「なぜこんな挑戦を?」 1

 神谷和志には悩みがあった。それも二つ。


 一つは高校における対人関係である。ただし、いじめを受けているという訳ではなく、捉え方によっては羨ましく思える状況であり、実際に友人たちから嫉妬の視線を向けられている。というのも、
「また来てくれたんですね」
 どうやらとある女子生徒から好意を持たれているようなのだ。
「う、うん……」
 一杯に溢れる彼女の笑顔に一瞬たじろぎ、和志は微妙な笑みを浮かべるしかない。しかし明らかな苦笑いに気付かず、彼女は嬉しそうだ。
「色んな本を借りていきますけど、和志君って何に興味あるんですか」
「えっと……色々、読みたくて……」
 利用者のいない図書室での会話。ぎこちないのは和志が女子との会話に全く慣れていないからだ。特にここまで積極的なものは。
「あのさ、図書室だし、あんまり喋らないように……」
「良いですよ、気にしなくて。他に誰もいないんで」
 これはここ一週間、毎日している会話である。彼女の方は一緒にいられるだけで幸せというような顔をしているが、和志は早くこの空間から脱出したかった。だから、
「どうぞ」
「ありがとう」
 貸し出し手続きを終えた本を受け取ると不自然でない最速の速さで図書室から出ていった。ちなみに出ていく間際に彼女の、
「明日も待ってますね」
 という声が聞こえた気がしたが、彼は空耳だということにしておいた。
 
 彼女の名前は立花文。和志の高校で現在唯一真面目に仕事をしている図書委員である。毎回休み時間になると利用者の少ない図書室業務に勤しんでいるので、図書室に行けば必ず彼女に会ってしまう。
 会いたくなければ図書室に来なければ良い。と言ってしまえば簡単だがそれは出来なかった。学校の図書室以外の図書館は家と逆方向で遠くにあり、行き帰りに気軽に寄れる場所ではなかったし、毎日行っている図書室通いを絶対に止められない事情がある。
 その事情こそ二つ目の悩みに関することだった。
 
 その夜、寝る支度を全て整えてから、和志は今日借りて来た本を手に取った。名前は聞いたことがある、巷で話題の推理小説。薄くはないが、分厚いわけではないので、二時間ほどで読み切ってしまう。後書きまできっちり読んでため息をつく、と同時に欠伸が出た。
「眠い……」
 本を読んでる間は感じていなかった強い眠気。まるで和志が読み終えるのを待っていたように現れ、和志を強引に引きずり込もうとする。和志は本を机の上に置くと、電気を消し布団に潜り込む。これに抵抗しても無駄だと分かっている。
 横になって目を閉じると、すぐに和志の意識は途切れていった。
 
  ○
 
 和志は目を覚ました。開いた目に映るのはコンクリートの天井。ここは和志の部屋じゃないし、和志の家でもない。床に敷いた布団に寝たはずなのに、ベッドの上に乗っている。
 部屋の窓から外を覗けばどこまで伸びているか分からない高層ビルが何本もそびえたち、その影の中で街灯がポツンと光っている。かすかに見える空の明るさが、もう朝であることを示していた。どこかの近未来SF小説に出てきそうな風景に、
「ふぁあ……」
 和志は興味を示さず欠伸をした。
 起き上がったついでに伸びをしていると、
「お、やっと起きたか」
「朝ごはんは出来てるから、早く来な」
 部屋の入り口に二人の人間が現れた。一人は男で一人は女。和志の同居人だ。和志は二人を見ると、顔を綻ばせた。
「おはようございます。ジンさん、リサさん」
 そんな和志に、
「はい、おはよう」
 二人はそろって笑顔を返した。
 
「夜眠ると異世界に行ってしまいます」
 他人からそう言われたら大抵の人間が怪訝な顔をするだろう。高熱は出ていないかとか、頭を強打したのではと考え、場合によっては救急車やらパトカーやらを呼ぶこともあるだろう。和志だってそんな人間に出会ったらすぐに119番通報をさせて頂く。
 が、そんなことを真顔で言えてしまうのが和志の置かれている状況で、それこそが和志の二つ目の悩みだった。
 抗いきれない眠気に襲われ眠ると、別の世界で目を覚ます。その世界でも同じような眠気に襲われて次に目覚めると元の世界に戻っている。分かっているだけでも二週間、和志にはこんなことが繰り返し起こっていた。
 片方の世界においてもう片方、例えばこの近未来のような世界にいる時、和志が学生である世界のことは夢のように感じる。やけにリアルで現実感のある、夢。だから和志はどちらの世界でももう一方の世界を、偶然よく見る夢だと思っていた。
 しかし、この世界であることをすると、向こうの世界の自分に変化が起こる。その夢によって変化する現実に、その夢もまたどこかで起きた現実だと気付かざるを得なくなった。
 
 身支度を済ませ居間へ行くと二人が待っていた。ジンとリサ。和志がこの世界で最初に出会い、それ以降彼に衣食住及びこの世界の知識を提供してくれる人。ジンは民間の研究者で、リサは主婦らしい。
「お待たせしました……」
 そこにあった物に和志は唖然とする。
「どうしたんですか、コレ」
 部屋の端、天井に届きそうなほど積み上げられた、模型やはく製やその他よく分からない物の山。隅に寄せたのは良いが明らかに積み過ぎで、微妙なバランスを保ちながら存在している。ほんの少しでも揺らしたりすれば崩れてきそうだった。
「今朝、ジンの部屋から溢れてきたの。いい加減掃除しろって言ったのに」
 リサはふくれっ面でジンを睨んだ。対してジンは、
「しょうがないじゃないか。リサが掃除してくれないんだもん」
 そんなことを言い返す。言い訳か責任転嫁か分からないが、その物言いにリサのこめかみに青筋が浮かぶ。
「何で私が、あんたの部屋の掃除をしなきゃいけないのさ!!」
 怒鳴りながらリサは思いっ切り食卓を叩いた。衝撃でテーブルが揺れ、部屋が揺れ、ガラクタの山が揺れ、すぐそばにいた和志の上に降り注ぐ。和志は思わず目を瞑った。が、
「……?」
 ガラクタは落ちてこない。見ると、崩れかけた状態で止まっている、いや、空中に浮いて静止している。和志はリサと顔を見合わせほっと溜息を吐いた。
「なるほど。それが今日の魔法か」
 すると二人の後ろから呑気な声がした。見るとジンが上機嫌で何か機械に入力している。
「いや、毎日ありがとね」
 嬉しそうなジンに、和志はどうしようもない苦笑いを返した。
 
 この世界であることをすると、向こうの世界の自分に変化が起こる。その夢によって変化する現実に、和志はその夢もまたどこかで起きた現実だと気付かざるを得なくなった。
 そのあることとは魔法。そして起こる変化はとある記憶を失うこと。
 信じられないことだがSFチックなこの世界には魔法がある。それも伝説や伝承の類だけではなく、史実として。
 ジン曰く、
「今は完全に歴史になっちゃたんだけど、前は普通に使われていて、戦争で用いられたって記録もある」
 だという。
 もう使われていない魔法を和志は使うことが出来る。それを見たお人好し一般人のリサは(放っておいたら大変な目に合いそう)物好きな研究者のジンは(面白そうだ)と思ったのか、和志を保護し協力しくれていた。
 
「しかし、何が魔法の種類を決めているのかね」
 今までの記録を見つつジンが呟いた。今まで和志が使った魔法は物を浮かせたり、火を操ったりと、日によって変化していた。
「まあ、本なんだろうけど」
「そうですね……」
 ジンの言葉に和志は同意する。というのも、魔法を使うことで消える記憶。それは本にまつわる記憶だった。例えば読んだ本の内容、題名、作者。この世界で魔法を使った後に向こうに戻ると、たとえ寝る直前に読んだとしても、起きた時には綺麗に忘れ去っているのだ。
 魔法を使うために本を読んで、その記憶を持つ。向こうの世界での図書室通いはこのためだった。
「その本を調べられたら良いんだが、夢の世界じゃな……」
 残念そうなジンに、和志は尋ねる。
「こっちの世界の本って、もうほとんど無いんでしたよね?」
「ああ、魔法が消え始めるのと前後して機械に取って代わられて、見ての通り生活に紙媒体は綺麗さっぱり無くなってるよ。残ってるとしたら、文化遺産ってことで回収しまくった政府の所かな、あとよっぽどの金持ちで物好きな奴が手元に残してるっていう噂だ」
 そこまで言ってジンはため息を吐いた。
「何にしろ、こんな一般庶民に見せてくれる訳ねえけど」
「そうですか……」
 そんなジンにつられて肩を落とす和志。
「弱気になんなって。時間がかかるかもしれないけど、何でお前が行き来してんのか、ちゃんと調べてやるから」
 そんな彼をジンは励ました。
「寝ているお前を見張ってたけど体には何にも変化はなかった。ってことはこの行き来は物理的なもんじゃないって考えられる。こっちの世界に原因があるとすれば、魔法だって思うんだよな」
「じゃあ、もし向こうに原因があったらどうしようもないんですよね……」
「あーもう! だから落ち込むなって。向こうで思い当たる節は無いんだろ。じゃあ、こっち側に原因が無いって分かった時に改めて考えりゃ良いじゃねえか」
「……はい」
「よし、じゃあ、向こうで何か本の種類分け……っていうのか分類みたいなもの、何かないか調べてみて欲しい。本についてなら無くなってるこっちより向こうの方が情報は多いだろうし」
 そう言うジンに和志は不安げな顔をした。和志を見たジンは笑いかける。
「大丈夫だって。勿論一冊は本を読んでくるのも忘れずにな」
 そう言われ和志は頷いた。何もかも分からない中で、どうにかして道を見つけなければいけない。その中で力を貸してくれる存在がいることを、和志は心から感謝した。