『Colorful White 〜RGB〜』   御伽アリス

   プロローグ 

  あのころ見てた あの光 
  ひとつ消えれば 色変わり 
  カラフルな白 叶わない 
  散る儚さに 詩句もなし 


   1章 

 少し寒い3月の春の日。遠くの山の頂にはまだ雪が残っている。朝の日の光を浴びながら、学校の正面の玄関前、ピリピリした空気の中に私たちは立っている。そして、大勢の人たちの目の前に、白くて大きい紙が張り出される。今日は、高校の合格発表。 
 でも発表される合否は、私のではない。私は在校生で、来年度2年生だ。緊張しながら自分の番号を探すのは、星野緑(ほしのみどり)という女の子。緑は私の家の近くに住んでいて、私とは幼馴染というやつで―― 
「あ、あった! ヒナちゃん、ほらあそこあそこ!」 
 緑は私の袖をぐいぐい引っ張りながら必死に指をさす。ちなみに私は光崎緋奈(こうざきひいな)という名前なんだけど、緑は私をヒナちゃんと呼ぶ。昔から変わらない。 
「え、どこ?」 
「あそこだってば」 
「あのへん?」 
「もうちょっと右だよ〜」 
 本当は緑の番号があることにはもう気付いているけど、嬉しそうに指をさす緑の顔が輝いていて、可愛くて。去年は私もこんな感じだったのかな。 
「あ、ほんとだ、あったあった。緑、おめでとう」 
 と私は言う。 
「だから言ったじゃん、絶対合格してるって」 
 と笑っているのは、星野広青(ほしのこうせい)くん。彼は緑のお兄さんで、私よりひとつ年上だから、来年度は3年生。広青くんも私と同じ高校に通っていて、さらに言えば彼は生徒会長だ。もちろん広青くんとも私は幼馴染で、小さい頃からよく3人で遊んだものだ。努力家で思いやりのある広青くんと、とにかく明るく活発な緑がいて、私は毎日退屈しなかった。 
 あちこちで歓声が上がっている。少し前までの緊迫感はもう見当たらない。 
「お、見てみな、胴上げするみたいだ」 
 広青くんが指さす先では、在校生から盛大にお祝いを受けている子がいる。 

 

 とても賑やかだ。去年は自分が当事者で、周りを見ている余裕が無かったからか、あまり覚えていないけど、去年もこんなふうだったんだろうな。 
「あたしも胴上げしてもらおうかな」 
「やめとけば? あれけっこう投げられるから痛いらしいぞ」 
 広青くんは苦笑いする。 
「えぇ、そうなの?」 
「うん、あれは痛かった」 
 実体験かい、と緑がつっこみ、私たち3人は笑う。 
 その後、記念撮影と言って、校門の近くの木の下に緑を真ん中にして並んで、スリーショットで写真を撮ってもらう。写真を撮り終わると、緑が上機嫌に言う。 
「それにしても、また3人で一緒の学校に通えるよ。お兄ちゃん、ヒナちゃん、よろしくね」 
「こちらこそよろしく」 
 私たちは小学校も中学校も同じだった。それで、高校も3人一緒のところに通うのを楽しみにしていた。 
「緑、学校じゃそのカチューシャつけるなよ? 一応禁止なんだから」 
 と広青くんが言うと、緑は頭につけたお気に入りの緑色のカチューシャに触れながら、少し口を曲げる。 
「分かってるよ、それくらい。生徒会長はうるさいな」 
 昔から見慣れているからか、そのカチューシャは緑によく似合っていて、私は少し残念に思う。広青くんは緑の返事にちょっと苦笑いをして、それから私に言う。 
「緋奈、またうちの妹が面倒をおかけしますが、なにとぞよろしくお願いします」 
「いえいえ、私などでよろしければ」 
 愚妹めがお世話になります、いやいや私にお任せくだされ、とか広青くんと私が言っていると、緑は笑いながら怒る。 
「こらーっ! あたしはそんなに面倒じゃなーい!」 
 私たちはもう一度笑い合う。白く優しい光が私たちを包む。 

 その日の夜は、私が星野家にお邪魔して、緑の合格祝いということで一緒に夕飯のごちそうを食べることになった。幼馴染の私たちは、お互いの家で一緒にご飯を食べることもたまにある。去年は私の合格祝いもやった。 
 ご飯の後は久しぶりに3人でトランプをしたりして過ごした。しばらくして、おやすみと言って2人と別れて、すぐ近くの自分の家までの帰り道、私は夜の空を見上げる。そこには澄んだ、真っ白い月がきらきらと輝いている。 


   2章 

「はぁ……」 
 そのため息が自分のものだと気付いて、いっそう気分が沈む。 
 4月。始業式を終えて、私は家に帰ろうと生徒玄関へ向かう。教室を出て廊下を歩いていると、そこで広青くんに会った。 
「あ……」 
 目が合ったのは一瞬だけだ。あの日から広青くんとも会っていなかった。あの日……緑の、葬式の日から。 
「緋奈か。もう帰る?」 
「え、うん」 
「そっか。このあと入学式だからさ、俺は会長のあいさつがあるんだよ」 
 入学式、か。緑のいない入学式。 
「がんばってね」 
「おう……」 
 広青くんの声は、いつもより少し低い。私は何となく広青くんの顔を見られなくて、窓の外の中庭を眺める。明るい赤紫色の、春の花が揺れている。 
 じゃあまた、と言って立ち去ろうとした広青くんは、なぜかふと足を止める。私の顔と言うよりも、その向こうにある壁を見つめるような目で、何かを言おうとしている。 
「どうかしたの?」 
「緋奈さ、次期生徒会長やらない?」 
「え?」 
 音からその言葉の意味を理解するまでに少しの時間がかかった。私は予想もしていないことを言われて、思わず広青くんの言ったことの意味を訊き返してしまう。 
「あ、いや何でもない。ごめん、じゃあまたな」 
 と、広青くんはすぐに私に背を向けて歩いて行ってしまった。 
 どうして広青くんはあんなことを私に訊いたのだろう。冗談という顔じゃなかった。でも、何か理由があって尋ねたんだとしても、私には生徒会長なんてできないな。私は広青くんのようにしっかりしていないし、人の上に立って場をとりまとめるのも無理だ。それに、いるはずだった緑がいない入学式で、緑以外の新入生のために式辞を述べる広青くんは、いったいどんな気持ちなんだろうか。そんな責任とか重圧に、私はきっと耐えられない。 
 広青くんと話したら、緑のことを思い出した。思い出す? 思い出すなんていうほど、過去のことでもないのに……。 
 なんだかじんわりと悲しくなってきて、泣きそうになるから、私は急いで家に帰る。 
 いつもと同じ平和な街並み。郵便ポスト。消火栓。赤信号が私の足を止める。私はそわそわする。どうしたら良いのか分からない。緑が亡くなったことは紛れもない事実。でもそれにどう向き合えば良いのか分からない。逃げ出したい。 
 信号が変わると、私は駆け出す。とにかく早く家に帰って、ベッドに横になりたい。 


 4月ももう下旬だ。そろそろみんな新学期の学校生活に慣れてきたところだ。昼休み、私はいつものように同じクラスの優衣ちゃん、美咲ちゃんと一緒にお弁当を食べる。 
「そう言えばさ、うちの学校の1年生の女の子が亡くなったって話、聞いた?」 
 と優衣ちゃんが言う。私の動きは自然に止まってしまう。口に運ぼうとしていたミニトマトが箸から落ちて転がる。 
「ええ? いつ?」 
 と美咲ちゃんに訊かれて、優衣ちゃんが答える。 
「3月の終わりくらいらしいよ」 
「入学前ってこと? かわいそう」 
「うん、入学式前だったせいか、学校からはそんな話全然されないけど、けっこう噂にはなってるみたいなんだよね。緋奈ちゃん、知ってる?」 
「あ、えっと、私そう言えば先生に呼ばれてたんだった! 2人ともごめんね」 
「え、緋奈ちゃん?」 
 私は席を立って教室を出る。どうして。なんで緑が亡くなったことが噂になるの? そんなことどうして昼休みにお弁当食べながら話さなきゃいけないの? 
 先生に呼ばれていたというのはもちろん嘘だから、私はどこへ向かうでもなく学校の中をぶらぶら歩く。あまり教室には戻りたくない。 
 ふと窓から外を見ると、校門が見える。そして、校門の近くの木の下に、誰かがいる。よく見てみると、それは広青くんだ。 

 

 彼は軽く握った自分の右こぶしを見つめている。何だか、今までに私が見たことのないような表情。あんなところで何をしているんだろう? 
 広青くんのことが気にはなったけど、また緑のことを考えて悲しくなりそうで、私はそこから離れることにした。 
 1年生の教室の横を通ると、中からは賑やかな声が響いてくる。そこに緑がいないことを知っているのに、そしてそれをいちいち確かめて悲しくなりたくはないのに、一瞬教室の中を覗き込んでしまうのはどうしてなんだろう。 
 歩き回っていたら、いつの間にか時間が経っていて、予鈴が鳴った。体操着を着た何人かの女の子たちが私の横を歩いて行く。体育の授業に向かうんだろう。 
 彼女たちは1年生だ。内履きの靴紐の色でそれが分かる。私たちの高校では、学年ごとに靴紐の色が決まっていて、1年生は緑色、私たち2年生は赤、広青くんたち3年生は青だ。ちなみに女子は制服の胸のリボンも学年のカラーになっている。今の子たちは靴紐が緑色だから、1年生だ。 
 予鈴も鳴ったことだし、そろそろ教室に戻らないといけない。私が廊下を歩き出すと、すぐそこのドアから何かの影がすっと飛び出した。びっくりしてその影を目で追うと、猫だ。白い猫が誰もいない廊下を素早く駆けていく。どこから入ってきたんだろう、と思いながら白猫が出て来た部屋のドアを見る。そこには更衣室と書かれたプレートが付いている。体育の授業がある時とかに女子生徒が着替えに使う部屋だ。 
 学校の中に猫が入り込んでいます、と職員室か事務室に言いに行った方が良いのかな。でも予鈴も鳴ったし、次の授業に遅れることになると面倒だ。猫のことは放っておくことにする。きっとすぐに外へ出て行くだろう。 


   3章 

「どう、良い香りでしょ?」 
「うん、ホントだー」 
 優衣ちゃんに借りて、つけさせてもらった香水は、さわやか柑橘系の香りだ。 
「しかもこの仄かな香りが意外と長続きするんだなー、これが」 
 と優衣ちゃんは楽しそうに言う。こういうのをしていれば少しは気分が良くなるのかな。でも毎日つける気にはちょっとなれないかも。 
 ……ゴールデンウィークが明けた。五月病なんてものもあるくらいで、みんなこの時期になると気怠いような、何だかやる気がなくなるような、そんな気分になる。本来の五月病って、新しい環境に慣れない人の疲れとか精神病みたいなものらしいけど、高校2年生の無気力感も含まれて良いのかな。むしろ中だるみの延長なのかもしれない。 
「あーあ、高校の授業ってなんかヤだよね。わたし、早く大学に行きたいなあ」 
「うん、大学ってすごく自由な感じするしね。好きなことできるし」 
 と優衣ちゃんと美咲ちゃんは話している。 
 無気力感じゃないけど、私のもやもや感もまだ相変わらず残ったままだ。緑のことがほとんどいつも頭の中にある。そんな私には気付かずに、美咲ちゃんが唐突に言う。 
「2人とも、リボン消失事件知ってる?」 
「リボン消失事件?」 
「そう。体育とかで制服を着替えて、次に着る時にはリボンだけなくなってるんだよ。うちの部活の後輩もやられたって言ってた」 
「単になくしちゃっただけじゃないの?」 
「さあね〜。でも何人かの女の子のがなくなってるらしいし。特に不思議なのは、被害者が1年生だけってこと」 
「ふーん、これは絶対、誰かが何かの嫌がらせで盗んでるね。荷物が荒らされてるなんてことはないの?」 
「うん、リボンがなくなる以外は元のまま、綺麗なもんだったってさ」 
 1年生の女の子のリボンがなくなっている……。誰かが盗んでいるとしても、どうしてリボンなんか盗むんだろう。 
「新しいリボンを買えば良いだけだから、まあ大して問題でもないんだけどね。うちの学年では起こらないでほしいよ」 
 なんだか胸の中がざわざわとして落ち着かない。1年生、女の子、緑色のリボン。私はどうしてもありえない想像をしてしまう。まさかそんなはずない。まさか……。 

 その日の授業が終わって、帰ろうと生徒玄関を出ると、校門の近くの木の下に白いものが動いた。 
「あっ」 
 前、学校に忍び込んでいた白猫だ。体つきからして多分間違いない。私が近づいていくと、猫は私の方を見て、にゃあと小さく鳴いた。首輪はしていない。野良なのかな。目の色は翡翠のような、綺麗なグリーンだ。 
「外なら良いけど、もう校舎の中に入ってきちゃだめだよ?」 
 私がそう言ってじっと猫を見ていると、猫は餌をもらえないと思ったのか不満そうな顔で、くるりと私に背を向けてどこかへ歩いて行く。追い払うつもりはないんだけどな。 
 私は、猫のいた木を見てみる。ここで、緑と広青くんと私で記念写真を撮ったんだったな……。 
 よく見ると木の幹の根元近くに、たくさんの小さな傷がついている。それから、木の下には銀色っぽい、細かい欠片がいくつも散らばっている。それを拾って鼻に近づけてみると、かすかに臭い。何なのかよく分からないけど、いつまでもそんなところにしゃがみ込んでいると周りの生徒たちに変な目で見られそうだから、私は帰ることにした。 


 私の周りでも噂になっていたリボン消失事件は、思わぬ形で収束した。これを収束と言って良いのかよく分からないけど。要するに、消える物が制服のリボンではなくなった。今度は、内履きの靴紐だ。靴から紐だけが抜き取られているのだそうだ。これはどう考えても偶然なくなったのではないだろう。 
 どうしてなくなる物が靴紐に替わったのかは分からない。でも変わらないことも1つある。なくなる靴紐が、必ず緑色ということ。つまり1年生の靴だ。1年生の間では結構これは問題になっているという。誰かが靴紐を盗んでいると考えられるから。1年生だけじゃなく他の学年でもこのことは話題に上り、みんなどことなく不安そうな、重苦しい雰囲気だ。この学校で、何か悪いことが起きている、誰もがそんな空気を感じ取っている。 
 私はまた前と同じざわざわを感じる。緑が亡くなってから、1か月と少し。あるわけない。緑がここにいるなんて、あるわけない。でも、もしいたら……? 

 帰り際、生徒玄関で私は広青くんを見つけた。彼は並んでいる下駄箱の周りを歩いている。 
「広青くん、どうしたの?」 
「緋奈か、久しぶり」 
「うん……」 
 入学式の日に話してから、広青くんとはほとんど顔も合わせていなかった。 
「1年生の靴紐がなくなってるの、知ってる? 生徒会で放課後、少し見回りしようかってことになったんだ」 
「大変だよね」 
 事件も大変だし、それに対処する生徒会も大変だ。 
「うん、でも俺は、これをしてもあまり意味はないような気がするんだ。盗もうと思えば誰も見ていない時を見計らって盗めるし、見回りをしてしばらくは事件が収まっても、いつまで見回りしていれば良いのか分からない。根本的に解決しない」 
「ねえ、誰かが盗んでるのは確かなの?」 
「多分そうだと思う」 
「それは学校の中の誰かなのかな」 
「さあ、それはまだ分からない」 
「犯人を捕まえれば解決?」 
「……分からない」 
 外から、夕陽が差し込んできて、私たちを照らしている。オレンジというよりは、明るい紫に近い、少しぼんやりとした光だ。 
「なあ、緋奈はこの学校のことどう思う? んーとつまり、好きかどうかってこと」 
 広青くんはふいにそんなことを訊いてきた。この学校が好きかどうか。どうなんだろう。一緒にいるはずの緑がいない学校。3人で通うはずだった学校。玄関から、風がヒュウ、と入ってくる。 
「今の学校は、好きかどうか、よく分からない」 
 私はそんなふうに曖昧に答えることしかできない。 
「そっか」 
 広青くんはそれだけしか言わないで、黙っている。生徒玄関前の掲示板に張られた紙が風に揺れた。「生徒会役員選挙、立候補者募集」とかいろいろ書いてある。 
 私はちょっと気まずくなって、じゃあね、と言って広青くんと別れる。……やっぱり、時間が経っても悲しいものは悲しい。緑の死を考えるのは今でもつらいし、それに緑がいなくなってから広青くんともだんだん距離が遠くなっている気がする。去年は休みの日に会ったりもしていたのに。 

 家の前まで来て、小さな鳴き声が聞こえることに気付く。きょろきょろと辺りを見回すと、やっぱりだ。あの白猫がいる。やれやれ、こんなところでも会ってしまった。猫は、道端に生えている草の、緑色で細長い葉を前足でしきりに触っている。引っ張っているようにも見える。何をしているんだか。 
 やがて猫は諦めたように草から離れ、向こうへ歩き出した。角を曲がって猫の背は見えなくなる。もしかして、この辺に住んでる猫なのかな。私は気になって猫の後をこっそり追いかける。 
 それほど歩きもせずに尾行は終わった。猫はある家の前まで来て、にゃあにゃあ鳴いている。 
「え、ここって……」 
 その家の表札には、星野と書かれている。 
「はいはい、やっぱり、またあんたなの。広青はまだ帰ってきてないよ。これあげるからもう帰りな」 
 家の中から出てきて、白猫に煮干しをあげるのは、星野のおばさん。緑と広青くんのお母さんだ。猫が煮干しをくわえてどこかに行ってしまうと、おばさんはすぐに私に気付いて声をかけてくる。 
「あら、緋奈ちゃん。久しぶりね。ずっと顔見ないから、ちょっと心配してたんだよ」 
「はい……、ごめんなさい」 
 おばさんは、私に優しい目を向ける。緑がいなくなる前と、同じ目だ。 
「そうだ。緋奈ちゃん、今ちょっと上がって行かない?」 
 そう言われて、私は少し迷った。また緑のことを考えてしまうかも、と思った。 
 でもすぐに頷いて、上がらせてもらうことにした。家に上がらせてもらわなくても、すでに今の段階で緑のことをもやもや考えてるんだから。それに何となく、おばさんと話がしたい。おばさんも私に何かを言おうとしている気がする。 
 本当に久しぶりにこの家に入ったような気分だ。1か月と少しの間、お邪魔しなかっただけなのに。 
「あの猫、飼ってるんじゃないんですか?」 
 私はおばさんに尋ねる。前に来た時にはこの家に猫なんていなかったけど。 
「うん、飼ってるわけじゃないよ。少し前に、広青について来ちゃったみたいなんだ。広青はあの猫、割と可愛がってるみたいだったな。それで、たまにうちに来るのよ」 
「そうなんですか」 
 おばさんは私にお茶を出してくれて、それからゆっくり優しい口調で言う。 
「ねえ緋奈ちゃん、ちょっと見てほしい物があるんだけど、緑の部屋に一緒に来てくれないかな」 
 何だろう。見てほしい物? 私はまた少し不安になる。それを見て、私は悲しくなるんじゃないだろうか。でもやっぱり、見てみたい。どきどきしながら、私は頷く。 
 階段を上がったところにある緑の部屋は、前に私が来た時のままだ。まだ片付けをしていないのだとおばさんは言う。そしておばさんは机に置いてあった物を私に差し出す。それは、いつも緑がしていた、あのカチューシャだ。緑色が彼女によく似合っていたカチューシャ。 
「これ、棺に入れなかったんですか」 
「うん、これだけはやっぱり残しておきたくなってね」 
 緑のカチューシャ。ずっと見ていると、やっぱり泣きそうになる。 
「どうしてこれを?」 
「これ、緋奈ちゃんに持っててもらいたくて」 
「え? でも……」 
「緑と仲が良かった緋奈ちゃんに持っていてほしい。大切にしていた友達の中で、緑がいつまでも生きられるように」 
 おばさんの頬には涙が伝う。私はカチューシャを持ってただ頷く。 
「ありがとう……。よかったらもう少し緑の部屋、見て行って。散らかさなければそこら辺の物を好きに触って良いよ。まあ、緑の部屋だから、元々あんまり片付いていないけどね。私は下にいるわ」 
「ありがとう、おばさん」 
 おばさんが部屋を出て行って、しばらく私は立ち尽くす。緑の部屋を見渡す。ここに、緑がいたんだ。時には私も一緒にいたし、広青くんも一緒で3人だったこともある。そんな部屋に、今は誰もいない。すぐにでも緑が戻ってきて、机の引き出しに隠したお菓子を引っ張り出して、本棚の漫画を手に取って、ベッドに飛び乗ってそれを読み始めそうなのに。ああ、だめだ、やっぱり泣いてしまう。 
 緑の部屋を出て、階段を降りようとすると、広青くんの部屋のドアが私の目に入る。おや、と不思議に思ったのは、その木のドアの下の方、床から3、40センチくらいのところに付いた傷だ。どこかでこんな傷を見たような気がするな、と思ったら、そうだ、学校の校門の近くの、あの木だ。確かこんな感じの傷があそこにも付いていた。私は思わずドアを開けて、部屋の中を覗き込む。 
 緑の部屋よりはだいぶ片付いている広青くんの部屋は、こちらも前に来た時とほとんど変わったところは無いみたいだ。ドアのすぐ脇のごみ箱に、煮干しの袋がいくつも捨ててある。あの猫にあげたのかな。私は勝手に部屋に入ってはいけないと思い直して、すぐにドアを閉め、階段を降りる。 
 おばさんにお礼を言って、私は緑のカチューシャを持って家に帰った。 


   4章 

 広青くんが言ったように、生徒会の見回りが始まっても、靴紐の消失は収まっていない。 
 こんなことは誰にも言わないけど、私にはこの事件は緑がやっているんじゃないか、と思える。もちろん、緑は亡くなったから、もういるはずはない。でも、入学できなかった悲しみの想いが、緑の幽霊を生み出したとしたら……? それで、1年生のリボンや靴紐をつい盗んでしまっているんじゃないか。ありえない。なのに、そういうふうに思える。 

「入学前に亡くなった、1年生の女の子の幽霊が、他の1年生たちを妬んで、リボンや靴紐を盗んでいる」 
 いつの間にか、そんな噂話が、学校に広まっていた。私が心の中で想像していたことが、どうしてか実際に囁かれている。この悪い噂を聞いた時、私は自分が間違っていたことに気付いた。 
 この事件の犯人は緑の幽霊なんかじゃない。緑はそんなことはしない。他の人を妬んで自分が手に入れられなかった物を盗むなんてことはしないはずだ。緑はそんなネガティブな子じゃなく、とにかくポジティブな子なんだ。 

 帰宅すると、自分の部屋へ行って、机の引き出しを引く。あの合格発表の時に撮った写真と、星野のおばさんに渡されたカチューシャを見つめる。緑がしていたカチューシャ。 
「どうして緑の幽霊がいるなんて噂が……?」 
 私はカチューシャを見つめながらそうつぶやく。 
「うーん、誰かに姿を見られちゃったのかなあ」 
 そんな声が、聞こえる気がする。まるで本当に緑の幽霊がいるかのように……。って、あれ? 
「ええっ! 緑!?」 
「大きな声を出さないでよ、ヒナちゃん」 
 いた。本当にいた。いや、「出た」なのかな。緑の幽霊……。

 

「じゃーん」 
「え……、緑?」 
「そうだよ、この顔を忘れたか、薄情者め〜」 
 ええ! いったいどういうことなんだろう。確かに幽霊がいるかも、と私は思った。緑の幽霊の噂まで立った。でも、本当にいるなんて。 
 私は目の前の緑の手に触れてみる。でも感触が無い。目には見えるのに触ることはできない。 
「本物だ……」 
「そうだよ、幽霊だけどね」 
 緑はそう言って微笑む。 
「どうして、今になって?」 
 そう訊くと、緑は少し得意げに答える。 
「幽霊ってのはね、本人の想いの強さも必要だけど、生きてる人のイメージの力ってのも必要なんだよ。学校のみんなが、入学前に亡くなった女の子の話と、リボンと靴紐の消失事件を結びつけた。そしてあたしを窃盗犯に仕立て上げて噂にしたから、今ここにあたしが現れたのです! まあ、その前から人間には見えない状態で、いたことはいたんだけど」 
 私はぽかんと口を開ける。緑が何を言っているのかよく理解できない。両腕を少し広げて微笑む緑の姿を見る。制服姿、頭にはあの緑のカチューシャ。でも胸に緑色のリボンはない。 
「緑が盗んでたの?」 
「ちっが〜う! 勝手にそういうイメージを抱かれてるだけ。今私がリボンをしてないのも、高校を楽しみにしてたのに入学前に死んだから、他の1年生を妬んでリボンを盗んでる女の子、っていうイメージのせい。今の姿は、みんなのイメージとあたしの想いが混じってるわけ。ヒナちゃんに会えたのはありがたいけど、そういうデマカセ言われるのはちょっとイラッとくるんだよね」 
「私に会いに来てくれたの?」 
 私がそう言うと、緑は少し照れたように笑う。 
「うん、えへへ。まあね。あたしが死んでヒナちゃん、悲しくて毎日泣いちゃうんじゃないかと思って。それでストレスで老け込んだら大変じゃん。そろそろ顔見せとこうかな、なんてね」 
 と緑はふざけて言った。 
「なにそれ。ホントに悲しいのに。ばか緑」 
 そうは言いつつ、私も少し笑えた。緑には人を笑顔にさせる力があるんじゃないかな。 
「はは、ごめんごめん。あ、それともうひとつ、実はヒナちゃんにお願いがあってね」 
「私にお願い?」 
 緑は頷くと、私の目をじっと見る。とても真剣な顔。 
「うん。ヒナちゃん、うちのお兄ちゃんの目を、覚ましてあげてほしいんだ。まったく、何が『またうちの妹が面倒をかける』だ。自分だって面倒かけまくりじゃん、っての」 
「広青くんの目を覚ますって、どういうこと? どうして私なの? 緑が広青くんにも会いに行けば良いんじゃないの?」 
「うーん、それがねえ……。お兄ちゃん、ああ見えてけっこうシスコンでしょ?」 
「そ、そうなの?」 
「うん。ま、あたしが可愛いのもいけないんだけどさ。で、お兄ちゃん強情だから、今はもやもや溜め込みながらそれを表面にできるだけ出さないようにしてるでしょ。ここであたしが直接会いに行っちゃうと、何かおかしくなっちゃうんじゃないかなあ、って思ってさ。あたしを見て逆に傷付くかもだし。だからヒナちゃんに頼むんだよ」 
 緑は、お願い、というように掌を合わせてちょっと腰を低くする。 
「でも、私は何をすれば良いの?」 
「うん、そろそろ、学校で生徒会選挙あるよね」 
「え、あるけど。それが?」 
「ヒナちゃん、生徒会長に立候補して。お願い!」 
 お願い、って……。どうして生徒会長になるなんて話に? 
「待って。生徒会長になってどうするの? どうしてならないといけないの?」 
「ヒナちゃんには、お兄ちゃんだけじゃなくて、学校のみんなに語りかけてほしいんだよ。みんな大事なことに気付かないんだもん」 
「え? で、でも、私には会長なんて無理だし……」 
「できるんだよ、ヒナちゃんなら。だって、だってさ、ヒナちゃんはこの世界に、しっかり生きてるんだから!」 
 私はハッとする。緑の顔を見る。私たちを、黄色の光がどこからか照らした気がする。 
 緑は、もう生きてはいない。少し前までは、私と一緒に生きていた。確かに生きていたんだ。何だろう。今……、今になって、かな。私は何か大切なものに気付いたような、そんな気がする。 
「ねえ、あたしの死は実は自殺だった、って言ったらヒナちゃんはどう思う?」 
「え!?」 
「ヤだな、今の本気にしないでよ。あたしは普通に交通事故だったんだから。ちゃんと不慮の事故だよ。ちゃんとって言うとおかしいけど」 
 なんだ、びっくりした……。もしもの話でも、緑が自殺する理由なんて考えたくない。 
「あたしはちゃんと生きるはずだったってこと。死ぬ予定なんかなかった。それで、お兄ちゃんの目を覚ますためにも、それからみんなのためにも、やっぱり全校生徒に私の死を語りかけるべきだと思うんだよね」 
「目を覚ますって……」 
「ああそっか、やっぱりヒナちゃんはまだ気付いてないのか。じゃあ教えておくね。実はさあ――」 
 緑の言葉を聞いて、私は一瞬、耳を疑う。え? どうして。間違いじゃないのか。だって、広青くんが……? 


   5章 

 目の前の緑の姿が、薄れていく。だんだん消えていってしまう。ちょっと待ってくれ、緑……。 
「お兄ちゃん」 
 手を伸ばしても、届かない。遠くなる。 
「さよなら……」 
 どうして! 
 青緑色、綺麗なシアンカラ―の光に、包まれる。緑の顔が見えなくなる―― 

 そこで俺は目を覚ました。自分の部屋のベッドの上だ。夢を見ていた。亡くなった緑の夢。 
「はあ……」 
 気分を落ちつけようと思って仮眠をとったのに、全然気が休まらなかった。机に置いた眼鏡を取ってかける。窓の外には、雲ひとつない青い空が見える。五月晴れだ。 
 にゃあ、と鳴いて白猫がこっちを見ている。 
「お前、またやったな……」 
 部屋のドアに細かい傷が増えている。猫が爪とぎをしたんだろう。前もしていて注意したんだけど。 
 白猫がまた一声鳴いて、足元に近寄ってくる。 
「すっかり懐いちゃったな」 
 まあ、1か月くらいは一緒にいるからな。緑が亡くなってすぐに会って以来か。なんとなく、緑の生まれ変わりなんじゃないかって気がするくらいだ。 
 猫をなでながら、学校のことを思い浮かべる。やっぱり、間違ったことをしているんだよな。それは分かっている。でもこれから、どうすれば良いんだろう、俺は……。一体どうして、こんなことになってしまったんだろう。 


   6章 

 これは、学校のみんなのため、広青くんのため、そして緑のためだ。亡くなった緑が、幽霊になって出てきてまで、どうしてもと言って私にお願いしたこと。その想いを、私は絶対に無下にできない。だから。 
「みなさん、私にどうか清き1票をください!」 
 パチパチと拍手が起こる。深く礼をして、演壇を降りながら、ちらっと体育館の隅の方に目を向けると、拍手をする広青くんと目が合う。 
 彼はどう思ってるんだろう。広青くんは前に、私に生徒会長をやってみないか、と訊いたことがあった。その時は何とも答えなかったけど、そのあと広青くんがそのことについて何かを言ってくることはなかった。多分、私に生徒会長をやってもらおうという考えはもう広青くんの中になかっただろう。 
 それなのに私は立候補した。広青くんにとっては、私が立候補したのは不思議だったかもしれない。でも私には、緑のお願いと、みんなに伝えなきゃならないことがあるから。 
 立会演説の後、すぐに投票がされた。私の他に会長に立候補した人はいなかったから、信任投票ということになった。信任投票でも、やっぱりどきどきする。もし生徒会長になれなかったら、私は緑の願いをかなえてあげることができなくなってしまう。どうか、信任が得られますように。 
 つい最近までの私なら、自分が生徒会長になれますように、なんて絶対に祈らなかったな。そもそも私には全校のみんなの前に立って演説をすることも難しいと思っていた。そんなこと私には無理なんだと思い込んでた。自分のことながら、少し変な気分になる。でも、多分私は良い方に変われたんだと思う。緑のおかげだ。 
 ……開票は即日行われて、ついに私に結果が知らされた。 

「当選おめでとう、緋奈」 
 と広青くんがお祝いを言ってくれた。帰りがけの時だ。 
「うん、ありがとう」 
「緋奈が会長を継いでくれるとなると、俺としても安心だよ」 
「広青くんに負けないように、頑張ります」 
 私がそう言うと、広青くんは微笑む。それから、広青くんも今帰るところだと言うから、私たちは一緒に帰ることにした。 
 隣を歩く広青くんは、何も言わない。まるで、私の方から何か言い出すのを待っているみたいに。私たちの周りに、赤紫の光がふわふわと輝くような気がする。 
「あのさ、靴紐の事件は、もう解決した?」 
「ん……、いや、まだ、かな」 
 広青くんの返答はちょっとぎこちない感じだ。私は一度深く息を吸い込んで、ふう、とはき出す。 
「でも、私はあの事件、もう解決すると思うんだ」 
「え?」 
「1年生のリボンと、靴紐を盗んでいた犯人、分かったから。それで、明日の新生徒会長のスピーチでね、そのことをみんなに言おうと思ってる」 
 広青くんは、下を向いて、でも私の横を歩き続ける。 
「そうか。うん……良かったんだよな、それは」 
 私は、もう一度深呼吸をする。落ち着かないと。落ち着かないといけない。広青くんと2人で話す時でさえ泣いてしまったら、明日みんなの前で緑のことを話すときに、絶対泣いてしまう。 
「緑は、亡くなったんだよ。もう、生きてない。戻ってなんか来ない……」 
 言っていて、すごく苦しい。 
「ねえ広青くん、入学前に亡くなった1年生の女の子の幽霊がいるって話、知ってる?」 
「そんな噂話、俺にしないでくれないかな」 
 広青くんは、少し怒ったような口調で言い、こぶしを握る。 
 どうして。広青くんは、どうしてあんなことしてしまったんだろう。緑への想い。それは分かってる。でも、広青くんのしたことは間違ってる。だって、緑はもう、戻ってこないんだよ? 
「じゃあ、また明日な、緋奈」 
「うん、また明日」 
 広青くんは小さく手を上げて、そのまま自分の家の方へ歩いて行く。 
 広青くんの緑への想いも、幽霊になっても広青くんを想う緑の優しさも、とてもよく分かる。だからこそ、私が何とかしないといけない。ずっとこのままじゃ、絶対ダメだ。 
 にゃあ、と私の足元で鳴き声がする。いつの間にか、あの白猫がいる。今日は前みたいに逃げないで、おとなしい。私は白猫を抱き上げる。緑の話だと、広青くんはこの子を使って……。 
「そうだ、ちょっと君にも協力してもらわないといけないんだ」 
 にゃあ、と猫は私に向かってもう一度鳴く。 
 私は暮れゆく夕陽を見た。明日は、みんなの前に立って、1人きりで、ちゃんと話をしなきゃいけない。緑の想いと、それから私の想いも、ちゃんと伝えなくちゃいけないんだ。 


   7章 

 広青くんの手から、代々の生徒会長が使っている分厚いファイルを渡される。私はそれを受け取って、広青くんと握手をする。全校生徒から拍手が飛んでくる。 
「それでは、新生徒会長、光崎緋奈さん、あいさつをお願いします」 
 私は頷いてマイクを受け取り、全校のみんなの前に立つ。1000人以上の目が私に向けられる。私はゆっくりと息をついた。大丈夫、落ち着いて。そう自分に言い聞かせて、それから話し出す。 

「みなさん、こんにちは。新しく生徒会長になりました、光崎緋奈です。まずはみなさんから信任を頂いたことにお礼を言いたいと思います。ありがとうございました。これから1年間、この学校のために頑張っていきたいと思います。 
 さて、えっと、突然なのですが、今日は私から、最近学校で起きていた事件についてみなさんに話したいと思います。おそらくほとんどの人は知っていると思いますが、1年生の制服のリボンと、内履きの靴紐がなくなった事件のことです。実は、事件の犯人が分かったんです」 
 えっ、とみんなが声を上げる。すぐにどこかから「静かに!」という声が飛ぶ。そのおかげで生徒たちは声をひそめた。私は話を続ける。 
「結論から言うと、リボンと靴紐を盗んだ犯人は、1匹の猫と、それから……、私でした」 
 私のその発言に、さっきよりも大きなどよめきが起こる。どういうことなんだ、という声が発せられる。気になって思わず広青くんの方を横目で見ると、彼は驚いたように少し口を開けている。 
「聞いてください、ちゃんと説明をします。リボンと靴紐を取ってしまったのは、学校に入り込んだ野良猫だったんです。その猫は緑色の細長い紐状の物が大好きで、そういう物を見ると引っ張って取ってしまうんです。このことは、生徒指導の先生方ともすでに確認したことです」 
 何人かの先生たちがうなずく。あの白猫を連れてきて、白猫が緑色の紐を引っ張る習性を、先生たちに見てもらった。元々は広青くんがあの白猫に、緑色の紐を引っ張るように訓練したんだろうけど、もちろんそれは話していない。 
 その次に、学校中を探し回って、白猫の毛が落ちているのを見つけた。本当はもう掃除されていて毛はほとんど残っていなかっただろうけど、私が玄関と更衣室にこっそり落としておいたのだ。 
「私は、その猫が校舎の中にいるのを見ました。それから、別の日に同じ猫が学校の敷地内にいるのも見ていたんです。でも私は先生方や事務の方に相談することもせず、猫を放っておいてしまいました。あの時ちゃんとした対応をしていれば、その後は猫が校舎に入らないようにできたはずです。だからこの事件が起きていたのは私のせいでもあるんです。みなさん、本当にすみませんでした……。残念ながら猫が取って行ってしまったリボンや靴紐はどこにあるか分からず、なくした人に返すことはできません。それについても、重ねてお詫びします。ごめんなさい」 
 私は深く頭を下げる。主犯が猫ならば、みんなもある程度は仕方がないと思ってくれるだろう。あとは私が頭を下げれば良いはずだ。 
「この事件はちゃんと解決しましたから、もう心配しないでください。今後は、生徒会としても、私個人としてもこういうことがないようにしっかり対応していきたいと思います。みなさんも、こういうことがあったらすぐに生徒会役員や先生方などに知らせるようにしてください」 
 私はそこでひとつ息をはき出す。さて、事件については話した。これからは緑のことだ。 
「さてみなさん、もうひとつ、私は今日みなさんに話したいことがあるんです。少し長くなってしまいますが、許してください。えっと、これはでもさっきの事件の話と少し関係があります。 
 学校の一部では、1年生のみなさんのリボンや靴紐を盗んだのは、入学前に亡くなった女の子の幽霊だという噂が広まっていました。みなさんもひょっとすると聞いたかもしれません。でもさっき言ったように、犯人は猫と私だったんです。幽霊の仕業じゃありません。まあ噂をしていた人たちも、本当に幽霊が盗んでいると信じていた人は少ないと思いますが。 
 ただ、今年、入学前に亡くなった女の子がいたのは事実なんです。名前は言わないことにしますが、彼女は私ととても仲の良い子でした。幼馴染だったんです。その子の幽霊が物を盗んでいる、なんて噂されたら、まず亡くなった彼女自身がかわいそうだし、それに彼女の家族とか、友達とか、その噂を聞いて悲しいと思う人もいるんだっていうことを、ちょっと分かってほしいんです。これは私からみなさんにお願いです」 
 みんなは、私の話をじっと聞いている。 
「さて、またちょっと話が変わるのですが、もう少しだけ話させてください。今から話すのは、ひょっとしたらおかしな話かもしれません。変だと思ったらごめんなさい。 
 みなさんは、何かを失わなければ手に入らないものがあると思いますか? あるとしたらそれはなぜでしょう? 自分の可能性を少しずつ失っていくことでしか立派な人間になれないとしたら、大人になることをどう思いますか?」 
 そこで私はポケットからある物を取り出す。 
「見てください、ここに赤いペンがあります。知っている人もいるかもしれませんが、この赤いペンは赤以外の色の光をすべて吸収して、赤だけを反射しているから、赤く見えるんです。このペンだけじゃなく、緑の物は緑色だけを、青い物は青色だけを反射しています。 
 人間も、それぞれ自分の色を持っていると私は思います。ただしその色は、この赤いペンのように他の色を全て捨てた後に残った色じゃありません。自分自身の中から放つ光の色です。そして人の光のすごいところは、自分以外の誰かと色を重ねることでどんな色でも作れるという点です」 
 みんなに伝わるように、私は意識してゆっくりと話す。 
「私がみなさんに言いたいのは、誰でも大切なものの大切さにはちゃんと気付けるはずだということです。失って初めて気付くと思い込んで、失う前にそれを見ることを諦めないでください。みなさんには、きっと今しかない、大切な色を見てほしいんです。大切なものが失われる時まで何もしないのはダメなんです。 
 私は今年この高校に入学するはずだった、幼馴染の女の子を失ってから、大切な色をなくしてしまったことに気付きました。みなさんにはそうなってほしくありません。誰かと一緒に自分が作り出している色を、しっかり見て、感じてください。その色をもっと大事にしてください。それからできれば、今はもういない人の光を、そういう人たちにもそれぞれの色があったことを、知っていてほしいんです」 
 私は、また大きく息をついた。 
「何だかとても分かりにくい話ですみませんでした。でも皆さんにも少し、考えてみてほしいんです。 
 えっと、いろいろ言って長くなって本当にごめんなさい。これで私のあいさつを終わります」 

 私は礼をして、元の場所へ戻る。緑が言いたかったこと、それから私が言いたかったこと、今の話し方でちゃんとみんなに伝わったんだろうか。そう思っていたら、全校のみんなから、一斉に拍手が起きた。なんだかとても盛大な拍手だ。何でみんなこんなに……? 
「会長、すごい!」 
「いいぞー、光崎会長」 
「ヨッ、詩人だねえ!」 
 とあちこちから声が上がる。私は嬉しくなった。そうか、想いがみんなにちゃんと伝わったかどうかは分からない。けど、みんな私の話を熱心に聴いていてくれたんだ。 
 広青くんが、ひとことだけ、私に言う。 
「緋奈、ごめん」 
 広青くんは、泣きそうな顔だった。私は、いいんだよ、と言って微笑んだ。とうとう我慢できなくなって、広青くんは眼鏡を取ってハンカチで目頭を押さえる。 
 それを見て、私にも熱いものが込み上げてくる。多分それは、緑が亡くなってからは初めて流す、嬉しい涙だった。 


   8章 

 私のスピーチの後、靴紐やリボンがなくなったという話は全く聞かない。全部、解決したんだ。そう、あの事件の犯人は本当は広青くんだった。でも私は緑のお願いの通り、広青くんの目を覚ますことができたんだ。広青くんの顔を見て、確かにそう感じる。 
 私は今、広青くんと一緒に校門の近くの木の下にいる。あのとき、緑と3人で記念撮影をした場所。 
「今更こんなことを言うのもおかしいけど、俺は誰かが止めてくれるのを待ってたのかもしれない。物を盗んだってどうにもならないことは分かってたんだ。言い訳にもならないけどさ、盗んでいて、自分でも気分が悪くて、苦しくて」 
 広青くんはため息をついて、でも今は何だかすっきりしたような表情で、そう言う。 
「もう全部終わったことだから」 
「緋奈のおかげだよな」 
「ううん、全部緑のおかげ。緑は広青くんのことも私のことも気にかけてくれて、私に会いに来てくれたんだから」 
「本当にいるんだな、緑……」 
「うん、幽霊だけど」 
 放課後に校門近くの木の下に2人で来てね、と緑は言った。ここで待ち合わせの約束をしたのだ。でも、いつまで経っても緑は来ない。何してるんだろう。 
「私のスピーチも、緑が言ったことをほとんどそのまま私が言っただけなんだよ。緑がみんなに伝えたかったこと」 
 緑は、広青くんの目を覚ますために、あえて広青くんを犯人にはしなかった。私もそういう緑の考えに賛成したし、盗みを働いたとは言え、亡くなった緑のことを強く想っていた広青くんを全校のみんなの前で責めたてるようなことはしたくなかった。 
「なんか、あの白猫には悪いことしたな、罪をかぶせちゃって。帰ったら謝らないと。でも猫を使ってリボンを盗むなんて、自分で考えたとは言え、よくうまくいったと思うよ。すぐに猫の仕業がバレるのは承知で、靴紐に変更するつもりだったんだけど」 
「それも、緑が手を回してたんだよ。猫が制服から綺麗にリボンだけ盗むのは難しいから。きっと更衣室の中はちょっと荒れちゃってたと思う。それを緑の霊が後から直してたんだよ。万が一にも広青くんが猫を使って盗んでることが、みんなにバレないようにね」 
 緑のおかげで白猫がリボンを取っていることは知られることはなかったけど、結局白猫を使うことはできなくなって、広青くんは靴紐に作戦変更した。リボンならば1年生の中でも女子に限られるから、入学した場合の緑の条件に、より近い。それで広青くんは靴紐よりリボンを重視して、優先的に盗みを考えたんだろう。 
 広青くんが言うには、いつもあの木の下で、誰も見ていない時に猫に煮干しをあげたりしていたらしい。銀色っぽい欠片が落ちていたのも今になっては納得がいく。更衣室でリボンを取った白猫は、この木の下にいる広青くんのところへ戻って行ったのだろうから、昼休みにここにいた広青くんは、きっとあの手の中に緑色のリボンを握っていたんだろう。 
 猫は、餌をもらえると思って広青くんを探して木の下に来るようになった。木の根元近くにたくさん付いた爪とぎの傷も、白猫がよくそこに来ていた証拠だ。ただひとつ分からないのが、私がこの木の下で白猫に会ってから、白猫がなぜかそこにあまり近寄りたがらなくなったことだ。あの日から後は、広青くんがそこにいても猫はほとんど来なくなってしまって、そのせいで広青くんは靴紐に目標を替えることにしたんだけど。 
「ところで、どうして緑は直接俺のところに来なかったんだ?」 
「それは、広青くんを傷付けないためだって言ってたよ。いきなり緑が姿を現すと、ショックが大きいんじゃないかって」 
「なんだそれ、妹のくせに、ずいぶんとナメられたもんだな。……まあ、でもナメられても仕方なかったよな」 
 広青くんは俯いて少し自嘲的に笑う。 
「緑に助けられるなんてなあ。兄としてのプライドなんてあったもんじゃない」 
「緑は、もしかして私たちが思ってる以上にしっかりした子なのかも」 
「うん、そうかもな……」 

 それにしても、遅いな、緑。まさか約束忘れているんじゃないか。もしそうだったら、さっき言った『しっかりした』は撤回させてもらわないと。 
 そう思っていたら、風が吹いて、頭の上から何かがひらひらと落ちてくる。それは小さな封筒だ。拾ってみると、『from緑』と書いてある。わたしと広青くんは顔を見合わせて、それから頭上を仰ぐ。 
「緑!?」 
 私たちの頭の上では、木の葉が風に揺れているだけだ。そこに緑の姿はない。でも、そこに私は白い光を見た気がする。私たち3人を包む、光を見たような気がする。 
 私は封筒を開けてみる。中には2枚の紙が入っている。私はその1枚目に書かれた緑の文字を読む。 
「『お兄ちゃん、ヒナちゃん、どうも緑です。ヒナちゃん、生徒会長当選おめでとう! あたしの無理なお願いを聞いてくれてありがとう。お兄ちゃんも、無事に目を覚ましたようで良かったよ。本当に良かったです。 
 約束したのに姿を現さないでごめんね。あたしはもうここにはいないことにしたんだ。幽霊だからね。想いを遂げたら早く成仏しないと。そういうわけだから、2人とも元気でね。風邪ひかないようにね。ごはんしっかり食べてね。交通事故に遭わないようにね。って、それはあたしだったか(笑) 
 とにかく、多分あたしはあたしでこれからも暮らしていくと思うから、まあ心配しないでね。離れてても、見えなくても、いつも私たちは3人一緒だから。もう1枚の手紙は、あたしたち3人のために、3人がずっと仲良くいられるように、祈りを込めてみました。きっとかなうはず。そういうことで、じゃあ2人とも、またね。さようなら。』」 
「緑……」 
 広青くんは、手紙の文をずっと見つめ続けている。 
「もう1枚って……?」 
 私は封筒に入っていたもう1枚の紙を上にする。でもそこには、何も書いていない。真っ白の白紙だ。 

 

 ただ、その白い紙は、きらっと光っているような気がするんだ。白い光。そうか、緑は私たちの色に、祈りを込めたんだ。 
 ふう、と隣で広青くんが息をして、そしてゆっくりと言う。 
「さようなら、緑」 
 さようなら。私も緑に別れを告げる。そして、ありがとう。 

 帰り道、2人で並んで歩いていると、広青くんが口を開いた。 
「俺さ、入学式の日に緋奈に生徒会長やらないかって言ったよね」 
「うん」 
「多分あのとき、緋奈に自分の苦しみを押し付けて、分かってもらいたいとか思ってた。緑の死の悲しみに耐えながら、会長の責任を果たさなきゃならない重さを感じて、泣き言を言ってたんだ。恥ずかしい話だけど、緋奈の性格じゃきっと会長なんて難しいって、見下してたのかもしれない」 
「うん、しょうがないよ。だってあんな時だったんだもん」 
「ごめん。でもさ、新会長のあいさつとして、緋奈のスピーチを聞いて、絶対緋奈なら立派な生徒会長になれると思ったよ。俺なんて足元にも及ばない」 
「そんな……」 
「いや、緋奈は本当にすごいよ」 
 広青くんはそう言って微笑む。私はちょっと恥ずかしくて下を向く。 
「広青くん、前に私に学校好きか、って訊いたでしょ? 私、みんなにこの高校が好きだって言ってもらえるように、学校のために何かをやりたいと思うんだ」 
 顔を上げると、広青くんは私の方を見て頷いた。 
「がんばれ、緋奈」 
 その言葉は、私を勇気づけて、励ましてくれる。だから私も、頷いて笑う。 
「うん!」 

 私と広青くんが家の近くまで来ると、あの白猫がやってきた。にゃあ、と鳴いて広青くんに近寄って甘える。 
「こんなに懐いてるなら、もう家で飼ってあげないとだよ」 
「そうだな。母さんも別にダメとは言わないだろうから、面倒見ることにするよ」 
「名前は? 飼うなら名前を決めてあげないと」 
「うーん、そうだな……。『イロドリ』なんてどう?」 
「なんか響きがなぁ。良い名前だとは思うけど」 
「『イロドリ』って、反対から読んでも『イロドリ』だしさ」 
「まあ広青くんが良いのなら、良いのかな」 
「あっ、じゃあ『シキ』は?」 
 『四季』? いや、『色』かな。 
「シキちゃんか。うん、良いと思う」 
「よし、じゃあ決まり。今日からお前はシキだ、よろしく」 
 広青くんがそう言うとシキちゃんは、にゃあ、と鳴いた。 
 じゃあね、と言って私は広青くんと別れる。広青くんも笑って手を振る。家に入って、自分の部屋に行くと、机には緑のカチューシャと、あの日3人で撮った写真が置いてある。私はなんだか久しぶりに、とても明るい気持ちになれた。自分の明るい気持ちを感じることができるって、こんなに嬉しいことなんだ。 
「よしっ」 
 やっとまた、私たちは3人一緒になれたんだと思う。緑が亡くなってから、私たちはバラバラになっていた。それがようやく前みたいに一緒になれた。そして、これからも、ずっと一緒にいよう。3人のあの色を忘れない限り、いつまでも……。 


   エピローグ 

  あのとき見てた あの光 
  ひとつも消えず 色混ざり 
  カラフルな白 奏で合い 
  散る輝きに 如くは無し 



  *** 

 なんとか書けました。イラストからストーリーを考えるという初めての試みで、難しかったです。イラストの使い方が下手かもしれませんが、ご容赦ください。
 素敵なイラストを描いて下さった、家守猫。さんと梅子さん、ありがとうございました。またこんな企画をやってみたいな、と思います。