ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ  ジョン・ル・カレ

ブログで名前を書くのは初めましてです。西本歩浩です。(記事を書くのは初めてではありませんが)
長らくこのブログでは「本の紹介」カテゴリが使用されていませんでしたが、今年読んだ本を振り返る中で、ちょっとまとまった文章で紹介したい本がありましたので、このカテゴリで書かせていただきます。もう今年も終わりますが。

今回紹介するのは、ジョン・ル・カレの1974年の小説『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』です。

ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫NV)

ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫NV)

2011年にイギリス・フランスで映画化され、日本でも今年『裏切りのサーカス』という邦題で公開されたので、記憶にある方もいるかもしれません。それに合わせて今年、原作小説も新訳版が発売され、僕はそちらを買いました。個人的に今年読んだ本の中では、一番面白かったです(次点で伊藤計劃の『ハーモニー』)。

『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』は、スパイ小説の金字塔とも言われる作品であり、イギリス情報部(通称:サーカス)から引退したスパイ「ジョージ・スマイリー」を主人公とする三部作の第一作です。
主なあらすじは以下の通り。
(とても簡潔なバージョン)
ある作戦の失敗で引退を余儀なくされていた、英国諜報部《サーカス》のスパイ、ジョージ・スマイリー。孤独な生活を送る彼にある日、非公式の要請が来る。それは、現在のサーカスに潜んでいるソ連の二重スパイ「もぐら」を探し出せというものだった。

(とても詳しいバージョン)
英国情報部《サーカス》の上層部に、ソ連の二重スパイ「もぐら」が何年も潜んでいる――。昨今の情報漏洩と作戦失敗から、サーカスのチーフ「コントロール」はもぐらの捜索に躍起になり、チェコ軍部の将官から極秘裏にもぐらの正体の情報を買おうとする。コントロールの命を受けたあるスパイはチェコでその将官接触しようとした。だが、その取り引きは罠だった。何者かに襲撃されたそのスパイは瀕死の重傷を負い、イギリスのスパイがチェコに潜入した事実は公にされてしまう。国際社会を巻き込む一大スキャンダルに発展したことを受けてコントロールは辞職し、彼の右腕だったベテランスパイ、ジョージ・スマイリーも退職を余儀なくされる。
一年後。現在のサーカスでは、かつてコントロールと対立していたパーシー・アレリンとその一派が権力を握り、人事構造は様変わりする。コントロールは死亡し、スマイリーは妻に逃げられて、孤独な引退生活を送っていた。そんなある夜、件の事件の影響で左遷されていた、スマイリーからの信頼も厚いスパイ、ピーター・ギラムと再会する。スマイリーは彼の車で、政府の情報機関監査役であるオリバー・レイコンの家へ連れていかれる。そこで出会ったのはサーカスの実働部隊、首刈り人《スカルプハンター》の一員だったリッキー・ターだった。彼は数ヶ月前に香港での任務中、イリーナというソ連諜報部の女性と出会ったことを話す。彼女はイギリスへの亡命を希望していた。イリーナと恋仲となったターは、サーカスの内部にソ連が潜入させたもぐらがいることを彼女から知らされる。彼女の情報の重要性を考えたターは、サーカスに電報を送ってイリーナの亡命受け入れを極秘に要請するが、その二十四時間後にイリーナが突如としてソ連へ拉致される。サーカス内部のもぐらの仕業と信じたターは、それからしばらく身を隠しておいてイギリスへと戻り、上司であるギラムに報告したのだった。
ターの話を聞いた後、スマイリーはレイコンからもぐらの捜索を依頼される。現在のサーカスの誰がもぐらか分からない以上、捜索を頼めるのは外部の人間となったスマイリーしかいない。頼みを引き受けたスマイリーは、ギラムなどごく少数の仲間とともにもぐら狩りに乗り出す。膨大な記録と関係者の数々の証言からもぐらの足跡を辿ろうとするが、それはスマイリー自身の過去への遡航の過程でもあった――。


謎めいたタイトル『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』は、もぐらの容疑者である四人のサーカス幹部に付けられたコードネームから来ています。劇中でのコードネームはそれぞれ、
『ティンカー』(Tinker)…鋳掛け屋
『テイラー』(Tailor)…仕立て屋
『ソルジャー』(Soldier)…兵隊
『プアマン』(Poorman)…貧乏人
を意味します。元はマザー・グースの歌から取られた単語です(歌詞はこちらhttp://www.eigo-joho.com/J20202.html)。(元の歌では『ソルジャー』と『プアマン』の間に『セイラー(船乗り)』と『リッチマン(金持ち)』が入るのですが、それぞれちょっとした理由で意図的に飛ばされています。)

さて、スパイ小説の傑作とされる本作には、映画向けになりそうな派手なアクションや色気、あるいはどんでん返しがあるわけではありません。イギリスでスパイといえば、多くの人がまず間違いなくジェームズ・ボンドを連想しますが、映画版で主人公スマイリーを演じたゲイリー・オールドマンもこの作品について「007のようなガジェットやアストンマーチンは登場しない。色気もない。スマイリーの妻アンも、男性の夢を凝縮したようなボンドガールには程遠い」と語っています。実際、話の上で目まぐるしい場面転換やスピード感があるわけではなく、どちらかというとスローな場面が多く続き、一歩一歩を道を踏みしめるように進んでいきます。
一方で、この作品の人物・情景などの描写には、相当真に迫るものがあり、読んでいるうちにぐいぐい引き込まれていきます。それこそ迷路の中へ誘われるように。また、取り扱われる話題も現実的です。組織内の複雑な人物関係、過去の諜報作戦、海外のスパイ事情、ソ連との駆け引き、現場の諜報テクニック、果ては役所としてのサーカスの財政事情までもが言及されます。読者は忠実に描写されたそれらを読むことで、確かな感触とともに諜報の世界に入り込むことができるのです。同時に、これらの観察の深さが、行間から滲み出てくるような緊張感をつねにもたらしています。

この作品がこれだけリアルさをもって読まれるのには、主に二つ理由があります。
一つには、作者のジョン・ル・カレ自身がかつて英国情報部の一員だったからです。彼はMI6(=SIS)に所属し、西ドイツの英国大使館などで外交官として働いた経験を基に小説を書くようになりました。実際に諜報の世界を経験した著者によるからこそ、劇中での描写が説得力をもったのです。
二つ目の理由は、この物語が実話を基にしているということです。すなわち、一時MI6の長官にまで上り詰めようとしていた優秀な男が実はKGBのスパイだった……、という事件が実際あったのです。『ティンカー、テイラー、…』の新訳版ではル・カレ自身による序文が付されており、この実在の二重スパイであるキム・フィルビーやジョージ・ブレイク、および彼らにまつわる騒動について言及しています。それもやはり諜報に携わった者ならでは実感のこもったコメントです。

「ひそかな裏切り者は、所属組織の努力を挫くのに全力を尽くす一方で、組織がその存在を正当化するのに欠かせぬ大小の功績をもたらして、組織内での自分のキャリアを築き、どこに出ても有能で信頼できる人物、闇夜でも安心していい男になりすます。ゲームの要諦はしたがって、〔中略〕所属組織の忠実な一員という役どころでの二重スパイを利することと、雇用主たる国に益よりは害をなすまでに、あるいはスマイリーのいう裏返しになるまでに、組織を害する飽くなき努力を利することとの、バランス芸であるといっていい。」


このように本作はスパイ小説として特別な輝きをもっており、後世のスパイもの・スリラーに与えた影響は大きいです。たとえば、今ではサスペンスものにごく当たり前に登場しうる、女性スパイの色仕掛けを指す「ハニー・トラップ」という隠語ですが、これは本作で初めて用いられたル・カレの創作語です。また、二重スパイを指す「もぐら」という語は、正確な由来はル・カレ本人にも分からないそう(ただし、序文では興味深い逸話が紹介されています)ですが、この作品によって世間に広まったのは間違いなく、例えばトム・クルーズ主演の映画『ミッション・インポッシブル』の第一作でも「もぐら狩り(mole hunt)」という表現が使われていたりします。


さて、ここからはこの作品についてより詳細な話になります。
この作品で読者を読み進めさせる原動力となるのは、やはり「誰がもぐらなのか?」というミステリーです。劇中いくつもの事実説明や、人物名・専門用語が登場しますが、一つ一つの関連を大まかにでもイメージできていれば、読者は話についていくことができるでしょう。最後にはそれらが、もぐらの正体の解明という方向へ集約されていきます。
しかし、この作品はその正体の謎を解き明かしてそれで終わり、というものでももちろんありません。

この作品には、あらすじで紹介されたスマイリーに代表されるように、「孤独」な人間が多く登場します。
作戦の失敗で傷を負った者。
自分の信条に従ったために周りから疎まれた者。
疑心暗鬼に陥った者。
そして、もぐら自身。
僕はこの作品の本質にあるのは、冷戦という時代の下で、組織や体制、社会に翻弄されていく人々の人間性や孤独ではないかと思います。国家に尽くすためにスパイとして働く人々は、何についてでも「疑う」ということが根本的な意味で仕事になってきます。この情報の出所は信用できるのか、この男はどこまで本当のことを言っているのか、自分は危険に曝されているのではないか。さらには、少しでも不審の芽のある者であれば、同僚さえ疑わなければいけません。また一方で、彼らは役所に勤める役人でもあり、ある種官僚的に仕事をこなすことも求められます。上司の命令に従い、予算の枠組みに従い、仕事場の慣習に従います。
そして、時に自分自身の意志と仕事上の立場や状況とが葛藤することがあります。もし仕事を優先させて自分の生活を守りたいなら、あるいは自分の国を守りたいなら、その意志を捨てなければなりません。しかし、それを捨てれば、自分自身の持っていた大切な理想や信条からはどんどん遠ざかるでしょう。そのために、彼らは悩むのです。自分の職業のため、国家のため、体制のため、時代のため。守りたいもののために、彼らは一つ一つ自分の中の何かを諦め、捨てていきます。
そうして、彼らはだんだんと孤独になってゆくのです。
この作品には、そういったスパイ達の(もっと一般的にいえば職業に身を捧げる人々の)悲哀がよく描かれています。過去に何かを捨てて、それでもまだ妥協しきれないところがあると感じられるキャラクターが多く登場します。緊張感あふれる頭脳戦も良いですが、この作品の最大の魅力はやはり、人間味のあるスパイ達の織りなすドラマだと思います。


個人的にお気に入りのエピソードは、本作品の中盤、第23章です。
この章では、普段は寡黙なスマイリーが自らの過去を相棒ギラムに語ります。それは、スマイリーがかつてカーラというソ連のスパイと会ったときの話でした。カーラは現在のサーカスにもぐらを潜り込ませた張本人であり、一連の事件の黒幕的存在といえます。劇中に直接登場はしませんが、カギを握る男といえます。
カーラはソ連に忠誠を尽くした大物スパイとして知られますが、粛清でシベリア送りにされた経験もあります。抜け目の無い男と思われていた彼ですが、一度だけある大失態を犯します。サーカスはその隙を突き、インド当局と協力してデリーで彼を短時間だけ拘束します。彼の当時の偽名は『ゲルストマン』でした。
一方で当時のスマイリーは、世界各地でソ連からの離脱を希望していた工作員達と面会し、亡命交渉をしていました。彼はその一環で、カーラを西側へ引き入れるべくデリーに飛びます。
大きなミスでソ連に損害を負わせたカーラはモスクワに召喚されますが、帰れば確実に銃殺刑が待っています。普通の工作員だったらおそらく亡命を決意するような状況です。デリーの蒸し暑い刑務所の中で、スマイリーはカーラと相対します。

「最初見たとき、ほとんどなんの印象も受けなかった。目の前にいる小男と、かわいそうなイリーナの日記にある老獪なしたたか者が、容易に結びつかなかった」
「痩せた小男、髪は銀まじりの白髪、目は明るい茶色、しわだらけ」

スマイリーはカーラの第一印象をそう語ります。テーブルを挟んで、スマイリーは他のスパイに対するのと同じ調子で交渉を始めます。西側へ来るなら、名前を変えてまともな生活を送ることができる。尋問には協力してもらうが。それに対して、カーラは何の反応も返しません。スマイリーがいくら問いかけても、身じろぎせず、一言も言葉を発しません。
この異様な沈黙を続ける男に、スマイリーは、

「異様な不安感が全身をじわじわ包みはじめた。暑さがたまらなくなってきた。ひどいにおいがして、汗が鉄のテーブルにぽとぽとしたたる音をきいたのを記憶する。相手の沈黙だけでなく、石のように身動きひとつしないのにも、気がいらいらしてきた」

平常心を保とうと、スマイリーは様々な角度から交渉を持ちかけますが、次第に何も話すことがなくなります。

「そういうときは立って出て行けばいいぐらい、どんなばかでもわかる。『受けるか断わるか、好きにしろ』といえばいい。『夜が明けたらまた』でも、なんでもいい」

しかし、ここでスマイリーは衝撃的な事をギラムに打ち明けます。

「ところがわたしは、気がついたらアンのことを持ち出していた」

カーラの居住まいを見て、彼も自分と同じく妻帯者だと直感的に思ったスマイリーは、あえて妻のことを尋ねます。既に関係がぎくしゃくし始めていた自分の妻のことを相手に語ります。チェーンスモーカーである彼にタバコを与え、『アンからジョージに 愛のたけをこめて』と刻まれた夫婦の記念のライターをも渡します。
ギラムはこの話に驚きました。敵国のスパイに自ら個人情報を話すなんて考えられないからです。カーラを説得できる可能性がまだ残っていたからなのかもしれませんが、彼がモスクワに戻れば、ソ連側にその情報で何をされるか分かりません。
しかし、スマイリーはそれでも真剣でした。

「ぼーっとした頭で、なんとか彼を引きとめ、人生をやりなおさせ、できることなら妻といっしょに牧歌的環境で再出発させてやりたい、そう真剣に思った。自由にしてやりたく、冷戦から抜け出させてやりたかった。なにがなんでも国には帰らせたくなかった」

その心はこうでした。

「なにを隠そう、ピーター、その晩、冷戦から抜け出そうとしていたのは、ゲルストマンではなくスマイリーだったんだ」

カーラのソ連行き飛行機の出発時刻が迫る中、スマイリーはなおも説得を試みました。思慮を取り戻しつつあったスマイリーは、彼が自分と「同類」であることに気づき始め、こう言います。

「『われわれはもうとしだし、今日までの人生、たがいに体制の弱みをさがして生きてきた。きみが西側の価値観を見抜いているように、わたしも東側の価値観を見抜いている。ふたりともこのどうしようもない冷戦の技術面の達成感だけは、飽き飽きするほど味わったと思う。しかし、いまやきみの帰属する側は、きみを銃殺しようとしている。わたしの側になんの価値もないように、きみの側にもありはしないことを、もう認めてもいいんじゃないか。いいか』〔中略〕わたしは彼に、これだけはこたえてくれと迫った。それぞれたどった道筋はちがっても、人生について達した結論はおなじかもしれぬとは思わないか。たとえわたしの結論が、彼にいわせれば閉塞的であっても、そこにいたるまでしていたことはおなじなのでは。〔中略〕身に覚えのない不行跡のために、自分を容赦なく銃殺しようとする体制の無謬を疑ったことは――ここまで人生の旅を重ねてきながら、疑ったことはないのか。わたしは懇望、いや、懇願した。〔中略〕今日まで仕えて尽くしてきた体制への信頼が、この期におよんでまだ本当に損なわれていないのか、考えてくれと頼んだ」

約2ページにわたるこの一続きのスマイリーの語り、僕はこの作品一番の名台詞だと思います。
敵国のスパイを説得するためにその内面を推し量ろうとして、スマイリーは逆説的にそこに自分自身を見出します。スマイリーとカーラ、鉄のカーテンを挟んで宿敵となる彼らは、同時に鏡映しのような存在にも思えます。属する体制が違い、辿ってきた人生の過程が違っても、同じ職業に就く人間なら分かり合える結論が一つでもあるのでは、とスマイリーは信じたのです。
この台詞の後には、同じくスマイリーの「わたしは自分のなけなしの心理学をかなぐりすて、諜報技術もすてた」という言葉があります。ここから、スマイリーはあのときスパイとしてカーラと向き合おうとしたのではなく、素の一人の人間としての対話を試みたと分かります。
また同時にあの台詞は、世界が二つに分断された時代、自分の属する側に忠誠を尽くして働いた人間が感じた悲哀を表す言葉にも聞こえます。

結局、スマイリーの熱意とは裏腹に、カーラはとうとう一言も発しないまま、ソ連行きの飛行機に乗ります。スマイリーにもらったタバコには手をつけず、しかしライターだけはしっかりと持ってモスクワへ戻ります。ロンドンに帰ったスマイリーはコントロールに報告します。

「帰国すると、コントロールが、『まあ銃殺されることを祈るんだな』といって、お茶を淹れてくれた。〔中略〕そしてわたしに、うむをいわさず三ヶ月の休暇を取らせた。『いろいろ疑問を持つのはいいことだ』といった。『そうすることで自分の立場が見えてくる。だが、それで悦に入らぬことだ。それをしては厭味な人間になる』警告だった。頭にとどめておいた。〔後略〕」

個人的にこの『いろいろ疑問を〜』以降のコントロールの台詞、自分の座右の銘にしたいくらい気に入っています。どういうわけかは分かりませんが。


さて、以上長々と紹介を書いてきましたが、これを読んで少しでも『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』、そしてスパイ小説というジャンルに興味を持っていただけたら幸いです。中には、「なぜ今の時代にこの作品なのか」つまり「この21世紀にもなってなぜ冷戦時代の作品なのか」(なぜ今映画化するのか)と不思議に思う方もいらっしゃるかもしれません。僕はやはり、この作品がいつの時代にも通じる普遍的なテーマを扱っているからだと思います。人を信じることと裏切られること。スパイ達はどの職業よりも、その二つとより隣り合わせに生きています。人の内面を覗く職業で生きる者達だからこそ、その心の叫びが一層痛切に感じられるのだと思います。
出版から40年で早くもスパイ小説の古典としての地位を確立した本作ですが、今読んでも少しも古びてはいません。ちょっと長めの作品ですが、スパイ小説の巨匠の仕掛けた迷宮のような世界に足を踏み入れてみてはいかがでしょうか。


―――――
ここからはちょっと映画版の紹介もさせていただきます。
映画のタイトルは、海外では基本的に原題と同じ"Tinker Tailor Soldier Spy"ですが、日本では『裏切りのサーカス』という邦題になっています。なんであえて変えたのかは知りませんが……。
主演にゲイリー・オールドマンを迎え、さらに脇を固めるキャストもジョン・ハートコリン・ファーストム・ハーディベネディクト・カンバーバッチキアラン・ハインズマーク・ストロングなどなど、豪華過ぎる俳優ばかりです。監督は、『ぼくのエリ 200歳の少女』のトーマス・アルフレッドソン。スパイものを撮るのは当然初めてな監督さんですが、その分従来のスパイものにありがちな典型さに囚われない新しい発想で製作したように思えます。
DVDを買って観ましたが、最高でした。小説の映画化として観ても、また映画それ自体の作品として観ても極めて完成度が高いです。基本的に原作の流れを踏襲していますが、要所要所で新たなイマジネーションが加えられててそれが上手くはまってます。

日本語版トレイラー予告。


以下は公式にアップされた本編のクリップ映像です。

本作の鍵となる"ウィッチクラフト作戦"についての会議。原作でこれに相当する場面では、スマイリーとコントロール、そしてウィッチクラフトの提案者であるパーシー・アレリンの3人だけですが、映画だと、後に"もぐら"の容疑者となる人物全員が集結しています。このアレンジの仕方が上手いですね。"Shut up!"

"許可もらったんですか、それ(自転車)"
"外に停めるなんて御免だ。だが中の連中だって強欲ぞろいだ。金歯だって抜かれるぞ"

"それから何があった"
"それから……突然に、ソ連側が動き出した"

"忠誠心について話そうか、トビー"

"あの男は誰だ?"
"知りません"
"何者なんだ? 物乞い(ベガマン)か? 泥棒(シーフ)か? なんで向こうを向いてるんだろうな。子どもが騒いでたら普通こっちを見るはずだろう。俺達が嫌いなのか? 怪しい奴だから気をつけないとな。アルヴィスを盗むかもしれん。……つまり?"
"イングランド一の車だから?"
"いい子だ"
原作では少し早めにこの場面が出てきます。何気ない台詞回しの中に伏線がバリバリ織り込まれてますよ。

このあとのシーンでギラムは、サーカスの資料庫から、外部持ち出し禁止のはずの資料を盗むことに成功します。鍵を握るのは、0:08で入り口に預けられたカバン、1:37で自動車整備工場からかかってきた電話、そして2:06でそれをギラムに伝えにきた職員アルウィン

上で紹介した、原作の第23章にあたるシーンです。ゲイリー・オールドマンの神懸かり的な演技が拝めます。
"私と君との間にそう違いは無いんじゃないか。私達二人ともが、互いの体制の弱みを探すことに人生を捧げてきた"


名キャストと名演出に支えられて、素晴らしい映画になっています。原作を読んでからでも良し、映画を先に観るのも良し、です。気になった方はこちらも観てみては。