ななそじあまりむつ その6
その晩、白装束の男は夕食の席に姿を現さなかった。
次の日、そしてまた次の日も。
ここ数日間、ミヨたちは屋敷で大人しくしていた。男が現れたら、ミヨが脱出を試みたこととスケイチが蔵に入ってしまったことを謝って、どうにかして許しを乞おうと考えていた。
だが、白装束の男は一向に姿を見せなかった。
「まずいわね……」
二十八日目の朝。自分らで準備した朝食を目の前に、ミヨは暗い口調で呟いた。
スケイチもどことなく声が沈んでいる。
「神さま、いらっしゃらないですね……」
しばらく待っても、神さまはやはり現れない。仕方なく、ミヨたちは今日も神さま不在の朝食を始めた。
「やっぱり、わたしが外へ出ようとしたのに相当怒っているのかも……」
ミヨの脱出は失敗した。なにかしらの強い力によって、壁の内側に引き戻されてしまった。
しかし、白装束の男はミヨを咎めに出て来なかった。それどころか、食事の時間になっても、男はミヨたちのまえに現れなかった。
これでは肝心の答え合わせができない。
いいや、問題はそこではなかった。スケイチとしては大問題かもしれないが、ミヨとしては、なぞかけの答え合わせなどとうに諦めていたことだった。
残り少ない粟粥を口にかき入れ、ミヨは溜息をつく。
「これで最後か……」
そう、もう食糧がないのだ。それが一番の問題だった。
いままでは、白装束の男が食べ物を十分に出してくれていた。
だが、男が現れなくなってしまったので、食事は自分で用意しないといけない。厨房に残っていた食糧でなんとかねばって来たものの、今日でそれも底がついた。
このままだと、白装束の男に食われるかどうかの前に、餓死してしまう。
「スケイチ」
朝食を終えて席から立ち上がり、ミヨはむずかしい顔で言った。
「今日は外で手分けして食べ物を探そう」
屋敷は森で囲まれている。以前、屋敷の周辺を探索していたとき、果物や山菜を見かけたこともあった。それに、川や湖もあるから、魚だって捕れる。
食料を探してくるのは、それほどむずかしいことではないはずだ。
スケイチに屋敷の南側で食べ物を探してくるよう指示してから、ミヨは小川に沿って北へ向かった。
二手に分かれるのは、もちろん効率良く食糧を探すためだ。しかし、ミヨにはもうひとつの目的があった。
――蔵の中がどうなっているか、自分の目で確かめる。
スケイチは、蔵の中は何もなかったと言っていた。
そんなことあるわけがない、とミヨは考えていた。
なにせ白装束の男はものすごい形相でミヨがあそこへ近づくのを拒んだのだ。何もないはずがない。
スケイチはきっと嘘をついている、仮に嘘をついていないとしても、彼はきっと何かを見落としたのだろう。本当はどこかに隠し扉があったのかもしれない。
だからミヨにはもう一度、蔵の中を自分の目で確かめる必要があった。
途中で見つけた果物や山菜の場所を覚えながら、ミヨは北へ北へと進んでいった。
まずは蔵だ。食べ物は、帰りに採ればよい。
しばらくして、ミヨは蔵へたどり着いた。扉の前に立ち、あたりを見回す。この前のように白装束の男が突然出てくるかもしれないと警戒したものの、そのような気配はなかった。
「神さま? どこにいますか?」
一応、咎められた場合に言い訳がつくようにと、ミヨは白装束の男を捜すふりをしながら、扉に手を掛けた。それでも男はやはり止めに来ない。
ミヨは慎重に、扉を開いた。そして、そっと中を覗き込む。
小さい蔵なので、扉の外からすぐに全体を見渡すことができた。
蔵の中は随分とくたびれていた。川の近くにあるせいか、空気は湿っていてカビ臭い。壁や柱も、根元が腐りかけているようだった。奥の方の壁には、木で造られた小さな格子窓がついており、そこから微かに光が差し込んでいた。他に窓はないので、だいぶ薄暗い。
中には、何も置かれてはいなかった。掃除も全くされていないようで、どこもかしこもカビだらけ、ホコリまみれ。しかも、ところどころで蜘蛛の巣が張られていたり、虫が蠢いたりしている。この蔵はもう長い間使われていないようだった。
たしかに一見何もない。
しかし、もしかするとどこかに隠し扉があるかもしれない。薄気味悪いと感じたミヨであったが、ここで詳しく調べずに身を引き返すわけにもいかない。少し躊躇いがちに、扉に垂れかかっている蜘蛛の巣を払い落として、ミヨは蔵の中へと入っていった。
* *
「これは……たしか食べられる」
スケイチは晴れない気分で、採ったきのこをかごに放り込んだ。
本草書の知識がまさかこんな形で役に立つとは。あまりにも不憫すぎる。もともとは神さまの補佐になるために覚えた知識だというのに、自分らの食糧探しに活用しているだなんて。そうスケイチは少し不満を感じていた。
なぞかけの答えも、未だにまるで検討がつかない。なにか手掛かりがありそうだった小さな蔵も、中は何もなかった。それどころか、神さまはスケイチらの前に姿を現さなくなってしまった。
「これは……たしか栗というものだったな」
刺だらけの実を、慎重に拾いあげ、かごに放り込む。このあたりの地面には、栗がたくさん落ちていた。
ひとつひとつ地道に栗を拾いながら、スケイチは考える。
神さまはどうしていなくなってしまったのか。
ミヨは、神さまは怒ってしまったから自分らの罰として姿を消したのに違いない、と言っていた。だが、スケイチにはそれが納得できなかった。怒っているのであれば、叱りにくればいい。なにも拗ねてしまったかのように、ただ一方的に姿をくらます必要はないだろう。
だから、スケイチが考えるには、神さまは何か止むを得ない事情で、ここへ来ることができなくなったのだ。他に急な用事ができたか、もしくは病気なのかもしれない。
神さまはきっとじきに帰ってきてくれる。
「……重い」
栗を拾っているうちにかごがいっぱいになったので、スケイチは一旦屋敷へ戻ることにした。いままでずっと洞窟暮らしだったせいで、重い荷物を持ち運ぶのはどうも慣れない。最近ようやく、山道を歩くのに慣れてきたぐらいだった。屋敷に着いたころには、もうだいぶ疲れてしまっていた。
スケイチが庭にかごを下ろして休んでいると、外のほうから足音が聞こえてきた。
ミヨが帰ってきたのかと思い、門へ駆け寄る。しかし、
「えっ」
そこには、スケイチを世話していた初老の巫女が立っていた。
「どうして、ここへ……」
風が立ち、木々がざわめく。巫女の緋袴が揺れ、後に束ねられた銀色の長髪が弱々しく空を舞った。しわくちゃな彼女の顔には、少し悲しげな表情が浮かんでいた。
「スケイチ、私と共に来なさい」
ゆっくりと、落ち着いた口調で、巫女は言った。
「神さまがお呼びです」
* *
本当に、何もなかった。
ミヨは意気消沈していた。蜘蛛の巣だったり、気持ち悪い虫やカビだったり、汚いのを我慢して念入りに蔵を調べたというのに、何も出てこなかった。ガラクタすらない、ゴミもない、隠し扉なんてもってのほか。壁にも柱にも天井にも地面にも、仕掛けなんてこれっぽちもなかった。
ただの、何もない古くたびれた蔵だった。
もしかすると、見えない何かが中に入っていたのかもしれない。しかし、それではなおさらお手上げだ。
ミヨは溜息をつきながら、蔵の外へ出てゆっくりと扉を閉めた。あたりを見回してみる。
やはり、誰もいない。
何も見つけられなくても、せめて白装束の男が咎めに来てくれれば、どうにかして許しをこいて食べ物をもらうことができたのに。なぞかけの答え合わせだって続行できるかもしれなかった。だが、結局その思惑も叶わずに終わった。
「これからどうしよう……」
とりあえず食べ物を探しに行こう。ミヨは気を取り直して、川のほうへ歩き出した。
そして、
「あれ?」
異変に気づいた。
木々から落ちる葉っぱが風に吹かれて、ゆるやかな軌道を描きながら宙を舞っていた。
風が吹くことも、木から葉っぱが落ちることも別段おかしいことではない。
おかしいのは、葉っぱの軌道だった。以前ここを探索に来たときは、透明な壁にぶちあたってしまうせいで跳ね返るような軌道を取っていたが、今では、阻まれることなくその場所を通り抜けている。
もしやこれは……。ひとつの可能性に思い至ったミヨは、透明な壁があった場所まで足を運んだ。そして、慎重にじりじりと前へ進んでみる。
一歩、二歩、三歩……。
いつまでたっても壁にぶちあたらない。
「これって……。透明な壁がなくなっている!?」
逃げられる!
突然の事態で、ミヨは興奮気味になっていた。
深呼吸をして高鳴る鼓動を落ち着かせる。
まずは屋敷にもどって策を練るべきだろうか。いや、その間にまた透明な壁が元通りになってしまってはまずい。神さまも帰ってきてしまうかもしれない。
だとすれば、いまのうちに逃げ出すのが上策か。
だが、スケイチはどうしよう。置いてけぼりにしてしまってよいのだろうか。
「……彼ならきっと、自分でなんとかするでしょ」
そう自分に言い聞かせ、ミヨは外側を目がけて走り出した。
ここから逃げられたのはよいものの、ミヨにはひとつ心残りがあった。
――行李だ。
* *
巫女に連れられて麓の村へやってきたスケイチは、ある悲惨な光景を目にした。
「田んぼが、めちゃくちゃだ……」
村のほぼ全ての野菜畑が、田んぼが、ひどく荒れていた。
「これはどういうことですか?」
スケイチは固唾を呑んで、巫女に聞く。
「虫害です」
険しい表情で、巫女は答えた。
村をぐるりと一周し村の様子を見たあと、巫女とスケイチは再び山の麓へ戻り、洞窟へやってきた。
「この先で、神さまが待っています」
スケイチがずっと暮らしてきた洞窟。もうこの洞窟に入ることはないだろうと思っていたスケイチは、複雑な気持ちで巫女とともに洞窟の奥へと進んだ。
なぜだか奇妙な新鮮感を感じる。
自分がいままで暮らしてきたときと違うような雰囲気が、漂っている。
洞窟の一番奥に、白装束の男はいた。真新しい茣蓙の上で、目を瞑って座禅を組んでいる。周囲には、奇妙な文字で書かれた御札がならんでいた。
「神さま、スケイチをお連れしました」
巫女の声を聞いて、男が目を開けた。
「ご苦労様です」
「神さま……」
スケイチは混乱していた。どうして神さまがここにいるのか。どうして村が突然あんなふうになってしまったのか。どうして神さまは自分を屋敷からここへ呼び出したのか。いろんな疑問が彼の頭の中で渦をまいていた。
スケイチが質問する前に、白装束の男が口を開く。
「村の様子は、もう見ましたか」
「……はい。ひどい有様でした。ほとんどの畑と田んぼが荒れてしまっていて。なぜこんなことに……」
スケイチの疑問を聞いた男は、めずらしく落ち込んだ表情を見せた。
「私は、災いをとどめることができます。しかし私は、災いを消し去ることができません」
「それは、どういう……」
「だが、あなたは蔵を開いてしまった。それゆえに、村に災いが訪れてしまった――」
困惑しているスケイチに、白装束の男はゆっくりと言い放った。
「罪を償いなさい」
(三水夏葵)