ななそじあまりむつ その5

 二十三日目。スケイチは瞑想にふけるミヨを見ていた。部屋の真ん中で正座をして、外の世界を受け付けないといった様子だった。
 白いものを探して答える作戦は失敗に終わり、なぞかけへの手がかりは、途切れてしまった状態にある。ミヨは今も彼女なりに作戦をもって行動しているのかもしれないが、スケイチはまだ何をすべきか考えあぐねていた。スケイチ自身の持っている知識はミヨに比べればはるかに少なく、村のことも神様のことも教えられるままに受け入れてきただけだった。自分で考えるための土台がまだ足りなかった。
 
「あの……」
「なに?」
「おれは、何をすれば良いのでしょうか」
「神様の正体について手がかりになりそうなこと、思い出してちょうだい」
 彼にもう思い出せることはなかった。閉じた世界で得られる知識や経験はたかが知れている。握ったこぶしに力が入った。じっと座っているのを耐えがたく感じた。洞窟の中ではそんな気持ちにはならなかったのに。
「焦っているね」
 ミヨが目を開く。
「少し体を動かして来たらどう?」
 
   *      *
 
 スケイチは森の中を歩いている。ミヨにそうするように言われたためだ。ミヨが言うには、新しいものが見えるかもしれないということだった。今まではミヨに案内されて、彼女が見てきたものを見ていたが、今度はスケイチ自身の目でこの森を眺めてみる。そうした新たな視点を通せば、これまで見逃していたものが現れてくるかもしれない。
 とはいったものの、やたらに歩き回って何が見つかるわけもなく、その日は丸一日無駄に過ごしてしまった。
 次の日も彼は道なき道を行く。見えてくるものは樹と草と、そういった既に見てきたものばかり。足も目も疲れてしまったスケイチは川のほとりで一休みした。
 透き通った水が木漏れ日に照り輝いて流れてゆく。スケイチはその水を掬ってさっと口へ運んだ。渇いたのどが潤う。そして、再び歩く気力がわきだすのを感じた。
 彼は川の上流へと向かった。そちらの方に心が向いたのだ。
 川に沿う岩を渡りながら、ふと思い出すことがあった。以前ミヨに案内をしてもらっていたとき、彼女の足取りに違和感を覚えたことがあったのだ。まっすぐ歩いているかと思ったら、急に道筋を変えて、まるで何かを避けるように進んでいくことがあった。あれはどのあたりだったろうか。
 通った道はよく覚えていた。記憶をたどってずんずんと進むうちに、木々の陰から森に似つかわしくないものがちらりと見えた。何かがある。彼が興奮気味に足を速めてそちらへ近づいてゆくと、小さな建物があるのを認めた。ミヨの背丈で二人分あるかないかといった大きさの蔵だった。
 この森の中で屋敷以外の建物を見たのは初めてだった。スケイチは蔵のことなど一言も聞いていなかった。この蔵が特別なものであることを彼は感じ取り、獲物に狙いを定めた獣のように一歩一歩ゆっくりと進んでゆく。そこでふと気が付いて、足を止める。おれの来る前にこの森は十分に調べられているはずだ。それでもミヨさんがこの蔵のことをおれに伝えなかったのは、蔵があることに気づいていなかったからじゃないだろうか。神様が蔵を隠していて、ミヨさんに見せなかったのではないか。ならば、まずは彼女に知らせるのが第一にすべきことだ。
 そう考えたスケイチは、蔵の場所を覚え、来た道を走って帰った。
 
   *      *
 
 屋敷に戻ったスケイチは、息を切らしてばたばたとミヨのもとへ向かった。
「どうしたの? そんなに慌てて」
 ミヨは相も変わらず正座をして瞑想を続けていた。
 スケイチは森で先ほど見たことを、口早にまくし立てる。そして、彼の口から蔵という言葉が出るや否や、ミヨは声を潜めるように注意をした。
「神様が聞いているかもしれないわ」
 彼女は真剣な眼差しでスケイチを見ていた。
「蔵があったのね?」
「はい、川の上流の辺りに」
「よくやったわ。あなた、大手柄よ」
 それを聞き、スケイチは嬉しくなって言った。
「では一緒にあの蔵を調べに行きましょう」
 しかし、ミヨは眉をひそめた。
「それは無理だと思う」
「なぜですか?」
「わたしとあなたでその蔵のある所へ行ったときには、それを見つけられなかったでしょ? なら、今度も蔵にたどり着けないはずよ。それに、神様が私に隠しているなら、何か相当知られたくないものがあるに違いないわ。不用意に近づいても神様の逆鱗に触れてしまうかもしれない」
「ではどうすればよいのでしょう?」
 ミヨはしばらくの間黙り込んで考えていたが、何かを思いついた様子で、姿勢を正してスケイチの方へ近づいた。
「あなた一人でその蔵の中を調べてくれない?」
「しかしそれでは……」
「大丈夫、わたしが囮になるから」
「どういうことですか」
「実はね、あなたが来る前に、見えない壁の外へ出られる場所を見つけたの。もしそこから私が出ていけば、神様は必ずわたしを逃がすまいと追ってくる。その隙にあなたが蔵の中を調べて。絶対何かあるはずよ。絶対」
 ミヨはスケイチの手を取り、彼の目を見て呼びかけた。
「やりましょう。あなたにならきっとできる」
 スケイチもミヨの目を見た。信頼に応えなければと、彼は決意した。
 
   *      *
 
 二十五日目、ミヨは焦っていた。スケイチをのせるのに時間をかけすぎたのだ。ここ数日を無駄に浪費してしまった。
 その焦りは彼女の思考を鈍らせていた。スケイチを囮とするにも、まず神様がこの森の中を一度に見渡すことができない、もしくは、一度に二つ以上のことができないといった、囮が無効にならない前提を必要としている。この計画が失敗すれば急激に立場は危うくなる。脱出も、なぞかけの解答もできなくなるかもしれない。そういった考えが、ミヨの頭の中からすっぽりと抜け落ちていた。
 だが、彼女は目的地を目指す。今が勝負だと、自分に言い聞かせながら。
 作戦は太陽が真南に来た時点で開始される。スケイチを囮とした、ミヨの脱出作戦だ。
 川の下流にある壁の付近に到着すると、予定の刻限はすぐにやってきた。
 彼女はすばやく川の中にもぐりこみ、流れに乗って壁の外へと這い出た。水面から顔を上げ、後ろを振り向いてそちらに壁があることを確認する。確かに外へ出られた。あとは村の人たちに見つからないよう逃げればいい。
 川の水は思いの外冷たい。着物も水を吸って重くなっている。とにかく岸に上がろう。
 そうして岸へ近づき、水の外へ足をかけた瞬間、もう片方の足が何かに引っ張られた。ミヨは岸へ上がろうともがいたが、彼女を引きずり込む力は強く、まるで馬に引きずられるかのように川の中へと連れ戻された。
 
   *      *
 
 全身は濡れて、ところどころ擦りむいた箇所がある。ミヨは絶望しかけていた。あれだけのことをやって結局壁の中に閉じ込められたままなのだ。あの白装束も、スケイチを咎めている最中かもしれない。ただ一点、スケイチの信頼を失っていないであろうことは、不幸中の幸いだった。
 屋敷に戻ると、もうスケイチは帰ってきていた。とは言え、彼の暗い顔からは、嫌な想像しかできなかった。
 彼は戻ってきたミヨを見て、心配と申し訳なさが合わさった顔になり、何かを言おうとしたが、ミヨは心配ないと言ってこれをしばし押しとどめ、着物を換えに赴いた。
 着替えを終えた二人は、互いの心が落ち着くまで少しの間黙っていた。風が森を吹き抜ける音が耳に入るようになって後、スケイチから伏し目がちに口を開いた。
「そんなにお怪我をなされて、大丈夫なのですか」
「問題ないわ。ほんのかすり傷よ」
「さようですか。わかりました」
 スケイチは本題を切り出そうとしなかった。ミヨは少々いらつきつつも、強いて笑顔を保って話を始めた。
「わたしの方は問題なかったけど、そっちはどうだったの?」
「あの……」
「神様に見つかった?」
「いえ、そうではありません。むしろ指示通りにうまくいきました。日が真南に来るころを待って、あの蔵の扉を開き、中を調べることができました。ただ……」
「ただ?」
「何もなかったのです。蔵の中には、何も」
 何もなかった。
 ミヨは、道が暗闇に閉ざされるのを感じた。
 
 
 
(黄色信号機)