなり体重をかけているようで、椅子がぎちぎち音を立てて抗議していた。
『あんまし有名じゃないんだけどー、教団関係者の一斉逮捕の後くらいからー、噂になってる話でー。なんかー、あの教団にはー、敵対する組織があるとかー、ないとかー』
 口調も変わらず暢気な声で言う。
『その組織もー、リカラスをどーこーしようとしてるらしくってー、あっちゃこっちゃで捜索活動してるとかなんとかー?』
 曖昧に記憶している内容を要約しようとして失敗したような話し方だった。が、俺の知らない新情報である。自分なりに地元の噂話をチェックしてはいたものの、ミホの情報網はそれを上回るということか。伊達に街を遊び歩いている訳ではないというか、天然さんらしく振舞いつつ妙なところでしっかりしている食えない女子高生だ。
 内心でミホを見直し、感心しつつ俺は最初にオーダーしてあったコーラに手を伸ばす。すっかり飲むのを忘れていたため、氷が解けきっていて少し薄まっていた。
「――リカラスを探してるのは教団関係者だけじゃないってことか」
 喉を湿らして、呟く。
 もしかして、門脇啓二という人間も、ミホの言う教団の敵対組織の関係者なのではないだろうか。それなら、リカラスを狙っているのもうなずける。西田紀夫はその組織に殺されたのだろうか。警察を騙ってみたり、人を一人殺してみたり、背後にそういう事情があるのだと思うと今までのことが少しつながった気がした。
 しかし、そこで疑問が生じる。
「…………ん? けどそうすっと、その噂が立つには、教団の人間と組織の人間が区別できなきゃいけねぇけど、見分けなんかつくのか?」
『確かー、聞いたところだとぉ、教団関係者はリカラスを崇めてるから白っぽいのに対してー――そうじゃない人たちは、黒い鳥のマークがあるんだって』
 別ウィンドウでググれカスと言われたので、『リカラス 捜索 黒い鳥』を入力してみると、確かにあちこちで目撃情報のスレが立っている。それによると、組織の人間は三本足の黒い鳥のマークを付けているらしい。
「よく知ってんなぁ」
『えへへー、JKの情報ソースすげぇでしょー』
「あぁ、一体どこからそんな情報得てんのか、後学のためにも教えて欲しいよ」
 んー? とミホは小悪魔的な笑みを浮かべて一言、
『――秘密、だよー』
 本当に、不思議な娘さんだ。もしかしたらミロク並みに裏では何かやっていそうな匂いもする。時折見せる、ドキリとする仕草がそんな雰囲気を醸し出しているのだろうか。
「それにしても、」
 と、そこで彼女を長らく放置している男のことを思い出す。っていうか、今更気づいたけどあいつ、女子高生とBMWに二人きりかよ。妙な気でも起こさなきゃ良いけど。
「チバのヤツ、電話長くねぇか? 誰と喋ってんだ?」
『分かんなーい。見てみよっかー』
 そう言うや否や、ミホはドア付近ボタンをポチリした。ブィィィインと言う音と共に、BMWの窓が自動で下がっていく。
『まーだ電話してるー、ってかタバコくっさーい』
 外からの風の勢いが強いのか、ミホの声に交じる雑音が増えた。
 それに伴って、
『――そういうわけっすから、門脇さん、例の件、僕のみの参加ってことで』
 はい、はい……じゃあ、失礼します。
 そう言って電話を切るチバの声が、電波に乗って耳に入ってきた。
――門脇? 門脇、啓二? 例の件って、
「おい――」
 チバ、と画面の向こうに呼びかけようとしたところで、ピーピーピーピーという無慈悲な機械音が鳴った。ミロクにミホ、電源に繋ぐ手段もなく長時間やりとりしていたせいで、携帯の充電がなくなり、強制的に電源が落ちる。(源 仙)